メリー・クリスマス、NG
「思い出の中から」
いちおうクリスマスものです。
甘口ですが、地味です。
きみはぼくの人生で初めて、ぼくを好きだと言ってくれた人だった。
そして、ぼくの初恋の人だった。
きみのそのひとことで、ぼくがどのくらい嬉しかったか、どのくらい救われたか、たぶんきみでも正確には分からなかったと思う。
ぼくは初めて、自分の存在を認めてくれる人に出会えた。
心からそう思った。
ぼくはこのまま生きていてもいいんだ。
何ひとつ自信のないぼくでも、まだここにいても大丈夫なんだ。
大げさでもなく、冗談でもなく、ぼくはそう思っていた。
ぼく自身は自分のことを、相変わらず毎日うつむいて過ごすようなヤツだと思っていた。
自信なんかかけらもなかった。
ただそれがばれないように虚勢を張っていただけだった。
ぼくの何を、きみは好きになってくれたのだろう。
ぼくの何が、きみを惹きつけたのだろう。
自分ではさっぱり分からなかった。
もしかしたらきみは、虚勢を張っているぼくを見て、ぼくのことを過大評価して好きになってくれたのではないか。
そう思うときみをだましているような気になってしまった。
・・・ということをきみに正直に話したら、ものすごく怒られたことを覚えている。
去年はぼくの隣の席にいたこともあるきみだったけれど、その年は二つ向こうのクラスに離れていた。
きみとぼくはつきあっていることを隠さなかった。
いくら隠してはいないからといっても、きみに会うために堂々と二つ向こうの教室に入っていけるような度胸はぼくにはなかった。
別の友人に用事があるようにかこつけて、やっと入っていける程度だった。
きみはぼくに用事があるときは、教室に入らず、廊下からなかよしの誰かを呼んで、取り次ぎを頼んでいた。
その誰かは、いつしか担当窓口のようになっていた。
きみはぼくが応じるまでおとなしく廊下で待っていた。
とはいえ、そんなところにいるのはぼくに会いにきたのだとすぐにばれるので、冷やかしもすごかった。
悪いことをしているわけではないのに、何でだろうね。
きみは冷やかし相手に「ええい、静まれ静まれぇっ」というかわりに、ぼくによくそう言った。
ぼくもきみも理由はもちろん分かっていたけれど、それを口に出すのは自重していた。
秋が深まってきたある日、きみのクラスメイトの一人から、きみが休み時間に編みものをしていると聞いた。
ぼくはそのことを知らなかったので、昼休みに何となくきみの教室に行って確認してみようと思った。
いきなり入っては行かずに、教室前方の戸からそっと中をうかがった。
きみは自分の席にいて、確かに編み針を熱心に動かしていた。ベージュ色の毛糸玉も見えた。
ぼくにはそんなきみの姿がとても新鮮に見えた。
もうすぐ寒くなる時期だし、女の子だから編みものぐらいするだろう。
女の子らしくていいな。
ぼくはそう思った。
でも、ぼくがそこにいるのに気づいた連中が、今度はぼくを冷やかしだした。
その騒ぎで、きみもぼくに気づいたのが分かったが、きみは何故か手にしていた編み針等一式を慌てて隠した。
ぼくにはそう見えた。
見られると恥ずかしいんだな。
きっと始めたばかりで不慣れだからだろう。
ぼくはそう思った。
そして、それ以上編みものの件について深く考えることはなかった。
デートのときでも、学校内で行き会ったときでも、きみもぼくも編みものの話はしなかった。
ぼくは「そっとしておこう」と思っていた。
ぼくが何か言うことで、意図的ではないにしろ、きみの邪魔になるのはいやだった。
ぼくのクラスにも、やはりせっせと編みものに励む女子が数名いた。
そのうち傍目に見ても、あれはセーターになるんだ、とか、手袋だ、マフラーだと分かるくらいの時間が過ぎていた。
もう12月だった。
期末テストでみんな辟易していたけど、ぼくは下校時間が早くなるテスト期間が割と好きだった。
帰りがけにきみの顔を見にいくと、きみは既にそそくさと帰ったあとだった。
何か急ぎの用事でもあったのだろうと思い、ぼくは気にしなかった。
でも、テスト期間中ずっとそうだったので、電話をしたときにきみに訊いてみた。
最近ずいぶん忙しいみたいだけど、何かあった?
── 別に何もないけど、どうして?
帰る前にきみを冷やかそうと思ってそっちに行ったんだけど、きみはいつも帰ったあとだったから。
── 掃除当番ではないし、焼け石に水と分かっていても勉強したかったから。
最終日でも?
── 最終日はテスト疲れよ。気合いが抜けて、早く眠りたかったの。
なるほど。
あやしいことは何もないと思った。
本格的に冬になると、部活は個人練習という名の休みになった。
寒い日に無理して動くと怪我をしやすいし、こういう時期こそ個々で基礎体力をつけておくものだ、という考え方からだった。
とてもいい考え方だと思った。
学校ではなく、自宅の周辺でランニングをしているという名目で、ストレッチは自室でという名目で、遠慮なく帰れるのだから。
とはいえ、ときどきは学校とその周辺で走ってから帰ることもあった。
さすがにまったく何もしないでいるとすぐに身体がなまるので。
自宅周辺で走りたくはなかったので。
それにしても、ずいぶん寒くなったものだ。
外に出るとすぐに耳が赤くなってしまう。
息をすれば誰もが煙を吐いているみたいだった。
風が吹くと斬りつけられるような寒さを感じた。
すぐに温かい飲み物がほしくなる。飲んでしまうと、すぐにトイレに行きたくなる。
ぼくはその繰り返し(ループ)からちっとも抜け出せなかった。
そもそも冷え性だったし。
きみ以外の誰にも言ってなかったけれど、制服の下にけっこう着込んでいた。
上は計5枚、下は2枚、靴下も2枚、とか。
そうしておかないと、外はもちろんのこと、校舎内でもけっこう寒かったからだ。
暖房設備がなかったわけではなく、朝一で稼働させても、教室がきちんと暖まるのはたいていお昼過ぎ頃だった。
なので、午後の授業ではみんなぐっすりしたものだった。
そうこうしているうちに、二学期の終業式の日となった。
その日は毎年だいたいクリスマス・イヴに当たっていた。
なにやらいろいろなものが教室に持ち込まれていた。
もちろん、誰かが誰かに渡すプレゼントだった。
教室の後ろの棚(クラス全員分、個人用に区切られていた)が嘘みたいに賑やかだった。
ぼくは持ってきていなかった。
きみとは翌日デートの約束になっていたから、その時に、ということでお互い了解していた。
だいたい、この日はクリスマス・イヴであって、クリスマスは翌日なのだし。
何も学校で騒ぎにならなくてもいいよね、と。
でも、きみは予定を変更した。
終業式のあと、体育館から教室に戻る途中で、ぼくは後ろから肩を指でちょんちょんとつつかれた。
振り返るまでもなく、そんなことをするのはきみだった。
どうかした?
今日はしばらく帰らないで待ってて。私、そっちの教室に行くから。
なんで?
なんででも。私が行くまで待っててね。
ということで、待っていた。
明日からは冬休みだし、通知票を受け取ってしまえばとっとと帰りたくなるのが人情だった。
ただし、お目当ての人がいる場合は、その前にひとつイヴェントをこなしていた。
教室の後ろの棚は、やがていつものようにひっそりとした。
残っていた同級生の姿もだいぶ少なくなった。
校庭側の窓から下を見ると、帰っていこうとする生徒の姿はもうまばらになっていた。
人が減ったためか、教室は冷え込んできた。
温かい飲み物がほしくなってきた。
購買の前にある自販機で、と思っているうちに、帰り支度を済ませたきみがやってきた。
ループは避けられた。
きみは見慣れない包みをかかえていた。
お待たせ。
お待たされ。
それって、カタカナで言えば外国の人みたいかも。
カタカナで言えって・・・?。
カタカナで書かれた字を読むみたいに、言うの。心を込めて。
・・・オ、マタ、サ、レ?
フランス語?
きみはクスクス笑った。
きみが笑うと、ぼくはやっぱり嬉しくなった。
やっと静かになったね。
ホント、やっとだ。
1時間も待たせるつもりはなかったんだけど、ごめんね。
確かに。
通常なら午後の授業が始まりそうな時間だった。
とはいえ、待ったかいがあって、教室にはきみとぼくの他に誰もいなくなっていた。
帰り道が一緒だったらいいのにな。
いいな。
そうだったら、待たせなくてもよかったのに。
だな。
一緒に帰れる、とは言いがたいが、学校から数分の交差点までは同じルートだった。
そこまでは、何度も一緒に歩いた。
でも、そこからは別々の方向になってしまうのだった。
いつものことながら、ひとことが短いのね。
個性。
はいはい。
きみはかかえていた包みをぼくに差し出した。
明日の約束、申し訳ないけどキャンセル。
え?
親戚に不幸があって、それで・・・。
ああ、そういうことか。仕方ないよ。大丈夫?
私は、ね。
ご家族の誰かはかなりショックを受けているのだと思った。
だから、今日渡しておきたかったの。はい、メリー・クリスマス。
ぼくは包みを受け取った。
ありがとう。大きさの割に軽いけど、何かな?
きみは少し眉根を寄せながら何か考えているようだった。
あなた、確か寒がりだよね。
かなりキテるよ。
今日って、とても寒いもんね。
そうだな。ぼくにはだいぶしんどいよ。
「しんどい」か、だったら・・・。
きみは両手をぼくに差し出した。
ごめん。メリー・クリスマス、やりなおす。さっきのはNG。
だから一度返して、ときみは言った。
そういうことなら。
ぼくは指示に従って包みを返した。きみの指示にはとても忠実だった。
もう帰り支度はできてるの?
ああ、あとは鞄を持つだけだよ。
じゃあ、すぐに鞄を持てるようにして。
ぼくは指示に従って、鞄を机の上に置いた。
それを見届けると、きみは自ら包みを開封した。
中から出てきたのはマフラーだった。ベージュ色の。
ぼくはようやく理解した。
これって・・・。
いいからちょっと、もっとこっちに来て。
ぼくは指示に従って、きみに近寄った。
きみはぼくに、ベージュ色のマフラーを巻いてくれた。意外に長いものだった。
うん、私にしては上出来。
きみは両手を腰に当て、アキンボ(akimbo)のポーズをとった。
あたたかいでしょ?
うん。すごくあたたかい。
ひと編みごとに、愛情がこもってるからよ。
ぼくはきみの言葉は冗談ではなく本気なのだと感じた。
なんて嬉しい言葉なんだろう。
きみは自分で言っておいて、ほっぺを赤くしていた。
・・・つっこみ待ちだったのに。恥ずかしいじゃない。
感激してたんだよ、とっても嬉しくて。
きみもぼくもしばらくもじもじしてしまった。
気を取り直して、きみは言った。
せっかくだから、今日から使って。
ではあらためて、メリー・クリスマス。
ぼくはマフラーの暖かさとは関係なく、ひどく赤面した。
ありがとう。でも、ぼくは持ってきてないぞ。
持ってきてたらびっくりしちゃうよ。・・・あれ?
どうかした?
きみは巻いてくれたマフラーに手を伸ばして、ちらちら見ていた。
あちゃあ。
あちゃあって、何が。
ぼくもきみが見ていたあたりを見ようとした。
ダメ。今は見ないで。
見るのは例の交差点で解散してからにして。
なんでだよ?
恥ずかしいから・・・。
ん?
ぼくは意味が分からなかった。
さっき上出来なんて言っちゃったけど、よく見たら何箇所も失敗してる。
一日早くなってけっこうあわてちゃったからなあ、ときみはつぶやいた。
ぼくは気にしないよ。おかげで十分寒さをしのげそうだし。
ダメ。なおす。
きみは少しふくれていた。
ねえ、明日は無理になっちゃったけど・・・26日はどう? 空いてる?
ああ、大丈夫だよ。
じゃあ、場所と時間は同じで、26日に延期ね。
分かった。
その時に、必ずそれ巻いてきてね。
もちろんさ。
なおすから。必ずよ。
いいって。そこまでしな・・・
絶対、なおすからっ。
・・・分かりました。よろしくお願いします。
よろしい。それまで預けておきます。
ぼくからのプレゼントはその時渡すよ。
よろしい。それも預けておきます。・・・あら?
今度はどうした?
巻いたとき、毛糸くずがついちゃったみたい。
取ってあげるから、少しかがんで。
ぼくは指示に従った。
これくらいでいいかな?
きみはぼくの唇を、きみの唇でふさいだ。
この日は予想外のことばかりだった。
これも、預けておきます。
これもって・・・。
26日に、ちゃんと返してね。
そういうと、きみはにこりとした。
きみには到底かなわない。
ぼくはそう思っていた。
さ、あなたにマフラーのだめ出しをされないうちに帰らなくちゃ。
だめ出しなんてしないよ。
ぼくは巻いてもらったマフラーの端の部分を手にとって、近くで見ようとした。
だから、ダメ。私がいなくなってからにして。
けっこう、恥ずかしいんだから。
そう言われても、きっとぼくにはどこが失敗なのか分からないと思ってた。
帰る。
はい。
きみのおかげでぼくは身も心もぽかぽかしていた。
ふたこと、みこと、会話をするうちに、例の交差点まですぐについてしまった。
じゃあ、またね。
うん。26日に。
きみは3回ほど軽く手を振ってくれた。そして、小走りで帰っていった。
ぼくはきみを見送ったあとでも、マフラーをまじまじと見たりはしなかった。
いろいろ預かってるから、忘れないようにしなくちゃな。
ぼくはそう思いつつ、家路についた。
最後に預かったものは、倍にして返そう。
少なくとも、3倍返しで。
16/10/30 Sun. ~ 16/12/22 Thu.