宇宙を見上げて
夜風に当たりたくて、お母さんと二人で上着を羽織り、ベランダに出た。星の海が浮かぶ空、冷たい風が私たちを慰めてくれる。頭がすっと冷め息をついた。
あの星々のどこかから、あるいはもっと向こうから、あの触手、01と02はやってきた。
地球から見える星なんて宇宙の中ではほんの一部なのかもしれない。砂漠をひとすくいしただけで、この手に収まりきらない砂粒たちがたくさんあるように。そして、手のひらにあったそれが、指と指の隙間からすり抜けていく。そんな私たち人類の手から離れ、あるいは手の届かない位置にある星たちがたくさんあると思う。
「あいつらがいた星はどれだろう」
「そっか、あれは宇宙人なのね」
頷く。お母さんは驚いた様子もなく、星を探すようにして夜空を私と一緒に見上げる。視界を埋め尽くす星たちに圧倒されながら、ただ彼らの光の加減とかを見比べているだけなのに、まるで宇宙人たちと更新しているかのような気がした。どこかに未確認飛行物体なんて飛んではいないかと見回してしまう。
「あっちゃん」
やさしい呼びかけを聞いて、私は意識を隣にたつお母さんへ移す。
「私、昔は宇宙人って呼ばれてたんだ」
「なにそれ、ひどくない?」
「そう思う? でも、当時の私は嬉しかったんだよね。いや、今もかな」
お母さんは輝く笑顔で語る。ここ数日でお母さんの笑った顔をよく見るようになったけれど、こんなに明るいお母さんは初めてだった。宇宙人と聞いて、私は悪意によってつけられたあだ名のように感じたけれど――
「あっちゃんも知ってるだろうけど、お父さん、浮気性でね。でも私とは別れたくなかったみたいで、暴力は振るけど、離婚を言い出してくることはなかった。でも、そのせいであっちゃんを傷つけてしまったから、今は後悔してる」
「……それはいいよ」
そのお父さんの暴力によって私は保護施設に行くことになったのだ。そして、自分の歪みを認識することになる。それは悪いことでは無かった。むしろ、私が中学でなんとかやっていけていたのは自分の歪みを自覚していたからだ。自覚して、隠すことが出来たのだ。
でも、二人の間でどこかタブーであったお父さんの話が出てきたのは少し驚いた。
「お父さんと私の関係は、周囲の誰にも理解されるものじゃなかった。浮気相手に私は何度怒鳴られたことか分からないし、両親にだって、離婚を何度も勧められたの」
「わたしでも、離婚を勧めたと思うよ」
そうよね、とお母さんが力なく呟く。しばらく気まずくなるような沈黙があって、私はお母さんから目をそらした。でも、お母さんがまた口を開く。
「でもね、私たち二人は確かに愛し合っていたの」
少しひとみを潤ませながら、星のように瞬く涙をこぼすお母さんを見て言葉がなかった。お母さんが話していることは狂気の沙汰だと思えるほどに倫理観が欠如していた。お母さんが宇宙人だと言われていた理由が分かる気がする。確かに、今ここで星に向かって涙する女性は、私と同じような人間だと思えない。
「お母さんは、辛くなかったの。それで、みんなに何か言われてさ」
「理解されない辛さはあったわ。強がっていたけど、心は傷ついてた。でもそれ以上にお父さんといられて、幸せだったから」
お母さんの言葉に共感することは出来ないけれど、お母さんの言葉は噴水のように溢れていて、本当に、お母さんはそんなお父さんが好きだったんだと分かった。お母さんも、美咲や私と同じなんだ。どんなに傷つけられても、それが愛情のように感じられて、自分はおかしいって分かっても、それが幸せであることは否定できない。
私は、本当に普通になりたいんだろうか? もっと違う何かを望んでいる気がする。本当は分かっているけれど、見ないふりをしているのかもしれない。私は、美咲を幸せにしたい。それが私の幸せ。でも、何か違う。美咲の隣を誰か、知らない人が歩いてる。皆はそれを祝福して、私も肩を並べる二人を後ろから見つめて、ただ拍手を送る。これが、私の幸せなんだろうか。違うんじゃないか。二の腕に手が伸びる。
でも、その手をお母さんが掴んで、両手で包んでくれた。かゆみが消えていく。
「あっちゃん、美咲ちゃんのこと、好きでしょ」
「……うん」
「幸せになって、あっちゃん。あなたにとって、一番の幸せを目指して。たとえそれが蜘蛛を掴むような夢物語だったとしても、誰も邪魔なんて出来ないわ。私が、させない」
はっとして、お母さんの顔を見る。まっすぐ、すべてを貫きそうな鋭いひとみが私を見つめていた。心の中をすべて見られている感じ。でもお母さんだからか、恥ずかしさも緊張もなかった。私にとって一番の幸せ、それは、美咲と一緒にいること。
「きっと、悪いことが起きるかもしれない。認めてもらえないことだってあるかもしれない。でも、それでもあっちゃんは、美咲ちゃんと一緒がいいんだよね」
やっぱり、ぜんぶバレてるんだ。隠していたのが馬鹿みたい。頬が緩むのを感じて、私は満面の笑みを浮かぶのを感じた。美咲が好きで仕方ない自分。彼女を愛したくてたまらない自分。美咲を傷つけてしまうのは怖い、でも、美咲が一緒に乗り越えてくれるというなら、私は頑張れる気がする。なにを言われたって、何をされたって、美咲を好きになったことを後悔なんかしない。
「お母さん、ありがとう」
「いいの、おいで」
お母さんが手を広げる。私は飛ぶ勢いで抱きついた。わーっと声を出しながら。二人で笑い合い、頬ずりする。やっと親子になれた気がした。
「あっちゃんが、この星じゃなくて、宇宙のまた別の星で産まれてたら、こんなに悩むことはなかったかもしれないって考えたこともあったけど、ここにしか美咲ちゃんはいないからね、乗り越えよう」
「……そうだね」
星たちがこちらを見下ろし、祝福するように瞬く。今度は、美咲と一緒に、星を見よう。




