ほんとはいつも。
暑い暑い夏にも、不思議と涼しく感じる夜の種類があると僕は思っていて、今日はそのうちの1つだった。
「花火何時ー??」
「19時半〜」
天体観測サークルという名の正直実態は放課後に講義を終えた順番に決まった空き教室に集まってはグタグタと過ごすだけの男女7人の仲良し集団だ。
学科はそれぞれだが、学年が同じ僕たちは何の縁か音楽や趣味の気が合い、もちろん話も合うのでこれまで過ごした3年間の思い出の大半は同じメンバーがいつも映っていた。
そして、4回目の夏。
埼玉は川越の花火を見たいと言った日頃からそういったイベントに敏感な女子が言ったのを皮切りに、実家の屋上から見えるという自称サークル長に従って 夏休みも半ば、実家にわざわざお邪魔しながらこうして集まったのである。
と言っても、ご両親はお盆を過ぎてからの小旅行中らしく「好きに使っていいよ」と、文系大学生に寛大な言葉をかけてくれた。
広々とした屋上のある3階建一軒家で、隣の家より少し背の高く感じる絶妙な優越感とそれ故に人混みを避け、夜風を感じながらひときわ綺麗に花火が見れるのは、大学最後の夏のいい思い出になりそうな予感がしていた。
中央にセットされた折り畳みの机に、同じような簡易な椅子が並べられ、近くには鉄板とホットプレートにバーベキューだ、たこぱだの騒いで 調子に乗って箱買いした缶ビールやいくつかのチューハイがすでに鉄板に寝かされた野菜たちの煙に紛れて灰色のコンクリートの上に転がっていた。
よく晴れた花火日和の夜空と、少し賑やかに明るく感じる街を遠くの下に見ながら楽しそうに騒いで着々と準備を進めるみんなを見る。
「うっち、クーラーボックスとかないの?」
うっちは、自称サークル長でこの家の長男。
「って言われると思って用意しておきました〜〜」
お調子者で、しっかり者だ。
「っても我が父の川釣り道具。」
「お父さん最高。ありがたや。」
すでに氷水が張られてあったボックスに、僕は転がった缶ビールたちを集めて次々と入れていく。
「お待たせーっ!!」
突然開けられた屋上への扉と同時に入ってきた女子3人は、両手に昼間買い損ねた焼きそばの材料と(多分あとは謎のお菓子たち)1人はなぜか丸々としたスイカを1つ抱えていた。
そんなことよりも驚いたのは、
「うわぁー!!浴衣ぁぁぁぁあ!」
昼間に合流した時は私服姿だった3人が、フェアリーゴッドマザーにでも出会ったのかのように夏の夜に似合う変身を遂げていた。
やけに荷物が多かったのはこのせいだったのだろうか。
うっちが浴衣と騒いだのに合わせて、視線を女子に向けた後の男2人も口々に「おぉ〜」「いいじゃんいいじゃん」などと言う。
男はひどく単純だ。かという僕も人知れず2人の後ろに隠れては スイカを抱える女の子に見惚れていたのも事実である。
「夏っぽいでしょ〜?」
本来4月だろうが6月だろうが着てもいいものが浴衣なのだろうが、色鮮やかで華やかなこの姿はもはや夏の風物詩だ。
「女の子ってすごいね」
華やかな3人に声をかける。
「なにそれどういう意味?」
「女の子はこういうのが楽しんだよ、全くとまちゃん わかってないなぁ」
「とまちゃん」は大学に入って付けられた妙な愛称で本名の「とうま」からあやかったものだ。
そこそこ自分の名前はかっこいいから気に入っていたので初めこそ その可愛らしい響きに抵抗はあったが、
人好きな割に普段あまり輪の中に入ってはしゃぐタイプではないので取っつきにくく思われる自分の中和剤には丁度良かったと今では思う。
それはそうと、女の子のすごさに個人的には嫌味を込めたつもりは無く、
「浴衣姿1つで目を惹きつける女の子はすごい」という褒め言葉だったのだけれど、
スーパーの袋からテキパキと材料を折り畳みの机に出していく華やかな2人の癇には障ってしまったようだった。
「あー、だめだめ。冬馬そういうのわかんないから。」
それは心外だな。
「うっちには言われたくないよ。」
「俺は一応、妹いるからな、お前よりは分かってるぞ多分な。」
うっちが僕を宥めるように眉尻を下げて ははっと乾いた声で笑う。
確かに自分に女姉妹はいないし、年の離れた生意気で可愛げのある弟しかいないが、納得のいかない理に言い返そうと口を開くも、うっちを援護するように女子2人が騒いだので早々と撤退しては1人の女の子の元へ向かった。
彼女は 中央の机に向かって、せっせとスイカを運ぶ。
深い緑の地にいくつもの白い団扇を浮かべて、その団扇それぞれに金魚や桜、朝顔が地の緑を邪魔しないよう描かれる浴衣に、刺繍の入った黄色の帯を選んだのが君らしいと思った。
他に溶け込まずに、確かに君だけが似合う。
そんな感じの。
「結衣、貸して。」
声をかけると振り向いたその夏模様の女の子は、机にちょうどスイカを置いたところだった。
「なにをー?」
おっとりとしていて、ゆったりと話す。
周りはいつも彼女に言う。
いい意味でペースを持っていかれる、と。
「んー、スイカ?」
それは僕も例外ではなかった。
でも僕は、
彼女のそのペースを心地よく感じていた。
「なんでー?もう机置いちゃったよ」
「いや、なんで買ってきたのか分かんないけど、せっかく食べるなら冷たい方がいいでしょ?」
「んん?」
腑に落ちない様子に、僕は例のクーラーボックスを指差す。確かまだゆとりはあった気がした。
「おお! それはいいねぇ」
おっとりしてる割には、言葉が無くても点と点をすぐに線にするような君の間の取り方も多分、好きなんだと思う。
またスイカを持ち上げて運ぼうとする君には笑いがこぼれた。
「だから、俺が運ぶって」
君からスイカを奪いながら、ははっと思わず声に出して笑うと「なんで笑うのーっ」とお決まりのような女の子らしい仕草をして、僕はお決まりのようにかわいいと思ってしまった。
「それねー、なんかくれたの。」
「ん、スイカを? 誰がー?」
「うっちのお家来る前にあった八百屋さん」
「こんな大きいのくれたの?」
「なんか、わぁーおいしそうって言ったら、持ってけって。」
それは気前のいい八百屋さんだな、と思いながら、クーラーボックスに入れたスイカについた大きな傷を見つけて なんとなく合点がいった。
「でもすごいおっきな傷あるから多分それでくれたんだと思うんだー。一応買いますって言ったんだけどなんかね、どうせ傷物で安く売ってたし、売れ残ったら自分で食べるつもりだったからいらないんだって。」
「そうなんだ。でもそれ多分 結衣だからくれたんだよ。」
おっとりしていて、人当たりのいい君は周囲の人からよく愛される。
初対面なのに、なんとなくどこかで会ったことがあるみたいな人懐っこさに虜にされる。
やさしさは人に写るという。それはきっと違うかもしれないし、本当かもしれないけど、結衣を見ているとそういうことなんだろうなぁと思う。
「どういうこと?」
「俺だったら多分もらえないよ。」
「え、私が子供っぽいってこと?」
そうじゃないけど、
「そういうことだね。」
そういうことにした。
君を褒めるのは 何だか照れ臭い。
君はまた、「なんでーっ」と楽しそうにしていた。
鼻筋の頭と目尻がくしゅっと寄って かわいらしい皺を作るのが君の笑顔の子どもらしくて印象的なところなのに、
浴衣に合わせたのかいつもより赤みの強い艶のある唇が、今日はなんだか少しそんな君の笑顔を大人びた印象にしていた。
・
鉄板からソースのいい匂いが立ち上がって、
みんなで何度目か乾杯をして、しばらく。
「花火もう少しで始まるよー!」
それは夏休みも半分が経とうとしていた頃、やっと夏が始まった合図のようだった。
・・
そこそこお酒も入って、普段アルコールには強い自分が酔っている自覚があるほどには今夜は饒舌だったと思う。
鉄板も本来の役目を終えて、まだ紙皿によそってもらえない焼きそばがその身を冷まさないように中央に残されていた。
花火の終了時刻まではあと10分ほどで、次々に打ち上がる大輪に小さく歓声をあげながら、みんな学生最後の夏をここぞとばかりに騒いでいた。
「あんまり暴れすぎんなよー、一応人ん家だからなー」
なんて、当の家の長男含めて声をかけるも嬉々とした「はーい」といういくつかの返事は、あたかも聞こえていないことを示していた。
そんなみんなには混ざることなく、胸ほどの高さのある柵に両手を載せて寄りかかりながら花火を見上げる彼女の隣に立つ。
「ゆーい。」
「んー?」
振り向いた君の顔は少し頬のあたりが赤くなっていて、柵の上に置かれた飲みかけの缶チューハイが汗をかいていた。
「混ざんないの?」
そう聞くと彼女は可笑しそうに笑う。
「混ざってるよ。さっきから何回もみんなのこと見て笑ってるよー。」
君はいつも、
女子2人の間にいて可愛がられてるか、みんなの後ろにいてニコニコしていたり、こうして今みたいに少し離れてたりする。
なんていうか少し、みんなの中にいるようでいないような不思議な感じだ。
「花火、さっきねドラえもんだったの。冬馬くん気づいた?」
それで、君だけは僕を「冬馬くん」と呼ぶ。
「ああ、気づいたよ。みんな全然関係ないことで盛り上がってたけどね。俺も見てた。」
「やっぱり? 隣から私と同じタイミングで おおって聞こえたから、あれ私声に出してたかな?って思ったの。」
君の小話に、小さく笑って片手に持ってきたビールを傾けた。
「やっぱり冬馬くんだったかぁー。」
そんな君の小さな声に、今夜何回目かも分からない喉を通る炭酸が、やけに喉にじんわりと沁みる感覚があった。
「でもちょっと、目と口被ってたよね」
「そうそう、ほとんど色で判断したよー」
そんなケタケタと楽しそうにする君もちょっといつもよりお酒が入っているような気がした。
「早くスイカ食べたい。」
花火が終わってからみんなで食べることになったスイカは、クーラーボックスの中で揺れていた。
「食いしん坊だな。」
何気なく呟くと、隣から小さな拳のくせにそこそこな強さでぽかっと殴られる。
「いったっ、、」
実際よりも大げさに痛がると、君は嫌いな食べ物を見るかのような視線を向けてきた。
「なに、冗談だよ。」
「せっかく八百屋さんくれたからわいわい食べたいだけだもん。もうお腹いっぱいだもん。」
「はいはい、分かってますよ」
確かにいつも君は少しみんなと違う雰囲気だと言ったけど、
誰よりもみんなが好きだとそう伝わって来る瞬間がいくつもあるのも確かだった。
「せっかくだからみんなで食べたいよな」
「うん!」
と小さな子供みたいにやたらと明るく頷いた君は、響いたドンっという大きな音に視線を夜空に戻した。
花火が打ち上がる度に、寄りかかる柵にはどんと振動が来る気がして、どことなく心臓が心地よく跳ねる。
終盤の大輪ばかりの打ち上げ花火に耳の奥に響く重たくて短い幾つもの音が自分の鼓動を早くしていくのを感じた。
隣の君を見る。
鼻筋が通っていて睫毛の長い君の横顔はとても綺麗で、花火が咲く度にその色に照らされる顔は、着ている浴衣のせいだけではなくてとても華やかだった。
花火が打ち上がる音がして、
視界の端に咲いたそれが消えていくような
ー3秒間。
「綺麗だね」
その時間、
僕は、君に見惚れていた。
ドンと跳ねたのは、
君に届けるつもりもなく、口からこぼれてしまったそれに君が振り向いて、
そんな君と目が合ってしまったせいだろうか。
咲いたいくつもの花が時間をかけてゆっくりと、暗い空に溶けて行くのが視界の隅に見える。
「今日の結衣は、ちょっと見惚れる。」
君に伝わるように2回も言うような、そんな似合わない自分に思わず笑ってしまう。
「ごめん、酔ってるね。」
君へ少し笑って、頬に当てた缶ビールはまだ冷たくて心地いい。
何も言わずに君は驚いた顔をして、それからずっと僕を見つめてくるのに恥ずかしくなって、視線を逸らしながら残ったビールを飲み干した。
それでも君は呆然としたままで、まだ僕を視界の真ん中に据えて
時折苦しくなるのか口を開くのは魚みたいでおかしかった。
「、、、もう一回。」
声を潜めて、喉から絞り出したような君の声
には、
「、、へ?」
打ち上がる花火のせいで、聞こえない振りをした。
でもそれも見抜いたように
君は小さな声でまた同じように口を動かす。
「もう一回、言って。」
君の頬が少し赤いのは、きっとお酒のせいで、
目が少し潤んで花火の光を写すのは、君が僕の目を捕らえて離さないせいだ。
それでも
今の君はいつになく、僕をおかしくする。
今夜は、君からの要求は僕には容易いみたいだ。
だから、
もう一度君に言うよ。
ドン、と打つ音に被らないように。
「かわいいよ、結衣。」
赤い花火が君の顔に光る。
今度は青くなって、白く光る。
ごめん、
今日の僕は ちょっとずるいね。
「似合ってるよ、浴衣。綺麗。本当に」
その言葉に君は下を向く。
下を向いて小さくて薄い唇をぎゅっとして
から、長い睫毛を乗せてその目を何度か瞑った。
そんな君を、柵に寄りかかりながら見つめる。
「、、なんだか、冬馬くんらしくないね。」
それは、1番自分が分かってるよ。
「そう?」
でも、
本当はいつも、かわいいなって思ってるんだよ。
「ねぇ、冬馬くん。」
「ん?」
「それ、勘違いしてもいいのかな?」
ドン、ドン、ドン。
僕を見つめる君も、そんな君をひどく美しくする打ち上げ花火も、全部。
僕の心臓をどうしようもなく加速させる。
ビールの中身はもう空だ。
君に吸い込まれるみたいに触れようとした自分の手に驚いて、
「冬馬くん?」
その声に、息が止まりそうになって、
伸ばした手を花火色に染まる白い頬に触れる。
「勘違いってなに?」
君には、
ちゃんと伝えたい。勘違いされないように。
「勘違いって、本当のことと違うように捉えるってことでしょ? それは困るよ。」
だから、今じゃない。
なのにそれはきっと、君が納得いかないんだろう。
もうずっと焦がれてる。
気づけば 君からはいろんな感情を引き出されて なんかもう自分は空っぽみたいだ。
「冬馬くん、それはずるいよー」
へらっと笑う君に、僕も笑いかける。
君が欲しい言葉を言わずに、
意地悪だと、君になら思われていい。
「ずるいよ?」
今の自分は、ひどく おしゃべりだ。
らしくない。
それでも、これは、本心だ。
「でも全部、いつも君に思ってることだよ。」
酔った自分なのが情けない。
肝心なことは、また君と次に会うときにとっておかなきゃね。
「酔うなんて 俺らしくないね、分かってるよ。
それで、ずるいのはもっとらしくない?」
だからごめん、
「でもね、これ全部、結衣だからだよ。」
今日は、ここまでにしておく。
「結衣以外には、言えない。」
最後に、
長い時間をかけて打ち上がった花火は、
君が眉を歪めた顔を、一瞬の長い時間、僕の目に焼き付けてきた。
「やっぱりこっちは混んでるねぇー。」
「本当だね。」
少し髪を伸ばした君は、今年は頭のてっぺんに丸くお団子を作って、新しく買ったという小さい金魚の飾りがついた赤い簪を差していた。
「去年はみんなと見れて楽しかったけど、まさか今年は2人で見れるなんて、あの時は考えてなかったなぁー。」
人混みの中、慣れない下駄で転ばないようにか、自然と浴衣の袖を掴んできた彼女には相変わらず色んな感情を奪い取られていく。
遠慮がちに掴む手を外して、自分の指にその細い指を絡ませては もう慣れたその小ささにひどく安心する。
「ふふふ、照れるなら握らなきゃいいのにー。」
それを指摘されるのが嫌で
わざと目線を合わせないようにしてたのはどうやらもう彼女には通用しないみたいだった。
「うるさいなぁ。にしても、下がこんなに混んでるとは思ってなかった。」
今年も君は、君によく似合う浴衣を纏っていた。
去年と違っているのは桜の刺繍が入った白の帯をしていることで、1年経った君がどことなく垢抜けたように見えて
綺麗だと、思った。
「うっちの屋上は快適だったねぇ。」
「そうだね。」
「あの屋上から見た花火はもう忘れられないなぁ。 」
「なんで?」
「ふふ、分かってるくせにー」
君の指が僕の腰のあたりを突いたのは図星だった。
「今年も酔ってくれるの?」
そんな風に
にたにた笑いながら言うな、全く。
「酔わないよもう。」
あの日の自分は恥ずかしくなる。
「そっかぁ、残念だー。あ、りんご飴食べたい。」
君は相変わらずだな。
「はは、子供か。」
「ちーがーいーまーすー」
「そうだね、」
僕も、
相変わらずかな。
「やっぱり似合ってるよ、浴衣。」
顔をあげた君の視線を捉えて微笑む。
「去年より大人っぽくて、綺麗だよ。」
君が握る手を ぶんっと振った。
「かわいいかわいい。」
「もうー、これはもう魔法だな、夏の魔法だっ。暑いせいでかかるんだ。」
新しい簪と同じくらい耳を赤くして、そんなことを言う。
「悪くないでしょ、夏の魔法。」
「全くもう、いつ大量飲酒したのー?」
魔法なんていらない。
わざわざ酔わないよ、もうね。