7 レンズの先で見た己の心
春を告げる種類様々な桜の木々の枝に白い珠が膨らみ始めた頃。佳乃は床に伏していた。
「体調はどうなんだ」
愛らしい桜色の頬は今は白い。
体調が優れない時はいつも雪のように白くなり、その時はどうしてか人間離れした姿に感じられた。それこそ精霊か何か。
傍にしか居られないもどかしく思うのは昔から自分の心に巣食っている。
「うん……まぁまぁかな」
白い敷布団と枕の上に艶を帯びた綺麗な黒髪が枝分かれした小川のように流れる。
「もう少しで新学期だ、持ち堪えよう」
儚気、憂いを帯びる表情。この時の佳乃は今にでも消え入りそうな瞳をする。力なさげに笑顔を振りまかれたとしてもこの不安は救われるところか泡のようにぶくぶくと膨らみ、弾けても増えるだけだった。
***
新学期の始まりを告げる前日。
今日から新高校生となる子ども達を迎える入学式。いつもは殺風景な体育館が少し豪華に飾り付けられて極彩色でありながら、厳粛的な空間が形成されていた。
真ん中に敷かれた赤い絨毯の上を真新しい制服に身を包んだ子ども達は緊張に満ちた
面持ちで席に着いて行く。
「えぇ────」
校長は毎年のように、いや。
あらかじめ決められた台詞をラジオのように口にし始める。淡々とお祝いの言葉を言い終えるとそそくさと席に戻る。
私は遠くからその様子を景観する。
カメラマン二号としてこの場にいるから別に式にしっかりと参加するように、と言いつかれていない。写真におさめる構図を考えながらその一瞬一瞬をレンズの奥に。
(……佳乃)
二年前にも、私はこうやって。
記憶は美化しやすいとも言えたものだが。
まだ学生でなんとなく春休みに帰っていた途端にカメラマンを任されて。高校生に上がると聞いてあの時は何気なく彼女とその友人にカメラを向けた。
レンズ越しから見る世界は別の世界。
カメラは時を切り取る道具。
流れて戻らない時を、そのたった一瞬を手元に残すための手段。
カメラ越しから見る彼女は、美しかった。
あの時は不思議だった。
毎日のように顔を合わせているのに。何度だって、近くで見ていたのに。
カメラ越しになると、別人だった。私の知っている彼女では無くなったから。
あの時に僕は自覚することになった。
それについて、僕は心に蓋をしてしまったんだ。
彼女────佳乃のことが好きだった事に。
***
夕方になってから佳乃の家に向かった。
入学式の片付けが思った以上に時間を食いまだまだ若いからという理由でかなりの重労働と呼ばれるパイプ椅子をしまう役割を与えられる事となった。
まぁ、仕方ない。
ご長寿の先生方もいるし、あまり力仕事を得意、というか向かない女性もいた。
体を張った結果、背中をかなり使ったらしく着く頃には全身がガチガチになるくらいに熱を帯びつつ痛み始めていた。
「こんばんはー遅くなりました」
「あ。悠二兄ちゃんだ」
居間の襖が開く。顔を覗かせるのは今日一日ずっと気にかけていた相手だった。
「お帰りなさい、おばあちゃんがもうそろそろご飯にするよって言ってたよ」
「夕餉はなんだい」
「えー、私も知らない!!」
浮かべた満面の笑み。そうだ。昔から、こんな風に笑っていた。
「あ、思い出した」
「夕餉?」
「うん」
「じゃあ、夕餉はなに?」
今にでもアイスのように溶けちゃいそうなくらいに顔がにやけていた。
「えへへ~今日は煮魚だよ~。
なんでもいい魚を手に入れておばあちゃんが久々に腕をぶんぶん振り回していたから多分、豪華なのが出るよ」
張り切るあまりに遠心力で包丁を投げなければ良いけど。あの人は集中するとかなり眼光が鋭くなって、たしか佳乃のお父さんがこっそりつまみ食いしようと手を伸ばした瞬間に竹串が数本飛んできたっけ……。
居間は台所と1枚の扉で隔てられているはずなのに狙ったかのように正確に、佳乃のお父さんの手に向かって飛んできていた気がする。
「佳乃のお祖母さんはどうやって佳乃のお父さんの手に向かって竹串を投げたのかな」
「え?だっておばあちゃん、弓道の名手だよ」
「え?弓道やってたの?」
「うん。若かりし時に出た弓道の大会の時に優勝と共に持って帰ってきたのは私のお祖父ちゃんらしいんだよ」
称号と共に伴侶の心も射たというのか。
「おばあちゃん、昔はこの地域の文武両道の麗人って言われてたくらいに綺麗だったっておじいちゃんがいつも言ってた。自慢の人で尊敬出来る素晴らしい人だって」
「そんな風に聞くと、佳乃のお祖母さん狩人なんだね……」
「みたいだね。同級生だったおじいちゃんを弓道の大会に招いたのはおばあちゃんで。私の描く軌道を見て欲しい。
私は必ず、あなたの心を射てみせましょう。って宣言したらしいの!」
徐々に恥ずかしくなってきた。
佳乃のお祖母さんは、こんなに硬派系でカッコイイ人だったのか。
「……それで、宣言通りに」
「うん。お祖父ちゃんの心を見事に射て帰ってきた、今思えば武勇伝だよね。
シチュエーションが逆でもカッコイイね。
惚れるね、誰だって惚れちゃうよ~」
きゃーっ、と黄色の悲鳴をあげながら佳乃は自分自身を抱きしめる行動を取る。ここまではしゃいでしまって体調を崩さないかヒヤヒヤしている事に気づいて欲しい、と密かに思うのだった。