心の声が無視できなくなったら。
ある日、私は突然会社を辞めた。それは本当にある日、突然起きた発作のようで私を動けなくした。いつも通り出勤するため駅には行ったものの、目の前に無機質に詰め込まれていく人の波、文字通り人ごみを前に-そうそれはいつもの光景であるはずなのに-私は一歩も前に進めなくなった。その列車にさえ乗り込んでしまえば、いつも通りの時間に最寄駅につき、始業時間十分前に、いつも通り机に向かっているはず・・・だった。
でも私はその日、そうしなかった。まるで自分の中の誰かとすでに打ち合わせをしてあったかのように、私はその黒々とした人ごみの塊を感情のない目で一目し、一瞬目を閉じ、乗る予定だった電車を見過ごした。早まったことをしたと思ったかと聞かれれば、答えは、NO。それどころかその瞬間、私を襲ったのは途方もない快感だった。きっと、私はずっとそうしたかった。つまり、満員電車になんか、乗りたくない。暗い表情の人々と一緒に、電車で缶詰状態にされたくない。生活費のためだけに、仕事をしたくない。毎日毎日、仕事ばかりしたくない。先の見えた日々を、送りたくない。そうそれらを全て、断ち切りたかったのだ。
私は会社に一本の電話も入れなかった。ただ私が事故に遭ったなどと迷惑を掛けたくはない、というかこれ以上面倒なことはごめんだったので、同僚にメールを一本だけ送った。「今日で会社を辞めます。お世話になりました。」自分の意思でそこにいないことを伝えるために。それでも何の罪悪感もわかなかった。辞表はいつまでに出すとか、引継ぎだとか・・・。そんなするべきはずのことなんて、この期に及んで全てもうどうだって良かった。私を助けてくれなかった会社に対する礼儀よりも、私にはもっと差し迫ってすべきことが見えていたのだから。自分自身を救い出すこと。
私は、鬱・・・ではなかったけれど、かなりそれに近い症状になっていたと言える。病院には行かなかったので正確にはわからないが、人には感覚というものがある。全てのやる気を失っていたし、かろうじて仕事はしていたが、日々の中で会社と一人暮らしの家を往復する以外の娯楽的な要素は、一切なかった。そのうち夜も眠れなくなり、眠れても睡眠はいつも浅かった。そんなだから翌朝も、目覚めから気分が乗らない。そうそれはきっと、正しいタイミングで、もしかしたら自分で自分を救えるギリギリのタイミングで体が本能的に受け取った、警告だったのかもしれない。
仕事は、営業事務をしていた。そこそこ大きな求人広告の会社で、事務作業以外にも、小さな広告枠を作成する機会などもあり、コピーを考えたり写真を選んだり。「ただの事務とは違うから」くらいの理由で決めた仕事だった。当時は留学から帰ったばかり。それまでの飲食業から抜けて、違う職種に就きたい、でもたいして何のキャリアもない私にとっては最適な職業に思われた。留学だって、“遊学”と親戚には言われながらも「英語は必須でしょう。」「これからは世界的な視野が必要だから!」と説得し飛び出した割りに、結局英語はそこそこ、周りの予測通り“遊学”して帰って来る結果に。そう、いわば私は、いつも「ここではないどこかへ。」「人とは違う自分になりたい!」と切に願いつつも、結局「その他大勢」の枠に難なく収まってしまう、いたって普通の女の子だったのだ。
仕事の方は最初は覚えることも多くて刺激的に感じられたが、結局一年もせずに慣れた。上を見てもたかが知れてる。そんな会社の中でも私は自分の目の前のことは文句を言わずにやった。理不尽なことはそれなりにあったが、他と比べようがないのでそんなもんだろうと受け入れていた。拘束時間は長く、(この不景気にそんな求人の需要もないだろうに。)と内心思いながら、平日の夜も会社から直帰の毎日。最後の方にはこれだけ働いたところで、実際私の代わりはいると言外に上司に言われ、静かに傷付いた。週末は疲れて土日どちらかは丸一日家から一歩もでないことも多かった。仕事もそうだが、私は時に満員電車の方が応えた。あの絶望的な空間に、もう一瞬でも乗っていたくないと何度も思った。燃焼ではなくただ消耗し続ける日々が、そんな風に約五年も続いたことになる。
その求人広告の会社に就職し、早六年が経ちすでに三十二歳になっていた。独身で、恋人もなし。二十代半ばには留学時代に出会った、ヨーロッパ人のボーイフレンドがいた時期もある。でも多くの国際恋愛のカップルがそうであるように、留学が終わるタイミングでその関係も終了。しばらく遠距離が続いたが、結局向こうに他に好きな人ができたようで、自然消滅を余儀なくされた。その次は、友人の紹介のようなもので知り合った人と付き合った。だけど、日々を明るく照らすでもなく、その恋は静かに始まり、派手に盛り上がるでもなく、静かに終わった。周りが惚れた晴れただと恋話で盛り上がる中、自分には恋愛能力が欠如しているのでは・・・と人知れず悩んだりもした。その最後の彼と二十九歳で終わって、すでに三年。私は恋愛をしていない。
羅列してみるとなんとなく救いようのない感はするが、そんな人生もあるだろう。それでもなんとか前を向いてやってきたのだ、今朝までは。そして、今朝。その満員電車を前に私の何かが、終わりを告げた。
いつも乗るはずだった電車を目の前で見送り、まず私がしたこと。ホームの駅に座ることだった。少し座ったら落ち着いたので、自販機でホットコーヒーを買って座って、ちびちびと飲んだ。甘いコーヒーの糖分のおかげか少し活力が戻った。「もうこれで会社に行かなくてもいいんだ!」そう実感したら、私はまたとんでもない快感に襲われた。私は自分の意思で、自分の今日を決めたのだった。それは大きな決断であろう。でも会社に私の代わりは何人もいるが、私にとって私の代わりはどこにもいない。自分の人生に許可を出すのは、他の誰でもなく自分だということ。初めて、感覚で本能的にその意味がわかった、この時がその最初だった。
大きな決断を下したものの、まるで孵化したての蝶みたいに、私はまだほやほやだった。ただ会社を唐突に辞めた。言葉にしてみれば、それだけのこと。ただそれを私は、清清しく感じていた。そして何より「正しい!」と胸を張って信じられた。そんな風に私自身を味方に付けてしまえば、実際怖いものは何もなかった。会社の先輩と人事からあの後電話があったが、「辞めることにしました。」とだけ言ったきりだまりこんだらしばらくして、退職後の書類とやらが封筒で送られてたので、手続きをするだけだった。
さらに30歳を過ぎてまだひとりぼっちでいる娘、というのは両親からしたら心配の種だろう。その娘がさらに仕事まで辞めたと言う。言われた側の気持ちは想像できないが、私はただ淡々とその事実を久々に帰った実家の食卓で、述べた。仕事を辞めて数日後だった。今までなら心配を掛けたくなくて、次の仕事が決まってからの報告になっただろうが、今回は違う。正しいタイミングで正しいことをしたと自負があったので、すぐに伝えた。まるで辞令を発表するように。だって何を言われても私は平気だったし、何より心配される要素がなかった。だって、自分の道は自分でどのようにも決めていい。昨日まで当然だと、それしかないと思っていた場所から、自分を引き抜くことさえできると。そう気が付いてしまったから。そして、そんなことができる自分は自分の望む場所に自分を連れていくことさえできると、まだ何も見えていない中でも希望を持ち始めていた。そんな私には恐らく有無を言わせない強さがあり、両親にもそれは伝わったのか、半ば呆れて笑いながら「これからの予定は?」とだけ聞いた。
何年も特に娯楽もなく働き詰めだったおかげで、ある程度の貯金はあった。この時ばかりはがむしゃらに働いた過去の自分に感謝をした。仕事を辞めたからといって心までみじめにならなかったのは、その蓄えのおかげだろう。最初は仕事で忙しくして会えなかった友人と近況を報告し合ったり、ショッピングをしたり、習い事をしたり・・・。時間がなくてできなかったと思っていたことをした。好きなことだけをする。そう、それらが自分で自分に意識的に下ろした、二度目の許可だった。だけど、実際数回やってみて、それ以上続かなかった。つまり、時間がないからできないのではなく、たいして好きなことではなかったのだろう。でもま、それも実際行動に移して初めてわかったことだ。私はそんな風に、自分に様々な行動を許可するようになった、心の望むまま。「え、でも。」「今は無理・・・。」などを言わず、少しでも心に閃いたことは徹底的に行動に移した。周りから見ればその時期の自分は、仕事を失って焦って自分探しをしている三十路に見えただろう。かなり、痛い。でも内心は違ったので、私の気持ちにはゆとりがあった。私は自分を解放したてで、その新しい自分に快感を覚え始めていた。
ただ、そんな私の心境はなかなか周りに理解を求められない感じだった。「そうは言っても、食べていくには働かないと。」「そんな遊んでばっかでいいね。」その心の正体は・・・嫉妬だった。人が私の生き方に嫉妬している・・・!それを肌で感じたときの、快感といったら!自分が本当はしたいことを人が軽々やってのけるのを目の当たりにすると、人はそうやって嫉妬する。その感覚は容易に想像できた、なぜかって。もちろん、今までは私が嫉妬する側だったからだ。「そんなに好きなことばっかりしていいわけがない。」「でも」「だって」そう、言い訳のオンパレード人生を生きてきた。でも、そんなものだとやはり私は思っていたのだ。そう、今までは。
数ヶ月も遊んで暮らすと、さすがにそういう暮らしにも飽きてきた。そこで思い立ったのが、旅行にいくことだった。それこそ、『時間がないとできない』ことの極みじゃないか。思い立ったが吉日。そんな風に弾みのついた私にとって、その思いつきを行動に移すのに、時間はいらない。出発は10日間後に決めた。行き先は、ブラジル。一番日本から遠い国。
今の私は本当はもっと早く出てもいいくらい勢い付いているのだが、何せ行き先はブラジルだ。少しの準備は必要だった。海外のATMで引き出せるカードを作り、アメリカドルのトラベラーズチェックを五百ドル用意、後は黄熱病の予防接種を一番近いスケジュールで受けられる検疫所で受けた。旅人のバイブルと呼ばれる、分厚いガイドブックを買い、カフェのカウンターで読んだ。窓ガラス越しには営業中、お得意先へ向かうのであろう人たちがせわしなく行き交っている。私にはもう、関係のないこと。私は仕事を辞めた。そして、10日間後にはブラジルにいるんだ!全て自分で決めたことだとはいえ、その自由なまでの開放感に、また恍惚とした気分に襲われる。
続く。