間話という名の最終話 女王様、永遠に躾をお願いします( ピットブル視点 )
『ピットブル卿。貴方はどうして戦いたいのですか』
歓声の響く大広場。
私は小さなご主人様が多くの犬たちに囲まれて祝福されている様子を、入り口から見守っていた。
幸せそうな彼女。
氷の様に冷たい笑顔が美しい。
しかし彼女から発される芳しい香りは、この町全体を包み込み、本当に犬を愛してくださっているのだと国民に教えてくれる。
女王の優しさなど、国民はよく分かっているのだ。
ただ、いじると面白いから止められないだけで……。
私は目を閉じた。
後ろを向いて、再び港を目指す。
リーゼロッテ大陸。
あそこにはまだ死と血と、戦いがある。
―————以前の話だ。
街中を散策する女王陛下を警備した時に、彼女は訊ねた。
何度も投げかけられてきた言葉。
だから、何度も同じ言葉を返した。
『私はあくまで闘犬です。狩猟犬でも警備犬でも、ましてや軍用犬ですらない』
「違いが分からないのですが」
『分からなくても結構。貴方はただ命じてくださればいい』
闘犬とは古代犬人が生まれた時代から続く、人の業を表した存在だ。
ただ戦う姿を愛でるために作られた人種。
時代が下がり、初代王アイアル様に開放されて以後は状況が変わる。
我らの歴代王族たちは闘わせることを嫌い、他の犬に混ざりあうことで落ち着かせようと思ったようだが。
魂とは、そう簡単に変えられないのだ。
魂は命と体を形作る設計図だ。
それは意思すらも決定する、生命の根源。
我ら闘犬は、戦うことが使命。
勝つことが命。戦い死ぬことが命。
『つまり闘犬とは戦うことが全て。目的などが戦いであり、全ては次の戦いのため。お前は本当に面倒な犬だな』
いつかゴールデンレトリバーが、常に陛下の側で甘える黄金犬が、呆れた目で私を見ていた。
ああ、そうだろうな。
血潮が戦えと、魂が生死を掛けろと、囁きかけるのだ。
遠い先祖の記憶が、王族に魂を捧げたいのだと叫ぶのだ。
―————この魂を、貴女の魂に受け入れてほしいと、叫ぶのだ。
新大陸にいた時のことだ。
白いもやとなった蟲が、度々まとわりついて苦労した。
「もしもだ。敵と和解できてしまったら、お前はどうするのだ」
リーゼロッテ大陸で、棍棒を担いだ狼犬のロボが問う。
狩猟犬はいい。あくまで獲物を刈るだけだから。
だが闘犬は、強い者との戦いに飢えた犬は、一体次に何と戦うのだ。
腕で払うがなかなか消えない蟲の群れ。
どうにもこの蟲。
―————微かな意思を感じる。
ヒグマーを好むこの蟲は、黄色犬曰く「過去に大陸で滅んだ変異ヒグマーの子孫に執着していた何かの魂が更に変異したもの」らしい。
そのあおりを受けて王に埃の様にまとわりついているらしいが、あの二重構造の体のせいであまり意味はないらしい。
―————そうなると、犬蟲もだな。
シュナウザー博士あたりは既に研究し尽くしているのかもしれん。
犬蟲は人の体内に潜り込み、魂と一体化しようとする。
それに耐えられない人間は、狂い暴れて死んでいく。
王族に執着する蟲。
もしかしたら、昔の狂犬か狼犬の魂が狂おしいほどに飼い主を求めて、変異でもしたものかもしれない。
なにせ犬は飼い主がいなければ、魂に変調を来す種族。
孤独には弱いのだ。
「ピットブル卿!」
歩む私に聞きなれた美しい声が掛かる。
どうやら、会場から逃げようとする私に気が付いてしまったようだ。
ゴールデンレトリバーやウルフハウンド、マルチーズの三公爵家まで付いてきている。
「また喧嘩に行くのですね」
「それがピットブルというものだと、そろそろ諦めてください」
「もう!」
だから、リーゼロッテ様。我らの女王。
私は血肉を求めて旅に出る。
この狂犬に首輪をくださった貴女様の、海のように深い愛で、これからも他の犬を躾てくだされば良い。
狂犬とは、愛と忠義をこじらせた犬。
寂しい犬のことだ。
「ピットブル卿。犬になってください」
振り切って去ろうとすると、彼女は唐突に命じて来た。
『どうぞ』
私は中型犬になってみせた。
すると、彼女は取り出した赤い紐を体に巻いていく。
『これは―――――』
「決めました。貴方は私の一頭立ての、そり犬です」
そしてちょうちょ結びを背中に施し。
マルチーズ複雑な顔をして差し出した、赤い小さな犬そりに、彼女座り込んだ。
ウルフハウンドは「諦めろ」と同情した顔でこちらを見、ゴールデンレトリバーは「なんて羨ましい」とハンカチを噛んで睨んでいる。
彼女はふんっと胸を張った。
「このそりは、私一人用です」
そして引く犬も、一人です。
とても体力がいる仕事です。それこそ全身全霊の力が必要です。
「さあ、私の荒ぶるそり犬よ。命を掛けて私を運びなさい。これから皆の所に戻りますよ。こき使って差し上げますから、これからは覚悟なさい」
『……暴走するかもしれませんよ』
「タイラント君とディクテイタ君よりも下手だったら嗤ってさしあげます」
『放棄するかもしれない』
「—————貴方が? ありえませんね」
彼女はにっこりと、人を凍死させるかの様に、冷酷に微笑んだ。
指摘をすれば、きっと彼女は怒るだろうが。
「逃げるなんてありえませんね。本当は誰よりも責任感が強い御方でしょう?
それとも―――———本当は貴方が私の目の前で。惨めに負けて見せるのですか?」
挑発的な眼差し。
厳寒の冬の日が、永遠に沈まずに世界を照らすように。
白く、透明な、真っすぐな気持ちが。
こちらに強く伝わってくる。
―————なんて貴女様は美しい。
『ふ。ふは。ふははははははは!』
(これだから、我が小さなご主人様は面白い!)
なんとまあ。この方は犬の心を掴むのが上手いのだ!
胸の奥底で震える魂を感じてしまう。
リーゼロッテ・モナ・ビューデガー。
これから女王として、ますます成長していく彼女。
氷のような微笑に心を掴まれた自分が、逃げられるはずがない。
(彼女の時代に闘犬として。犬として生きられることに感謝を)
どうか愛する女王様、お覚悟を。
狂犬たちを。貴女を求めて荒れ狂う犬の魂たちを。
―————そして私を。
『では、女王陛下。私バーバリアン・フォン・ピットブルは、貴女様に愉しく虐げられるそり犬として、大切なおみ足を預からせていただきましょう』
一瞬人の姿となり、そりに座ってじっと私を見上げる少女を見つめる。
生来の真面目な菫色の瞳。だけどその奥にある熱さと芳しさよ。
私は彼女のブーツ軽く脱がし、その晒された透けるストッキング越しの、白い足を愛でる。
そして、そのつま先の爪にキスをした。
ご主人様は「もう」と、ため息を吐くた。
「全く。犬人の皆様は本当にキスがお好きですね」
「女王様、我が喜びよ。この気持ちを愛する女王様に捧げましょう。他の犬とて気持ちは同じ。せめてこれまでに接吻をされた部位を思い浮かべて、犬の気持ちをお知りください」
キョトンと、途端に幼い顔に戻る。
彼女がこの世界で一番影響力のある女性だとは、誰も気が付かないだろう。
(まあ、大人になったら分かりますよ)
私は丁寧にブーツを戻し、まず一つ教えて差し上げた。
「部位ですか……では、つま先とは?」
「つま先とは――――――」
これからも永遠に――――――。
―—————我らに躾をお願いします。




