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女王様、狂犬騎士団を用意しましたので死ぬ気で躾をお願いします  作者: 帰初心
第三章 リーゼロッテと愛しい愛犬たち
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間話 犬である誇りを胸に ( 狂犬騎士団団長・ウルフハウンド視点 )

 犬人として生まれて、これほど喜ばしい日があっただろうか。




 私の小さな主君は私の差し出した大きな手に、幼い手を添えて、王座に向かって歩き出す。

 階段を上る彼女が着ているのは白いひざ下のワンピース。だが、彼女が背筋を伸ばして歩き出した時、それはどんなドレスよりも高雅で豪奢に感じられた。

 

 女王陛下のために作られた王座に腰を下ろした彼女は私を右に置き、左脇にレオンハルトを呼び、「皆さん、私の前に並んでください」とお願いをされる。

 神妙な顔で集まった部下たちに、透き通ったすみれ色の大きな瞳で、「おすわり」と命令したのだ。


 この場にいた騎士団の幹部と、一部の文官の幹部全員が犬となり、女王陛下の王座を囲むように座る。

 副隊長まで揃っているので、階段の下まで犬に溢れ、犬文字で大きな楕円のような図形になった。


 ……柱の影にお座りしているアフガンハウンドが気になる。

 だが、あれはあれで有用なのだ。陛下の首輪を巻いている限り、悪戯ではなく前向きな何かを思いつくだろう。




 リーゼ様は、集まった犬たちをゆっくりと見回しておっしゃった。


「皆様は私の大切な犬です」


 硬質な美貌を歪め、なんとか冷たく見えないよう、必死に「柔らかな」笑顔を作ろうとしているが、どう見ても失敗だ。最近他国でついたあだ名『残虐なる白夜の女王』が実に似合う。

 だが、犬は分かっている。

 彼女の気持ちは、言わなくとも伝わっているのだ。


 動物の姿を取る変身人種たちに、明瞭な言葉を話せる声帯はない。

 その代わりに心話を飛ばして頭に訴えかける。

 同時に、感情も添えて伝わることもある。特に敵意と愛情。特に愛する者を大切にしたい気持ちは、水が染み入るように感じられることがある。

 

 幼い少女の優しい気持ちは、かつて自暴自棄になった我々の心の傷を、時間をかけて癒してくれた。

 

「私はワガママに生きると決めました。私の意思は犬とともに楽しく毎日暮らすことです。だから、改めて私より命令を下します」


 緊張する。いったいリーゼ様は何を—————。


「リーゼロッテ大陸には、セントバーナード卿たちが参るのですね」

『はい!』

「疫病の正体が判明し、対策を立てたらならすぐに第七部隊を通じて全世界と情報を共有してください。グレイハウンド卿、貴方のマスコミ力が問われますよ。公平に、あまねく事実だけをリアルタイムで伝えなさい」

『……いいのですか? 情報は武器になるからこそ、私のような部隊が存在するのですが』

「ええ。それは夏に思い知りました。だからこそ、有効活用せねばいけません。他の国の研究機関にも同時に研究させ、治療法や予防法を確立させるのです」


 なるほど。確かにそれは手だ。

 ケンネルは春の宗教戦争といい、夏の帝国への内政干渉といい、他国へ脅威をまき散らし過ぎた。

 ごく幼い王子たちを「献上」してくる他国を見ていると、孤立は避けられない状況だ。

 こちらから積極的に有用な情報を提示することは、何よりも周辺各国を安堵させるだろう。



 

「そして、どれだけ予算が掛かっても構いません。開発資金はこちらで拠出しなさい。もちろん、他国の研究機関から要請があれば、基金を作って提供すべきでしょう」

『ちょっ! ちょっと陛下! なんで他国にお金を援助する必要があるのですか!? 国庫はあくまで国民のために運営されるべき金庫です!』


 ボクサー会計局長が慌てて前足を上げる。

 家の都合で第二部隊から引退した問題犬。いつも不満だらけで、あちこちの部署に喧嘩を売る男だったが、リーゼ様のおかげで大分仕事に注力するようになっていた。


「最後に国民のためになるのですから、全く問題はありません。シュナイザー博士。代わりに分かりやすい説明をお願いします」

『分かりました』


 群れの中から現れたのはアルフレッド・シュナウザー博士。

 狂犬病についてリーゼ様に数々の講義をしていたのも、彼だ。リーゼ様の君主としての考えは、彼の影響が大きい。

 博士は女王の足元に座り込む。そして軽く髭を前足で揺らして、語り始めた。


『狂犬病の恐怖は我らから未だ失われていません。可能性一つで王宮中が混乱に陥った今回のように、国内に与える心理的ダメージは、今後十年は国の運営に影響するでしょう。

 この事態が恐ろしいのはどうしてでしょうか。病原でしょうか。人が死ぬことでしょうか。

 ――――――何よりも対策すべきは、我々の恐怖なのですよ。女王陛下』

「何よりも『噂』を、私は恐れます」

『ええ。我ら犬人は強い。竜人などの特殊例を除けば、身体能力も頭脳も優れた個体が多く、なおかつ集団で寄り集まって新たな技術を次々と開発していく。しかし、犬とは寂しがり屋なのです』


 犬は寂しがり屋。ああ、よく分かるとも。

 戦争ならまだ分かる。大義と大義がぶつかり合い故に死ぬのだから。

 だが、静かに潜伏し姿を見せず、己が繁殖するために無差別に我らの親しいものを奪っていくサイレイントエネミーは違う。


 病は犬を思わぬ形で一人にする。

 犬は、一人になることが大嫌いだ。

 そして家族と飼い主が死に絶えた、あの病。それは恐怖以外の何物でもなかった。


『今回の戦いは、犬が知恵と力を出せば済むものではありません。世界と共闘し、見えない敵を倒す戦いなのです。この国である程度解決しようと、他国で発生しては意味がありません。他国での噂一つですら、我々の毛皮は逆立ち、まともな思考を行えなくなる。それこそが、敵の思うつぼです』

 

 なるべく多くの協力者を得ること。それこそが、この戦いの鍵。

 私たちは一刻も早く、この病の正体を明かし、安堵しなければならない。

 真剣な表情で耳を立たせる我々に、博士は具体的な方法を提示した。


・第八部隊の調査には、治安対策に第二部隊が同行する。もちろん他国の研究者も連れて行く。

・第七部隊は第六部隊と各国の研究所の連絡網を構築。一方で世間一般に流れる噂で余計に煽る輩を『丁寧に説得』する。もしくは『黙っていただく』。

・第五部隊は第四部隊と機動力を合わせ、第八部隊に提供する各地のサンプルを手に入れる。


 セントバーナードは神妙に頷き、マスティフとアイコンタクトを取った。

 大変分かりやすい計画だが、反対する者ももちろんいる。


『え、嫌ですよ。第四部隊の連中と一緒にしないでください。同じ小型犬でも全然仕事の質が違うのですから!』

 

 第五部隊の副隊長、キャバリアだ。

 隣にいるコーギーは黙っている。下手に宥めても、逆切れされて謝りたくなるからだろう。


(まあ、そうだろうな)

 第五部隊は基本エリートの集まりだ。戦いにおいても頭脳戦においても優れたものが集まっている。第四部隊の機器類を操る連中は、そもそも闘争心の欠片もない連中。第五部隊の隊員たちは彼らを一方的に嫌うことが多い。

 そもそも戦車などの「卑怯な存在」は己の牙と爪で戦いたい犬人の闘争心とは相いれない。何もこだわりのないやつらだからこそ、機械の全力を出しきれるとはなんという皮肉か。




 私がどう説得しようかと考えていると、第六部隊からも抗議が上がった。

  

『ボルゾイ隊長のモチベーションをもう少し上げていただきたく』


 そっと前足を上げたのは副隊長であまり主張することがないサルーキだ。

 彼が流し目で隣の上司を見やると、最近自分が何度も錘になっているせいで、不満たらたらのボルゾイが伏せの姿勢でやる気がなさそうにしていた。




 すると。

 博士の背中を見ていたリーゼ様が、スカートを握って王座から声を掛けた。


「コーギー卿。ボルゾイ卿。こちらに来てください」


 二人が近づくと、なんと彼女は履いていた白い平たい靴を片方だけ脱いだのだ。

 そしてコーギーを呼び寄せると、目の前に差し出した。


「最近、ご褒美は先出しされた方が良い方もいると分かってきましたので」

『陛下……?』

「こちらを差し上げますから、もう少しだけ第五部隊のリーダーを頑張ってくださいね。第五部隊の隊長は、貴方にしかできないのですから」

『……コーギー悪いね、頼んだよ。もう僕は隊長じゃないから』

 

 私と同じく、王座の右側にお座りをしていたマルチーズが、珍しく殊勝にコーギーに頭を下げた。

 目を真ん丸にしてかつての上司いじめっこを見つめるコーギー。

 そして目の前の氷の、いや花のような笑顔のリーゼ様と足元の脱ぎたての靴を見比べる。

 うだるように萎れていたしっぽが、次第に動き始めた。


『は、はい。勿論です陛下っ』

「それを持って下がって良いですよ」


 コーギーは靴を銜えてぶんぶんと振ると、短い四肢をリズミカルに動かして戻っていった。

 その様子を「いいな」と見ていたボルゾイに、リーゼ様が指で指示を出す。

 足元に。


「わん!」


 さっとスライディングして寝そべるボルゾイに、陛下は足を下ろし—————なんと足裏でマッサージを始めたのだ。

 ふみふみ、もみもみ。さすさす。

 これにはボルゾイも予想外だったようで「ご主人様……こ、これは」と寝そべりながら動揺している。


「気持ち良くはないですか?」

「いえ。とっても気持ちが良くて、まるで天国のようですが」


 リーゼ様は「私も考えたのです。貴方の性癖に付き合えるラインを」をとおっしゃりながら丁寧にしっぽの付け根も、もみもみする。

 はふん。思わず悶えるボルゾイ。あまりの快楽に驚いているようだ。


「貴方は思い切り踏まれたい。特に足マットになりたい。しかし私はそもそも踏みたくない。ですが、行商犬のケルピー氏より、タタミたる存在を献上されました。あれは素足で歩くマットだそうですね」


 そこで気が付いたのです。素足で傷つけずに踏めるマットが、この世にあるのだと。

 陛下は弛緩しきった、大型犬だった何かに向かって宣言した。


「ボルゾイ卿。貴方は今日から私のタタミマットです」

「わん!」

「今回の任務もきちんと行えば、タタミマットをして差し上げましょう。コリも取って差し上げます」

「わん!」


 私は思わず目を見開いた。

 何ということだ。彼女は自力で厄介な部下を、この瞬間。完全に掌握した。

 椅子の向こうの金色の幼馴染を見ると、同じく目を見開いている。


 

 

 足元をふらつかせながら戻っていくボルゾイに胸を撫で下ろした彼女は、立ち上がって犬たちに宣言した。 


「これからは、本当に恐ろしい敵との戦いです。不安に陥った時はどうか私の所に来てください。出来る限りをさせていただきます。マラミュート卿、貴方からですよ」

『私ですか?』

「ええ、ほら」


 リーゼ様が手招きをすると、マラミュートはおずおずと近寄った。

 すると彼女は屈んで、彼の首をゆっくりと掻き分けて撫で始めたのだ。

 緊張していた、爆発気味の毛のしっぽが、ゆらゆらと弛緩していくのが分かる。


「わふん……」

「私に感染したら困るから、うっかり恐ろしい兵器を開発してしまったのですよね。その気持ちは受け取ります。ですが、現在することは爆破でも発射でもありません。あのスイッチを、今すぐ破壊いたしましょう」


 彼女の指示に、レオンハルトが預かっていた三つのスイッチを人の姿で取り出し、マラミュートの前に並べる。

 職人犬のトップは、機嫌よく目を細めて人の姿に戻ると、正座をして胸元からドライバーを取り出し、あっという間に分解してしまった。


「はい、ご主人様。もうこれで動きません」

「良い子ですね、ラスカル様」

 

 差し出されたガラクタに満足されたリーゼ様は、青年の姿で赤い首輪をした状態のマラミュートの額に、そっとキスをされた。なんと……羨ましい。

 そして、穏やかに諭したのだ。


「もう私に無断で、勝手に爆破装置を仕掛けてはいけませんよ」

「わん!」


 人の姿で吠えてしまった部下に、君主である少女はふふっと笑う。

 笑顔は六華の花のようでも、心に伝わる気持ちは、春の花のように温かく。

 

「もうおイタはだめですからね。皆さんも不安になったのなら……行動する前に私に甘えてください」

 



 —―――――女王様!


 この場にいる犬たちは、彼女に忠誠を誓い直した。

 思わず目頭が熱くなると、幼馴染も同様に目を覆っている。



 そして、彼女は。

 爆弾発言を落としたのだ。


「伝染の可能性がほぼなくなりましたら、私はリーゼロッテ大陸に慰問に参ります」





 血の気の引いた私は、思わず叫ぶ。


『大海を渡るのは危険です! ただでさえ遭難の可能性が高いのにリーゼ様を連れて行くわけには行きません!』

「不安になっているのはこのルマニアのものだけではありません。向こうの私の国民たちを励ますことこそ、王の役目ではありませんか」

『それは大変意義深いことですが、少しでも危険を排すのが近衛の仕事でもあります』

「危険でなければ良いのでしょう? ―――――ダルメシアン様」


 現在航路封鎖と検疫に走り回っている第三部隊。そのためここにはいないグレートデンの代わりに来ていた副隊長のダルメシアン。彼は自慢のぶち模様の毛皮を見せつけながら口を開いた。


『よーそろー。行けますぜ、団長。うちの隊長は大海の各地に島と浅瀬を発見しました。我ら第三部隊の副業はアレですが、そのついでに海図はとことん充実させましたからね。安全に女王陛下を運んで見せましょう』

『しかし……』

『途中からリーゼロッテ号に乗り換えればいいじゃないですか、団長。整備はいつでもばっちりです』


 すっかり元気になって、ダルメシアンを援護するマラミュート。


「マラミュート。空はさらに危ないだろう!」

『空とは言ってないよ』


 柱の影から、アフガンハウンドの声。

 やはり大人しく領地に籠ってもらうか。良い加減、素直に刑に服させないと。


『半分くらい、完成しちゃったよね。マラミュート』

『ええ。出来ちゃいましたね—————地下道が』


 そうだった。

 アフガンハウンドが勝手に違法に復帰したせいで『チャーリーがリーゼロッテ大陸に遊びに行きたいけど海の水が怖いっていうんだ。海底トンネルだけど、さっさと掘っちゃおうよ』とマラミュートとハスキーに協力を申し出ていたのだった。


(早すぎるぞ、お前ら! まだたったの数か月だろう!?)

 私の動揺を意に返さず、リーゼ様は喜んでいる。


(おい、レオンハルト。お前さっきから何も言わないけど……一体どうした!?)

 

 黄金犬は—————涙を流していた。

 ぐずぐずの鼻水をそのままに、『リーゼ様……何と立派な君主ぶり。家庭犬として貴女を見守り続けた甲斐がありました。癖の強い犬すらも手なずけるその手際。もう何も心配することはないのですね』と感動している。

 そしてふとトーンを下げて、『家庭犬の出番は、もうないのですね……』と—————おい!




 それはともかく。そんな大移動はやはり心配でしょうがない。

 やはり危険だと再度忠告をしようとして——————何も言えなくなった。


 彼女は、最後におっしゃったのだ。




「あの大陸にいるのも、大切な犬たちです。私の犬たちを安心させるため向かうのは、飼い主として当然ではありませんか。だから皆様の協力が必要なのです。どうか世界のものたちと共に、全員で笑顔になりましょう」


 六華のような笑顔が、この厳寒の景色の何よりも美しく見えた。

 そしてそれは、私だけではなかったはずだ。






 ああ、リーゼロッテ女王陛下。リーゼ様。私の小さなご主人様。


 貴女様の犬でいられることを。

 誰よりも、ウルフハウンドは誇りに思っております。


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