5-1 城門破壊
これは彼がまだ人であったときの話。
かつて彼がいた世界は今いる世界よりももっとひどかった。
この地でいう聖剣に似た兵器が存在し、大きな大戦が起きた。
それで数えきれないほどの人間が命を落とした。
その中には自身の大切な人間も数多く存在した。
彼はそうして世界を憎み、数えきれないほど多くの人間を殺し、怖れられた。
彼が闇に心を堕とさなかったのは一人の女性がいたためだ。
その女性が差し出してくれた手のぬくもりは今でも思い出せる。
あれはどれほど昔のことだったか。
彼はあの少女の力強い瞳からそのときのことを思い出していた。
戦う魔獣、死霊の軍勢を横目にフィアたちはカロン城の城門前にたどり着く。
周囲は既に朱に染まっている。
夜が来るのだ。
辺り一面が闇に覆われるのも時間の問題だろう。
三人はカロン城の前で足を止める。
静謐結界が視認できるほど強化されている。
城門の中からはこちらの出方を伺っているようで無数の視線を感じた。
城には静謐結界が存在している。
かつて使っていたリュミーサは既にいない。
それを操っているのはカランティと言う魔女である。
静謐結界と言うのは結界内の物質を瞬間的に自在に移動することを可能とする結界である。
現在の結界は湖都を覆っていた範囲の結界を圧縮してカロン城限定にした様子。
カランティは元聖堂回境師であるが、リュミーサの静謐結界をまだ完全には使いこなせていない様子だ。
叩くなら今しかない。
フィアはすうと息を吸い込む。
これから踏み込むのは魔王ポルファノアの居城。
危険なのはポルファノアだけではない。
カランティをはじめとして多くの魔女、そして魔族たちがひしめいている。
さらに加えて幻獣王ツアーレンも遥か上空でこちらの様子をうかがっている。
ここから先が本当の戦いになる。
「二人ともどうか力を貸してください」
オルカとドーラににだけ聞こえる声でフィア。
ああ、本当によく似ている。
オルカは口端をほんのわずかに緩めた。
フィアの目の前にはカロン城の城門が天高くそびえたつ。
フィアは魔法式を展開しようとしたが、その前にオルカがフィアの前に進み出来た。
「私が行きましょう。あなたは少し離れていてください」
オルカは黒い剣を抜き悠然と歩んでいく。
「…珍しくやる気のようだネ。フィアちゃん、身の回りの結界の強度を少し強くした方がいい」
フィアはその言葉に従った。
オルカの真の力を見るのは彼女にとって初めてである。
オルカは城門の前で足を止める。
敵味方双方からの視線がその男に注がれる。
オルカは腰に差した剣を引き抜く。
黒く細い刀身だ。
目の前にあるのはその身長の十倍はあろう城壁である。
それは蟻と象のに等しい。
だがその場に居合わせた誰もがその黒い刀身に視線が釘付けになる。
オルカは手にした黒い剣を地面から空に向けて振りぬいた。
直後、黒い何かが天に向かって駆け抜ける。
遅れてきた暴風が周囲に衝撃波をまき散らす。
それはゴラン平原全体を揺らし天に駆け抜けていった。
目を開けると城壁が文字通り消えていた。
城を覆う静謐結界の存在も感じられない。
「まさか、城壁を結界ごと吹き飛ばしたのか」
カランティは最強の幻獣王の力を思い知る。
対魔王用に作られたはずの静謐結界が、長い年月をかけて構築してきたであろう城壁が
ただの剣の一振りで吹き飛ばされてしまう。
それは理不尽であり、まさに天災そのものだ。
その気になればこの城ごと、いやゴラン平原すら消し飛ばすことができるだろう。
一介の魔女ごときが歯が立つ存在とは思えない。
「異界の幻獣王がどうして…」
黒竜王は領地、軍を一切もたない。
次元の狭間を行き来きし、その大きすぎる力ゆえに世に干渉することを嫌う存在だという。
かつてそれを従えたのはクファトス王のみ。
その存在すら計り知れない相手が動いたというのだ。
黒竜王の一振りの衝撃はシレとモーリスと戦っていたクラントにまで伝わってきた。
クラントは二人の魔剣使いを前に一歩も引いていない
窓の外をちらりと見ればあったはずの城門が消えていた。
「城門が吹き飛んだだと…?教会の兵器か?」
シレの表情は青ざめている。
そこにはかつてミイドリイクで一緒に戦ったフィアと言う魔女の姿もあった。
黒服の男には見覚えはないが、あのとんがり帽子には見覚えがあった。
「あいつらめちゃくちゃしやがる」
口元を釣り上げながらクラント。
これ以上ない援軍である。
魔導砲の攻撃の際もそれをわき目で見ていた。
『クラント、よそ見しない』
ラルブリーアがクラントの脳裏に直接語りかける。
声の主はリオと言う魔剣の管理者。
「ああ」
クラントはシレとモーリスに向き合う。
一流の魔剣使い特有の独り言。
傍から見れば変人かもしれないが、魔剣使いから見れば
それは魔剣とそれは魔剣と意思疎通できていることを意味している。
魔剣使いは一人ではない。
魔剣はあまたの人を犠牲にして作られている。
それを管理するためにその中で核となった管理者と言う存在している。
一定以上の魔剣使いはそれらと対話し、魔剣に認められればその協力を得ることができるのだという。
「クラント、奴等を知っているのか…」
シレは構えを崩さずクラントに語りかける。
少女の姿をした者は魔導砲を防ぎ、
宙に浮いたとんがり帽子をかぶった仮面の男は二つの化け物を召喚し、
黒服の男に至っては竜の化身である。
三人とも規格外の化け物と言ってもいい。
この世界のどこにそれほどの力を持った者が潜んでいたというのか。
「…仲間だよ」
クラントは口端を緩ませてそう言った。
「動いたネ…。奴が来るよ」
空に浮かぶドーラは足元のフィアに一言そう漏らす。
ゴラン平原に吹く風がぴたりと止んだ。
まるで嵐の前の静けさのように辺りから一切の風が消え失せる。
そんな中天から一枚の光の羽が舞い落ちる。
それは次々に舞いながら降ってくる。
光の羽が周囲に降るさまはこの上なく幻想的な光景だった。
「雪…いやこれは羽…?」
兵士たちがその光の羽に触れると兵士ともども塵となって消える。
それは力の塊、並みの者では触れて無事で済むわけがない。
たまらず兵士たちは一斉に身を城の中に隠す。
「…」
フィアは光の羽が舞う朱の空からやってくるその姿を視認する。
天から翼を生やした一人の存在がフィアたちの前に降り立った。
地に足をつけるとその巨大な羽を閉じる。
羽以外の五体は人間に近いが頭は鳥のカタチをしている。
彼こそがツアーレン。
七人の幻獣王の一人にして、『天空王』の異名をもつ存在である。




