ローゼンブルグの兄弟
『ガタガタガタ』
メルーサは揺れる馬車の荷台の上で少しウトウトしながら、ローゼンブルグを目指していた。彼女は幼い時にローゼンブルグの貧民街に住んでいた。当時はいつも空腹で貧民街を彷徨っていたことしか覚えていない。
メルーサの家族が貧民街に住んでいた理由は種族がダークエルフだからという単純なものであった。昔からギルディアではダークエルフとハーフエルフは汚れた種族として、なかなか定職につくことが難しかった。そのため貧しかった家族の思い出が多いこのローゼンブルグに来ることは、できるだけ避けてきた。
そんな思い出したくない辛い過去の中でも一つだけ良い思い出があった。それはひどく腹が空いて今にも空腹で倒れそうになっていた時、一人のエルフに食べ物をもらった思い出だけは、今でも時々夢に出てくる。
「ほら、これでも食えよ」
メルーサが気力のない目で前方を見ると頭にバンダナを巻いた金髪のエルフの男が、丼を自分に差し出していた。お腹が空きすぎて丼を見た瞬間、メル―サはかぶりついた。
丼の中にはほかほかのごはんが敷き詰めてあって、その上に豚の角煮が載って、とろとろの餡が掛かっていて、あまりのおいしさにあっという間に平らげるとお礼も言わずにその場を逃げた。子供心にお金を請求されるのが怖くて逃げ出したが、男は自分を追いかけようともせずに空になった丼を笑いながら持ち上げると自分の店に帰って行った。
路地裏に隠れてその男の入った店の看板を見るとウィロー飯と書かれていたのを思い出した。
(久しぶりにあのウィロー飯が食べたいな)
あれから随分と大人になってお金もある。あの時のお礼も言いたいので、あのウィロー飯屋に行こう。メルーサは心に誓うと再び目を閉じた。
◇
ローゼンブルグを目指していた馬車は程なくして目的地に到着した。メルーサは市場の少し先にある貧民街を目指して歩いた。貧民街は増改築が早く街全体がコロコロと変わってしまうので昔の面影は全くなく、初めて訪れた街のように感じた。
メルーサが幼い頃、ギルディアとルーン大国の戦争が本格的になり、グラナダを死守する必要があると判断したギルディアの幹部達は、すぐにグラナダを守るため兵隊を多く募集した。メルーサの父親も兵隊に志願するとその腕っぷしを買われて、家族でグラナダに移住した。そのためローゼンブルグは幼い時の記憶しか残っていない。その幼い僅かな記憶を頼りに狭い路地裏を進んだ。どんどん進んでいくとなんとなく見覚えのある四つ角に着いた、目的の店はその四つ角を曲がった先にあった、逸る気持ちを必死に抑えながら四つ角を曲がった瞬間、メル―サは呆然と立ち尽くした。前方にウィロー飯店はなかった。ある程度予測はしていた、増改築が激しいこの地域にまだ残っていると期待するほうが間違いであることは、一番良くわかっていたが、ショックは大きかった。あの思い出の味がもう食べられないと思えば思うほど、食べたくなってくる。
(無いものはどうしようもない)
トボトボと肩を落として貧民街を後にしたメル―サが次に向かった先は、マルクスの家だった。叡智の杜の長老にマルクスが住んでいる場所を聞いていたので、すぐに目的の家に到着できた。玄関の呼び鈴を鳴らすと家の中から元気な少年が出てきた。
(この少年がマルクスの弟のカイトだろう)
カイトはメル―サを見ると怪しい者を見る目で凝視してきた。
「あなたは誰ですか?」
「私はギルティークラウンのメル―サという者だ」
「ギルティークラウン? 兄ちゃんと同じクラウンなのかい?」
「ああ、そうだ」
メル―サがそう言うとカイトの顔がぱっと明るくなった。
「そんなところで立っていないで、早く中に入ってよ」
「ああ、それじゃお言葉に甘えて失礼します」
「いいよ。入って入って!」
部屋に入るなりカイトの質問攻めが始まった。
「兄ちゃんは無事か? 元気にしてる?」
「ああ、元気にしてるよ」
「本当? いつになったら帰って来れるの?」
「え? それはわからないが、もうしばらくしたら帰ってこれるんじゃないか?」
マルクスはボルダーに就任したばかりなので、あと一月は帰れないが、そんなことはメル―サは知らなかった。
「本当に! そ、そうなんだ……」
カイトはすごく喜んでいたのに途中からテンションを下げた。メルーサはそんなカイトの態度を不思議に思った。
「なんだ? マルクスに会いたくないのか?」
「そ、それは……、あ、会いたいよ。でも……」
「でも? なんだよ?」
「あんまり俺が会いたい、会いたいと言ってると、兄ちゃんが心配するだろ。だからメル―サのお姉さん。俺が兄ちゃんに会いたいと言っていたことは、兄ちゃんには内緒にしてほしい」
メル―サはカイトの言葉に少し驚いた。自分に兄弟は居ないがもし兄弟がいるとこんなことを思うものだろうか、疑問に思いながらこの二人の兄弟愛を強く感じた。
「兄さん思いなんだな」
「そ、そんなんじゃないよ!」
カイトは恥ずかしそうに笑った。しばらくボルダーでのマルクスのことを話した後に、カイトにマルクスのことを聞いてみた。
「マルクスはどこで魔法を習得したんだ?」
「魔法? そんなことは知らないよ」
「え? 召喚魔法の使い手じゃないのか?」
「召喚魔法? そんなのは知らないよ。兄ちゃんはただの料理人だったんだぜ」
「料理人? マルクスが? 信じられないな」
「本当だよ。すごく繁盛してたんだぜ」
「へえ〜〜。そうなのか? 他に兄ちゃんのことで何か知ってることはないのか?」
「知ってること?」
「ああ、例えばオルトロスを召喚できるとか」
「オルトロス? なにそれ?」
「あ、いや、知らないなら良いんだ。気にしないでくれ」
メル―サはカイトからマルクスの情報を探ってみたが、ギルティーになる前に料理人をやっていたという事実しか聞き出すことはできなかった。これ以上は何も無いだろうと思いそろそろ家を出ようとしたとき、カイトが思い出したようにポツリと言った。
「そう言えば、時々ギルティーの人がうちに来ることがある」
「ギルティーの人? そいつの名前は?」
「えっと、それはわからない。年配の男で時々兄ちゃんを訪ねてくるよ」
(年配の男? 誰だ?)
「その男とマルクスは何を話している?」
「ん〜〜。あまりわからないけど……、そうだ! その男が勇者のスキルとか言っているのを耳にしたことがあるよ」
「勇者のスキル? それは神格スキルのことか?」
「い、いや。そこまではわからない」
メル―サはそこまで聞いて、あることを思い出した。勇者のスキルを持つものだけが召喚できる魔獣にオルトロスがあったように思った。
(畜生! こんなことなら叡智の杜でオルトロスのことを聞いておくべきだった)
メル―サは後悔した。
「何か? 怒ってる?」
「ん。あ、ああ。自分の愚かさに怒っているだけだから、気にするな。もう私は行くことにするよ」
「ああ。それじゃ気をつけて帰ってね。兄ちゃんに俺は元気にしてると伝えてね」
「ああ。マルクスに会ったらカイトは元気にしてると必ず伝えるよ」
メル―サはそのままカイトの家を後にした。
(もしもマルクスが勇者のスキルを開眼したのであれば、国を上げて英雄の誕生を祝福すべきなのに、なぜそのことが隠されたのか? マルクスを訪ねてくる男は一体何者なのか?)
考え事をしながら歩いていると前から女の人が自分の名前を呼んだ。
「メル―サ隊長?」
「ん?」
振り返るとそこにはリンという女性のエルフが立っていた。このリンという女性はロイというギルディアの兵士の奥さんだ。
「リン! 久しぶりだな」
メルーサは久しぶりにリンに会えて嬉しそうに笑っていたのに、リンは顔をこわばらせて近づいてきた。メルーサはリンの様子に何か嫌な予感がした。
「どうした? リン?」
「メル―サ隊長。夫からの手紙にボルダーに物資が届けられていないと書いてあったのですが、本当ですか?」
「なに!!」
メル―サはそこでグラナダからボルダーに向けて物資が送られていないことをリンから聞かされた。
(すぐにボルダーに帰らなければ)
メル―サはリンと別れるとすぐにグラナダ行きの馬車に乗り込んだ。
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