第八話 駄犬でいいじゃないですか。駄犬がいいじゃないですか 。( by リーゼロッテ )
現場は王族の庭―---ドッグランコート。
被害者ダシバが、背中の分厚い肉と皮を掴まれ、みょーんと吊るされております。
犯人はロットワイラー一族。
しかし周囲の登場人物は誰も、犯人を責めようとはしません。
むしろ彼らはすっかり興奮して、
『殺れ、ロットワイラー!』『絞めろ! ロットワイラー!』『咬んでしまえ! ロットワイラー』『毛を毟れ! ロットワイラー!』
と吠えたてます。
なんという冤罪裁判!
ダシバはただ、とてもダメな子なだけなのに!
わんわん吠え立てる中には、『有罪!』『死刑!』『爪切りの刑!』という声まで混じっています。
中央騎士団団長である、超巨大犬ダリウス様が前足をずいと出し、グロウリー様に近づきました。
『やめろ、ロットワイラー。貴兄はそれをリーゼロッテ様の愛犬と知っての所行か』
「愛犬? こんなものがまともな犬であるものか。
お前だって大陸一つ分の働きをしてようやく得られたブラシを、こいつは何もせずに享受している。
本当にこいつが女王様に毎日に侍る様子を、我慢して見ていられるかな?
――――我はこやつに身の程を思い知らせてやるまでよ」
『………………弱い犬に吠えたてるのは、犬としていかがなものか』
少し間がありました。
ダリウス様!
「ふん。弱さを盾にする男ほど、鍛え直してやらないといかんのだ。まずは我の牙で底辺を這い蹲ってもらおう。どうせ我がやらなくともこの外見だ。遅かれ早かれ、向こうの大陸で仕事をしている生真面目なシバ一族に抹殺される。今死んでも同じだな」
シバ一族。初めて聞きました。
柴犬の姿を持つ一族も居たのですね。
確かに……これはシバ一族にとっても由々しき問題かもしれません。
ですが、ダシバは本当にただの犬なのです。
私が躾に失敗して駄犬となった、ただの豆柴なのです!
見てください。
ビビってお漏らしをしております。
ですがそれ以上に、周りの怒りが理解できなくて、ただあんぐりしているだけではありませんか!
(どうやったら、彼らに理解していただけるのでしょうか)
女性陣は、難しい顔をする私を更に構い始めます。
「リーゼロッテ様。そんなことよりも、ほら。髪を綺麗に編み込みましたよ」
「スミレ色のレースのリボンを多めに使ってみました。今流行の骨柄もアクセントに入っています」
「可愛らしいですわ。次はこのリボンも……」
頭がだんだん重くなってきました。
ですが、今の私には全く意味がありません。
テレサさんが私を心配しておりますが、解決策は見つからないようです。
更に悩んでいると、コートの上ではマルス様が負傷した後ろ足を守りながら、ひょこひょこと歩いてきます。
彼はグロウリー様を見上げて発言しました。
『申し訳ないけど、駄犬も僕の警備対象なんだ。余計なことをしないでくれる?』
「偉そうなことを言うな、チビ。先ほど我に負けたくせに」
『小さいからって舐めないでよね! でかいからって偉そうに。これは僕の使命だよ!』
「その命令は宰相のものであろうが。我は我に勝ったもの、そして女王様の命令以外聞く気はない」
『ならダリウスさんの言うことを聞きなよ!』
『直には戦っていないからな! 今日は関係ないな!』
『ならばピットブル卿は……!』
マルス様がバーバリアン様を振り返ります。
彼は木の下で、マゾ様の横に丸まっていました。
彼は顎を前足に乗せて、
『犬? それは子豚だろう? 餌を助ける義理などないな』
と、まるで聞く気がありません。
高まる『駄犬を絞めろ』コール。
(……もう、堪えられません!!)
私はサンルームのある部屋を飛び出しました。
「リーゼロッテ様!?」
「お待ちになってください!」
犬に変わったテレーゼ様たちを扉で交わし、私の荒らされた寝室に飛び込みます。
片づいてはいますが、天蓋やベッドシーツが牙と涎でボロボロでした。
私は、私の犬をこんな姿にするわけにはいけないのです。
バルコニーに出て、私はバルコニーの縁によじ登りました。
そして、地面に向かって延びる柱に抱きつき、ずりずりと降りていきます。
『「リーゼロッテ様ー!」』
女性陣が恐慌状態になった声が聞こえます。
その声に、ドッグランコートの犬人たちが気がつきパニックに陥りました。
『リーゼロッテ様が落ちる!』
『女王様をお助けしろ!』
『誰か、マットを!』
わんわんわんわんわん!!
たくさんのわんこがバルコニーに押し寄せます。
グロウリー様も、掴んでいたダシバを放り出して走ってきました。
彼らには、私の意見を聞いていただかなければいけません。
このまま降りても、毛皮にもみくちゃになって終わる気がします。
私は、スカートをボロボロにしつつ、柱にへばりついて叫びました。
「おすわり!」
「「わん!」」
見事な連携です! 皆さんしっぽを振って座り込みました。
……これで静かになりましたね。
後は降りるだけです。
そう思って、下を見ました。
――――高すぎです。
高所恐怖症ではありませんが、これは許容範囲を超えています。
確かここは、四階でしたでしょうか。
視界がぼやけ、手足が固まり、冷や汗が流れてきます。
「リーゼロッテ様!」
レオンハルト様が人の姿になって走り寄ってきます。
両手を広げて私を拾おうとしますが、とっさに彼にも「おすわり!」と命令を出してしまいました。
麗人は正座をします。座る姿も麗しい。
もうここで、述べてしまうしかありません。
「皆さん動かないでください!」と、セミの姿のまま怒ります。
ちなみに私も動けません。
「皆さん、私の犬に何をするのですか!」
「……何って、順位をつけているだけなのでございます」
弱々しく反論するグロウリー様は、土下座です。
あのナイスミドルさんは、多少は悪いことをしたという自覚があるようです。
「いいですか? 弱いものいじめはいけません。見てくださいあの姿を」
両手両足が使えないので顎で指し示すと、噴水の横で「降参ポーズ」をしてゴロゴロ転がっているダシバに、視線が集中します。
「降参した犬をいじめてはいけません!」
『本当は降参したふりをして、バカにしているかもしれないですよ?
そもそも犬同士で気が済むまで戦わせない王は、えこひいきがひどいと思いませんか?
他の貴族は、それを見て愛されないと傷つきますよ?
さらに贔屓された犬が、他の犬と喧嘩もできずに駄目なままなのは、王の怠慢とさえ思えませんか?』
バーバリアン様の皮肉に「それはあくまで犬人の一面ではありませんか」と、私は反論します。
「昔はもっと、多様な評価があったと聞いております」
ほんの数十年前。
昔王族がたくさんいらっしゃった頃は、様々な分野でそれを好まれる王族とわんこたちの組み合わせがあったそうです。このような順位付けも、戦いだけでなく、多くのジャンルに分けて行っていました。
様々な技術と才能を競い合う祭典、【天下犬競争大会】。
これらが、基準になっていたとか。
「闘犬として輝く方もいますし、救助犬として活躍される方もいます。
片や様々な職業犬や、癒しの愛玩犬や子守犬がいて当たり前です。王族が足りないのなら、私が皆さんの活躍を全て見に参りますいきます。もっと褒めたり叱ったりいたしますから、どうか力だけで己の価値を狭めないでください。
……ロットワイラー卿」
「は、はい!」
私の一言に、グロウリー様が顔を上げます。
「力で勝ち残らなければ、私に近づけないなんて考える必要ないのです。いつだって、私は犬人を断るつもりはありません。もっと自信を持ってください」
「リーゼロッテ様……」
彼は感極まって涙を浮かべております。
ここで私は、一番言いたいことを伝えます。
「―-――それでもダシバに嫉妬されると言うのなら。私は【駄犬枠】を作ります」
『「!?」』
目を見張る彼らを見て、「そうです、【駄犬枠】です」と私は続けます。
「駄犬の理想をお伝えします。
まずは誰にも喧嘩を売れないこと。ビビりであること。役に立たないこと。飼い主に吼えないけれど泥棒にも吼えないこと。しょっちゅう漏らすこと。常に降参していること。お腹を晒すのが得意なこと。お手・お座り・とって来いができないこと。ついでに頭は悪く一度言ったことは覚えられずジャーキーをしょっちゅう要求すること」
私が次々にダシバの特徴を例に語っていくと、わんこの皆様はどんどん青ざめていきます。
まさかそこまでひどいとは、思ってもいなかったようです。
当の本人は、降参ポーズに飽きて、その格好で居眠りを始めました。
そう。
私は気が付いたのです。
犬人の貴族の方の理想は【出来る】わんこ。
ピットブルすら戦闘が【出来る】わんこを理想とします。
だからこそ、どんな貴族でも、とても駄犬の真似なぞ出来ないのです。
「更に言えば、何かトラブルがあれば飼い主の後ろに隠れ、守って欲しいと思っている犬であれば最高です」
あ、今何人か、ショックで貧血を起こして倒れました。
救護部隊が回収していきます。
私の演説も気にしない、彼女たちの職業意識は実に素晴らしいです。
そして、そろそろもう、太ももと腕の力が限界です。
柱にへばり付くのは、もう……。
「素敵な犬人の皆さん。出来る犬人の皆さん。頑張っていらっしゃる犬人の皆さんを、私は尊敬し、愛しています。王族は皆、あなた方を愛していたのでしょう。
ですが、私、リーゼロッテ・モナ・ビューデガーは、駄犬も愛しているのです!」
私は叫びます。
私は愛犬の躾に失敗しました。
ですがダメシバは、ダメシバ。心から腹立たしいこともありますが、これでいいのです。
私はこの子を守ると決めているのです。
駄犬でいいじゃないですか!
駄犬もいいじゃないですか!
……うちの子は、駄犬がいいじゃないですか!
この世の駄犬飼いは、皆そう思っているのです!
「ダシバを妬んで攻撃するというのならば、駄犬になって来て下さい! 一緒に可愛がって差し上げます。ダシバと同じ、ダメな子として!」
ずるり、と手が滑りました。
体が重力に引っ張られます。
「「わん!」」「リーゼロッテ様!」「ご主人様!」
犬人さんたちとレオンハルト様たちが、慌てて私を受け止めようとすると、一陣の風が私の襟首を銜えていきました。
ふわりと地面に下ろされると、それは伏せをして私に畏まります。
マゾ・フォン・ボルゾイ様です。
ほっとりと優美な姿で、私をじっと見つめます。
「ありがとうござい……」
『リーゼロッテ様。さあ、感謝されるなら私に腰を下ろしてください。お礼は罵倒でもいいです』
「え……」
『この体型では椅子としは不安でしょうか? ならば』
彼は、月も霞むような美青年になりました。
亜麻色の緩やかにウェーブした髪に、亜麻色の瞳。服装も軍服ではなく、ヒラヒラとした優雅な服です。
そして繊細な美貌に物憂げな表情を浮かべ、ほっそりとした肢体を地面に投げ出して丸まっています。
「これならば、面積も広くなって安心ですね」
あ ん し ん な ど で き ま せ ん 。
「これ以上奴に近づいてはなりません!」
さあ! というマゾ様を押しのけて、レオンハルト様が私を抱きしめました。
思わずレオンハルト様にしがみついてしまいます。
そして文句をおっしゃるマゾ様には後日、踏んであげる約束をし、この場を収めました。
後ろの方で、他のボルゾイ一族の方が泣きそうな声で『あれが全部ボルゾイだと思わないでください! 本当にお願いします、お願いします』と懇願しています。
ええ、そうでしょうとも。
私は彼らに、同情と慈悲を込めた笑顔を送りました。
ダリウス様とマルス様を始め、狂犬騎士団の皆様は、茫然自失のわんこたちを誘導し、救護施設に移動させていきます。特に重症の方は、後日DOSD(駄犬恐ろしい症候群)を発症し、治るのに時間を要したようです。
一方で、テレサさんたちも降りてきて、この場は華やかな雰囲気になりました。
グロウリー様たちが、犬の姿になって私の元にやってきます。
『この度は大変なことをしてしまい、申し訳ありません……』
グロウリー様のほかに、ボクサー、ドーベルマンの当主も首を下げてお座りしています。
反省のポーズです。下からちらちらと、私の顔色を伺ってきています。
本当に今日は、大変な騒ぎでした。
ですがこの原因は、あくまで王族に構ってもらえない寂しさ。
私はこれから女王として、彼らをちゃんと見て、褒めて、叱って、指示を出していかねばなりません。
私は、しょぼんとした彼らに言います。
「反省されましたか? もう勝手に暴れたりしませんか?」
『はい……』
「これからは、ダシバは犬人のルールと別枠として考えられますか?」
『はい、あれは犬人とは違う生き物です。真面目に比較して考えた我がバカでした』
「ありがとうございます。分かってくださればいいのです」
ふと、私は頭の重みで思いつきました。
髪を留めているリボンを一本引き出します。
「グロウリー様、首をお貸しください」
『こうですかな?』
「そうです。はい、こんな感じに」
私は膝立ちをし、グロウリー様の首に、スミレ色のリボンをちょうちょ結びで巻きました。
彼は目をぱちくりさせて、恐る恐る前足で首のリボン触ります。
『こ、これは……!』
「私は首輪をもっておりませんが、あると落ち着くと言うのなら今、こちらを差し上げます。
――――我慢していただけますか?」
グロウリー様は「リーゼロッテ様の!」と、感動してくださいました。
他の二人にも同じように結び、彼らはうれし涙をこぼします。
他にも欲しい方には、後日首輪を用意してもらうと伝えましたが、彼らは「リーゼロッテ様のリボンが良い!」とおっしゃりました。
「私はこれからも、この国で暮らしたいと思っております。だからこのリボンを見て、寂しくて暴れたりしないでくださいね」
『『はい!』』
と、彼らは約束し、人の姿になりました。
お じ 様 た ち の 首 に リ ボ ン の ちょ う ちょ 結 び 。
自分でしておきながら、ダメージを受けました。
だって今日は、犬の姿ばかり見ていたのですよ!
……うっかり、貴族の当主の年齢は高めの方が多いという事実を、忘れておりました。
……さて気を取り直して。
私は木の下でニヤニヤと見ている、筋肉質な中型犬に声を掛けます。
「バーバリアン様も、ちょっとこちらへ」
『ふーん、私にも下さると言うのですか。変わり者ですね女王様は。つくづく甘く出来ている』
私を見下すように歩いてくる彼に、私は取って置きの骨柄のレースのリボンを頭から抜きました。
そして、
「貴方様は、こうです!」
『なっ、むっ』
と、バーバリアン様の口をレースのリボンで結びました。
つまり口輪です。
降参している犬ですらいじめるわんこの筆頭には、口輪が必要なのです!
これには流石のバーバリアン様も予想外だったらしく、拗ねて不貞寝を始めました。
これを見たグレース様が、珍しい旦那様の姿に、腹を抱えて笑っておりました。
拗ねたピットブル当主はダリウス様との決勝戦もさぼり、結局ダリウス様が序列一位となりました。
ダリウス・フォン・ウルフハウンド様は中央騎士団の団長という座も、実質犬人のリーダーである立場も、全て守られたのです。
そして、私の新たな寝室で。
なぜか超巨大犬が、私の足にすりすりしています。
『これで真の愛玩犬の座は私のものだ』と言って。
どうも彼は、人の足が好きな様子。
仕事も一切しなくなり、引きこもり犬の力を発揮し始めました。人間にもならず、ずいぶんと甘えん坊です。
これには、時折顔を出すレオンハルト様が「ずるい」と言い出しては喧嘩になります。
当然マルス様が仕事にならないと怒りましたが、「女王専属護衛犬」の座は譲ってやるとダリウス様に言われて、しぶしぶ退きました。いいのですかそれで。
そして、当の駄犬は。
この騒ぎの最中にヒマすぎてその辺の草を食べて、お腹を下して寝込みました。
今日は彼にとって命に関わる騒ぎだったわけですが、しばらくしてすっかり忘れてしまったようです。
ダメシバ……。
蛇足ですが、この日からダシバに新たなる一族名が与えられました。
『ダ・シバ』。別名、駄柴一族。
征服した大陸に駐在している、シバ一族が与えた称号です。
要は「一緒にしないでくれ」ということですね。分かります。
こうして、王宮における構われたいわんこたちの騒ぎも終わり。
私の王族としての勉強も、本格的になってまいりました。
義兄はレオンハルト様に腹黒と頭の回転を見込まれて、特別に小姓として様々なことを学んでおります。
私も負けるわけには行きません。本をたくさん読んでは家庭教師に質問する日々です。
そんな矢先。
大陸で一番大きな国、帝国の使者がやってきたのです。