王太子殿下に婚約破棄され、第二王子殿下に求婚され新たに婚約者になりましたが……
「クロディーヌ・ミアランセ公爵令嬢! 君との婚約を破棄する!」
――とある夜会にて。
突如響いたその声に、ホール中が騒然となった。
声を張り上げた主は金髪に紅色の瞳の美少年、この国の王太子であるエリオット。
腕にピンク髪の少女を抱く彼が指差す先、そこには銀髪碧眼の美しい少女が佇んでいた。
彼女こそが筆頭公爵家長女であり王太子の婚約者――否、たった今まで婚約者だったクロディーヌだ。
クロディーヌはサッと前へ歩み出ると、扇で口元を隠しても隠し切れない困り顔で王太子に問うた。
「殿下、婚約破棄とおっしゃいまして? 理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「私は『真実の愛』を見つけたのだ。彼女は愛らしく、優しい。妃になるに相応しい女性だ」
王太子エリオットがぎゅっと抱き寄せるのは、ここ最近彼との関係が囁かれていた伯爵令嬢のダイナ・ティレアだった。
「ああ、エリオット様……」と恍惚とした表情で甘える彼女はなるほどとても愛らしく、たわわな胸が男をそそる。
だが、クロディーヌの美貌に勝るかと言えば否だ。
クロディーヌは胸は劣るが、ダイナより明らかに美人だし気品があった。それに身分も高く、王妃教育をすでに終えているほどの才女でもある。ダイナとクロディーヌ、どちらが優れているかと言えば一目瞭然だった。
愚かだ、と不敬ながらこの場の誰もが思ったことだろう。
しかし恋は盲目ともいう。年頃の少年であるエリオットがダイナを好きになり、このような奇行に走ってしまうのは仕方のないことかも知れなかった。
さらには今日、国王は諸事情で不在。騒動を起こすにはもってこいの日だ。
――一年ほど前までは、エリオット王太子とクロディーヌ公爵令嬢は政略的な婚約者同士にしては良い関係だった。
エリオットもクロディーヌを愛していたし、クロディーヌは彼にまっすぐな好意を向けていた。それがすれ違い、二人の距離が離れていったのは何がきっかけだったのか。
それはわからないが、とにかく今のエリオットの瞳がダイナしか見つめていないことは確かだった。
クロディーヌはエリオットと、彼に寄り添うダイナをじっと見つめると、静かな声で言った。
「公衆の面前でこのような醜態を晒すことはあまり望ましくないかと思われますわ。お話は控え室で……」
「ならん」だが、エリオットは強い口調で遮った。「君の罪は公の場でこそ裁かなければならないのだ!」
「わたくしの罪……ですの?」
「そうだ。君がダイナを虐げ、果ては暗殺さえ企んだのはわかっている。言い訳はさせないぞ」
「暗殺? わたくしがダイナの暗殺なんて考えるはず、ないではありませんの」
実は、公爵令嬢クロディーヌと伯爵令嬢ダイナは幼馴染である。
両親の付き合いで幼い頃から知り合い、仲良くしていた。だからこそ誰よりも親しかったダイナとエリオットの熱愛が知らされた時、クロディーヌは相当なショックを受けていた。
だが、他の令嬢たちに慰められた時、クロディーヌは健気にも笑って答えた。「ダイナがエリオットを、そして未来の王妃の座を奪おうなどと考えるわけがありませんわ」と……。
「エリオット様、わたし、とっても怖かったの……」
「大丈夫だ、ダイナ。ここに証拠はある。クロディーヌ、これでもまだ認めないと言うか」
そう言いながらエリオットが突き出したのは、大量の紙束だった。
そこに記されてあったのは大勢からの証言。内容は、例えば個人的なお茶会でクロディーヌがダイナのドレスにお茶をこぼしただとか、彼女を公爵邸に招いては理由をつけて鞭打ったなどというもの。
そして、クロディーヌがダイナを暗殺するために殺し屋に宛てた依頼書とされる紙もあった。
「そんな……。ダイナ、あなたはそこまでわたくしを……」
それを前に、クロディーヌは膝から崩れ落ちてしまった。
清廉潔白な彼女がダイナを虐げてなどいないだろうことは皆、わかっている。
幼馴染に裏切られ、婚約者にさえ信じてもらえなかった。その事実に耐えられなかったのだろう。クロディーヌを憐れむ者はあれど、王太子の手前、彼に逆らってまで声を上げられる者など誰もいなかった。
そう、一人を除いては――。
「そこまでです、兄上」
クロディーヌとエリオットの間に颯爽と駆け込んで来たのは、エリオットとよく似た金髪と赤い瞳の少年。
その名をジャレットという、エリオットの弟である第二王子であった。
「何だジャレット。今私はクロディーヌに裁きを下しているところなのだ!」
「何が裁きですか。全てその伯爵令嬢とでっち上げた虚偽ではないですか」
乱入してきた弟へ怒り心頭なエリオットを無視し、ジャレット第二王子は彼の手から紙束を奪う。
そしてビリッと勢いよく破り去ってしまった。
「そんなにクロディーヌ嬢と別れたいなら、ご勝手にどうぞ。だが彼女を貶めることだけは許せない」
「何を勝手なことを。その女はダイナを貶めた悪女で」
「兄上は黙っていてください。調べはもうついているんだ」
ジャレットは優秀王子と呼ばれている。
王子教育においても、国政においても、社交においても、全て。国王になるべき素質があるのはジャレット王子の方なのではないかと主張する第二王子派の貴族も多いくらいだ。
近頃ダイナを寵愛し始めたことで王子教育を休んだり貴族とのいざこざを無視するようになったエリオット王太子とは評判は天と地の差であった。
彼はすでにエリオットがクロディーヌの罪状の証明として提示した紙束が全て偽造であることも、掴んでいるのだろう。
これは第一王子派と第二王子派の争いになるのでは、と貴族たちが囁き出した。
しかしそんなことは気にする様子すらなく、ジャレットは戸惑うクロディーヌの前に跪く。
それから迷いなく言い放った。
「クロディーヌ嬢。僕は、ずっとあなたのことが好きでした。
兄上の婚約者だからと我慢してきた。でも、兄上がこのような無責任な形で婚約破棄をしてくれたおかげで、僕にもこうして愛を乞う機会ができました。
あなたの美しさに惹かれ、それから汚れなき心根に心を掴まれたあなたとの初めての出会いから、あなたは僕の一番です。
どうか僕の手を取っていただけませんか、クロディーヌ嬢。必ず、必ず幸せにして見せます」
熱のこもった紅色の瞳でクロディーヌを見上げるジャレット。
クロディーヌにとっては困惑しつつも、ジャレットをじっと見つめ返す。そして震える声で問いかけた。
「わたくしで、良いのですか? わたくしはエリオット殿下に捨てられた女ですのよ……?」
「あなたがいいのです、クロディーヌ嬢。あなただからこそ僕は求婚している」
ジャレットがそう言った途端、戸惑いがちだったクロディーヌの頬が桜色に染まっていく。
公衆の面前で、求婚。恥以外の何者でもない。しかしエリオットに捨てられ、最悪極刑だった彼女にとって、ジャレットの愛は一筋の希望の光に他ならなかっただろう。
「ありがとう、ございます。では、まずは婚約者としてから……お願いいたしますわ」
クロディーヌは、ジャレットの手を恐る恐るながら握る。
ジャレットはにっこりと微笑み、クロディーヌの手の甲に口付けた。
それを邪魔するようにエリオットとダイナが何やら抗議の声を上げていたが、早速甘い雰囲気になってしまった二人には届かない。
そのまま夜会は穏やかに進行し、やがてお開きとなったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それからしばらくの月日が経った。
クロディーヌの新たな婚約者はジャレットとなり、彼女は今まで受けてきた妃教育でジャレットを支えていくと宣言。ジャレットはそんなクロディーヌのことを大層可愛がり、膝に乗せたり頭を撫でたりと過度に溺愛した。
一方のダイナは王妃教育に苦労しているらしく、クロディーヌを失ったエリオットはどんどん落ちぶれていっている。
「あなたを傷つけた罰だ。因果応報だよ」とジャレットは笑った。
「ええ、その通りですわ。でもおかげでジャレット殿下とこうして婚約者同士になれたのですもの、わたくしは幸せ者ですわね」
ジャレットは愛しそうにクロディーヌの髪にキスを落とす。
クロディーヌは真っ赤になって、身を捩った。
「いけません、殿下。それ以上は」
「どうしてだいクロディーヌ。僕はこんなにも君を愛しているのに」
ジャレットの甘い言葉を受けて、青い瞳でまっすぐ彼を見上げるクロディーヌ。
彼女はふふっと小さく笑う。
「無事に結ばれることができたら、のお楽しみにとっておきませんと」
「そうだね。その通りだ」
クロディーヌとジャレット、二人きりの甘やかなお茶会の時間。
婚約者同士とはいえこれほどベタベタとくっつくのは無作法にあたるのだが、そんなことはジャレットは気にしない。デロデロにクロディーヌを甘やかさなければならないのだ。
二人はとても幸せそうに笑っていた。
それ故に、ジャレットは油断していた。優秀王子と名高く、常に兄の地位を狙い、社交の場においてうまく立ち回っていた彼が、ほんの少しだけ、気を抜いてしまったのだ。
「……きっと僕らは世界で一番幸せな夫婦になるさ。兄上はもうすぐ廃嫡になるだろうね」
「ええ、そうですわね。それもこれもあなた様のおかげでしょう?」
「ああ、やはりクロディーヌはわかっていたんだね。そうさ、あんな情けない色ボケ男にあなたを任せておくわけにはいかないだろう? ここまで本当に長かったよ。でも、これでやっと僕の望みが叶う。あなたを妃に迎え入れ、王と王妃として並び立つという望みがね」
ジャレットは、気づかなかった。
膝の上に乗せているクロディーヌの微笑みの色が、先ほどまでとまるで違っていたことに。
そして彼が気づいた時にはもう遅かった。
「……残念ですけれど、たった今、それは夢物語になりましたわ」
そう言うな否や、銀髪をかき上げながら鬱陶しそうにジャレットの膝から降り立ったクロディーヌ。
しかし彼女の青い瞳はジャレットを見据えたままだ。熱のこもっていた視線を、氷のように変えてはいたけれど。
「ど、どうしたんだクロディーヌ。何に怒っているんだい」
「いいえ、わたくし怒ってなどおりませんわ。こう見えて心の底から喜んでいますのよ、ジャレット殿下。好きでもない殿方とこれ以上一緒に過ごさなくて良くなったことを」
そう。クロディーヌは今、紛れもなく歓喜しているのだ。
ジャレット第二王子と甘い日々を過ごしていた時よりも、もちろん彼から求婚された時よりも、ずっと。
「エリオット殿下に婚約破棄され、ジャレット殿下に求婚され新たに婚約者になりましたが……わたくしがあなた様のことを愛しているとでも思っていらっしゃったのかしら?
婚約破棄された直後に付け入るようにやって来た殿方なんて、普通であれば追い払いますわ。この世は都合のいい物語ではございませんのよ?
少し甘えたそぶりを見せるだけですぐに勘違いしてくださるんですもの、思っていた以上にお可愛らしいところもあるのかと驚いてしまいましたわ」
少しばかり揶揄うように言いながら、しかしクロディーヌの目は笑っていない。
ようやく自分の状況を悟ったジャレット王子は慌ててその場から逃げ出そうとしたが、ちょうどその時ドッと衛兵たちが押し寄せて来て、すぐに取り押さえられた。
――彼の罪状は、反逆罪。
国王直々に王太子に指名されているエリオットから継承権を奪い、自らが王に成り上がろうとしたことを自白したためだった。
もちろん彼はそんな自覚はなかったのだろう。クロディーヌに知らず知らずのうちに誘導され、ついうっかり口にしてしまったのだから。
「あなた様の事情は全て、全て知っていたのですわ、ジャレット殿下。
わたくしを愛しているふりをなさっていたのはエリオット殿下が落ちぶれた時、わたくしが寝返ったりしないようにを考えてのこと。そして求婚なさったのはもちろん、わたくしの能力と後ろ盾となる家柄が欲しかったから……何か間違いはございまして?」
「クロ……ディーヌ……。貴様、僕を、騙した……のか」
地面に引き倒されたジャレット王子がクロディーヌを憎々しげに睨む。
そこにもはや甘い感情など、欠片もない。彼女の指摘通り、彼にとってクロディーヌは手駒でしかなかったわけだ。
世界で一番幸せな夫婦になるはずだった二人は互いに愛もなく、ただ相手を利用し合っていただけだったのである。
「ジャレット殿下がエリオット殿下から王位継承権を奪おうとしていることは存じておりましたから。大々的に反逆を起こされ内戦に陥るより、こうして捕らえた方が簡単でしょう?
さようなら、ジャレット殿下。一時的とはいえわたくしとエリオット殿下を引き裂いたこと、わたくし少し恨んでおりますの。城の地下牢で後悔なさってくださいな」
言い終えた後、クロディーヌは用済みとばかりにすぐに庭園を立ち去る。
背後からは地下牢へ引き摺られていくジャレットの悲鳴を聞こえていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
クロディーヌがジャレットの野望に気づいたのは一年前。
その頃、エリオットへの暗殺未遂が増えていた。食べ物に毒が入っていたり、突然の襲撃者があったりと色々だ。
エリオットが立太子して間もない時だったので隣国からの干渉が増えているのかと思い、クロディーヌが家の者に調べさせても情報が撹乱されていてなかなか行き付かない。そんな時にさりげなく寄って来たのがジャレットだった。
『……クロディーヌ嬢、最近顔色が悪いですね。何かお困りごとでも?』
『ええ、少し。ですがジャレット殿下にお話しするほどのことでは』
『構いません。将来あなたは僕の義姉になるんだ、遠慮なく言ってください』
とても人の良さそうな笑顔なのに、それが上辺だけなのではないかとクロディーヌは直感でわかってしまった。
そして合点がいったのだ。エリオットの命を狙っているのは、彼に違いないと。
優秀王子と呼ばれ、支持者の多いジャレット王子にとって、長子というだけの理由で王太子となったエリオットは目の上のたんこぶだろう。内外の不安定なこの時期を狙い、暗殺しようとするのは非常に利口な手口だと思った。
――このままではジャレット殿下にエリオット殿下が殺されてしまう。
エリオットとは幼少の頃よりずっと仲が良く、心から彼のことを好いていたクロディーヌは、彼の命を守るためすぐさまエリオットや国王に話を持ちかけた。
しかし証拠がない以上捕らえるのは難しい。
そして協議の結果、行き着いたのが今回の作戦だ。幼馴染で親友のダイナを頼り、エリオットの浮気相手のふりをしてもらった上で機を見て婚約破棄騒動を起こす。冤罪による断罪劇を繰り広げていたところ、予想通りに求婚しにジャレット王子がやって来たというわけだった。
ジャレットに甘えたり彼の溺愛を受け入れる演技は精神的に苦痛だったが、それを耐えたおかげでこうして無事に解決することができた。
「これでようやく、エリオット殿下と気兼ねなく過ごすことができますわ」
エリオットとダイナは表向き婚約しているが、国王の計らいですぐに解消できることになっている。
己が再びエリオットの婚約者となり、彼の横に並び立てるのだと思い、彼女は心から微笑んだ。
「嬉しそうだな、クロディーヌ」
聞こえて来た声に振り返れば、そこにいたのは金髪に赤瞳の少年。
ジャレット王子……ではなく、言わずもがな兄のエリオット王太子である。
クロディーヌは思わず彼に抱きついた。
「お久しぶりでございます、エリオット殿下。本当の本当にお会いしとうございましたわ!」
「私もだ。長々とつまらない芝居をやらされて、クロディーヌと離れていなければならないのが苦痛だった」
「わたくしもですわ。これからはずっと一緒ですわよ」
ジャレット王子の時とは違い、クロディーヌは恥も外聞もなく自分からエリオットに口付けた。
エリオットも負けじとクロディーヌの唇を吸っては愛を囁く。
それをすぐ隣で見ていたピンク髪の伯爵令嬢ダイナは、やれやれと肩をすくめながら言った。
「お熱いわね、お二人さん。……まったくもう、クロディーヌなんてわたしに気づいてもいないし。泥棒猫役をやらされたわたしの身にもなってよね」
もちろん当の二人は聞いていなかったけれど。
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