02.入学2
「一階は玄関と談話スペースになってて、部屋があるのは二階からなんだ」
鉄男の言葉通り、玄関スペースの右側に階段があり、正面はワンフロアが丸ごと広いロビーになっている。テーブルやソファがいくつも並び、窓際にはカウンターテーブルと高い椅子が置かれ、反対側の壁には大型のテレビが置かれていた。
階段を上った先は、左右にドアが並んだリノリウム張りの廊下だった。ドアの横にはプラスチック製のネームプレートが二枚ずつかけられている。
「ここって全員相部屋なの?」
「一年の間はな。二年生以降は知らんが」
「やっぱりあれかな? 協調性とかコミュニケーション能力とかをつけるために共同生活させようってことなのかな?」
「みたいだな。軍隊だけじゃなく、普通の会社でも研修でやらせるらしいし、効果があるんだろう。じゃ、俺の部屋はここだから荷物置いたら来てくれよ」
鉄男は途中にある部屋に入っていった。
廊下の突き当り、尚太にあてがわれた部屋にも二人分の名札がかかっている。ドアノブのすぐ上についている読み取り機に端末をかざすと、ガチャリと鍵の開く音がした。
「おお、意外と立派じゃん……」
男子寮という言葉から、狭い汗くさい汚いというイメージを持っていた尚太は思わず声を上げた。二人で暮らすにはやや手狭だが、大きな窓から光が差し込み、床も壁も清潔感を感じられた。
部屋の片側には二段ベッドとロッカー、もう片側には金属製の学習机と本棚が並んでいる。入り口の右手の扉を開くと、浴槽とトイレ洗面台がまとまったユニットバスになっている。
どれも余計な装飾などなく、実用性第一という印象だ。
一通り部屋の中を見て回った尚太は、新生活への期待から胸のあたりがムズムズしてほほが緩むのを感じた。席替えやクラス替えの時より何倍もワクワクしている。
「一緒の人来てないし、下のベッド使っちゃっていいかな……」
同室の生徒が暴力的でないことを祈りつつ、バッグをパイプベッドに乗せ、保健室に行くことにした。
(鉄男も誘ったほうがよかったかな……でも、どうせすぐ戻ってくるだろうし心配させる必要もないか……)
部屋の前を通り過ぎるとき、尚太は一瞬罪悪感を覚えたが、そのまま外へ向かう。
端末の案内通りに進むと、そこは先ほど尚太が見上げていた建物だった。事務室や保健室などの施設が入っているユニットらしい。
建物内には人の気配が全くせず、尚太の足音だけがカツカツと大きく響く。
保健室は校舎の端にあった。近づいていくと、その部屋だけ電気がついて人の気配が感じられた。
コンコン
「……どうぞ……」
尚太が扉をたたくとかすれた不機嫌そうな声が返ってきた。
「あのっ、新入生の平野尚太です。管理人さんから保健室に行くように指示されてまいりました」
名乗ってしばらく経っても反応が返ってこず、尚太が不安を感じ始めた。やがてバタバタと激しい足音が近づいてくる。
ガラガラと乱暴な音を立てて引き戸が開き、白衣を着た眼鏡の女性が出てきた。
手入れのされていないボサボサの髪の毛をかきあげ、眠そうな半開きの目で尚太のことをじっと見下ろす姿は、保健室の先生というよりも科学者めいた雰囲気を感じさせた。
「あ、あの……」
「……入って」
無言で見つめられ、気まずさを紛らわそうとした尚太の声は、つぶやくような女性の声でさえぎられる。
「し、失礼しまーす……」
保健室の中は加湿器がたかれ、暖かく少し湿った空気はツンとした消毒液のにおいがした。尚太がパイプ椅子に腰かけて待っていると、保険医が聴診器を首にかけて戻ってきた。
「……ひらのくんだよね。じゃあ、脱いで」
「はい? えっ!? ちょっ……!」
無表情で言うが早いか、保険医は尚太のズボンのベルトに手を伸ばす。
「なっ、なにをするだーっ!?」
「……なにって、ぬぎぬぎ」
上目遣いでそんなことを言われて、尚太の鼓動が早くなる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよっ! そんな急にっ!」
よこしまな考えが浮かんでくる前にどうにか保険医の手を振り払う。
「……むぅ。どうして脱ぎ脱ぎしないの……?」
「いやいやいや! 初対面、あって一分くらいで服に手かけられたら混乱もしますって!」
「……出会って四秒で合体する作品だってあるし……」
「おおおおい! それ青少年に語ったらダメなやつぅっ!!」
「……そうなの。男の子はみんな好きな話題だって聞いたんだけど……」
(誰にだよ!)
表情を変えないで話すため、ボケているのか本気で誰かに教わったことを口移しで言っているだけなのか判断しかね、尚太は心の中でだけツッコミを入れた。
保険医は何かを考えるように頬に手を添え首をかしげる。やがて、何か思いついたようにポンと一つ手を打ち、白衣の下に来ているシャツのボタンに指をかける。
一つまた一つとボタンがはずされて、白いシャツの胸元から薄紫のブラジャーと白い肌がチラチラ見え隠れする。
「ちょっ!? 今度は何してるんですかぁっ!?」
尚太の叫びなどどこ吹く風、保険医は全く動きを止めない。上から順番にボタンをはずし始め、真ん中あたりまで指が進んでいた。
「……何って、私も脱げば恥ずかしくないかなぁって……赤信号、みんなで渡れば怖くないって言うし……」
「言わないです、止まってください! みんなまとめて轢かれるだけです!」
言葉とは裏腹に、尚太の目はシャツの隙間から見える布地と、布地に収まりきらない柔らかそうな白いふくらみにくぎ付けとなる。同時に、網膜に焼き付いた映像を記録しようと脳細胞がフル回転を始めていた。
「……そう、平野くんはあまり好きじゃないんだ……男の人の方がよかった……?」
「そういうことじゃありません!」
「……そうなんだ。ま、別にいいけど……。じゃあ、冗談はこのくらいにして診察始めようか……聴診器当てるから上脱いで……」
「えっと、脱いでってそういうことだったんですか……?」
「……私ははじめからそのつもりだったのに、平野くんが勘違いするから……」
尚太の顔からボッと火が出そうなくらい熱くなる。
「お、いや、でも、ズボンに手をかける必要はないですよねぇっ!」
「……あれは男の子が喜ぶと思って。エスプレッソの効いたじゃぱにーずじょーくってやつだよ……」
「フランスなのかイタリアなのか日本なのかアメリカなのかわからないっすね」
たとえるなら名古屋の台湾カレー混ぜそばといったところか。
尚太がブレザーとシャツを脱ぐ様子を保険医は無言でじっと見つめていた。インナーを脱ぎ肩口があらわになると、眠そうだった目が見開かれ、黒く変色した傷跡に吸い寄せられる。
「……一人で脱げたねー。えらいえらい……それじゃあ、前から当てていくね。冷たかったら我慢して……」
予告と同時にひんやりとした金属の感触を感じ、尚太の腕に小さく鳥肌が立つ。声も出そうになったが、からかわれること間違いないのでどうにか耐える。
「……あまりドキドキしないで……あまりおかしい値が出たら病院で精密検査してもらうことにるよ……」
「すいませェん」
頭を下げたものの、内心納得はできていなかった。尚太の鼓動を激しくしている原因が目の前の保険医だからだ。
ボタンをはずすのはやめたものの、すでに外れているボタンを閉めなおすことはことはなく、胸元からは相変わらず下着と白い肌が見え隠れしている。
「謝りついでにお願いしたいのですが、シャツのボタンを閉めていただいてもよろしいでしょうか?」
「……ん? ああ、ホントだ……」
本当に気づいていなかったらしい。胸元を覗き込んだ保険医は上から3つだけボタンを留める。
「……こんなのただの布なのに……変なの……。ひらのくんにも同じようなのついてるし……ほら、ツンツン……ツンツン……」
「んぁっ……! やぁっ……やめっ……」
胸の先端をクニクニといじられて、尚太は思わず声を漏らす。
「……冗談だったのに、あまりかわいい声出すと本気になっちゃうゾ」
無表情でそういうと、尚太の胸から聴診器を外す。
「……さて、あまりふざけていると怒られそうだし、まじめにやろうか」
「初めから真面目にやってくれませんかねぇ……」
尚太の抗議も保険医には全く通じていない様子だった。
表情一つ変えずにボタンをすべて閉じると、保険医は再び尚太の胸に聴診器を当てて、カルテにボールペンで何かを書き込んでいく。
「……次、背中ね……」
背中にも聴診器を当て、もう一度尚太に前を向かせると、保険医は右手にゴム手袋をはめる。
「……これが、子供のころの傷……?」
黒く変色した傷跡をなぞりながら保険医が尋ねる。傷は鎖骨の下に4つ並び、3つは歯形で1つは爪による切り傷だ。
「……傷はずっとこの大きさ? 小さくなったり薄くなったりはしていない?」
「はい。ずっとこのままです」
尚太が自信をもって答えられるのは、何度も何度も計測されてきたからだ。定規やノギスを当てられて、前回と比較されてきた。体が成長するにつれて相対的に小さく感じられたが、傷が小さくなることはない。
「……それじゃ、最後に写真撮るから……」
小型のデジタルカメラで写真を撮影し、診察は終わった。