幕間 真田裕子という女
最近の私は日々の充実を強く感じていた。
誘われて何となく入ったアイドル事務所。
アイドルになった理由を問われたなら、その答えは単なる暇潰しの小遣い稼ぎだ。だがその場所の熱量は私が当初抱いていた印象を覆すには充分なものだった。
各々事情に違いはあるだろうが真剣に物事に打ち込むということにぶれない人間ばかり。
何となく日々を生きてきた私にとってその有り様はとても美しく見えて、私もそうありたいと思うのに時間はかからなかった。
それに好きな人も出来た。
出逢いはただの同居人、偽りの恋人。
ただ初めて会ったその日から彼女に惹かれてはいた。
一緒に暮らすことになったのが彼女で良かったと心から思った。
その想いは日を追う毎に募り、今では彼女以外と偽りだろうと恋人を演じるなど出来そうにないくらいにイカれてしまっている。
彼女、蒼井夕陽の隣に居続ける為にもアイドルとして活躍できるように頑張うと思う。不純だろうと真剣に物事に打ち込むには充分な理由でしょう?
あぁ………だから、今は過去の汚点にかまけているような暇なんてないというのに
「あ、美咲。ふふ、この間は全然話せなかったから一緒にお茶でもどうかしらぁ」
なんでこの女が私の大学の前で待ち伏せているんだろう。
「…………なんで私の大学がわかったんですか?」
「ふふふ、教えて欲しかったら一緒に喫茶店にいきましょう?大学初年ってことはこのあたり来たばかりでしょう、良い店教えてあげる」
「結構です。あなたと話す事も暇も気持ちもありません」
「あら、つれないわねぇ。あの頃みたいに佐藤先生♡って呼んでくれても良いのよ?もっとも今は真田だけどね」
そう言って目の前の女は薬指の指輪を見せつけてくるが、自分でも意外な程どうでも良かった。
最初に見かけた時こそ動揺してしまったが今思い返してみればトラウマという石ころに躓いたようなものだ。
冷静になってみてみればこの女の嘘臭い笑顔にはもう何の感慨も沸かなかった。
「折角ですがこれから用事があるので失礼します。急いでいるので」
「ええぇ、ならいつなら良いの?」
「未来永劫忙しいので二度と話しかけて来ないでください」
そう言い捨てて私は今日のレッスンに向かう。
折角急いで課題を片付けたのに余計な時間を割くなんて余裕は今の私にはないのだ。
「残念ねぇ、ならあの娘に相手してもらおうかしらぁ。アイドルの蒼井夕陽ちゃん♡」
足が止まる。
あの時は会話に出さないから気付いていないのかと期待したけどしっかり認識されていた訳か。
くっそめんどくさいけどマイハニーにちょっかい出さないように釘を刺して仕舞おう。
ごめん、蒼井。間に合うかと思ったけどリハーサルはやっぱり遅刻しそうです。
「相変わらず甘味が好きね。そんなにコーヒーに砂糖入れて味がわかるのかしらぁ」
「さっきから気にはなってましたけどその頭悪い話し方何とかならないんですか?以前はまともに話してましたよね?」
「ふふふ、今の旦那様がこういう可愛らしいのが好きなのぉ。プロ野球選手なのよ、凄いでしょぉ?」
この世に無駄な時間というものが有るならそれは間違いなくいまこの瞬間だと思った。
確か二つ位上の学年に野球が得意な先輩がいるという話は聞いたことがある。なるほど、この女の生徒に手を出す悪癖は私と出会う前からか。
「ご結婚おめでとうございます。話がそれだけなら私達に関わりないところで末永く幸せに暮らしていただきたいんですが?」
「私達、ねぇ。やっぱりあなたがネットで噂になってる蒼井夕陽の恋人の新メンバーなんだ?」
漏れそうになる舌打ちを我慢する。ご苦労なことにわざわざ検索したらしい。
どうせ公開される情報だから構いはしないが気分は良くない。
「前から思ってたけど彼女って私と顔の造りが似てるわよねぇ。やっぱりあなた、私に未練があったのかしらぁ?」
「チッ…思い上がらないで貰えますか?蒼井と比べたらあなたなんて不出来な贋作ですから。話す内容がそれだけならあなたの痛い勘違いです」
舌打ちは我慢出来なかったが水をぶっかけなかった私の忍耐力を誰か褒めてほしい。
あぁもうこんな女を好きだった小学生の私に思いっきり拳骨したい。
「悲しいわねぇ、昔はあんなになついてくれたのに」
「心にもないことをいう為に誘ったのならもう帰りたいんですけど?」
本題に入る気がないならこれ以上の時間の無駄は耐え難い。今後も付きまとって来るようなら司法の力で半径何メートルかに近寄れないようにして貰おう。
そんな思いで席を立つ。
「ねぇ、なんで私、あなたの居場所がわかったと思う?」
「ストーカーの手口に興味はありませんが、確かにそれは気になりますね。今後の憂いを絶つ為にも是非教えていただきたいです」
「この近辺で一番偏差値の高い大学で待ってただけ。折角卒業の時に呪いを掛けてあげたのに相変わらず無自覚に才能をひけらかしてるのね。あのまま地元の田舎に引きこもっていれば誰も傷付けずに済んだのにねぇ…………貴方の恋人も可哀想にぃ」
「努力もせずに人を羨むだけの女が解った風なことを言わないでください。話すことももうないなら失礼します。金輪際私達に関わりないでください」
レシートをとって席から離れる。
これ以上この女と話していると本当に水をぶっかけてしまいそうだ。
私の背中でまだなにか喋っている女に構わずに店を出た。
願わくば二度とこの女と人生で交わることのありませんように。
「なにも解ってないのは貴方のほうよ。自分の才能に気付きもせずに周りを傷つける。…………ふふ、電話番号は変わっていないから罰が欲しくなったなら私に連絡して来なさい?また呪いを掛けてあげる」