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まえむきリリック

作者: 吉尾京

 新しいイヤホンを買った。

 ハイレゾ音源対応の、私からすればとても高いもの。

 耳がくすぐったくなるほど、細かい音まで丁寧に拾ってくれる。

 おニューのイヤホンで聴くのは大好きなあの曲。

 明るくて、ひたすら前向きで、聴いているだけで元気がもらえる曲だ。

 お気に入りのバンドが歌う、社会人への応援歌。


 諦めないで、今君が踏み出したその一歩が、未来で笑う君になる。

 無駄なことなんてひとつもない、ただがむしゃらに進め、僕が背中を押してやる。


 勇ましい音楽と前向きな歌詞。

 “エメラルド”の曲はいつも私に力をくれる。

 ライブに行ったことはない。テレビに出るほど有名じゃないし、CDもネットで買うしかない。でも、好きだった。

 きっかけはネットの動画。

 暗い中ただがむしゃらに汗を飛ばして楽器を弾く彼らに目が釘付けになった。

 正直音楽のことはあまりわからない。

 でもなんかいいなと思った。

 理屈抜きに、好きになった。

 彼らは動画では顔を隠していた。

 ネット上では「本当は顔にコンプレックスがあるんじゃないか」とか色々言われているけれど、私は別にどうでもいい。

 声が、心が、素敵な男性だと思う。

 ギターボーカルの彰人。ベースの旭斗。ドラムの聡也。キーボードの仁。ギターの弘太。機材、ミックス担当の功貴。

 特にすごいのが彰人。作詞作曲を担当していて、歌が滅茶苦茶に上手い。

 何より声がいい。バラードの時は優しくて穏やかなのに、ロックでは熱くてソウルフルになる。七色の声だ。

 全員声が素敵なんだけど、私は彰人に恋愛感情に似た憧れを抱いていた。

 あの優しい声で大丈夫だよって言ってもらいたい。


 とっても素敵なバンドだけど、ネットを含めいまいち知名度が低い。

 動画も結構上がっているんだけどなぁ。

 でも、売れたら売れたで落ち込みそう。独り占めなんてできっこないのに。


*********


「大家さーん! すみません、また水漏れしちゃいました」

「あわわ、すぐ行きます。業者さん呼んでください」

 私は親から受け継いだ不動産を経営している。不動産といってもただのオンボロアパートで、苦学生と夢追い人しかいないようなところだ。

 意外と立地がよく、リーズナブルな価格から、特に芸能界に興味がある人から人気が高い。

 夢追い人しかいないから、アラサーの私を若いと舐める人はいない。

 皆さん優しくて頼りになる人達だ。


「……あの、すみません。ここって部屋空いてますか?」

 どこかで聞いたことのある声で呼びかけられて振り返った。

 そこには少し身長が小さい成人男性が、ギターケースを持って立っていた。

「ええっと……二階のかどが空いてますけど。防音どころか壁がなかり薄いですよ」

 彼は私が何を言わんとしているのか理解したようで、慌てて否定した。

「あ、いや、こんな住宅街みたいなところで弾いたりはしないよ。迷惑だし。これはカラオケとかスタジオ借りて弾くんだ」

 いつの間にか敬語が取れていることに突っ込んだりはしない。この人の方が年上っぽいし。

「ああ、それならいいです。特に問題はありません。それより、きちんと不動産屋さんを通して欲しいんですけど」

「ああ、ごめんなさい。あんまり可愛い大家さんがいたもんだから、つい声かけちゃった。じゃあ、順当な手続きを踏んだらまた会おうね」

 ううっ、チャラい、クサイ、むず痒い。

 顔がいいからこのキャラでも上手くいってたんだろうな。

 私は初対面の人からこれされるとキツいかも。

 でも、声はすごく好きだった。まるでいつも聴いているあのアーティストみたいな……。

「――彰人さん?」

「えっ!? 僕の名前を知ってるの?」

 帰ろうとしていたチャラ男は振り返ってこっちに寄ってきた。

 ああ、思わず心の声が出ていたのか。

「知ってるって、貴方彰人って名前なんですか? 実は私、マイナーなバンドが好きで、その中でも特に彰人さんが大好きなんです。イタい恋でもしているみたいに」

「あわわ、まってまって、タンマ! ストップ! ……なんかその、て、照れちゃうよ」

 照れると言いながらも私の手をがっしり掴んでいる。

 顔が赤くなっているので照れていることには間違いないのだろうが。

「えっと……貴方のお名前は井上彰人、ですか?エメラルドの?」

「はい。その通りです。僕、ファンに初めて会っちゃった。こう言っちゃアレだけど、あんなしょぼいバンド誰も知らないでしょ」

「いやいや、ネットで世界中から見られますよ」

 一応自覚はあったのか。いや、嫌でもあって然るべきだろう。なんせ売れるために頑張っているのだから、自分の評価ぐらい常に探っているはず。

「――それでも、わざわざ探して見てくれる人はいない。声だけで僕のことを見つけてくれた君は、よっぽど僕の声をずっと聴いていたんだね。ありがとう」

 ギュッと、心が掴まれた。

 なんだろうこの胸のトキメキ。

 憧れの人に優しくされたからかな。

「い、いい歌ですし……! あの、歌詞が素敵で、いつも勇気をくれるっていうか……」

 それから私はいかに彼の書く詞がすごいか熱弁した。途中から、それを書いているのが目の前の男だということを忘れていた。

「ま、まって……もういい、もういいから……」

 彰人さんは顔を真っ赤に染めて縮こまっていた。

「す、すみません! 私っ! 夢中になって……」

「いや、いいんだ。僕の歌を気に入ってくれてありがとう。じゃあ、また会える日を楽しみにしているよ。俄然ここに住みたくなってきた」

 彰人さんはウインクをひとつして、去っていった。

 最後の最後までキザな人だ。


*********


 彰人さんは宣言通り私のアパートに住み始めた。

 時折彼の部屋から控え目な歌声が聞こえてきて、申し訳ない気持ちになる。

 きっと、新曲の詞を考える時に据わりがいいか確かめているのだろう。

 世に出る前のプロトタイプを盗み聞きしているようで、なんだか悪い。

「あ、君、僕の隣に住んでたんだ……。大家さんだっていうからてっきり別の家があるのかと……」

 確かにアパートの隣に住んでいる大家さんもいるけれど、私はアパートに住んでいた。

 その方が便利……という訳ではなく、別に家を借りる余裕がないのだ。

 夢追人に破格で貸すと自分の生活もままならなくなる。でも、それでもそういう人には頑張ってもらいたい。

「ああ、私はお金がなくって……」

「確かに、ここって儲かる気なんてない値段設定だもんねぇ……。しかも大家さんは優しくて美人。ここにいる奴らがみんなメロメロになるのもわかるよ」

「なっ!? べ、べつに美人じゃ……」

 優しくもないし、美人でもない。

 どちらかというと、彼らの方が親切だ。

 小娘だとか行き遅れだとか馬鹿にせずに、私に接してくれる。

「……君は僕のミューズだ。常に僕に刺激を与えてくれる。君の声が、表情が、存在の全てが……僕の創作意欲を掻き立ててくれる。もしこれで売れたら、僕は君に生涯そばにいてもらわなきゃいけないな」

 そんな大袈裟な。確かに彼には有名になって欲しいけれど、売れたからって私が何か無心することはない。

 それに、その言い方だとまるで私が彼と結婚するみたいだ。

「そんな大袈裟な。確かにここの皆さんにはぜひ大成して欲しいですけれど、それは夢が叶って欲しいってだけで、決して売れたら何かくれって思っている訳ではないですよ」

「そうかな。君はそうだろうけれど、少なくとも僕達は、君に恩返しがしたくて頑張っているんだよ。僕以外も、そうだと言っていた」

 101号室の如月さん。彼は漫画家を目指している。ネットで無料連載の傍らいくつもの新人賞に出しているらしい。放っておくと寝食を忘れて倒れているから、定期的にご飯を作って訪問している。

 102号室の武藤さん。彼は芸術家を目指している。時々作品を見せてもらうけど、芸術のことはよくわからない。

 103号室の天羽さん。彼は役者を目指している。時々台詞を読む声が聞こえてくるからよくわかる。

 105号室の龍頭さん。彼は小説家を目指している。SFを多く書いていて、私は一番のファンだ。

 201号室の岩隈さんは地下アイドル。そろそろミニスカートが履きにくい歳になってきたとか焦っていたけれど、私から見ればとっても可愛い女の子だ。

 202号室の眞子さんは声優志望。あがり症で引っ込み思案だけど、やると決めたらとことん頑張るいい子だ。声も妖精さんみたいに可愛い。


 そして、205号室には彰人さん。

 男女入り交じっている上に防犯対策ゼロなので不安だけど、みんなで協力して上手くやっているようだ。


「うーん、私ってそんなに影響力あるのかなぁ……。ただ普通に大家さんやってるだけなんですけど」

「じゃあ、賭けをしよう。もし一年以内に僕達の中の誰かが売れたら……ううん、君がもうここにいる必要ないと判断するほど大成したら、その人が君の人生をもらう。いい? 勿論、女の子も同じ条件だ。みんなと話し合って決めたんだ。そうすれば張り合いがあるから。んで、後は君の意見だけ」

「そ、そんな……人生なんて」

「君を広い家に住ませて、たっぷり贅沢させるだけだよ。その権利を誰が勝ち取るかって話。それとも、君はそれを拒否する? 途端にやる気なくなっちゃうだろうけど」

 共用スペースがあるからか、住民の仲はいい。

「私は期待なんてしていませんよ。あっ、勿論実力がないって意味じゃなくて、見返りを求めてないって意味で……」

「そう言われると俄然燃えてくる。絶対に一番に売れて、君を幸せにするからね!」

 それから彰人さんは曲を書くペースが上がった。

 動画サイトにつけられたコメントも、段々好意的なものが増え始める。

 今までは若者応援ソングが主だったけれど、最近になって、もどかしくて切ない片想いの曲が増えて、それが評価されているのだ。


 君の声が、表情が、僕の心をしめつける。仲良くなるほど君が遠いよ。

 こっちを見てと叫んでも、君に届くかわからない。この歌にのせて、届け君の元へ。


 この曲の最後に、彼らは仮面を脱ぎ捨てた。全員、魂が抜き取られそうなほどイケメンだった。


*********


 切ないバラードも、ほわほわなラブソングも、熱いロックも、全てエメラルドの魅力だ。だけど最近、その魅力のひとつに新たに加わったのが、彼らのビジュアルだ。

 ネットで拡散され、話題になり、ついにはワイドショーにも取り上げられた。

 彼らのスタジオに取材がきて、それから爆発的に人気になった。

 楽曲の魅力もさることながら、とにかく顔がいい。有名な音楽番組にも出演し、全国ツアー、ドームライブ、ついには武道館、紅白出場。今や飛ぶ鳥を落とす勢いだ。

 必然的に彰人さんと会える機会も減り、少し寂しく思った。私だけの彰人さんだとは思っていなかったけれど、それでもみんなの人気者になった彼が遠い。


 私が彼と出会ってから、もうすぐ十年が経とうとしている。長くて短い十年だった。

 私のアパートに住んでいた人達も、みんな大成して出ていってしまった。新しい入居者もいるのだけれど、もう下火だ。不動産だけで食べていくのも苦しくなってきた。元々満員でもカツカツだったのに、これだけ減ったら生活できない。

「はあ、この歳で会社勤めの経験がないのは痛いなぁ……」

 求人情報を調べても、この歳で何の資格も持っていないとパートぐらいしかできない。良くて契約社員だ。派遣にしたって、給料は安い。

 無駄に立地がいいから、物価も高いし、就職の敷居も高い。私は崖っぷちに立たされていた。


 あの頃のエメラルドの曲を聴いて自分を奮い立たせる。大丈夫だ。私にはこの曲がある。彰人さんが背中を押してくれる。


「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン」

「――えっ……?」

 振り返るとそこには、いるはずのない人がいた。

「あれ? 知らない? 有名な台詞なんだけどなぁ」

 売れているからかあの頃よりも上等になった洋服。それでも変わらない、ホワイトムスクの香り。少し老けた顔。

 彰人さんはくしゃりと目を細めて笑った。

「な、なんで……ここに……」

「君に会いにきたよ」

 全国のファンが卒倒しそうな甘い台詞。その手には赤いバラの花束。

「宣言通り、君の人生を頂きにきた。このバラ、何本あるか数えてみる?」

 キザで、女ったらしで、ええかっこしいで、だけど誰より努力家で、優しくて、強がりで、寂しがり屋で、甘えん坊で、頭がいいのにどこか抜けている。そんな彼に、ずっとドキドキさせられっぱなしだった。

 楽しかった。いなくなると寂しかった。それはもう、私の中で答えだった。


「……キザなんだから」

 受け取った花束に顔を寄せると、ふわっといい香り。

「僕のこれから先の人生、君にあげるよ。結婚しよう」

 返事の代わりに抱きつくと、強く抱き締め返してくれた。

「本当だったんだ」

「僕は嘘をつかないよ」

 どんな顔をして言っているのかと見てみたら、不意に口付けられた。

「……ん。甘いね」

「それはそっちの方でしょ」

 あのアパートで一緒に過ごしているうちに、憧れの人から大切な人になった。敬語もいつの間にかなくなっていた。

 私は世界一幸運なのかもしれない。


 それからすぐに彰人さんは手配を済ませて、トントン拍子に話が進んだ。

 婚姻届を出した日が、私達が出会った日付と同じと聞いて、どこまでロマンチストなんだと呆れた。

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