コレラとの戦い
「この病の正体はコレラだわ!!」
私は興奮して近く老婆に話した。
「コ……コレラ?」
老婆は泣きはらした顔をこちらに向けてきた。
「今すぐこの薬を捨てて、服用してはダメです」
「この薬じゃ治らないのかい?」
「そうです、この薬は排出を止める薬なので、コレラは排出を止めちゃダメなんです。小腸で増殖したコレラ菌が外に排出されなくなる」
「じゃ、どうすればいいんだい?」
「コレラの死因は脱水症状が原因です。短時間で大量の水分が体から排出されることにより、体内の水分と塩分の喪失によって起こる、腎不全やショック状態から、衰弱して亡くなっていく」
「そ……そんな病気、ど……どうやって治すんだい?」
「患者に食塩水を飲ませ続ければいいだけです」
「食塩水?」
「そうです。水1リットルを10分間沸騰して、食塩を9gその中に入れて作った食塩水を患者に与えてください」
「な……なんだいそれは! そんな与太話、誰も信用しないよ」
「ほ……本当なんです! 私は何人ものコレラ患者をこの方法で救ってきました。信じてください!」
「信じろと言われても……道三先生の薬を捨てたことを役人に知られただけで、アタイら庶民の首が飛ぶよ! お嬢ちゃんも気をつけな!」
老婆はそう言うと踵を返して長屋に歩き出した。私も急いで屋敷に帰らなくてはならない。私が急いで来た道を引き返していると背後から老婆の声が聞こえてきた。
「どうした? ここの人たちを救ってくれるんじゃないのかい?」
「はい。救いたいのは山々ですが私にはどうしても救いたい人がいます。薄情だと思われるかもしれませんが……」
私の話を老婆は笑い飛ばした。
「ははは!! そんな事は当たり前さ! 私だって家族がまだ生きてりゃ、そっちを助けるさ、気に病むことはないさ」
「おばあさん……」
私は再び走り出そうとした時、老婆が名前を聞いてきたので、ティアラと名乗って老婆と別れた。
◇
老婆は香料の卸問屋に入っていった。そこはこの町では有名な卸問屋だった。
「姉さん! おかえりなさい!」
老婆が問屋にはいるなり大勢の男達が、老母に深々と挨拶した。
老婆はこの町では有名な香具師の元締めをしていた。老婆が一声かけるだけで何百人もの男達を集めることが出来る、この町の顔役だった。
「全く! 変なやつがいたもんだ!」
老婆は上り口に腰掛けると先程会った少女を思い出して毒づいた。
「どうしました? 姉さん?」
「ん? なに、大したことじゃねぇけど……流行病に道三先生の薬は効かないというバカがいたんだよ」
「ええ! そんなこと! 薬剤省の役人に聞かれたら厄介なことになりますぜ」
「そうだろ。だからあたしは言ってやったんだよ。お嬢ちゃん気をつけなよ、ってね」
「お嬢ちゃん? そいつは子供だったんですかい?」
「ああそうだよ。12〜13歳ぐらいの女の子だったよ」
「へえ〜! 恐れを知らない子供ですね」
男がそう言うとその場のみんなが笑った。
「それでそのお嬢ちゃんの名前は聞きましたか?」
「ああ。確かティアラとか言ってたよ」
「ティアラ?」
男はティアラと聞いた瞬間、うつむいて考え始めた。
「どうしたんだい? なんか心当たりでもあるのかい?」
「いえ。確か……最近ギルティアから来た聖女様の名前が、ティアラと言っていたような?」
「ああ。聖女様と言ったらガンドールで大勢の子供達を、病気から救ったっていうじゃないか」
「何だって!!」
老婆は大声で叫ぶと近くの男の襟首を掴んだ。
「その話、詳しく聞かせな!」
襟首を掴まれた男は怯えた表情で先日仲間から聞いたことを老婆に説明した。それは謎の病気で集められた子供たちをティアラという聖女様が救ったという話だった。老婆は男からその聖女様の容姿を詳しく聞くと、自分の会った少女はティアラで間違いないと確信した。
その日、老婆は息子夫婦と孫のお骨を寺に収めて帰る途中にあの長屋の前で少女に会った。
老婆は風呂敷に包んでいた息子家族の位牌を大事そうに出すと手に持ってじっと見た。
(これも神様の思し召しかもしれないね。お前たちが私に大勢の人を助けろと言ってるのかい?)
老婆は目頭が熱くなるのを抑えると、何かが吹っ切れたようにスッと立った。
「お前たち!!! よく聞きなーーーー!!!」
急に叫ぶと仁王立ちになり当たりを見回した。
「いいかい! 水を汲めるものを片っ端から集めるんだ! 水が汲めるならタライでも茶碗でも湯呑でも鍋でも良いからかき集めな! 女どもは塩をありったけ持ってきな! 用意ができた奴から河原へ行くんだ!!」
「あ……姉さん? い……一体どうするつもりですかい?」
男が神妙な面持ちで老婆に聞いてきた。すると老婆は周りを見渡すと唖然としている人々に向かって叫んだ。
「いいから早くしな!! あたしら鬼越一家がこの町の人を救うんだよ!!!!!」
◇
私は屋敷に着くとすぐにサキちゃんの部屋に向かった。サキちゃんは相変わらず苦しそうな表情で寝込んでいた。その傍らで両親はわが子を心配そうに見ていた。女中がサキちゃんに例の薬を飲まそうとしていたので、私はすぐに女中の手から薬を払い除けた。
「この薬ではサキちゃんは救えません」
私はすぐにサキちゃんの側に行くと水を飲ませるため、上半身を起こそうと肩に腕を潜り込ませようとしたところで、ダンゾウに肩を掴まれた。
「貴様! 何のつもりだ?」
「この薬は飲ませてはいけません」
私はダンゾウを睨むと叫んだ。
「何だと?」
「水を飲ませて下さい。それでサキちゃんの病気は回復します」
「何? 薬より水をやるだけで治ると言うのか?」
「はい。そうです」
「フン! そんなわけが無いだろう! 道三先生の薬だぞ!!」
「本当です。信じて下さい!」
「もういい! お前の言うことなんか聞きたくない! こいつを座敷牢にぶち込んでおけ!」
「本当なんです! 信じて下さい! サキちゃんを助けたくないんですか!」
私は泣き叫んで抵抗したが、大勢の男達の手によって離れの座敷牢に入れられてしまった。
◇
私はこれまでのことを後悔していた。なぜもっと早くに気づいてやれなかったのだろう。
前世で薬品会社に就職して少し経った頃、MPO法人のスタッフとともにアフリカの小さな村に新薬の開発に立ち会った。その村で流行っていたのがコレラだった。
最初のうちは抗菌薬を投与して治療していたが、抗菌薬も底をついた時、ベットに穴を開けて排出物をそこで受け止め、ひたすら患者に食塩水を与えた。そんなことでも患者たちは2〜3日で回復していった。
正しい対処法を行うとコレラ菌は2〜3日で完全に体外に排出されるということを、誰よりも知っていたにも関わらず、気づいてやれなかった。
あの時、女中がサキちゃんの部屋から出たときに持っていた桶の中に入っていた米の研ぎ汁のようなものを見たときに気づくべきだった。
アフリカではその方法で100人近くの人を救ったのに、今、目の前にいる小さな女の子一人を救うことが出来ない自分が情けなくて涙がこみ上げてきた。
畳の上でふさぎ込んでいると誰かが部屋に入ってきた。私が顔を上げるとそこにはサキちゃんの母親のオキクが立っていた。
「ティアラさん。サキコを救えると言ったことは本当ですか?」
「はい! 本当です! 私をここから出して下さい」
私はすぐに格子に捕まってオキクに牢屋から出してくれるように懇願した。
「私はあなたを信じます。お願いします。あの子を……サキコを助けて下さい」
オキクはそう言うと牢を開けてくれた。
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