第十五話 ご主人様は、悪い子だって好きなのでしょう?( by アフガンハウンド )
頬に一滴の水滴。
「雨――――――?」
赤い月に雲が掛かっています。
隣にいるマルス様が「ああ」と教えてくださいました。
「赤い月は雨の前兆であることが多いんだ。ご主人様、濡れるといけないからリーゼロッテ号に戻ろう?」
「はい」
背中を押してくださるマルス様。
女王専用の巨大戦車に乗り込む寸前に、後ろからざわめきが聞こえました。
『シロカブトの様子がおかしいぞ!』
視線をずらすと、蹲るシロカブトを撲殺すべく囲む犬たち。
そして小犬&狂犬入りの戦車。
中心にいる白と黒の小山が—————突然大きくなり始めました。
「あいつ、急激に脂肪を分厚くしたな。今までが冬眠状態だったから防御力が落ちていたのかもね」
「ということはあれでシロカブトはスリムだったのですか!?」
「ほらさ、面の皮と毛皮が厚すぎて見えなかったんだよ」
途端に打撃が入らなくなりました。
いくら戦車ぶつけても、ぼよんと跳ね返されるのです。
「くそっ打撃が入らん!」
グレイ様がひしゃげた戦車を地面に叩きつけます。
中から第四部隊隊員の悲鳴がします!
戦車は大切に扱ってください!
「おいウルフハイブリッド! 全然手ごたえがないじゃないか」
戦車を放り投げた(パグ様の「ぎゃ! 初キッスがボーアボール! おえっ」という声が聞こえます)バーバリアン様の文句に、砲台を担いで首を傾げるロボ様。
「おかしい……ヒグマーならこれでいけるはずなのだが……」
「あれはヒグマーの特異種だ。一緒にしてはならない」
戦車を優しく下ろしてあげる(中から「団長愛している!」というチワワ様の声が)ダリウスの指摘に、再度まじまじと白黒の小山を見つめます。
「そうか?……よく見たら異様にでかいし。色が変だし……」
「あれはシロカブトだ。そちらの大陸にどのような伝承が残っているのかは知らないが」
「こちらは世紀末で伝承者の殆どが殺されたからな。伝承など残っていない。俺たちにあるのは、女神だけだ」
苦々しそうに吐くロボ様に、ダリウス様が軽く肩を叩きます。
「―――――そうか。だがとにかくあれは倒さねば。
あれは世界を喰らう、怪物だ。しかも、リーゼ様受けが良いフォルムときた」
「……そうか。ならば何としてでも殺らないとな!」
そこに拘るの、やめてください!
(まあ、可愛いとは、ちょっと思いましたけど……)
心の中の声が聞こえたのか、殺気が広がる犬人たち。
ダリウス様が宣言します。
「可愛いのは我々だ! 可愛がられるのは我々だけで良い!」
「「おお!」」
団長の号令に応じる犬人。
(ああ、分かりましたから! ちゃんとダリウス様にも「可愛い」って言いますから!)
必死に心の中で叫んでいると。
殴られっぱなしのシロカブトが、とうとうのそりと動き出しました。
「きゃん!」
大きな手に跳ね飛ばされる兵士。
戦車を持った第二部隊隊員が、シロカブトの手に吹き飛ばされたのです。
シロカブトは次々の周囲の犬人を弾き飛ばしていきます。
向かう先は犬棄山。
そして到着したそれは—————犬棄山の木々を齧り始めたのです!
ええと、なんといいますか。
しゃくしゃく? ぽりぽり?
まるでサラダを齧っているときの様な食べ方です。
あっという間に、山が禿げ山になってしました。
そして下で騒ぐ犬たちを見下ろし、
「わん」
と、一声吠えして再び歩き出したのです。
うるさいね、まだ足りないよ。
それともお前らが口に入ってくれるの?
とでも言うように。
シロカブトの向かう先は—————難民キャンプの方角です!
「人が住んでいるところはまずい!」
「皆、なんとか進行方向を逸らすんだ!」
逆転できそうだった戦いが。
泥沼化し始めました。
同時に月が雲に隠れ、雨が降り出します。
騒ぎが大きくなるのに、月すら隠れて様子が分かりません。
「どうしたら……」
「皆が打撃を加えると少し遅くなるみたいだけどね。足止めにはなっていないな」
マルス様が眉を潜めて窓を見ています。
—―――ちなみにこの窓は各地の光景も切り替わりながら見せてくれる、不思議な窓です。
私は頬に手を当て、シロカブトの神話を聞いた時から気になっていたことを訊ねました。
「そもそもなぜ、シロカブトは歴史から姿を消したのですか?」
「うーん。学校で習った話では、旧大陸の資源を粗方食べてから突然姿を消したらしいよ。適当に聞いていたから、寿命じゃないのかと思っていたけど」
『違いますよ』
いきなりハッチが開きました。
『昔シュナウザー博士から学びましたけどね。
実はシロカブトは周期的に起きています。一帯の動植物と住民を全て食べてから、長い睡眠にはいるそうです。
最後に観測されたのはムツゴロー様の時代でしょうか。
あと十年は寝ているところを起こしたので、さほどは腹が空いていないはずです』
隙間から鼻を突きだして覗いているのは、長毛の優雅なわんこ—————アフガンハウンド卿です!
マルス様が慌てます。
「ちょっと、この戦車は一からマラミュート隊長が作った特別製だよ!?」
『これくらい針金を曲げて差し込めば、簡単に開きます』
「ひどいよ、アフガンハウンド隊長! この戦車力作なのに!」
後ろでマラミュート隊長の泣き声がしました。
『なら一緒に入れば良いよ、マラミュートもハスキーも』
「許可していませんけど……」
「ちょっと、軍務卿!」
勝手に入ってくる三人。
アフガンハウンド卿は人の姿になり、私が嵌めた首輪のまま私に軽く礼を取ります。
そしてそのまま膝をついて背を屈めて、ふくらはぎを掴み。
私の脛にキスをしたのです。
さらりと、髪がふくらはぎに触れました。
「貴女様に熊鍋を。女王様(マイ、プレジャー)」
そして操縦席へ―――――え?
戦車の運転をされるのですか!?
彼はさらりと言いました。
「子犬隊を指揮します」
「アフガンハウンド卿が?」
「元部下たちの許可をもらいました。ただ野犬となるだけでは、勝てそうもないと分かりましたので。ご主人様、シロカブトを倒す許可をいただけますか?」
そしていきなり足元の何かを踏み込み、りーゼロッテ号を前進加速させたのです。
「許可をもらう前に行動しないでください!」
「いえ? これはただのエンジンの確認ですよ。それにほら」
彼はチラリと私を見ました。
よく見ると金色の混じったうす茶色の瞳で、悪戯な笑みを浮かべます。
「悪い子もお好きなのでしょ?」
確信犯です!
開いた口が塞がりません!
キース様が「これでも、ものすごく好意的で素直な反応なのです……」と肩を落として教えてくださいます。
確かに、シロカブトを倒すべく立ち上がってくださったのは分かります。
私に対する忠誠。首輪がそれを証明しています。
ただ、これだけは言えます。
この人、偏屈犬です!
シロカブトに向かっていく最中に彼はトランシーバーの電源を入れました。
『ウルフハウンド。こちらは第四部隊。勝手に一時復帰し、ついでに処刑確定かもしないアフガンハウンドだ。
この度正式に陛下の犬にさせていただいたので、残り短い犬生、よろしく頼む。
怪物を倒すのに手こずっているようだし、子犬隊を使って手伝わせてもらう』
『……同じ犬なら何も言わん。任せたぞ、アフガンハウンド』
それでいいのですか、ダリウス様。
彼の思わぬ度量を見ました。
その後ろで、ただひたすらハラハラしているラスカル様。
そしてキース様が「とにかく、むさ苦しい空間に閉じ込められている隊員を助けてください!」が怒鳴りました。
アフガンハウンド卿はトランシーバーの設定を変え、子犬隊たちに指示を出します。
『お久しぶりです、皆さん。アフガンハウンドですよ。今から私の言うパスワードを入力してください。ハッチを空けますので無事に逃げ切ってください。その後その戦車は自動操縦に切り替えます』
『マジですか! 早く、早くこのオス地獄から救ってください!』
『げふっ。もうこれ以上振り回さないでぇ』
『テロに遭いたいなんて言ってごめんなさいー!』
『ママー!』
『第四部隊の皆からお金を返してもらうまで死ねな、』
ブチ。
なぜか、ラスカル様がトランシーバーを切りました。
全く気にしないアフガンハウンド卿は、リーゼロッテ号の操縦席の下にある板を外し、白い四角い板からひものようなものを取り出して結びます。
ラスカル様とキース様は、横の壁を剥がして何かをいじっていました。
「操縦者が要らないのですか!?」
「それはそうですよ。なぜ子犬隊と名を付けて小型犬専用にしたと思いますか」
「分かりません」
「ビーグルの中でも小柄だった弟に捧げたかったからです。野犬から戻れたらすぐにでも一緒に遊ぼうと工夫を凝らしました。下手に他の犬仕様にすると第二部隊辺りに取られてしまいますからね」
弟の遊び道具!?
私と周りは唖然としましたが、彼はまったく気にしません。
ピーという音を立て、白い四角い板が全戦車から打たれたパスワードを表示します。
光る文字で『ビーグルたんはあはあ』と。
窓を見ると、戦車が次第に動き出し、整列を組み始めます。
やっと逃げ出した第四部隊は犬の姿で後方に走っていき、ようやく戦える第二部隊は前方に合流しました。
移動するシロカブトに合わせて、全軍が移動しながら包囲網を再構築していきます。
ダムが遠く、見えてきました。
雨脚が強くなってきています。
あちこちの泥を跳ね、犬の姿を取ったものたちが汚れていきます。
その様子を見ながら運転をするアフガンハウンド卿。
「思うのですよ。ゴールデンレトリバー家の坊やもウルフハウンド家の坊やも、みな甘い。
成し遂げるためには、なんでも利用しないと。良心の呵責だってそうだ。夢を語るだけじゃ、何も解決しない」
彼は自分の額の傷を触り、顔を顰めました。
何かを思い出すかのように。
「解放戦線もエセ難民活動家も、それなりに仕事をしていただきました」
「まさか、彼らも貴方が!?」
彼は肩をすくめます。
「まさか。解放戦線は単なる欲に塗れた懐古主義者ですし、難民活動家もただの純人教のはみ出し者ですよ。解放戦線は山に誘導しただけで無事に生贄になってくださいました。
難民活動家は、野犬を刺激する仕事をしてくださいましたが、残念ながら愚連隊と共に—————ああ、これを知ったら子供の貴女は傷つきますかね」
切れ長の目で問われ、私は決意を込めて見返しました。
「いいえ。教えてください。私は皆と共にいたいのです。だから、国民のどんなに汚いことも、どんなにずるいことも、受け入れるつもりです」
「……そうですか。ならば教えましょう。
活動家たちはとうに難民たちに殺されていますよ。
ケンネル内の風評被害で仕事を失いたくないからだそうです。
純人教徒たちも了解しました。理性的な判断だと」
思わぬ情報でした。
目を見開く私に、アフガンハウンド卿は皮肉げにおっしゃいます。
「被害者とはなんでしょうか?
難民が全員善人だとお思いか?
見方を変えれば、故郷を守ろうと戦わずに見捨てて逃げて来た薄情な連中だ。
舞踏会の青年が悪に諭されたからと言って許されますか?
許されませんよね? 犯罪を選んだのは彼のエゴゆえだ」
彼はキース様に指示をすると、彼は伝令が置いて行ったメモを渡してくださいました。
シロカブトが向かう、難民キャンプの様子です。
「ケンネル王国の多大な支援をもらいながら、難民キャンプの連中は異常事態を見て、再び見捨ててリンドブルムに逃げようとしているようですね。
彼らに守るような価値なんてあるのですか?」
彼は私に問いました。
メモをぎゅっと握り、私は考えを述べます。
「価値なんて知りません」
「ほう」
「為政者として国民を優先するならば、難民など早く切り捨てた方が良かったでしょう。
ロボ様たちも、新しい土地の文化を否定し馴染もうとしない移民の人たちに苦労していると聞きます。
ですが犬人の皆さんは、私の、「とにかく助けたい」と思ったリーゼロッテの気持ちを優先させてくださいました。だから……」
私は、はっきり述べます。
「女王である私は、迷いません。
私が自分に自信がなくて。ずっと寂しくて、不安を抱いて来たから。
皆を混乱させていたのです。
こうすれば他国に迷惑を掛けなくて済む。他国に悪い評価をされなくて済むなんて、悩むのはもうやめます。
これからはワガママだって言います。
その上で皆を信じればいいのです————」
私はここに来てからずっと傍にいてくれるマルス様を見上げます。
褐色の美少年は「そうだね。そういうのを待っていたんだ」と優しい目で頷いてくれます。
私はにっこりと微笑みました。
いつもびくつかれる顔ですが、今は笑顔で居たいのです。
「アフガンハウンド卿。
私はシロカブトを倒し、野犬の皆さんを元に戻し、旧帝国の内乱を完全に治めて難民の元を断ち、天気のいい日にみんなでアイアルダムへハイキングに行きたいです。王宮のみんなと一緒に、水辺で美味しいサンドイッチが食べたいです。
—――――こんなワガママを、叶えてくださいますか?」
彼は沈黙しました。
黙ったまま首輪を触り握りしめます。
そして、ようやく口を開きました。
「犬人は幸せです。女王の愛さえあれば、どんな世界でも信じられる」
彼は戦車内のボタンを押しました。
こん棒にされて砲台の曲がった全戦車から、何かが浮かび上がってきます。
後ろではラスカル様が「穴掘り部隊、今だ」と指示を出しました。
「貴方は私たちを愛してくれる。それだけでいい。愛さえあれば生きていけるし、なんだってできる」
シロカブトの足元に巨大な穴が開きました!
掘削機のドリルが見えます。
とたんに落下する巨体。
わあっと歓声が広がりました。
『ほらあ、素敵な穴でしょ! 今度は褒めてくださいよ!』
『ダックスフンド、手を抜かないでよ! もっと深く掘らなくちゃ!』
戦車内に聞こえるビーグル様の声に微笑みつつ、彼は「発射」と小声で四角い板を叩きます。
穴を囲んだ子犬隊から発射されたのは————網?
片方から発射された網を向こう側の戦車が、鉤爪で受け取り、シロカブトを覆っていきます。
これは穴に入れて覆った?
「身動きを止め、より深い穴に落としていきましょう」
「その後は—————?」
近くの火山からマグマを引ければ良かったのですが、まだ技術がありませんのでと彼は残念がり、トランシーバーを出しました。
シロカブトが地上に上がろうと爪を掛けると、ロボ様たちが狼犬の姿で爪の付け根に攻撃を仕掛けます。
これには痛がって前足を引きました。
さらに横穴を掘ろうとするシロカブトに、バーバリアン様たち野犬や、第二部隊の方たちが穴に潜り込んで攻撃し、気をそらします。
「ウルフハウンド。第六部隊のサルーキからの分析結果が来たと思うが—————」
『ああ、大陸通信カプセル用のミサイルの許可か。構わん。泣くのは会計局だ』
するとしばらくして。
遠くの丘から先の丸い、大きな円柱の何かが地上に現れます。
アフガンハウンド卿は、静かに穴の奥で暴れるシロカブトを見据えました。
「シロカブトよ。いつの時代もお前は飢えていた。
世界を食い尽くし、ただ寝ることしかできないお前は、仲間ですら相手を食べつくすことでしか関係を築けなかった。
それでも良かったのだろう。時代の怪異として名を残せたのだから。
だが、私の時代からは違う。お前は捕食対象だ。弟にはその珍味を自慢してやる。最高の珍味として歴史に名を残してやろう。
そして。起こしてしまった分はちゃんと責任をとって狩って差し上げる」
彼は戦車のボタンを押し、
「行くぞ、パンダ鍋!」
と叫びました。
空に発射される火を噴く円柱。雨をものともせず、飛び上がります。
丸い先が急激に角度を下に曲げ、シロカブトに向かって—————爆発しました!
真っ暗な夜空に「キャン!」と響くシロカブトの声。
「どうなりましたか!?」
「顔と胴体は分厚いから無事だね—————でも、前足が完全に動かなくなったみたいだ」
とうとう、シロカブトにダメージを与えることに成功したのです!
『―――――止めはどうする』
「それは明け方まで待て。あと少しで旧帝国領が平定される。そこまでは持たせてほしい」
最後に不思議な台詞を言ってトランシーバーを切ったアフガンハウンド卿。
私は彼に訊ねます。
「餓死をさせるのですか?」
「いいえ? それではやつはいつまでたっても死にませんよ。私たちはどうしても貴女様に熊鍋を食べさせたいので別の方法にします」
私は愕然とします。
「熊鍋って……本気だったのですか!?」
「当然です」
「当然」
「当然ですね」
「何を当たり前なことを言っているの? だってあれは獲物だよ?」
マルス様まで!
あれは大量の死体を食べていましたよね!?
それを、本気で食べる気ですか!?
……思わぬ犬人の野生を知ってしまいました。
そしてふと。
肝心なことを思い出しました。
「そうです、難民です! 逃げ出された難民の方々は大丈夫なのですか!?」
「大丈夫ですよ。明日にでも祖国に帰れますよ」
「いえ、私が言っているのは安全のことであって、帰国のことでは————帰国?」
アフガンハウンド卿はトランシーバーを私に差し出してきました。
耳を当てると、そこからはレオンハルト様の声。
焦るような声で、私に訊ねてきます。
『リーゼ様、ご無事ですか!?』
「はい。私は問題ありません。レオンハルト様の方は大丈夫なのですか?」
『ええ、はい。もう心臓は駄目になるかと思いましたが』
「大丈夫ではないですよ!?」
『あ、いえ。心臓に悪いことが起こっただけですから』
「どうされたのです?」
レオンハルト様が一度黙り、一拍おいて驚きの内容を伝えてくださいました。
『またです。また駄犬————いえダシバが、大金星をあげました。
—————旧帝国領を完全平定したそうです』
「はい?」
訳が分かりません。
さっぱり分かりません。
(この流れでなぜダシバ? しかも平定? 解放戦線は? え?)
私の頭の中は「?」で埋め尽くされました。




