入学03
ヒロイン登場
一通りの診察が終わり、服を着て保健室を出た尚太は、端末にメッセージが入っているのに気が付いた。
「あー……鉄男からか」
やはり行きがけに一声かけておくべきだったろうかと、直太が罪悪感を覚えながら画面をスクロールさせていくと、登録された鉄男のアドレスの他に、英語と数字の文字列が表示されていた。
名前を登録しておらず、アドレスも初期配布のものをそのまま使っている人からだ。
スパムやウィルスの類ではないと思い開いてみると、件名は【無題】本文も未入力のままだった。
「何だこれ? いたずら、じゃないと思うけど……」
ともあれ一度寮に戻らなければ始まらない。
もと来た道を歩いていると、続々と新入生が到着してくるのが見えた。誰もが尚太より背が高くがっちりした体格だ。
寮の入り口に近づいたところで、尚太の前方から、猛スピードで大きな塊が突っ込んできた。
「なあああ、おおおおおお、たあああああ!」
ドゴオオッ!
交通事故のような轟音が響き、尚太の腹から腰にかけて衝撃が襲う。その場に立っていられず尚太は背中から地面に倒れてしまった。
とっさにあごを引いて後頭部を守ることはできたが、背中をしたたかに打ち付け一瞬息が止まる。
「……は、犯人は……ヤ……ス……」
最後の力を振り絞ってダイイングメッセージを残すべく指を伸ばした尚太の視界に、大きな人影が見えた。
それは人影というにはあまりにも大きすぎた。ぶ厚く重くそして大雑把すぎた。 それはまさに肉塊であった。
「……て、鉄男……?」
尚太の呼びかけに筋肉の塊がピクンと反応する。
「尚太あああぁっ……」
「なっ!? どうしたの……?」
鉄男の両頬には、滂沱と流した涙の筋がはっきりと残っていた。
「尚太あああぁ! 俺、俺、初日から嫌われたのかと思ってえええ! オロロオオオン!」
「わ、わかった……。僕が悪かった。謝るよ! 謝るから、すこし落ち着いて……」
筋肉モリモリマッチョマンが、小柄な男子に覆いかぶさっているという絵面は、いろいろとよろしくない噂のもとになりかねない。
実際尚太の耳には、男の黄色い歓声が聞こえていた。
どうにか鉄男を落ち着かせて、ロビーのソファに座らせる。部屋に入るとあらぬ疑いが濃厚になってしまうことを恐れたからだ。
自動販売機で買ったコーヒーを差し出す。鉄男は、先ほどまでの明王や阿修羅のような顔からは一転、福の神のような笑顔を浮かべてそれを受け取った。
「悪かったな。俺ともあろうものが取り乱してしまったよ」
「いやいや、僕のほうこそ一声かけてから行くべきだった……ごめん」
尚太は素直に頭を下げる。筋肉の鎧をまとっているからといって心が鋼鉄で武装されているわけではないようだ。
「そうだ。誰かに僕のアドレス教えた? 知らない人からメッセージ入ってたんだけど」
「許可なく他人に教えるようなことはしないぞ。それは、尚太だけじゃなく誰のアドレスでもそうだ」
鉄男は真面目腐った表情で断言する。その態度に尚太が疑う余地はなかった。
直太が部屋の前につくと鍵が開いていた。保健室に言っている間に同居人が到着していたようだ。ネーム
プレートを見てみると、尚太の名前の下にはアルファベットが並んでいる。
「え……外国の人なの……」
尚太が、予想外のことに驚きながらドアをノックすると
「はーい。開いてるよー」
と鈴を転がすような声が返ってきた。
(女の子……いや、声変わりしてないだけかも……)
固まっていると、内側からドアが開かれた。
(え……やっぱり女の子なんじゃ……)
尚太の目の前に現れたのは中世的な顔立ちの生徒だった。
金髪のショートカットにエメラルド色の大きな瞳、桜色の小さな唇が、透けるような肌にバランスよく配置されている。
「え、えと、僕、同じ部屋になった平野……です」
一瞬見とれてしまっていた尚太が、ドギマギしながら口を開く。
「君がボクのバディになる人だね。ボクはユーリア、ユーリア・メルダース。これからよろしくね。ナオ」
にっこりと花が咲くような笑顔を浮かべてユーリアと名乗る青年が右手を差し出した。鉄男のゴツゴツとした手とは違って、指が細く手のひらが小さいユーリアの手はこぶりな陶器を思わせた。
尚太よりも小さな手は、冷たくしっとりとキメが細かい感触だった。
「……ところでナオっていうのは?」
尚太の疑問にユーリアは小さく首をかしげる。
「尚太だから縮めてナオ。ダメだった?」
「ううん! ダメじゃない。ダメじゃないよ!」
住んで瞳で上目遣いをされて、尚太が断れるはずもなかった。
「よかったぁ! それじゃあナオもボクのこと何かあだ名で呼んでよ。ボクだけあだ名ってなんか悪いし……あ、でも、ユーリとか安易なのはやめてよね」
「ナオっていうのもあだ名としては十分安易なじゃない?」
小中学生のころ、数えきれないほど呼ばれてきたあだ名で、本名よりもナオと呼ばれた回数の方が多いくらいだ。
「いいじゃん。だってボクドイツ人だから」
「何がいいんですかねぇ! ……ってユーリア君はわざわざドイツから来たの?」
尚太にとって、あだ名なんかよりそっちの方が驚きだった。
クロタミとの戦闘についての教育を受けるなら日本よりも欧米、特にヨーロッパがずっと優れていると聞いたことがあるからだ。
「そ。だからアルファベットの綴りはJULIAで読み方はユーリアなんだ。まあ、うまれはドイツだけど、親の仕事でずっと日本に暮らしてたんだけどね。ザワークラウトより西京漬けの方が好きだよ」
なるほど、それでこんなに日本語が流暢なのか。尚太は内心合点した。
「それよりナオはボクをなんて呼ぶの? 同じ部屋で暮らすのにユーリア君なんて呼ばれたらむず痒いよ」
「そういわれても、すぐに思いつくものじゃないし……」
「ほらほら、はっやっく、はっやっく!」
いたずらっぽい笑顔でせかされて、尚太は何かないかと考えを巡らせる。
「……うーん、じゃあ、名字の方からとってメルっていうのは?」
ユーリと同じくらい安易で、正直どうかと思いつつ提案してみると、ユーリアは一瞬考えた後、笑顔で頷く。
「Bestehen、合格! それじゃあボクらはナオとメルのバディだね。よろしく!」
今度は腕相撲をするように手のひらを合わせて握手をする。ぐっと引き寄せられた尚太の鼻を甘い香りがくすぐった。
挨拶を終えたところで尚太は荷物整理に戻る。