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歪みといわれた わたしの恋   作者: 人野かどで
私は恋をしない
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恋って楽しい?

 昇降口へむかうどこまでも伸びる薄暗い廊下には、部活動のない放課後を満喫する学生がのんびりと往来していた。意外に放課後を自由に謳歌する生徒は多い。仕方ない、この学校にメジャーである野球部や吹奏楽部なんていうモノはないのだから。周りがビルで囲まれているからうるさいとクレームが来るし、運動場は狭いし、学生は文句を垂れながら日常を過ごしている。


 だがまあ、いつまでも不満ばかり言っていても仕方ない。それで学生がどんなことに開放感を覚えているのかと言えば、『恋愛』よね。うん。

見て、この往来する男女生徒達を! 

なんという距離の近さでしょう。なかには腕を組んでいる二人もいる。まだ付き合いたてなのか、告白直前なのか、顔を赤くし、少しだけ腕が触れあいそうな距離で歩いている二人。


 キャラメルフラペチーノにガムシロップと砂糖とくわえたような廊下。せめてノンシュガーでお願いしたいわ。とんだリア充の巣窟だ、と思う。


 などと物思いに耽っていると、私に声をかけてくる希有な男が現れた。


「愛彩! 久しぶり!」


 昇降口を目前に控えた私の後ろから、さわやかなテナーボイス。聞き覚えのあるその声に私は抵抗なく振り向いた。視界に入ってきたのは案の定、幼なじみの拓人。背は高く、少し長めの髪の毛に、年下かと思うほどの童顔。彼もまた、この学校での生活を楽しんでいそうなやつ。


「今から帰り? 途中まで一緒に行こうよ」

「途中までならいいけど、私、いつもと方向違うよ」

「何か用事?」


 拓人が首をかしげる。追求されると面倒だし、ついてくると言われても困るし、ここは適当にごまかしておくことにする。


「買い物。女の子の買い物だから、ついてこないでよね」

「これは失礼しました。もしかして美咲さんのところにいくのかと」


 少しはにかみながら笑う拓人に私は侮蔑のまなざしを向けた。色呆けした顔をしおって。ていうか鋭いな。さすが私を昔から知ってるだけのことはある。


「行くって言ったらついてきたでしょ」

「もちろん。心配だしね」


 少し真剣な顔つきで拓人はそういった。子どもの純真さをのこしている顔に皺ができて、推理をする敏腕探偵のようにこわばっている。さっきの府抜けた顔とのギャップに思わず笑ってしまいそうになって、口元を隠した。


「相変わらず好きなのね」

「……世間話のノリでそんなこと言わないでよ」

「大げさ。あんた何ヶ月片思いしてると思ってるの。もうみんな知ってるわよ」


 あきれたように手を広げて言ってやると、拓人は不満そうに頬を膨らまして私を見た。せっかく真剣に心配してたのに、と呟く彼は、少しかわいく思えた。素直な生き物。好きっていう感情にフィルターをかけられないんだ。


「何か進展は?」

「……挨拶くらいは」

「あんたにしたら上出来なのかもね」


 恐ろしいほど遠い心の距離。それなのに拓人は顔を赤くして、美咲のことを想ってる。どうしてそこまで気持ちを長く持ち続けることができるんだろう。

私にはないものを持ってる。うらやましい。


「これはほんと」

「え?」

「なんでもなーい」


 自然にふふっ、と笑えた。頬すりしてくる子猫をみている気持ちになる。なんだか、美咲と同じで、拓人にも幸せになってほしいな、なんて思った。


 話に区切りもついたし、私は自分の下駄箱を開いて靴を履き替えた。なんだか体が勝手に踊りそうなくらいふわふわした気分。人の恋って面白い。


 じゃあ、私行くからって言おうとしたとき、拓人が出鼻をくじいてきた。


「愛彩は、なんかないの? そういうの」

「そういうの? 恋愛ってこと?」


 あるわけないじゃん、って少しずつ冷めていく気持ちを感じながら言う。拓人の方は見なかった。背中を向けて、歩き出そうとする。


「愛彩のそういう話、いつか聞けたらいいな」

「かっこつけんな、ばーか」

「なんでもいいから、愛彩が何かを好きになった話、聞きたいよ」


 くさいこと言ってる。でも、本気でそう思ってくれてるんだとしたら、申し訳なくなる。私は絶対、もう恋なんてできない。拓人はそれを知ってるはずなのに。


「どんな形でも、何かに恋したって。聞かせてよ」

「うっざ。一生ないよ」


 それだけ呟いて、私は足早にその場を離れた。運動部がひしめくグラウンドを横切って、正門を抜ける。私のほかに帰ろうとする人はいなかった。もう空があくびをする時間だというのに、みんな、学校にまだいたいと思っているんだろうか。


 そんなに楽しい? 学校って、そんなに楽しい?

 恋ができるって、やっぱり楽しいのかな。



 空を何本ものピルが突き刺している街を歩く。いつもとは違う道だ。夕焼けが道行く人の疲れた顔を暖かく包み込んでいた。この時間が、一番この街は死んでいる。一時すると、街にはきらびやかすぎる光がともって、夜が始まる。その時間は朝よりも、昼よりも、街が生きている気がする。疲れを癒やすために、人々がそれぞれ楽しみ始める。欲望の窓を隠していたカーテンをたたんで、そこから飛び出していく。昼間は父親になっている男性も、夜は獣になる。昼間は母親になっていた女性も、夜は女になる。


 うちの父親もそうだったな、なんて簡単に絶望してみる。かゆくもないのに、また二の腕をかいてしまっていた。プツッとしみ出すような痛み。血が出てるかもしれない。


 並び立つ銀の塔のひとつから、一組の男女が肩を寄せながら出てきた。女の方は見事に化粧をしていて、美人だ。……化粧上手は美人と言えるのだろうか? まあそれはいいとして、男はそんな彼女が肩に頭を乗せてくるのを笑顔で受け止めながら、空いた手でスマートフォンを耳に当てている。


「今から帰るよ。ああ、今日は仕事が早く終わったんだ。愛してるよ」


 すれ違うとき聞こえた、愛してるの言葉。感情のこもっていない、ただの文字列。『あ』と『い』と『し』と『て』と『る』を、並べただけで意味はない。そんな言い方。きっと電話の向こう側で、彼の奥さんは「うん、私もよ」なんて呟いているのでしょうね。どっちも、本当に愛してるかどうかなんてわからない。少なくとも旦那の方は、絶賛浮気中。


「こい、コイ、恋」


 道行く人の足音にかき消されるくらいの声で、なんとなく声に出してみる。唇を大げさに動かしてみる。恋って、楽しそう。誰かを、何かを好きになるって、すてきなこと。……そう思ってた。数年前までは。


 ちょうど信号が赤になって、車たちの動きが止まったとき、一瞬、図書館なのかと思えるほど閉塞的な静けさを感じる。車たちと同じ方向を歩く歩行者用の信号ももちろん赤だ。私は足を止めた。そのとき、二車線道路を挟んだ向こう側から、拓人とは違う、魅惑のソプラノが響いてきた。


「ねぇ、これからどこ行くぅ?」

「そうだなー。あそこは? カラオケ」

「いいじゃーん! 君、歌上手だもんねぇ」


 なぜそんなに語尾を伸ばす? 端から聞けば餌を出せと鳴く猫のような声であるが、それが男はうれしいのだろう。今の会話の主たち、男の方は知らない。でも、女の方は明らかに紫苑である。そう、先ほど私にラブレターを渡しておくように頼んできた男に媚びを売るジュリエットだ。まあ、彼女にとってのロミオは、どうやらたくさんいるようだけど。


 そういえば、ポケットに彼女のラブレターが入ったままだ。なんだか渡す気も失せた。あとで内容だけ見て捨てておこう。



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