抱きしめる
無我夢中で、自宅に帰ってきてしまった。美咲と二人で疲れ切って、家の前に座り込んでしまう。私の家は小さな一軒家で住宅街に位置している。私たちが通う中学校に所属している生徒はほとんどがこの住宅街出身だ。
もう空は夕焼けに焦がされて、一番星が見えるほどの闇になってきた。だんだん呼吸も落ち着いてきて寒さに体が震える。そうすると、美咲が私の両手をとってやわらかく包んでくれる。あたたかい、なんだか胸がどきどきする。
「みさきの手、あったかいでしょ。愛彩は冷え性だもんね」
美咲が上目遣いに見つめてくる。空気が冷たいからか頬が赤く染まっている。優しい顔をして私の両手と自分の両手をこすり合わせてくる。彼女の熱がだんだん伝わってきて体の芯から暖かくなってきた。でも、これは、なんだか浮ついた気持ちが私の中に芽生えている気がする。そうだ、私はさっき、美咲に告白されたんだ。
「美咲……さ」
「なあに?」
「私のこと、好きって」
「嫌い」
一瞬で、彼女の両手が離れる。驚いて顔を上げると、美咲の瞳が赤く染まり始めていた。こちらに向けていた体を背けて、二番星と三番星を待ち望むかのように夜空を眺める。
「みさきは、愛彩のこと嫌いだから。そんなこと聞かないで」
「え、なにそれ。どういうことよ」
「いいから! 聞かないで! じゃないと、さ」
殺しちゃうじゃん、と美咲は空気に溶けるようなかすれた声で呟いた。この言葉にびくりと体を震わせて、私はそれ以上何も言えなくなった。なんだか自分だけ、勘違いしちゃってた気分。美咲から目を離し、二人して夜空を見上げる。星がさっきより増えた気がする。
これからどうしようか。勢いで美咲を連れてきてしまった。でも、美咲をあの家に戻すのは危険すぎる。あのスーツたちが何をするのか分からない。美咲をどこかに連れて行ってしまうのかもしれない。美咲をどこかに匿わないといけない。でもどこに? 私は自分の家に扉を見た。ここしかないか。
「美咲、家にはいろ?」
「……」
「ほかに行くとこ無いでしょ」
黙っている美咲の手を掴んで立ち上がらせる。美咲の手が震えたが、つかまえていないとどこかに行ってしまいそうな気がした。私は鞄から鍵を取り出して、扉を開いた。
玄関の電気をつけ、靴を脱ぐように促す。引っ越したばかりの犬が以前までの家と違う環境になかなか慣れないように、美咲は落ち着かない様子で周囲を見回していた。特にうちの玄関に特別なものなんてない。もっと飾り付ければいいのに言われるくらいには殺風景な感じ。でも、まあこれには理由がある。
「私の部屋に行こう」
「え、いや、それはちょっと」
「なんでよ、私の部屋でしばらく暮らせばいいよ」
「いや、そんなの……悪いし」
躊躇うように俯く美咲が何を考えているのか、私はなんとなく感じられた。
「殺しちゃう?」
美咲に問いかける。彼女は黙って答えない。私も少し警戒しながら言葉を紡いだ。少し震えていたことに美咲は気づいただろうか。つばを飲む。
「みさきはさ、なんで、私を殺したくなるの?」
これも突っ込んだ質問。微動だにしない美咲に、私はナイフを突きつけた気分になった。俯いた彼女の顔から、透明な滴がいくつか落ちていく。胸の中が罪悪感でいっぱいになって、口から何か吐きそうだった。嫌だ、美咲にこんなことしたくないのに。
私がもう答えなくていいと言いそうになったとき、美咲が顔を上げた。
「愛彩が、好きだから」
もう、頬が染まっているのは、寒さのせいじゃないんだと思う。そうか、美咲は、私が好きだから、殺したくなるんだ。それがどれだけ歪んでいる感情であるか分かってる。きっと人々に恐れられることだろうと想像できる。どこまでも素直な美咲だけど、その純粋な感情を表現できない苦しみが切々と伝わってきた。彼女の潤んだ瞳に、少し愛しさを感じる。どうにかしてあげたいと思った。もう一度、教えてあげる。
「好きな人には、こうやって好きだって、伝えて」
私は美咲に一歩近づく。はなとはながくっつきそうなくらい近くで、潤んだ美咲の瞳を見つめた後、美咲の背中に、手を回した。
「はう」
美咲が、驚いたように声を上げる。私は、彼女の首元に顔をうずめる。美咲のにおい。滑らかで健康的な色をした肌。やっぱり、美咲はあたたかい。でも、ちょっと美咲の体は震えてる。
しばらくそうしていると、美咲が私の背中に手を回してきた。ぎゅっと制服を掴んでくる。照れているのか、必死に殺したい衝動を抑えているのか、なんだかかわいく感じられて、私もお返しとばかりに、彼女を抱きしめる強さをつよめて、体をもっと密着させた。胸と胸が触れあって、なんだかいけないことをしている気分になる。なんだかちょっと私もどきどきしてる。抱き合うだけでこんな気持ちになるなんて……。気持ちがどこか良くない方向に加速していく気がした。これは、美咲のためにしてることであって、私たちは女の子同士で、私は恋なんてしたくなくて。
「あ、愛彩……」
「ん、なに」
「好き、だよ」
「うん」
にわか雨のように、ぽつぽつとした会話。ゆっくりと時間が流れていく。なんだか気持ちが落ち着いてきて、ずっとこのままでもいいな、なんて思ってしまう。そんな私の気持ちとは異なって、美咲の心臓の鼓動が私の胸を伝わって聞こえてくる。
美咲、どきどきしてるんだ。もしかして、私殺されちゃうかな? 彼女にとって愛しさは、殺したい気持ちに等しいんだろうから。死の恐怖と愛しさが混ざってくる。名状しがたい感情が私の中に生まれた。二人の心臓がつながってるみたいに同じテンポで拍を刻む。
「美咲、私を、殺したい?」
少しのおびえに耐えきれなくなって問いかける。美咲は微かに首を振った。彼女の香りがはなをくすぐってくる。
「落ち着いた?」
美咲は頷く。落ち着いていないのは、心臓だけみたいだ。私もほっとした。
体を離すタイミングを失って、いつまでこうしているんだろうと思うようになった。美咲はまだ私を話そうとしない。動悸はいつまでも激しく脈打っているし、私の首筋にかかる微かな吐息は、激しさを増している。なんだか嫌な予感がしてきた。
「み、みさき」
体をもぞもぞと動かして離れようとするが、美咲の腕力が強くて離れられない。どうしよう、困惑していると、私の後ろから、扉が開く音がした。おそるおそるそちらに顔を向けてみる。ああ、見られた。
「お、おかえり。どうしたの」
笑顔がたいへん引きつっている、母の顔がそこから覗いていた。