【書籍第二巻発売記念】 どうぶつのかんごしさん in さまー 前編 (バド・ラック・ハイデガー視点)
第二巻発売記念番外編第二弾。第二巻&第二章の診療所での出来事。後編は来週末更新予定です。
俺は動物病院に就職した覚えはないんやで!
『ハイデガーもうだめだ。俺の残りの仕事をすべて頼んだ。死んだら骨は拾ってくれ。しっぽの部分は特に丁寧にな』
『陛下ぁ! 私は最期まで貴女様の香りを想っておりましたと……と、ちゃんと高級記録紙に書いておけよ。ハイデガー』
『かゆい! バド、俺の首の後ろの毛皮を刈ってくれー!』
『そこの便利な看護師。氷水はまだかのう』
「ふざけんなや、犬ども」
俺はバケツいっぱいの氷を、職場の片隅でうめく先輩と同僚たちにぶちまけた。
濡れた先輩犬の一人が文句をたれる。
『ハイデガー! 貴様は職場の序列をなんだと、』
「今なら俺のげんこつ一つで、宰相秘書官室の頂点に立てるわっ」
小うるさいラブラドール先輩の背中の毛皮を引きずり、風通しの良い日陰の一角に、蹴りを入れながら転がした。
はっはっはっはっ。
犬たちの荒い呼吸が宰相執務室に響きわたっている。
夏ばての証だ。
犬人は夏に弱い。
特にケンネル王国の首都の夏は、毛皮を持つ者には辛いほど湿度が高くて暑かった。
「もう一つたらいを作ったぞー」
暑さには比較的強いファラオドッグ上官が、ヘアレスドッグ上官と一緒に日陰に山積みにされてた部下を拾っては、冷たい水が湛えられたたらいに沈めている。
そうはいうものの、彼の息もいささか荒い。
犬人は純人よりも汗腺が少ないので、体温調節が難しいからだ。
たらいからあふれた水は、バウタイルの床を(そのために床にタイルが敷かれているとは知らんかったわ)流れて、排水溝に落ちていく。
人の姿で文官服の袖をまくったファラオドッグ上官が、怜悧な表情をしかめて大声を出した。
筋張った筋肉の張った腕から水をしたたる。
「ハイデガー氷が足りない! 食堂にトランシーバーで連絡して、ブラッドハウンド料理長に交渉しろ!」
「はい!」
「ついでにシー・ズーとバハニーズは限界のようだ。診療所に連れて行け」
「はい! 先輩たち、失礼します!」
「……くーん」
「くーん……」
俺は空のバケツに、真っ白いシー・ズー先輩と同じく純白のバハニーズ先輩をそれぞれ一人ずつ入れた。
どちらも白い小型犬。
なんとなく、いつも義妹関連で突っかかってくる白髪の少年を思い出す。
「あっちの方はよくもバテないな。流石は元隊長というか」
「ハイデガー早く行け!」
「はい!」
上司の声に、犬入りバケツ両手に吊したまま、俺は職場から飛び出した。
◇◇◇◇
廊下は死屍累々。
毛玉がぼろ雑巾のように転がっている。
少しでも日陰で風通しの良いところで休んでいるようだ。
「あー……もうお前ら無理して仕事すんなや……」
呆れて見回しながら走っていると、少し前を走っている文官の背中が見えた。
……正しくは、白いもさもさ大型犬の担いだ文官の服の裾と足が見える。
「……どうも」
「あ、どうも! 宰相秘書室の方ですね!」
横に付いて挨拶すると、文官は額に汗を流して、爽やかに返してくれた。
走るリズムに乗って、ボフンボフンともさもさ犬の体が跳ねる。
どうやら純人の青年のようだ。
就職して日は浅いと言う。
職場の近くで行き倒れた警備犬を担いで、診療所に向かっていた。
どうやら背中のもさもさ犬はオールドシープドッグ一族。
毛に覆われて顔が全く見えん。
モサモサシープドッグは第七部隊員だが、第一・第二部隊の激減で臨時で警備犬に配属されたらしい。
そして――――。
「彼は職場前の扉の担当になったんです」
「そして倒れたと」
「気がついたら一瞬でした……。もう担いでいくのは十人目です」
「俺は二十一人目や」
「流石に多いですよね」
「……毛皮と汗腺の功罪やなあ」
平行して王宮の廊下を一緒に走る。
年格好も近いので聞いてみたら、十八歳だそうだ。
外見よりもずっと年上だった。
癖のある赤銅色の髪を耳元で切りそろえている。どことなく気品のある顔立ちだ。
そして、旧ユマニスム王国領から出仕していると教えてくれた。
「僕もだよ。ほんの一年前は恐怖の対象だった犬人の兵士をこうして助けるようになるなんてね。全く想像付かなかったよ!」
「そうやろうなあ!」
二人で、暑い王宮の廊下を走っている。
今日は風が少ないせいか、とりわけ肌に当たる熱気がきつい。
額から流れ落ちる汗が、胸元の白い文官服を濡らしていく。
やがて、犬人の文句を言い合っているうちに互いに砕けた言い方をするようになった。
青年の名はザフトと言うらしい。
真夏のケンネル王国は、めちゃくちゃ暑い。
ただ日差しが強いだけではない。
問題は湿度。
じめっとした空気が、不快にまとわりつくのだ。
汗腺が少なく蒸れやすい犬には最悪の環境で、時期大量の病人を出し、あちこちで行き倒れの毛玉を量産する。
室内の日陰に居ても、暑さと湿気は確実に犬人を苛む。
朝起きたら重体だったなんてことは日常茶飯事。
景気が良いのは、たらい販売協会だけだ。
犬姿で色とりどりのたらいに浸かって休憩する、文官と騎士団員たち。
人の姿になっても魂の記憶のせいか、いまいち体感的に涼しくならないらしい。
なら犬の姿の方がたらいに入るし、水の節約になるそうだ。
「本当に難儀やなあ」
「人種として能力が飛び抜けている分、どこかでバランスを取っているのだろうね」
「それはあるかもしれん」
石造りのアーチや大きな窓辺には、すだれやひさしが立てかけられている。
程良い日陰を作るためだ。
熱い風が頬を過ぎる。
肺の中の熱気を押し出そうと、深く息を吐いた。
「この熱風。肺の中まで熱邪に侵されるみたいやわ」
廃れ気味のケンネル伝統医学では、体に悪い要素を「邪」をつけて説明することがある。
「風邪」とは、風に乗ってやってきた外的な何かによって病むことだし、湿気にやられれば「湿邪」にやられると表現する。
義妹リーゼロッテに、気が狂いそうなほど懐いているこの国の犬たちは、いわば「頭が犬邪にやられている」と言えるかもしれない。
汗を拭きながら、隣を走るザフトが訊ねてくる。
「ケンネルは最先端の技術をたくさん持っているのだろう? なんで空調などを工夫して、王宮全体を冷やせないんだ?」
「俺もそれ、ずっと疑問やったで」
中央騎士団第四部隊が開発した車や戦車には、密閉した空間で居心地を良くするための空調がついている。
どんな環境でも室内の温度調整ができるらしい。
実は王宮のあちこちにも、戦車を応用した空調設備は設置されている。
食堂の冷蔵庫もそうだ。
―――ならば、王宮全体を最新鋭の空調で冷やせばいいじゃないか!
と思うだろう?
普通。
しかしある日。
上司である黄金の髪の宰相に衝撃の事実を教えられると共に、はかない希望は完全に潰されたのだ。
「……夏はいつも電気が足りないんや」
「電気とは?」
「動力犬が作っとる」
「動力犬とは?」
「ターンスピットっちゅー、電気発生装置を回すのが得意な小型犬がおってな」
「犬力なのか!?」
犬力発電。
電気という存在も驚いたが、作っているのが犬の走りによる発電とは本当に驚いた。
そして発電を得意とするターンスピッド一族。
彼らは謎の多い一族だ。
彼らの使命はひたすら動力として走ること。
ダックスフンド一族に似た愛らしい外見に、頑健な四肢を持ち、ひたすら回転装置を回すのだ。その耐久力は計り知れない。
古代・旧大陸時代に、焼き肉回し犬として純人に使われたらしい。
だけど彼らは背負わされた運命を、自分たちのアイデンティティーにまで昇華させた。
ケンネルの精密機器はすべて電力で動く。
彼らが電気発生装置の中をひたすら走って発電し、蓄電装置に貯めるものを各所で利用するのだ。
特に冬の時期は薪やバウ石炭が暖房を担当するので、その分たくさん走って蓄電してあった。
――――そのはずだった。
「戦車の空調にも使うからな。この春は……その、大分使い切ってしまったらしいんや」
ユマニスム王国との戦争。
隣の純人文官の祖国や、純人教とのもめ事で戦車を大分活用した。
俺は敗戦国側である青年の顔色を窺ったが、彼は特に動揺している様子もなかった。
むしろすっきりとした表情で、
「少なくとも僕は、感謝している。たとえ売国奴と言われようとね」
と俺を真っ直ぐに見つめてきたのだ。
そして足りない電力を補うためにターンスピットに再び動力を頼もうとした首脳陣は恐ろしい光景を見た。
発電装置を自主的に動かそうとした彼らが、発電所の現場の死屍累々に山積みになっていたのだ。
彼らは暑い室内で走って夏バテを起こしていた。気合いを入れすぎて水分補給を怠ったのも原因らしい。ほぼ使い物にならないと聞く。
これもまた、室内での熱中症に注意の事故案件だった。
(というか、発電所くらい冷房きかせろや)
代わりにダックスフンド一族が回そうとするとうっかり穴を掘ってしまい、チワワ一族に任せたらすぐ飽きた。
同様にクリザジーク一族やスキッパーキ一族も長時間は集中力が持たず……出来る小型犬集団の第五部隊協力をお願いしている。
それでもコーギー一族では大きすぎて装置に入れず、ピンシャー一族やイタリアングレーハウンド一族に踏ん張って回してもらっている。
『『わんこー!』』
『『いっぱーつ!』』
だけど全く足りてない。
電力は戦車と診療所。
そして陛下の寝室に回すだけで精一杯だった。
病床のターンスピッドたちは、
『陛下が夏に倒れたりしたら、動力犬の敗北。しっぽを切って反省します』
と、連夜うめき続けている。
「アホや。つくづくみんなアホや! とっとと他のやり方を開発しろや!」
「そこには全く同意するよ。犬人の優秀さには感心するけど、どうして自滅しそうな愛情表現に走るのかな?」
一緒に犬を抱えた純人の文官と、そのまま診療所に駆け込んだのだ。
◇◇◇◇
診療所は戦場だった。
足を一歩踏み込む。
特別に空調が整えられているのか、ひんやりとした冷気を頬に感じた。
職場よりもずっと広い空間には、見渡す限りたらいとベッドが敷き詰められている。
次々とかつぎ込まれる犬。
片端から、氷水たっぷりのたらいに放り込まれていった。
第八部隊の女性隊員たちが、冷えた犬をたらいから取り出して寝かせ、栄養剤を打つか、点滴を差していく。
倒れた拍子に怪我をした犬は、別室で処置を受けていた。
「セントバーナード先生! 宰相執務室のハイデガーです! 先輩たちをお願いします」
「軍務局所属のザフト・ユマニティです! 警備犬の方を連れてきました!」
ユマニティ?
思わず隣りの文官を見る。
「王族だったんか」
「もう旧が付いてるよ。今はただの職業人ザフトだから」
「ふーん。王族で純人教徒なのに、ずいぶんと割り切りが早いんやね」
「理より利。僕は家族が穏やかに暮らせる環境を保証してくれるこの国が好きだよ」
すっきりとした顔の青年に、旧ユマニスム王国も色々あったんだろうなあと思った。
「バド君! ちょうど良かった。宰相をところへ行って欲しいの」
帰り際、先生に声を掛けられた。
「へ。地下に強制入院されているんですよね、確か」
「そうそう。すぐに脱出しようとするから説得(物理)にいつも時間が掛かっちゃって。じゃなくて、用事があるんですって」
赤褐色の髪を頭のてっぺんで結い上げた美人の女医がやってきて、俺から先輩入りのバケツを受け取ると、部下に渡す。
ひんやりとした地下牢もとい、入院施設。
鉄格子の向こうには清潔なベッド。
金色の髪を持った麗人が、両手を腹の上に乗せて、静かに横たわっていた。
目をつぶったまま動かない。
まるでおとぎ話の眠れる森の美男のようだ。
(中身が「アレ」でなければ、本当に綺麗な方なんだけどなあ)
バドはセントバーナード隊長が鉄格子の錠前を開ける横で、しみじみと上司の顔を眺めていた。
ギギっと音を立てて開く扉。
くん、と鼻を動かした上司は、うっすらとけぶるまつげに彩られた金茶の瞳を覗かせた。
けだるそうに声を出す。
「……ハイデガーか。職場はどうなっている」
「ファラオドッグ主席秘書官が頑張っていますが、半分休業状態です。先ほどシー・ズー先輩とバハニーズ先輩をバケツで運びました」
「そうか……しかし安心しろ。新大陸から助っ人は呼んであるので、今しばしの辛抱だ」
「助っ人? ――――もしかして、シバ一族ですか?」
「ああ、そしてサルバイバル一族だ。彼らの組織運営能力にシバ一族の事務処理能力が加われば、現在の王宮の補完ができるだろう」
さすがはケンネルの屋台骨を支える宰相。
先手はきちんと打ってあるようだ。
シバ一族は新大陸の代理統治を任されただけあって、文官として一流だ。
特に当主と次世代のマメタ・フォン・シバの事務処理と折衝能力は高く、一人でケンネルの騎士団全ての兵站を担えるほど。
(普段はただのツンデレバカ真面目だけどな)
マルチーズとはまた違うタイプの美少年は、義妹のリーゼロッテの戴冠式で「もふってください」と言えずに柱の陰に隠れていた。
ダシバと同じ柴犬とは思えない可愛らしい顔を必死に隠し、丸いしっぽが柱から覗いていたのが印象的だ。
しみじみと思い出していると、麗人が「しかし残念だ」と柳眉を潜めた。
「どうされたんです」
「王の間で倒れる前に、リーゼ様に【和犬フェア】に合わせた味噌汁を作って差し上げる約束をしていたのだ」
「はあ。和犬フェアなんてものあったんですか」
「ケンネル国民は旧大陸に様々なルーツを持つからな。民間ではそれぞれの独特な伝統をお披露目し普及するイベントが存在するのだ」
そういえば、親友のチャウチャウ君が以前『バド! 今日はチャウチャウの日やでえ! バウムーン餅食えや!」と叫んでいた気がする。
山盛りの餡入りガレットをくれたな。
(バウゴマ風味が美味しかった)
「ようやく意識を取り戻したときには、すでに終わっていた……。トサ・アキタ・キシュウに確認したが、予想以上の暑さで屋台イベントそのものは中止になったらしい。だが、私はこの日の為に味噌汁をマスターしていた。スペシャルなメニューを作ってリーゼ様の朝食に添えようと努力していたのだ! ……ハイデガー」
「あ、はい」
「私は正直、この牢獄から脱出したい」
「でしょうね」
「だが、すでに何度も見つかり全身骨折状態だ。せめて気晴らしにこの檻の中でせめて和食を作って陛下に差し上げたいとセントバーナードに訴えたら許可をもらった。だからキシュウから直接約束のバウ味噌をもらってこい」
「……別にいいですけど、和犬の方も結構忙しいですよ? 特に三人の副隊長はウルフハウンド団長について全国を飛び回っていますし」
「なんとかしろ」
いつになく上司がワガママだ。
年甲斐も無く唇をとがらせて、ふて寝をし始めた。
……そうとうリーゼに会えない鬱憤が溜まっているらしい。
腰に手を当てて様子を見ていたセントバーナード先生を窺うと、彼女は美しい顔を皮肉げにゆがめてアドバイスをくれた。
「バド君。和犬の副隊長たちに会える簡単な方法があるわよ」
「? どうやるんですか」
暑さに強い純人の手伝いが欲しかったから助かるわ、と続けた先生に嫌な予感がする。
「診療所を手伝いなさい。そうすればそのうちキシュウ副隊長にも会えるでしょう」
「まさか……」
「アキタのやつが昨日担ぎ込まれて来たから、そろそろキシュウの番よ。この予感は外れないわ」
――――なんでやねん!
俺はいつの間にか、白衣ならぬ『わんわんエプロン』を着て、第八部隊の戦列に加わっていた。
隣には同じく「暑さに強い人種だから」と同じエプロンを着させられたザフトだ。
「なあバド」
「なんや、ザフト」
「なぜこの足形模様が入ったエプロンは真っ黒なんだい。普通は白だよね」
「あー……。第八部隊だからな」
患者を落ち着かせるために愛を使うことがままあるから。
返り血予防にこの色が良いらしい。
「ほら。血って時間が経つと黒くなるやん? それで目立たないように……」
「もういいや。説明ありがとうバド」
ザフトは遠い目をして答えた。




