幕間 白鳥菜月という少女
「ナツキさんですか。どうしました?キック関連の日程調整ですかね?」
レッスンが終わり皆が帰った後、私は一人事務所に戻った。
マネージャーの朝比奈さんがデスクワークを止めて私の方に向き合う。
「そういう訳じゃないけど、少し聞いておきたいことがあったから」
「ああ、ミサキさんのことですか。気になることがあるなら本人に聞けばいいんじゃないですか?マネージャーを通して個人情報を得ようとするのはどうかと思います」
朝比奈さんは私の問いをはぐらかすような軽い口調で冗談めかす。
アオイは面白がって慕っているが私はこの人の雲のようなつかみ所のなさが少し苦手だった。
「なんで彼女をグループのメンバーに入れたんですか?あれならソロで充分過ぎる活躍ができるでしょう?」
「アイドルらしからぬ発言ですね。グループ活動はソロの下位互換じゃありませんよ?そもそも『パリカー』はミコトさんが抜けてからバランスが悪くなっていましたからね。ネット上のニックネームが山猫と暴君と王子ですよ?後衛職の歌姫くらい入れないと魔王を倒せませんよ?」
「何の話をしてるんですか……そもそも私が問題にしているのはそういうことじゃないです」
そうだ、新メンバーが入ること自体は問題ない。中心人物の一人が抜けたことでアオイに掛かる負担は大きくなってもいたし、二足のわらじの私と彼女にべったりのアヤカではフォローできないことも多かった。
だからそれ自体に問題はないのだ、だが性急なセンターの変更や百合営業を名目とした同棲による二十四時間の指導体制、これではまるで…………
「つまりアオイさんを噛ませ犬にしていることが不満な訳ですか。抗議してくるのはアヤカさんだと思ってましたが、存外ナツキさんも仲間想いですね。初めて会った時は一匹狼みたいでしたが人間変われば変わるものですね」
私が言いにくいことを朝比奈さんははっきり口にする。
因みにアヤカが抗議に来ないのはアオイとミサキが同棲していると朝比奈さんがばらしたせいでパニックだったからである。
「私のことはいいんです‼私はキックボクシングのPRの為にアイドルになった人間です。どんな扱いでもそこに注目が集まるならそれでいい。だけどアオイはそうじゃないでしょう‼」
確かに私はこの業界に入ったときは一匹狼を気取っていた。
アイドルなんて頭が空っぽの安っぽい存在だとも思っていた。だけど努力の質に格闘技もアイドルも優劣なんてないと教えてくれたのはアオイだった。
歯を食い縛って身体や技の完成度を高める忍耐力、それを笑顔で楽しむ精神力、自分の未熟を許せない克己心。
努める力が四肢を生やしたように真摯に日々を生きるその姿。
同い年の女の子を尊敬してしまった敗北感はあったけどそれよりも憧れが勝ってしまったのだから仕方ない。
「アオイさんも大概ですねぇ、たまにいるんですよね天然の人たらしって。是非ともその影響力をミサキさんにも発揮して欲しいものです」
だから平然と彼女を当て馬扱いする朝比奈さんを受け入れることが私にはできない。
「彼女、ミサキの可能性とか将来性は理解出来ます、でもアオイを巻き込む必要はないでしょう?さっきも言ったようにソロで活動させればいいじゃないですか」
「一年という所でしょうね。ソロで活動した場合のミサキさんのアイドルとしての寿命は」
いつの間にか朝比奈さんの表情は真剣なものに変わっていた。思わず息を呑む私に朝比奈さんは言葉を続ける。
「あれほどの素材じゃないにしても稀にはいるんですよ。アイドルになる為に生まれたような娘って。だけどどんなに才能があっても彼女はまだただの天才です。アイドルの業は周りのサポートなしに背負いきれるほど軽いものではありません、むしろその才能の分だけ重くのし掛かるものです」
朝比奈さんのいうことが理解できない訳じゃない、だがハイそうですかと納得はできない。
少なくともアオイ達と一緒に『パリカー』で築いたものはそれほど軽いものじゃない。
「…………朝比奈さんはアオイのことを買っていると思っていました」
「心外ですね。マネージャーとして正当かつ真っ当に評価していますよ?そもそも研磨というものは素材より硬いもので行わないと効果が望めないものですからね」
そういえばアオイは時々朝比奈さんのことを銭ゲバ現実主義者とからかうことがある。
その軽い口調から適当に聞き流していたけれどあの娘は意外と人を見る目があるんだった。
「アオイさんには原石を立派な姫に変える魔女の役割を期待しています。彼女に感化されたアヤカさんの例も有りますしね。たとえそれで潰れてしまったとしてもミサキさんにはその価値が有りますから」
「……………………マネージャーの考えはわかりました。だけど納得はしてないし、出来ません。アオイとミサキが衝突するようなことがあれば私はアオイの味方をすると思います」
「それでいいですよ、副リーダー。芸能界には様々な思惑が渦巻いてますが詰まるところ大事にすべきは自分の気持ちです」
「失礼します、仕事中に邪魔してすみませんでした‼」
多少扉を閉めるのに力が入り大きな音を立ててしまったのは、まぁ仕方ないだろう。
「切磋琢磨って現実にはまぁ難しいですからねぇ、期待するしか出来ないのが裏方の辛い所ですね」