第六話 俺がいるやん ( by バド )
広い宰相室に居たのは三人。
書類で溢れた机を横目に、私は応接室のソファーに案内されました。
まだ完全には回復していない、顔色の悪いレオンハルト様。
軍服のまま、難しい顔をして腕を組んでいるダリウス様。
そして————なぜか義兄です。
いつもの文官服を着て部屋の角に立っています。その表情は珍しく、とても真剣です。
テレサさん心配そうに眉を下げて、『後で冷え冷えのゼリーを持ってきますからね。決して無理してはいけませんよ』と、頬をペロリと舐めて去っていきました。
私はふらふらなレオンハルト様に、声を掛けます。
「レオンハルト様はご病気だったはず。お休みになった方がいいのでは」
「いいえ。このまま寝ていても仕方ありません。仕事の出来ない犬など、存在する価値がありません」
「……レオンハルト様。私は割烹着の貴方も宰相服の貴方も、ただここにいる貴方も好きですよ」
「リーゼ様?」
「そもそも自分を慕うから、役に立つから、邪魔ではないからだけで、好きになるわけではありませんし」
「……」
「どうされたのですか? 皆さん」
黙ってしまった三人を見上げます。
とりあえず座ってください、とレオンハルト様に促されました。
部屋の隅で立っている義兄以外が座ると、レオンハルト様は、少し顔を伏せながら説明を始めます。
私が緊急会議に行く前に呼ばれた理由————この後の会議が紛糾する恐れがあるから、事前にきちんと打ち合わせをしたかったからだそうです。
「会議には、初めて大導師ゴルトンが出席します」
「ということは————」
「ええ、旧ユマニスト領側の難民キャンプで、重傷者が出ました。純人教側と難民側、両方に、です。この解決のためにも、かの方の協力をお願いします」
ダリウス様が組んだ腕を解かないまま、状況を詳しく説明してくださいます。
「マスティフ卿たち第二部隊に治安を頼んでいますが、どうも状況が落ち着きません。
特に一部の落ちぶれた元貴族の竜人たちが、かつての配下だった蛇人や鰐人を集めて徒党を組み、怪しげな行動を取り始めています。当地の純人教の導師は若くていささか激しやすい男で、すぐ言い合いをしては近隣の村人を煽ってそうですね」
「まあ。お互いを何とか説得できないのでしょうか」
「難しいですね。そもそもお互いに譲るという観念がありませんから」
顔の青白いレオンハルト様が、そこに恐ろしい情報を付け加えます。
「さらには、島で殲滅戦を行った時のテロリストの生き残りが、難民活動家として関わっているという情報が入ったのです」
「難民活動家……とても良いことをしているようなイメージがありますね」
「とんでもない」
難民活動家とは、純人権活動家と同じく『難民の人権を守ろう』と世界各地に訴え、寄付を募る方たちです。
ただし詐欺師も多く、彼らは寄付したお金をこっそりと懐に入れてしまうそうです。
更には、『正義な自分が好き』という活動家もいます。
寄付しない人間を「差別者」と読んで攻撃するので、関わる時には全身鎧を着ることが推奨されます。
今回は、どちらかというとカモフラージュ。
テロリストが活動家を語り、「正義の純人教VS差別主義の変身人種」という構図を作りたいからです。
難民に過剰に肩入れをしては、あちこちに争いの火を付けています。
なぜそこまで彼らはするのか?
アプソ大司祭はこう言いました。
—————基本的に、彼らは承認欲求が強すぎる若者で、ただ正義が敵と戦う妄想をして、陶酔感に浸りたいだけなのだ—————
もしそうならば、とても危険なことです。
オオカミ犬の生き残りでおられたロボ様に面会した時にも、言っておられました。
我らの世界は、それぞれの正義と、正義を夢想したものたちに滅ぼされた、と。
「更に未確認情報なのですが、今のうちに共有いたします。ボルゾイ卿が『陛下にホウレンソウですよね』と張り切って持ってきた写真です」
レオンハルト様が用意した一枚の紙。
そこにはとても緻密な絵が描かれていました。
暗い森の中。よく見ると、さほど大きくはない、犬の影のようなものが見えます。
「国境付近の山に現れた野犬です」
私ははっと息を飲みました。
野犬。
それは、犬人が飼い主を失くした哀しみと共に、理性をかなぐり捨ててしまった末路。
王族がたくさん亡くなった時に、多くの犬人が野犬になってしまわれたと聞いております。
ダリウス様の励ましと、私の発見の報告によって、ほとんどの方が理性を取り戻したのですがごく一部————。戻れない方がいたそうです。
「しかもこの近くには犬棄山があります」
犬棄山も、聞き知っております。確かケンネル王国と旧ユマニスト領の国境にまたがる大きな山。
確か野犬になりかけた方が、他犬に迷惑を掛けぬよう、自らの死を求めて向かう場所。
古代、荒れ狂うヒグマーという宿敵が住んでいた場所だそうです。
またこの山については哀しいお話をたくさん聞いております。
「伝説の犬・ポチ様の様に出来る犬」を目標とする犬人たちは、事故や病気で重大な後遺症を抱えてしまうと、「出来ない犬など、ただの駄犬だ」と自らを棄ててしまうことがあるそうです。
そして、山奥で朽ちるか、大型猛獣に捕食されるか―――――。
私は想像しただけで辛くなりました。
レオンハルト様は地図を広げながら、もめ事の場所や野犬の移動想定ルートを教えてくださいます。
「一部の狼藉者となった難民グループは、犬棄山の近くに何度も行っているようですね。それで刺激されてしまった野犬がいるのかもしれません」
「理性が落ちている分、地元民を襲いかねない」
ダリウス様が口を開き、腕をほどき地図を指します。
問題の旧ユマニスト領と帝国の国境、更に犬棄山を囲む円を、ゆっくりと書いていきます。
「そして恐らくここからが会議の本題です。大臣や文官たちは、『野犬と旧ユマニスト側の難民全部の掃除』を提案するでしょう。不穏因子が隠れて活動されては困るからです」
「全部……ですか?」
「ええ、全部です。そしてユマニスト側の国境を閉鎖します。もめ事が怒るような人種と宗教は、壁で分断してしまえばいい、というわけですね」
思わず息を飲みます。
「全員皆殺しとは……強引すぎませんか? 難民の殆どは、ただ戦火から避難してきた人、ですよね?」
「ええそうですね。なぜ純人教のメッカにやってきてしまったのか。ご愁傷さまです」
「なっ」
「ご主人様は、どうしたいですか?」
突き放すことを淡々と述べながらも。
ダリウス様は澄んだ水色の瞳で、私に問いかけてくださいました。
初めてです。
初めて最初から、私の意思を具体的に確認してくださっているのです。
かっと感情のまま反論したくなくなる気持ちが、凪いでいくのを感じます。
目の前のレオンハルト様を見ると、ずっと穏やかに見えました。
一度深呼吸をして。
まずは、正直に自分の気持ちを伝えます。
「私は、推定有罪は好きではありません。いつも、自分がされてきたことですから」
ずっと無言で話を聞いていた義兄が、「陛下……」と呟きました。
ほんの半年も前のこと―――――。
父が儚くなり、優しかった使用人たちもみんな辞めさせられてしまった、冷たい屋敷。
『リーゼ。貴女が私のネックレスを盗んだわね』
『いいえ違いますお義母さま。私ではありません』
『嘘おっしゃい。ペニーとドルが犯人は貴女だと言っているのよ』
『お二人が「換金するならネックレスだよな」と相談していたのは知っていますが、私は何もしておりません』
『貴女の顔がそう言っているのよ! この愛想無し! 継子ならもっと私に気を使ったらどうなの!?』
『ごめんなさいお義母さま。でもこの顔の筋肉はお医者さまでも治せないって』
『そんなのどうでもいいわよ! その妙におきれいな顔で! そのカナリアみたいな声で! ただいるだけで私を腹立たしくさせることが罪なのよ、分かる? このクソ娘』
『ごめんなさい……でも』
『反論なんていつ許したの!? 頭の悪いあんたの犬は、追い出しても、追い出してもあんたを求めて帰ってくるし。役にも立たないから殺そうとしても、悪運強くて死なないし。
————私以外の女も使えない犬もホント嫌い。本当は子供だってうるさいから嫌い。黙って親に尽くす子に躾られない親だって嫌い。私を苛立たせるものは、みんな死ねばいいのに』
『ダシバはお義母さまにもお義兄様たちにも、(危険を感じて)吠えもしないし寄ってもいないではないですか!』
『うるさい! 生意気を言うんじゃないよ! 子供はうるさいから死ねって言ったばかりでしょう!? 私の神経に障るものなど、この世に必要ないのよ!』
そしてお義母様は激高して、私の顔を何度も殴ります。
いつものことですが……最後にはご飯抜きになって、部屋で痛みに耐えるよう、小さく丸くなっていました。
遠く、くうーんとダシバが私を探す声が聞こえます。
そして夜中にこっそりと差し入れてくれる義兄————バド義兄様が、
『安心しな。ダシバのエサに入っていた殺鼠剤は抜いておいてやったで。クソ兄貴どもがこっそりババアのネックレスを質屋に流していたのもリークしておいたし』
と、手を差し伸べてくださいました。
このようなことを繰り返す度に、ああ、まだ私とダシバは生きていていいのだと、
—————この世界に生きることを許されているのだと、思ったものです。
(それでも私には、ダシバと義兄がいて幸せでした)
私を必要としてくれるただ一匹の犬で、ただ一人の親友。
そして、守ってくれる人。
「私のような「いるだけ不愉快にさせる」子供は、本当はいてはいけないのかもしれません。
ですが私にはダシバがおり、おに、いえバドさんがいました。
私は二人のためにも、生きられるだけ生きようと心に決めたのです。
————だから、ただいるだけで否定される人々を。リーゼロッテ個人としては、徒に否定をしたくないのです」
それでも、私は女王ですから。
そう言いながら、私は俯きました。
「ですが難民は、国民ではありません。
一人でも国民が不幸なことで欠けぬよう、効率の良い治安方法があるのならば。
どんなに残虐でもそれを選びます。多少の犠牲は仕方ありません。
私は会議でその議題が上がっても、女王として、より確実な方法に賛同するつもりです。
本来犬人の縄張りを侵すものがいれば、最初からやらねばならなかったのかもしれません」
私はたくさんの散歩で、犬たちに振り回されて学びました。
犬人は、犬人なのです。
自分のエゴで「人としてこうすべき」「犬ならこうすべき」、犬人を変えようとしてはならないのだと。
私は何もできないただの子供です。
王族である、ただそれだけで犬人の皆さんが慕ってくださっているだけです。
ですが。
本気で彼らを犬と定義して躾をするのならば。
私自身を変えなければなりません。
————本当の女王になるために?
————いいえ。真の女王になるためには、犬人の本当の性質を理解しなければならない。
私はようやく、自覚をしたのです。
彼らは良き友人はあります。しかし犬です。
人の理屈で説いてはいけないのです。
多頭飼いを本気で意識し、飴と鞭が使いわけねばならないのです。
心の奥から、覚悟を決めると共に。
これだけ慕ってくれる犬たちがいるのに、なぜか誰もいない空間に一人で立っている————そんな気持ちになりました。
最後まで言い切ると、部屋の空気が変わったような気がしました。
(暗い本音に引かれてしまったのでしょうか)
悪い想像が膨らみ、落ち込んでいきます。
するとレオンハルト様が「バド、来なさい」とおっしゃり、思わず顔を上げました。
ソファーの近くまで歩いて来た義兄は、にこにこと笑っています。
少し背が伸びたのでしょうか。いつもよりも大きく見えました。
「リーゼ様が本音を語ってくださった。ならば私たち犬人は、女王の最大の意に添うように成功させるまで。バド。お前の提案をリーゼ様にお教えしろ」
「は」
義兄は恭しく腰を曲げ、礼を取りました。
一抹の寂しさは浮かびましたが、上げた顔には—————悪戯を思いついた時のような、不敵な笑み。
その内容に、ひたすら唖然としました。
そしてこっそりと「なあリーゼ。お前一人とちゃうやろ。俺がいるやん」と、囁いたのです。
犬人の二人は、聞かぬふりをしてくださいました。
◇◇◇◇
私は会議室の前の扉に来ておりました。
足が遅いので、ダリウス様が抱えております。
————本当は犬の時に跨って欲しいのだと懇願されて断りました。
テレサさんが「お婿が来なくなりますよ」と口酸っぱくおっしゃるので。
「……ホウレンソウだからな。ボルゾイ卿が言っていたようにして正解だった。これで対策が練れた」
「ああ、ホウレンソウすれば、陛下の本音も聞けて、上手くいけば腹モフもしてもらえるって聞いたからな」
レオンハルト様もダリウス様が、なにやらこそこそと内緒話をしています。
マゾ様の名前が、チラ聞こえしてしまうので気になります。
しかし二人とも穏やかに微笑みあっているので、詳細は聞かないことにいたします。
義兄は小姓らしく、しずしずとレオンハルト様の後ろを歩いてきます。
しかし黒いメガネが反射して、表情が見えません。これは悪いことを考えている時のメガネ。
「女王様が参りました!」
「遅いぞ、女王」
扉の前には、大導師ゴルトンが仁王立ちして待っていました。
傲岸不遜に床に降りている私を見下ろします。
相変わらず秀麗な顔に、深淵のような暗く深い色の片目。
黒っぽい導師服は、いったい同じものを何着持っているのでしょう。
「もう少しで破門してやろうかと思った」
「その前に私は純人教徒ではありませんので」
相変わらずの御仁でした。
私の返しに、大導師は満足そうにうなずき(未だに何に満足をされているのか基準が分かりません)、集まった上層部の皆さんに振り返ります。
「では議題を進めろ! 私は忙しい。
国境の異教徒を皆殺しにするなら、異端のテロリストを炙り出すのに協力してやろう。
だがいちいち話し合いに応じろと言うのなら—————さっさと帰らせてもらう」
「大導師!」
なんと分かりやすい。
その一方で、会議室の犬人たちは、余裕がないように見えます。
本日集まっているのは————難民キャンプを作るので国境近くにいるロットワイラー卿とレオンバルガー様を除いた大臣の方と、難民の移送と滞在費用捻出に掛かりきりのボクサー卿を除いた二局長です。
他にいないのは、中央騎士団関係の主要な方々と—————バーバリアン様です。
彼はまだ、自領でも発見されていないそうです。
ですが、ピットブル一族の皆様は「よくあることだから」と、日々狩りをして暮らしています。
奥様のグレース・コリー様もそのうち湧いて出てくるとおっしゃっておりました。
(それはもう、普通に捜索隊を出した方が良いと思います)
————私の突っ込みはさておき。
こちらに歩いてこられる議長は、法務局長のドーベルマン卿。
黒い短髪に鋭い瞳。
少し細身の体は、文官の服が不似合いなほど、全身筋肉の鎧で覆われています。
その彼の上に吊り下げられた、大きな黒板に書かれた議題。
『犬棄山大作戦 ~世界がうらやむ大秘境・犬棄山! 帝国との国境を分ける山々に沈む夕陽と野犬の恐怖、夜に紛れ込む爬虫類は生きているのか! ワケあり美女犬と怪しい難民活動家の正体とは! ぽろりもあるよ~』
なんの演劇のお題目でしょうか。
それもお昼に暇を明かした貴婦人が見に行く劇場————確か昼ワイド劇場でしたか————の演目にしか見えません。
「ドーベルマン卿」
「なんでしょうか陛下」
「この議題はつまり、何でしょうか」
「難民と純人教との争いを止めるためには、野犬の問題も含めて対処せねばならない、と書いたつもりですが」
「……ちなみに演劇が好きなのではないですか。その、ちょっとB級の」
「よく分かりましたね、陛下! 実は私、脚本家を目指していましてな。やはりどうせ人を皆殺しにするならばもう少しロマンというものを、ですね、」
「はい、もういいです」
どうも会議の流れは、最初から「国境付近の難民の殲滅」で決まりそうなのですね。
台詞を止められて不満そうなドーベルマン卿を「議長お疲れ様です」と軽く褒め、機嫌が良くなったところで、大導師に振り向きました。
「早速で申し訳ありませんが、大導師様。この問題を解決するためにも、貴方様のご協力が是非とも必要なのです。一つ乗っていただけませんでしょうか」
「……何をだ」
警戒する大導師に、私はごく真面目に伝えました
「世界中にダシバと共に純人教を布教するのです」
「な……何を……」
「国境付近の爬虫類たちに駄犬教の素晴らしさを解くことで、ダシバの素晴らしさを理解していただき、相互理解を推し進めるのです。
要は互いの理解が足りないから起こる事態。
最後に殲滅をするにしても、一回試してみてはいかがでしょうか。
もしこのモデルが上手くいけば————世界中に布教するお手伝いとして、ダシバを貸しましょう」
激しく動揺する大導師。
それはそうでしょう。彼の長年の夢だったのですから。
突然のピンク色の夢が目の前に現れたかのようです。
一方で激しく犬人が反対されます。
「どうせ駄犬は戻ってきてしまうだろう!?」
「わけ分からんぞ、あの駄犬。どんな手を使って遠ざけても、超常現象まで味方にして陛下の傍にいるのだぞ?」
「陛下の傍にいたいのは私たちだ!」
ぎゃんぎゃんぎゃん。
興奮する皆さんを前に、私はこの子たちの不安を取り除いて見せると拳を握りました。
「皆様、お座りしてください!」
『はい!』
私の叱咤に犬の姿になってしゅんと座る方々。
思わずドーベルマン卿も犬になっておすわりをしています。
私は表情を崩さずに(もともと崩れようがありませんが)、後のレオンハルト様に合図をしました。
「宰相。お願いいたします」
「は」
小康状態をかろうじて保っている麗人は、決意を込めた表情で見渡します。
そして語られる内容。
私と義兄以外の、誰もが驚く内容でした
「皆様、そもそも駄犬————ダシバの飼い主は、陛下一人ではない」
『何!?』
そこに義兄が恭しく挨拶をし、提案をします。
「私、バド・ラック・ハイデガーは元々ダシバを陛下と共に世話しております。
あいつは母親のように陛下を慕っておりますが、その意味でいえば私も母。私が共に行くとならば、あいつは多少なりとも我慢してついて来てくれるでしょう」
そういうと、会場が感動の渦に巻き込まれました。
『救世主……』『救世主だ……』『バド・ラック・ハイデガー……やつは出来る』
盛大な拍手が始まります。
犬の方は後足でスタンデインングオーベイションです。
そうして、人事院の方が四足で前に進み、義兄様を褒めたたえました。
『最高だ、少年。其方が無事に帰ってきたら女王様にも取次ぎが出来る秘書官に任命してやろう。いいですな、宰相』
「もちろん」
「ありがたき幸せ」
心の中でほくそえみながら礼を取る義兄。
大導師はすっかり乗り気になり、「よし、準備をしてくる。まっていろよ、少年。めるくめく私の旅路の手伝いをしろ」と飛び出してしまったほど。
嵐のような感動が収まると、義兄は「一言だけ宜しいでしょうか?」と会議室に響く声で確認いたしました。
ドーベルマン卿が「いいともいいとも」と、涙目で頷きます。
義兄はメガネを外して、述べました。
「皆様、これだけは言い置きますよ。
リーゼ様は、犬が犬でいるだけで幸せなのです。
ただお利口で、愛嬌があって、飼い主に死ぬほど尽してみせる犬だけが、生きている資格があるなんて、今時じゃないですね。
無条件に愛してくれる犬だから好かれる。何しても許してくれる犬だから好かれる。死ぬほど尽くしてくれて本当に死んでしまう犬だから好かれる。分かりやすく愛情をくれる犬だから好かれる。なんでも聞き分けが良い犬だから好かれる。
そんなものクソくらえ、です。
皆様は忠犬教徒ですか? ――――それでは純人教と何が違うのですか?
もちろん最低限の礼儀を躾けることは必要でしょう。
不法に人を殺さない、怪我をさせない、無駄吠えしない、他人に変に絡まない。
————戦争好きな皆様、できていますか?
女王陛下は、この国の犬が皆大好きです。
手足が欠けようとも、頭がバカになろうとも、大切な犬だと言い続けるでしょう。
安心してください。
―――――「愛されていないかも」と不安なのは、貴方たちだけです」
颯爽と去っていく義兄。
会議は紛糾するかと思いきや、静まり返ってしまいました。
レオンハルト様とダリウス様は「帰りましょう」と言ってくださいましたが、私は逆らって会議室の中央に数歩、歩きました。
「皆さん。私は皆さんが好きです。だから、もっと分かりやすく正直に甘えにきてください。
とりあえず寂しくて死んでしまいそうな子はここに来てください。『腹モフ』をして差し上げます」
そういって、とりあえず目の前でカチンコチンになっている黒いドーベルマン卿を転がして、いっぱいモフらせていただきました。
ほうらこんな感じ。とうっとり動かなくなった黒わんこを見せると、次から次へと、おずおずとお願いにくるわんこたち。
(みんなの不安を減らして見せますとも)
私は、この世界における、真の多頭飼いへの一歩を、踏み出したのです。




