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第1話「桜色の約束」

 春霞がたなびく4月初旬、葉月学園の入学式当日を迎えた。桜の花びらが舞う中、葉月詩音は静かに式典会場へと歩を進めていた。長身でスレンダーな体型、漆黒の瀧のように流れる長髪、そして切れ長の瞳が特徴的な彼女の姿は、まるで水墨画から抜け出してきたかのような凛とした美しさを漂わせていた。


 周囲の喧騒とは無縁であるかのように、詩音は冷静な面持ちで歩を進める。しかし、その胸の内では、静かな激流が渦巻いていた。


「私は何者かになりたい……」


 詩音は心の中で幾度となくその言葉を反芻していた。由緒ある全寮制の進学校、葉月学園。この地で自分は何を見出し、どのような姿に変容を遂げるのだろうか。そんな思いを胸に秘めながら、詩音は深呼吸を一つし、静かに式典会場の扉に手をかけた。


 扉を開けた瞬間、詩音の目に飛び込んできたのは、まるで万華鏡のように色とりどりの制服に身を包んだ新入生たちの姿だった。その中にあって、一際目を引く存在があった。


 風間澪――小柄で丸みを帯びた愛らしい顔立ち、明るい茶色の髪は春の陽射しのように輝き、大きな瞳には無邪気な好奇心が宿っている。彼女は息を切らしながらも、決して笑顔を絶やすことなく会場に駆け込んできた。


「ごめんなさい! 遅刻しちゃって……」


 澪は周囲の生徒たちに軽く頭を下げながら、空いている席を探していた。そして、運命の糸に導かれるかのように、ちょうど詩音の隣の席が空いているのを見つけ、そこに腰を下ろした。


「あの、ここ良いですか?」


 澪が詩音に尋ねると、詩音はただ無言で頷いた。しかし、その瞬間、二人の視線が交差した。それは、まるで春の嵐のように、二人の心に激しい衝撃を与えた。


 詩音は、自分の内側で何かが大きく揺らいだのを感じた。それは、これまで経験したことのない、不思議な感覚だった。澪の瞳に映る自分の姿。それは、詩音が知っている自分とは少し違う。もっと柔らかく、もっと温かい。そんな自分でありたいと、詩音は不意に強く思った。


 一方、澪も詩音の姿に心を奪われていた。その凛とした佇まい、どこか寂しげで儚い雰囲気。それは澪の心に、不思議な痛みと喜びを同時にもたらした。この人の傍にいたい、この人ともっと話したい。そんな思いが、澪の心を満たしていった。


 式典が始まり、校長の話が滔々と続く中、二人は時折、そっと視線を交わした。その度に、心臓の鼓動が早くなる。まるで、二人だけの秘密の会話を交わしているかのように。


 やがて式典が終わり、寮への移動が始まった。詩音と澪は偶然にも同じ部屋に割り当てられていた。それは、まるで運命が二人を引き合わせようとしているかのようだった。


 寮の部屋に入ると、澪は明るく自己紹介を始めた。


「えっと、私、風間澪です。よろしくお願いします!」


 その声は、春の小川のせせらぎのように清らかで、詩音の心に染み入るようだった。詩音は、少し戸惑いながらも応えた。


「葉月詩音です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 その声は、静かな湖面のように穏やかで、澪の心を不思議と落ち着かせた。


 二人は荷物を整理しながら、互いの素性を少しずつ明かしていった。詩音は数学と物理が得意で、チェスを趣味としていること。澪は文学と音楽、絵画が好きで、特に詩を書くのが趣味だということ。


「へぇ、詩音ちゃんってすごく頭が良さそう!」


 澪が素直に感心すると、詩音は少し照れたように目を逸らした。その仕草に、澪は心が躍るのを感じた。


「そんなことないよ。澪こそ、芸術的な才能がありそうだね」


 詩音の言葉に、今度は澪が頬を赤らめた。二人の間に、静かな親密さが芽生え始めていた。


 夜になり、二人はそれぞれのベッドに横たわった。窓から差し込む月明かりが、部屋を優しく照らしている。天井を見上げながら、詩音は静かに語り始めた。


「ねえ、澪。あなたは、何になりたい?」


 澪は少し考えてから答えた。


「うーん、まだよく分からないけど……誰かの心に残るものを作りたいな。詩音ちゃんは?」


「私は……まだ分からない。でも、きっと見つけられると思う」


 詩音の言葉に、澪は優しく微笑んだ。その笑顔は、詩音の心に暖かな光を灯すようだった。


「うん、絶対見つかるよ! 私たち、一緒に頑張ろうね」


 詩音は小さく頷いた。その瞬間、二人の心に、ある予感が芽生えた。これから始まる日々が、きっと特別なものになるという予感。それは、桜の蕾のように、まだ小さくて儚いものだったが、確かに存在していた。


 窓から差し込む月明かりの中、二人は静かに目を閉じた。これから始まる新しい生活への期待と不安が入り混じる中、桜色の約束が静かに芽吹いていた。それは、まだ名付けられない、しかし確かに存在する感情。二人の心に、静かに、しかし確実に根を下ろし始めていた。


 翌朝、詩音が目を覚ますと、窓辺に立つ澪の姿が目に入った。朝日に照らされた彼女の横顔は、まるで絵画のように美しく、詩音の胸を締め付けた。


「おはよう、澪」


 詩音の声に、澪はゆっくりと振り返った。その瞳に朝日が反射して、まるで琥珀のように輝いている。


「おはよう、詩音ちゃん。見て、桜がきれいだよ」


 澪の言葉に促されるように、詩音も窓辺に立った。そこには、満開の桜の木々が視界いっぱいに広がっていた。風に揺られる花びらが、まるで祝福の雨のように降り注いでいる。


「ねえ、詩音ちゃん。私たちの高校生活も、この桜みたいに美しいものになるかな」


 澪の問いかけに、詩音は静かに頷いた。


「きっとそうなるわ。私たち次第だもの」


 その言葉には、自分でも気づかないほどの決意が込められていた。詩音は、この瞬間を心に刻み付けた。桜色に染まる朝の光の中で、新たな物語が始まろうとしていた。それは、まだ見ぬ「何者か」を目指す、二人だけの特別な旅の始まりだった。


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