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女王様、狂犬騎士団を用意しましたので死ぬ気で躾をお願いします  作者: 帰初心
第二章 リーゼロッテと素敵な珍犬たち
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第十話 弱い己に勝ちたいのならば、ただ無心にモフり続けることですわっ! ( by プードル )

 ケンネル王国に伝わる神話には、野犬が登場します。



 野犬————本来の意味は、ルマニア大陸へ向かい変身人種たちが大脱出エクソダスするよりもはるか前、旧大陸に住んでいた古代犬人を指していたそうです。

 別名狼人ともいいます。


 とあるなぞの手で生み出されたという野犬たちは、非常に自尊心と独立心が高く、他の人種とは決して慣れ合おうとはしませんでした。

 彼らの生き様を孤高ぼっちの民と記載した他人種の神話も、散見されています。


 彼らは様々ないきさつから他の人種が住む土地を離れ、とある山脈に住み着きました。


 しかしそこは魔の山————恐るべき猛獣、ヒグマーが住む世界だったのです。


わんころ鍋にしてやる≫

『ならばぷー鍋にしてやるわ!』


 そこでは互いに食べるか食べられるかという食物連鎖争いが起き、争いは何世代にも渡って繰り広げられました。


 そんなある時。

 犬人にとって最悪の存在が生まれました。


 シロカブトという、ヒグマーの中でも巨大な特異種。

 この恐ろしいモンスターの持つ、古代竜人をも凌ぐ破壊力。そして恐るべき食欲。

 それは理性が低く、ただの暴食の嵐として、山の恵みを食い荒らしていきました。


 食べられる動物は、仲間でさえも。

 食べられる植物は、根や種までも。

 食べられないはずの鉱物ですら、歯磨きに使ったのです。


 この非常に清潔で強大な敵により、野犬たちは飢えて滅びかけます。



 そこに現れたのは、マータギと呼ばれる純人の部族でした。

 彼らは野犬たちに、ある提案をしたのです。



 我らは山の民。

 多くの山の命を狩り、山の命に生かされ、山と共に死んでいく者。

 我らの住んでいた恵みの山もシロカブトによって、殆ど枯らされてしまった。


 お前たちがこの山で、この世界で生きていきたいと思うのならば。

 我らと魂の契約を結ぼうではないか。


 やつには一人では勝てない。

 だが、結びつき合った魂の力があれば—————。



 野犬たちは長い逡巡の末、決断しました。



 我らは他の人種と生きることは難しい。

 だが、子たちには未来がある。


 子供たちの人生がつながるのであれば————お前たちと共に戦うことにしよう。



 そうして二つの異なる人種が、交わした魂の契約。

 今は世界を去った、とあるなぞによる奇蹟が、ここに成されたのです。



 これはケンネル王国が建国される、さらに数千年前のお話です。






 神話から伝説、伝説から歴史へと時間は流れ続けます。


 アイアルという青年とポチという混合種ハイブリットの二人が、歴史の表舞台に現れて国が作られ、数代後に伝説の撫で名人ムツゴローが生まれて国が大きく富み栄え、近年になり王族たちの死により国が滅びかけました。

 そして私、リーゼロッテの時代が始まっています。


 その間に犬人たちと王族との間を繋げていたものは、果たしてその魂だったのでしょうか?




 アプソ大司祭が言います。

 『犬人が王族をひたすらに求めてしまうのは、この神話の時代に『魂』に関わる何かがあったのかもれませんな。ただし神の領域となると、このアプソ。一聖職者として愛犬育成書バイブルを越える存在を語ることはいささか難しく』と。


 また、シュナウザー博士も言います。

 『過去に野犬になりかけた犬人の証言を集めてみると、『ご主人様への絶望を感じると、魂が引き裂かれるほど辛くなった。やけ食いしたくなった。食後に歯を磨かず、お風呂も嫌いになった』という記述が多くみられます。これは初代王の伝説の真意や、王族の直系と傍系で匂いが変わることにも、関連しているかもしれません』と。


 博物学者であったカインお父様でしたら、あらゆる角度で調べることができたでしょう。


 しかし今、私がすべきことは、研究ではありません。

 たくさんの国民わんこを束ねる、一人前の王族かいぬしになることです。




◇◇◇◇




 女王の仕事に一番必要なのはスタミナ。

 私は毎日の体力作りをするようになりました。

 



 朝はテレサさんに起こしていただき、あくびをしながら白湯を小さく一杯。

 天蓋にまたも吊されていた『れおん君』をマルス様に助けていただき、顔を水盤で洗います。

 ふわふわのタオルで拭いたら隣の執務室に向かいます。


 執務室の壁いっぱいに掲げた巨大な笑顔のムツゴロー様の肖像画ポスター

 これに向かって二回お辞儀をし、パンパンと柏手を打ちます。そして再び礼を取り、


「今日も一日、わんこを幸せにできますように」


 と、祈りを込めるのです。


 え? カインお父様の肖像画ですか?

 ちゃんとありますよ。右端に小さく。




 マルス様が別の部屋に移動されたら、レースのネグリジェを抜いでパンツ一枚になり、運動用のシャツとジャージに着替えます。胃がまだ動かないのでフレッシュジュースをいただき、髪を高く結わえたら出立です。


 最後に『れおん君』を背負って外に出ると、朝のまだ涼しい空気と草の匂いが辺りに漂っていました。

 そこでいっちに、さん、し、と軽い朝の体操をしてから、走り出しました。


 最近続いている運動は、ドックランコートの周囲を軽くジョギングをすることです。

 脳内でムツゴロー様の数々の秘儀のイメトレをしながらやると効果的です。


 髪をくるくるに巻いたプードル夫人は「常に犬人の体のことを考えてくださいませ。リビドーが大切です。多少変質者くらいで丁度いいのですわ」とアドバイスをくださいました。

 彼女は会計局に勤めるブードル男爵の奥方で、この国屈指の整体師でもあるのです。




(その耳後ろをもしゃっと。首周りをぐりぐりと。お腹はさわさわと触りつつ、指を突っ込む)


 実に怪しそうなことを考えている私の足元で、一緒に走ってくださる白いサラフワ犬のマルス様。

 私のトッタトッタとした遅いペースにも合わせてくださいます。


 ドッグランコートの鮮やかな庭木の花を眺めながら爽やかな向かい風を感じていると、後には犬の足音。当初は、警備兵の方が人の姿でついてきていましたはずです。

 しかし最近は一人や二人ではなく—————。


 わっふわっふわっふわっふわっふわっふ。

 数十人の犬人が、犬の姿で私の後ろをついて走ってきているのです。

 毎日、少しずつ増えていっています。


 和犬の方々なら、近衛の第一部隊ですからまだ分かります。

 しかしボクサー卿にドーベルマン卿にロットワイラー卿。なぜここに。

 特にロットワイラー卿は、まだ国境側で工事中だったはずでは?


「ダリウス様、これはどういうことでしょうか」

『どういうこととは?』

「随分と後ろに人がいらっしゃるのですが」


 さりげなく横で走っている超大型犬は、さらりと述べました。


『ああ。気になさらないことです。陛下と走っているシチュエーションが青春活劇のようで楽しいという者たちですので。それに————』


 彼はくん、と鼻を動かします。


『風下に流れる陛下の汗の香りが、たまらないのでしょう』


 私はこの日から。

 もうジョギングなんてしない宣言をいたしました。


 




 ダリウス様を含めたわんこたちの悲鳴を聞きながら、プードル夫人に『もっと力強くモフりなさいませ!』と宿題として課せられた訓練イメトレを一通りこなし。

 シャワーを浴びた後に朝食を頂き、まだ涼しさの残る内にと東屋に移動しました。

 心穏やかに報告書やお手紙を読むためです。

 

 報告書についてはすでにレオンハルト様とダリウス様が目を通されております。

 ですが手紙関しては、最初からダリウス様と一緒に読むことにしています。

 

 私は竜人国家からの手紙を読んで、ホッといたしました。


「ハイヌウェレ公爵、いえリンドブルム王は無事に独立宣言をされたそうですね。ドラゴニア王国の建国が成され、我が犬人たちも全員無事とは。本当に喜ばしいことです」

「ええ、鰐人自治領はクロコダイル王国となり、蛇人自治領はラミア女王国となりました。鳥人たちも昔の領土でまもなく独立いたします」

「第二部隊とピットブル私設部隊の皆様を、たくさん褒めて差し上げませんとね」

「ええ。是非そうしてあげてください」


 ダリウス様が水色の瞳を細め、とても嬉しそうです。

 ようやく飼い主に褒められたくて行動していたことが、ちゃんと飼い主に伝わったのですから。

 リーダー犬として、これ以上の喜びはないのだとか。


 同時に私も心から喜びました。


 犬たちが私を信用して、最初から連絡と相談をしてくださってくれたのですから。もう見えない所で何かが起きていると、怖がらなくても良いのです。

 物事に対して一緒に行動し、共に成功を喜ぶことができたのですから。 


(本当に、マゾ様には感謝をしなくてはなりませんね)  


 私は『人間関係を壊すのが得意ですので、修復とか、改善とか。生産的な話をされても困るのですが』とおっしゃっていたマゾ・フォン・ボルゾイ様の美しすぎるお顔を思い出していました。

 もう犯罪者宜しく、脳内で目の所に一直線に黒塗りなんていたしません。




「しかし、両国からリーゼ様宛に妙な手紙も来ていますね」


 慎重に、ダリウス様が封を開けます。


 一枚目は、クロコダイル王国の王妃から。

 『鰐人の国宝とわんわんリード一本を交換して欲しい。もしくはボルゾイ卿を縦半分に切って、リーゼロッテ女王陛下と分け合いたい』という内容でした。


 もう一枚は、ラミア女王国の女王から。

 『ボルゾイ卿の首だけでも欲しい。そうしたら国の半分を上げるから」という内容……でした。


 私はわなわなと震えます。


(マゾ様……全く女性関係の片がついていないではないですか!)

 むしろ悪化しています。執着されています。

 

 脳内で黒塗りを復活させながら下を向き、私は女王専属警備犬に懇願しました。


「……マルス様。これからも私の足元をお守りくださいね」

『あはは。らじゃー』


 足元の小型犬なマルス様は、お腹を抱えて笑っていました。




 義兄からの手紙はありません。

 私の立場は女王。そして義兄はまだ平の小姓だからです。

 自分も書いた手紙を義兄へは送ってはいません。一通一通書きあがる度に、机に奥深く仕舞っております。


 代わりに状況報告書が、第七部隊隊長のヨーチ様から届いていました。


『旧ユマニスト側の国境付近で、難民たちと揉め事を起こしていた若い導師は、大導師ゴルトンが「上司に逆らうとはなにごとだ罰当たりめ」と告解なぐりたおしたので、静かになりました。

 難民側も相互理解なんだだけんかをして気が抜け、すっかりと落ち着きました。


 ————しかしながら、ならず者の愚連隊を作っていた元貴族の竜人たちが行方不明。

 どうやら、噂の難民活動家が連れて行ってしまったようです。野犬の目撃報告も続いています』

 

「なんとか、住民側と難民側は妥協点が見つかったようですね」

「そうですね。最悪の事態を免れてホッとしています」

「グレイハウンドが言っていました。『これでダシバも駄犬なりに役に立つと【犬道】で紹介できますよ』とね」

「そうですか……」


 私は胸が熱くなりました。

 ダリウス様は優しく私を見下ろしてくださります。

 

「ただ、大導師が混乱している元帝国領に住む純人にも駄犬の素晴らしさを説きたいと言っているようなので、再会はまだ先になるかと」

「ええ、構いません」

「……いいのですか?」


 私は膝の上で拳を握り、


「あの子がもっと活躍してこの国に堂々と帰って来るまで。私は待つことにいたしました」


 そう、答えたのです。






 お昼は王宮のテラスで上層部とランチを食べながら(犬な皆さまは地べたでお皿を突きながら)、今後の外交政策について意見を交わしました。


 午後は王座で、酪農協会のボーダーコリー会長と、彼らに農作物を食べられたという耕作犬協会のシャーベイ会長を「どちらも譲り合ったら、抱きしめて差し上げます」と仲裁し、法の番犬・ドーベルマン一族に感謝されました。

  

 そして軽い夕立が降ったのちは、プードル夫人の猛特訓の時間です。

 くるくるの白い巻き髪が四方に跳ねます。


「陛下! 脇が甘いですわ!」

「はい!」

「それくらいで、感度の低い野犬を一発で昇天させられるとお思い!? 集中力が途切れておりますわよ!」

「申し訳ありません!」

「悩みがあるなら一層モフりに集中なさい! 無心になるのです! 無心になって内なる己と闘いなさい! そしていかに相手を心地よく悶えさせるかだけを考えなさい! 必殺のツボを狙うのです!」

「はい! プードル先生!」

「プードル夫人とお呼びなさい! 陛下といえどもこの呼び名は譲れませんわっ」

「はいー!」


 何十人もの兵士を失神させ、私は同時にコートに倒れました。

 両手もそうですが、頭も使い過ぎて目が回ってしまったのです。


 マルス様に抱えられて仰向けになると、赤い陽に照らされた雲が、伝説のムツゴロー様のメガネに見えます。

 (まだまだ足りません。私はもっと、強くなりたい)


 シャワーの後、テレサさんとグレース・コリー様のお手伝いにより、きちんとした正装になりました。

 各国の独立式典の相談でやって来た竜人・鰐人・蛇人の大使たちを迎え入れて、晩餐会を開くためです。


 確実に、ケンネル王国の損にならないお話をせねば————。






 そうしてようやく夜になり—————。


 部屋着のまま自室のソファーでぐったりとしている私に、『ちょっとやり過ぎじゃないの、ご主人様』と太ももに頭を乗せているマルス様が心配しています。


 私は止めていた手を再開して、マルス様のサラフワな毛並み首筋からモフり始めました。

 

「……マルス様。実際の所マルス様はとてもお強く、爵位も高く、見た目にも可愛らしいから女王の警備犬になられたのですよね」

『そうだよ。僕ほど強くて完璧な美少年はそうそういないからね。あ、もっとここ掻いて』


 膝の上のサラフワ犬の耳の裏を、優しく掻きます。

 目を閉じてうっとりとする彼に技術の向上を実感すると共に、今まで聞きたかったことを訊ねました。


「実際の所、嫉妬もひどいのではありませんか?」

『そりゃあそうだよ。誰だってご主人様の匂いに囲まれて生きていきたいからね。しかもご主人様は素敵なモフり方まで上達してきちゃったからねえ。たまに嫉妬した犬人に襲撃されるよ。もちろん三倍返しするけど』

「そうですか……。ちなみに私が持ち歩いている『れおん君』ですが」

『ん?』


「どれくらい離しておけば、周りの嫉妬を回避できますか」




 私はマルス様のアドバイスに従い、『れおん君』紐につないで三メートルくらい離しておくことにしました。これでもう大丈夫でしょう。

 

 とはいえ、すでに嫉妬の爪や牙でボロボロの『れおん君』。

 これをレオンハルト様にお見せしたら、彼はショック死してしまうのではないかという状態です。


『実際には、国公認の僕が『れおん君』よりもご主人様の近くに居れば、問題ないんじゃないかな』

「なるほど。今後はそうしてみますね」

『やるねえ、ご主人様。ぬいぐるみで兵士たちの嫉妬行動を調べていたのでしょ?』


 私は黙って、マルス様を持ち上げて胸に抱きました。

 眉を上げて驚かれる小型犬。


(サラフワな感触が最高ですね。外は暑いですが、とても心地良いです)

 

『ご主人様どうしたの? 嬉しいけど』

「私は、皆に平等な飼い主になれるのでしょうか」

 

 マルス様は私の弱音に、首を傾げます。


『出来るでしょ。だってご主人様は、愛犬ダシバをちゃんと手放したじゃないか』





 ————ダシバを見送った日の夜。 

 マルス様は、私が枕に涙を押し付けていたことを知っています。


 ……いつもベッドの下にいますから、丸分かりですよね。 


 私はマルス様を抱きしめる腕に力を込めました。

 彼はそっと小さな舌で頬を舐めてくださいます。


 そして私は、自分の罪を告白したのです。


「私はいつも湧き起こる寂しさを、親友ダシバに救ってもらっておりました」


 あの子は、常に私の傍にいてくれます。


 義母に折檻されても、遠くに放り出されても。

 ぼろ雑巾のようになりながらも、あらゆる奇跡を使って私の傍に戻ってきました。

 お手も伏せもおすわりも理解できないオツムですが、どんな奇跡を使ってでも、私を求めてくれました。


 —————何があっても、あの子は私を必要としてくれる。 

 それだけでどんなに心強かったことか!


「私はあの子に心を救ってもらいました。でも……私は逆に、あの子の居場所を奪ってしまったのです」


 脳裏には、いつも能天気な間延びした豆柴の顔が浮かびます。

 共に居なければ落ちつかないのは、本当は私の方です。


 なのに。私があの子を求める度に。

 不安を抱えた犬人達の嫉妬は膨れ上がり……この国でダシバの居場所はなくなっていきました。


「だからこそ、今度は私がダシバの居場所を作らねばなりません」


 自立せねばならないのは、私の方—————。


『それが、今回の旅?』

「ええ。これはダリウス様達とも話し合いました。私はお義兄様を信頼しています。あの子が無事に使命を成しとげ、純人教と他の人々との潤滑油と世界となって、帰ってくると信じています」


 —————ダシバに、成果を上げさせる—————

 これは義兄がレオンハルト様の執務室で、まず先に提案してきたことでした。


 でも、ダシバや義兄が頑張っている間にも、私は私で出来ることがあります。

 



 マルス様がじっと私を見上げ、人の姿に戻りました。

 そして「じゃあ今度は僕が抱きしめてあげる」と、座り込んであぐらをかき、私を後ろから抱え込む形に抱き直したのです。


 私の肩に顎を引っ掛け、ぎゅーっと抱きしめる腕に力を込めます。

 

「マルス様?」

「……僕はご主人様の覚悟を認めているよ。

 女王陛下として、あいつが駄犬なりに世間の役に立つことを犬人たち示して、国民に安心してもらうのでしょう?

 あいつが一度も女王おやの元に帰らず、旅をちゃんと完遂できれば、いい加減国内では認めるしかないだろうね。「駄犬だけど、まあ仕方ないか」ってね。


 —————本当にあいつはただの犬で、人の頭脳なんて持っていないというのにね。みんな高望みだよ」




 マルス様ははあ、とため息をついて「だいたいさあ」と零します。


「そりゃあ学校の教科書では、ポチ様は、それは素晴らしい人格者で出来る犬だったって書かれているよ? アイアル様は出来るポチ様に惚れ込んで、幸せな飼い主と愛犬となったって誰もが読んだよ? 

 僕の家でも、両親がなんでもかんでも『ポチ様だったらこれができた、あれができた』って押し付けてきたものだよ。全部反発して放り出して、戦場に逃げちゃったけどね。


 それにさ、伝承にいくら素晴らしい業績が伝わっているからと言っても、すべてが真実とは限らないよね。伝承にないことだって、みんな『でもポチ様なら出来たはず。お前もやれ』だもん。お年寄りは想像力が豊かだよねえ」


 保育園から学ぶ教科書、『アイアル様とポチ様』。


 この国は徹底的に理想的な忠犬を、国民の模範として教えて来たそうです。


 <努力><友情><忠犬>を合言葉に、時代を追うごとに内容が理想的ばらんすわるくに改訂されてきたと博士から聞いております。


(その一方でマルス様のような自由な方は、なかなか窮屈な思いをされているのですね)

 私はそっと、マルス様のサラサラな白い髪を、よしよしと撫でさせていただきました。


 犬の時のようにうっとりと目を細められるマルス様は、私に頬を擦り付けて「ご主人様が好きだわん」と冗談っぽくおっしゃったのです。

 





 そもそも現実のポチ様とは、どのような方だったのでしょう。

 実際は聖犬という存在ではなく、もっと生身の、自由に生きる犬ではなかったのでしょうか。


 野犬とマータギとの契約神話から、アイアル様とポチ様との出会いの伝説まで。

 歴史はずっと空白のまま。

 

 かの方がどのような気持ちでアイアル様を見つけ、アイアル様がどのような気持ちで国を建てようと考え、二人がどのように未来を祈ったのか―――――。

 



 想像だけではとても補えない壮大な時間を夢想しながら、私は明日の仕事と特訓に向け、深く眠りに落ちて行ったのです。 

  



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