第一
此処に結論はありません。
何処に書こうかと考えましたが此処にひっそりと認める事とします。勝手に目に入る所ではありません、あなたがご自分の判断で私の胸の内を覗いていくのです。
また、多くの人々の前で論じるのは避けたい。私は思想家ではありません、唯の男の戯言、ぼやき、独り言、その域を出ません。
此の独り言があなたの記憶の片隅に一瞬でも残るのであれば幸いです。
31歳、独身。なんの面白みもない唯の男です。医者をやっています。仕事柄、人と関わりの多い…というか、当然ながら仕事場には人以外の生き物が居ませんから、人々の中で生きています。
人の事は好きでした。私自身は褒められた人間ではありませんが、皆優しく、慈しみ合い、素晴らしい関係性を築いている。何処かで人は社会的な生き物だ、だとか、ひとりでは生きられない、だとか、そういった文句を見かけた事があります。その通りだと思います。人が支え合っている場面を多く見ました。ただ、その人間社会の中に自分という要素を入れようと考えると、どうにも違和感を覚えるのです。それは今も昔も変わりません。皆さんが平生とやってのける事が、私にはどうしても出来ないのです。
人の事は好きですが人付き合いは嫌いです。ただ、好きなものには近付きたい、その欲は私にもあります。元々人付き合いは苦手でしたが、それでも歩み寄ったつもりでした。しかし今まで、覚えているだけでも3度、他者から胸の内を斬られた事がありました。詳細はとんでもなくつまらないので省きます。この世において最もつまらないこの事象は、私を人付き合いの嫌いな男にするには十分でした。
私は他人から斬られた時に最初に感じたのは、他人への憤りでも不信感でもありません。私自身への失望でした。年齢を重ね、ある程度人付き合いとはなんたるかを理解し、その術を身に付けたつもりでした。苦手ながらも見様見真似でも出来ているつもりでした。実際、私は友と呼べる人々に囲まれており、人に好かれる自信がありました。他愛の無い話をして笑い合う。それを人並みに出来ている自覚がありました。目の前の人を楽しませている、そして私も楽しい、そういう場を築けている。人付き合いも悪くないと思い、人付き合いの中に、人として私の居場所を見出せるのではないかと思いました。
しかし、それらは私の勘違いであったとゆっくりと自覚しました。そうして斬られました。そこまでされなければ歯止めが効かなかったのです。自分の不甲斐なさに失望しました。そうして全ての人々に申し訳無さを感じました。繰り返しますが、人の事は好きです。好きなものに手間をかけさせ迷惑をかけ、とても申し訳ないのです。次第に愛想笑いすら出来なくなりました。身に付けたと思っていた全ての術を失いました。更に押し黙っているのもまた迷惑になります。私は身動きが取れなくなりました。
それでも私を気遣ってくれる素晴らしい人というのはいらっしゃいます。私はその時始めて、人間社会、そして他人に対して、酷い恐怖を抱きました。私が動けなくなっているのに対し、人々は笑顔で、素知らぬ顔で生活しています。変わらない日常。その笑顔の下にどれ程の努力があるのでしょう。又は私には理解出来ていませんが、皆共通認識の何かがあるのか。周りを見ても私と同じように身動きが取れなくなっている者は居ません。何故かは考えても分かりません。人間社会から疎外感を感じると同時に、慕ってくれていた全ての人達に対して、得体の知れないヒトという生き物だと認めました。
ヒトは優しいです。何故かが分かりません。その右手に刃物を持っていて、また斬られるのではないかという恐怖もあります。だから近寄りたくありません。自分が弱虫であった事を知りました。
ヒトが何故優しいのか分かりませんので、その裏に何かの理由があると考えてしまいます。優しく近寄り、私の胸の内を綺麗に暴いて、日の下に晒すのではないかと。その企てを上手くいかせるために笑顔で監視している。私の胸の内には、恐らく他人から見て重要そうなものは何もありませんし、寧ろ空っぽに見えるのでしょうが、私は私の胸の内を大切にしていました。そして日の下に晒されるというのは、私という者の息の根を止める行為であると思いました。私の胸の内には、自覚したばかりの弱虫の私がいます。そうしてそれを見た者は、私がそうしたように、失望するでしょう。私はヒトに対して恐怖を覚えながら、同時に、私が私に失望したように、ヒトから失望されたくないという思いがありました。
私は多人数で過ごすのも、一人で過ごすのも、辛くなりました。何かに依存しようと思いました。ひとつは仕事です。ヒトに囲まれているとはいえ、ヒトという生き物に対して医療行為をすると考えました。特に落ち着くのは手術室。ヒトは話しませんし見えるのは臓器。決して暇ではないこの職業は天職だと思いました。次に酒と煙草。これは仕事以外の一人で過ごす時間に使いました。幸い、稼ぎは悪くない仕事でしたので、これらを買う金には困りませんでした。この生活を続けていると身体が壊れます。最後に薬でした。合法な薬です。身体が辛くなった時に飲む薬。それでも体調不良から来るナーバスを解消するには、無くてはならない物になりました。用量を守れなくなりました。
仕事を限界まで詰め込み、稼いだ金を酒と煙草に充て、身体が壊れれば薬を使う。恐怖を払拭する為に。
私にも大切にしている物があります。斬られた胸の内から覗く物です。昔は恋心だと自覚していましたが、今となっては何と呼ぶ物なのかわかりません。大切にするあまりその本質がわからなくなりました。元の形がわからなくなった今でも、大切です。何と呼ぶかわかりませんのでしっくり来ませんが、とりあえず、感情と呼ぶ事にします。
その感情は何度も形を変えました。最初は恋。次に憧れ、後悔、反省、憎悪、恋、憧れ、憎悪、思い出……
そして形が変わるのに合わせて温度も変わりました。身を焦すほど熱くなったり、抱えるのが辛くなるほど冷たくなりました。ただどんな時も一貫して、醜い形でした。何年もその感情を抱えて生きてきました。所詮は過去の物です。
私は不器用で非力な人間です。多く物を抱える事ができません。私はその感情だけを抱えて他を捨てる事にしました。欲を切り離すことにしました。今を見ない事にしました。厭世的思考であると評価されて仕方がありません。その感情が形を変え温度を変えるのの世話をすると、それに手一杯になり、今私を取り囲んでいる状況に対応しきれずに、また斬られ、この感情ごと曝け出されてしまう。そうすると、息の根が止まる。私は醜い感情を抱えながら、熱りが醒めるのを待っています。その時はまだ来ません。
人は社会的な生き物だ、ひとりでは生きられない。その通りです。人間社会で生きる事が出来なくなった私がどうすべきか、頭の片隅にずっとあります。しかし実行に移せません。【もっと早くそうすべきだのに、何故今まで生きているのだろう。】
人の言葉を借りなければ、自分の思いを上手く言葉に出来ません。しかし時間を掛けてでも成し遂げたいと考えています。地獄に落ちる前に、私の為に。馬鹿な私は言葉にして吐き出せば身が軽くなると信じています。しかしその為の言葉が上手く使えません。人が学ぶのは死ぬ為ではないでしょうか。学び、納得する言葉を綴れた後に初めて死ぬ権利が与えられます。それは幸福で前向きな死です。