ステラside
侯爵家への就職が決まってたはずなのに何故か王城に勤めることになってました。
私の名はステラ・モデレイト、モデレイト男爵家の次女だ。
父であるモデレイト男爵はとある発明による功績で5年程前に男爵に叙されたがそれ以前はただの魔道具士だった。そのせいで我が家はいきなり貴族になったのであまり貴族感はない。
その発明というのがゴム手袋なんだけど、実はこの発明は前世の記憶を持ってる私の提案だった。
父の仕事に使うモンスター由来の魔道具素材にうっかり触れて水ぶくれの様になってしまった兄の手を見た時に、前世の記憶にあったゴム手袋があればと、まだ子供だった私が父にお願いしたのだ。
そう、私には前世日本で普通に会社勤めをしていた頃の記憶がある、いわゆる異世界転生者なのだ。
実際出来上がった手袋は我が家で重宝され、親族やご近所さん、取引のある同業者なんかにもお譲りしてたんだけど、5~6年前にウィルス性の流行り病が蔓延した時に近所のお医者様に譲ったものが対策にあたっていた王城の知る処となり、大量制作の支援をした事で勲章と爵位と褒賞金を賜った。
それまでただの平民だったのにいきなり男爵になった父も家族も色々大変だった。
仮にも貴族って事でまずは報奨金を使ってそこそこの屋敷を購入したら人を雇わないとハウスキーピングもままならなくなったり、貴族の体裁を整える為に経験値のある執事を雇ったり、とかね。
まあ大量生産に当たって特許権のようなものを設定して貰ったから継続的に収入が入るのでお給料が払えなくなったりする心配はなかったから良かったけど、資産家になれるほどの収入にはならなかった。
我が家は4人兄弟で長女、長男、次女、次男という順なんだけど、爵位を賜った時、姉は18才、兄は16才、私は14才、弟は13才だった。そして貴族には16才になる年から18才になる年の3年間は王立学園に通う義務がある。既に18才だった姉は免除されたが、突然貴族に混じって学園に通う事になった兄は右も左もわからない中、そのコミュ力の高さでなんとか乗り切ったらしい。
私は兄からの情報を元に事前準備が出来た分ましだったけど、それでも所作に貴族らしい洗練された部分がまったくないと、陰で手袋男爵令嬢などと揶揄されたり、セクハラ紛いのいやがらせをされたりもした。仮にも学園でセクハラじみた事をするような貴族令息は素行が悪いのかいつの間にか謹慎処分を受けていたのには溜飲が下がったりもしたけれど、こんな苦労別にしたくなかったよね。
そんな学園生活でも親しくしてくれる貴族令嬢も少しはいて、その中でも特に親しくしてるのがプロジーヌ・フーガ侯爵令嬢、通称ロジー。
王太子の婚約者候補にもあがる良家の子女でありながら平民同然の私にも気さくに接してくれるいい子だ。こういう女性がいずれは王妃になるのは国の為にもすごく良い事だと思ってたけど、どうやら彼女自身は幼なじみでもある没落しかけの伯爵令息の事を密かに想ってるらしくて、彼女の恋が実るといいなとは思ってる。
やっぱり貴族にとっては政略結婚は日常茶飯事で、学園に通ってる間に少しでも条件の良い好みの異性をみつけるのに苦労してるんだよ。まあ目立った容姿でもなく資産がある訳でもないし貴族と思われてもいない私には関係のない話だったけどね。
ただせっかく得た教養はこれから生きていく上で利用出来たらとな、とは思ってた。何しろ平民の女性の労働に対する対価はひどいモノだし、前世の記憶がある私としては十代のうちに結婚して家庭に入るってのにも抵抗があったから。
男尊女卑の傾向が強いこの国で、女性であってもそれなりの収入が見込め危険のないと思える職業として私が狙っていたのが貴族に仕える侍女と裕福な子女に勉強を教える家庭教師だ。
という訳で、ロジーに侍女を雇う際の条件などを聞いて対策しようとしていたらなんと彼女から自身の侍女にならないかとお誘いを受けて有難く了承した。
了承して、卒業間近になったら契約を交わそうと言って貰ってたはずなのに…。
何故か学園長から呼び出しを受けて王城の侍女に推薦をしておいたと言われ、王城勤めを余儀なくされてしまったのだ。しかも勤め始めて間もない新人にも関わらず担当配置が第二王子殿下専属って!
そして今に至る。
第二王子殿下の部屋にお夜食兼寝酒のセットを置いて退出すると丁度今夜の不寝番の騎士がやって来た。
顔見知りの騎士たちとお疲れさまです、と声をかけあった後そのうちの一人にふと気になってた事を聞いてみる
「モルデント卿、少しお聞きしてもいいかしら?」
「なんでしょうか」
「騎士の方々ってこういう夜勤もあるようですが、何交代制なんでしょうか?」
「基本的に3交代制です」
「え?朝まで8時間も立ちっぱなしなんですか?」
「いや、流石に立ち番は途中で交代するよ」
鍛えた騎士とは言っても朝まで仕事とはやっぱり大変なんだなぁ。本当に王城の仕事ってハードだよ。
そんな事を考えてたらざわざわと人がやってくる気配がしたので通路を開ける為に端に寄って頭を下げる。
「ステラ、今夜は白ワインを用意するように言って」
「畏まりました、殿下」
お辞儀をしてさも厨房に向かうようにゆっくり歩き出す。実を言えば先ほど運んだ寝酒の中に白ワインもちゃんと準備済みだ。でもここで「ご用意してあります」などと言ってはいけない。何故ならその途端に別のものを所望されるからだ。
一緒にやってきた侍従がドアを開く音にこっそり口の端を上げた処で呼び止められた。
「ああステラ、ちょっといいかな」
ああ…その一言で本日も残業確定だ。心の中で舌打ちしつつゆっくり振り返る。
前世の会社員時代なら、「ご用はなんでしょう?」って先に聞くところだけど、まさか王子殿下に対して廊下で立ったまま用向きを聞くわけにもいかない。
「畏まりました」
殿下に対して間違っても心の中の不満を顕わにしたりしないように腰を折り諾の姿勢を取った後お部屋へ向かう。
本当に王族の専属侍女なんてワークライフバランス最悪!さっさと辞表を出したいくらいなんだけど、世間的には余程の事情がなければ王族付きの侍女を辞めるなんて何かあったに違いないと思われるらしい。
寿退職みたいな分かり易い理由があれば次の仕事の為の推薦状を頂けて、その場合は逆に次の仕事は選び放題になるとの事なのでお行儀良くして現在虎視眈々とその機会を狙ってる。
殿下を追って部屋に入ると、私が準備したお夜食兼寝酒のセットにちらりと目をやった殿下がこちらを振り返る。
「随分と用意周到だったみたいだね」
にこりと浮かべた笑顔を見て首筋に冷たいものが伝う気がする。ヤバイ、怒らせた?
「私の侍女の仕事に不満がありそうだよね。この際だからどういう所が不満なのか聞いてもいいかな」
長くなりそうだからひとまず座ろうか。そう言ってソファーに座って向かいを指し示すシリウス殿下の有無を言わせぬ態度に流石にビビる。気づけばドアを押さえていた侍従の方は一緒に入室はせず、部屋には二人きりだ。
恐る恐る座ると、そんなに怯えられると悲しいなぁとまるで悲しくなさそうな顔で組み合わせた手の上に軽くあごを乗せてこちらを真っ直ぐ見ている殿下と目が合って思わず反らした。
「で、どういったところが不満なの?」
「あの、そういうのって侍女長様が聞かれるものではないのでしょうか?」
普通、王子様が直々に不満のヒアリングなんてしないよね?という気持ちを瞳に込めて聞いてみる。
「だって、私の専属の侍女なんだから不満は直接聞いた方が早いよね?ああ、もちろん不敬罪に問うような事はしないから正直に話して。この際敬語もなしでいいから」
そう言いながら先ほどと違っていつになく優しい笑顔を向けて来る。でもそんな笑顔じゃごまかされない。それほど長い付き合いじゃなくてもわかる切れ者感だよ。
この人にごまかしは効きそうにないので、この際腹を括って正直に話すことにする。
「決して殿下個人に不満がある訳ではありません。ただ専属侍女の長時間労働に不満があるだけです。勤め始めてから今までにお休みだって殿下が視察で出かけている間の2日間だけです!」
「なるほど、言われてみればその通りだね」
「護衛騎士の方々は3交代制だとおっしゃっていました。専属侍女も3人くらいのローテ、あ、いえ、交代制にして頂けないでしょうか」
ふむ、と顎に手をやり殿下が考える様子を見せてくれたので、このブラックなお仕事環境の改善が出来るのではとほのかな期待が湧き上がる。
「ねえステラ、侍女が不満なら愛妾なんてどう?王子妃の方が私としては嬉しいんだけど、それでもいいのかな?」
「は?!」
なんだかとんでもない発言を聞いた気がするがきっと聞き間違いに違いない!そんな現実逃避をしたくなるような発言をした相手を思わずまじまじと見つめてしまう。なんちゃって的な冗談だと言ってくれないかという私の願いはどうも叶わないらしい。
「成り上がりの男爵令嬢がそんなものになれるわけがないと思いますが」
恐れ多くも王子殿下に向かってジト目で見上げてる自覚はあるが、あまりにも非常識な提案に呆れているんだから仕方ない。
そんな私の視線を咎めることなくすっと立ち上がった殿下は何故かそのまま私が座るソファーに移って来た。
「問題にしてるのは家柄だけ?だったらそろそろ本腰入れて口説いてもいいのかな?」
そう言いながら私の肩に手を回して向き合うように引っ張った。いやいや、近い近い。っていうかこれもう完全なセクハラでしょ!
「何をなさるんですか、殿下!」
「まずはその呼び方を直さないとね。私の名前覚えてる?」
「勿論です」
反射で答えてしまったけど、今はそんな話をしてる場合ではなかったはず。
「じゃあ呼んで?」
王子様らしい整った顔をいたずらっぽい笑顔に変えて心持傾げた様子があざとい!
「シリウス王子殿下、一体どうされたんでしょうか?」
意識的に表情を消して慇懃に呼びかける。イメージは侍女長が仕事のミスに呆れた時の声色だ。焦ったり顔を赤くしたら絶対面白がられると思って、興味を失うように仕向けるべく私のとった態度が大失敗だと気付くのはすぐだった。
部屋というか周囲の温度がすっと下がった気がした。
さっきでも近いと思ってた王子の顔が更に近づいて、肩を掴んだ手とは反対の手が私の顎を掴んでる。
「ひょっとして先ほど話しかけてた騎士、確かレオニス・モルデントと言ったかな、彼の事が気になってたりするの?付き合ってたりはしないよね?」
「まったくそのような事はございません」
「敬語。使わないでって言ったよね?」
「あの、殿下?」
なんとか距離を取ろうと体を後ろに引いたら、にやっと笑った殿下が今度は肩を押してきてそのままソファに押し倒される。これって絶体絶命のピンチでは?
「そう言えばステラはよく近衛騎士に話しかけてるような気がするね。騎士たちにも迂闊に君に近寄らないように言っておかないといけないかな」
上から見下ろしながら殿下の指が私の髪をひとふさ掬い上げて口づけを落とす。
あまりに予想外の出来事でどうしていいのかわからなくなってプチパニックだ。
「あまり脅かし過ぎて嫌われては困るから今日はここで許してあげるけど、私が言った事をちゃんと考えて。本当は妃にしたいんだけど、お休みがないのが不満だと王族は不利なんだよね。そこが譲れないなら愛妾って方法もあるから」
そこまで言うとやっと私から体を離してくれた。
確かに改めて考えると王族って明確なお休みないよね、なんて考えちゃうのは確実に現実逃避だろう。
どこら辺が彼のお気に召したのかはまったくわからないけど、どうやら彼は本気で私を口説いているらしい。とは言っても、さっきも言った通り、いくら本人が気にいったとしても一代男爵の娘なんて平民とイコールだから妃になる事はありえない。愛妾には身分は必要ないのかどうかは今一つ不明だけど、何しろ今の国王陛下には愛妾なんていらっしゃらないことからいってもそれは周囲に歓迎されないのは確実では。
もうこうなったら夜逃げするしかないんじゃないだろうか。
そんな私の考えが顔に出てたのか、彼に心を読む能力があり過ぎるのか、恐ろしい最後通牒を突き付けて来た。
「王城からこそこそ逃げ出すのは間者か、泥棒か暗殺者くらいだからね。誤解を受けるような行動は慎んだ方がいいよ。王城に勤務するからには身元もはっきりしてるから家族に心配をかけることにもなるし」
もうセクハラにパワハラまで加わってブラック職場極まれり。いや職場から逃げても終わらないところはブラック職場以上なのでは…
「ああそれと、ステラが私との結婚を了承してくれたらピアチェーレ公爵が後ろ盾になってくださるから何も心配はいらないよ」
ピアチェーレ公爵と言えば王弟殿下ではないか!後ろ盾とは私を養女にでもするという事なんだろうか。
ことここに及んでもう逃げ道はないといやでも理解する。
待って、確かに王族には明確なお休みなんてないんじゃない?王妃なんて侍女よりブラックなんじゃ?
だったら愛妾の方が好きな事して贅沢してればいいの?でもそれって周りから嫌われまくり?
どっちに転んでも王城っていうブラック職場から逃げられないってことーーー
次回シリウスサイドで終了予定。