第二話 ご主人様、まずは私に首輪をつけてください( by ゴールデンレトリバー )
私は夢を見ました。
そこは父の書斎。
私は病気になる前の父と小さな机を囲み、大きな本を立てて勉強をしておりました。
足元にはダシバ。腹這いではなく、仰向けに転がって寝ています。
お股が見えていますよ。
『この大陸には昔、動物と二つの姿を持つ人たちがいたんだよ。有名なものには鳥人、犬人、猫人などかな。まれに竜人という人間もいたらしいね』
『今はいないのでしょうか』
『ああ、過去に純人教という恐ろしい宗教がはびこっていてね。彼らは滅ぼされてしまった。だが一部は生き残り、新世界に旅立ったと言われているね』
『新世界とはどこでしょうか。違う国に行ったのですか?』
『学術界では、未だ世界一大陸論を信じる者がいるけどね。恐らく新しい大陸を目指し、海を渡ったのだろうな』
『あの大海原の向こうに大陸があるのですか?』
『僕はあると信じているよ。こう言うと学者らしくないと怒られるけどね。君のお母さんが良く言ったんだ《私はきっと、あなたに会うために海を越えて見せたのよ》とね。だから信じることにしたんだよ』
僕はあの時、彼女に惚れ直したよ。
だって、とても素敵な話じゃないか。
ロマンチストの父は、夢見るような瞳で母を思い出していました。
そして私に重ねて、優しく語るのです。
『リーゼにもいつか、現れるかもしれないね。海を越えても君に逢いたいという人が』
わんわんわんわんわん。
突然、たくさんの犬の鳴き声が聞こえてきて、周囲の景色が変わります。
そこは海の岸辺。鮮やかな青い海に白い太陽が輝いた場所。
私は白いワンピースと素足で波打ち際に立っていました。
波にダイビングして遊ぶダシバを他所に、私は声の主たちを探します。
わんわんわんわんわん。
(水平線の向こうでしょうか?)
目を凝らすとそこにはたくさんの犬たち。必死に犬かきをして、こちらにやってきます。
大型犬、中型犬、小型犬。良く分からない形の犬。何千、何万という犬たちが私に向かって泳いできます。私をキラキラとした目で見つめ、必死に泳ぐ犬たち。
そして、第一陣でたどり着いたのは大きな黄金色の犬でした。
薄い茶色の目が優しそうだなと観察する間もなく、彼は大喜びでワンと吠え、私に飛びかかりました。
その衝撃を受け止めきれず、後ろに転びそうになりますと、背後からも衝撃が走ります。
後ろを見ると、筋肉質の中型犬たちが甘えてきておりました。
更に横からは、どの犬よりも巨大な犬のタックル!
私の小さな体はポーンと白浜に転がってしまいます。
わんこは甘えたいのでしょう。ですが人の体格を考えて欲しいものです。
転がって砂まみれの私の胸に手を置いて、黄金色の犬が喜んで顔をペロペロ舐めてきます。
すると負けじと中型犬と超大型犬がペロペロ攻撃。むむむ、息が、息がしづらいです。
ストップ! 君たちストッププリーズ!
無駄とは思いましたが、ダシバに助けを求めようと海を向くと――――。
駄犬は犬かきで溺れていました。
ダメシバ!
そこに次から次へと波状攻撃のように犬たちが上陸し、私に甘えようと殺到してきます。
ちょっと待って、重いです! 痛っ! ストップ! 骨が折れます! 愛が重いのです!!
重いのですよー!!
「は!」
「リーゼロッテ様! 気が付かれました!」
そこは広い天井。
私は大きな天蓋付きのベッドの上で、金髪の麗人に後ろからがっしりと抱きしめられていました。
この方は確か、レオンハルト様とおっしゃった……。あの時の記憶が間違っていなければ、宰相という重職に就かれているという方。
中性的な顔ですのに、背中に当たる胸板は思ったよりも硬く、厚さがあります。やはり男性でしたか。
私と目が合うと、彼は破顔いたしました。
そして、薄茶の瞳を潤ませて「良かった! もう三日も意識が朦朧とされていたのです。私は心配で、心配で……下手くそに戦車を運転するシェパードを何度殴り倒してやろうかと」と、頬ずりをされます。ふんわりシトラスのいい匂いがします。
ふと、疑問が沸きました。
なぜレオンハルト様は、私と一緒のベッドに入っているのでしょうか。
更によく自分の恰好を見ると、清潔で着心地の良い、クリームイエローの貫頭衣の寝間着を着ておりました。
不衛生で汚かった肌も、綺麗にしてくださっており、ずっと骨と皮だったはずの手も、ほんの少しだけ肉が付いています。
ベッドの横の台車には流動食らしい鍋が置かれていました。レオンハルト様が手ずから食べさせてくださったそうです。
(ん? 手ずから? 確か宰相っておっしゃっていましたよね? 侍従の聞き間違えだったのでしょうか)
私はあの後、馬のない馬車の中で久しぶりのご飯を食べてホッとし、今までに溜まった疲労が噴出してしまいました。
高熱に倒れて意識が戻らず、彼らにそれは心配を掛けてしまったそうです。
「申し訳ありません……」
「何をおっしゃいます! こうして我々の国にリーゼロッテ様が還られて、無事にこの腕の中にいらっしゃる。それに勝る喜びはございません!
ただ、あちこちに打撲があり骨にヒビすら入っている箇所もありました。もう暫くこの部屋で安静にされてください」
「あ、ありがとうございます。……あの、そもそも私はどうしてここに連れてこられたのでしょうか。皆様が喜ばれる理由もさっぱり分からないのですが。
あ、それよりもダシバ! ダシバはどうしていますか!?」
私ははっとしました。
そうです、私の愛犬です! まさかごみ箱に捨てられていませんよね!?
レオンハルト様はとても渋そうな顔をして教えてくださいました。
「あの駄犬でしょうか……。元気ですよ、残念ながら」
「残念がらないでください! ダシバに会いたいです。お願いします」
私が必死にお願いをすると、本当~にしぶしぶと、彼は指示を出しました。
侍女に連れられてきたダシバは、つぶらな瞳で私の顔を見ると、丸まったしっぽをぶんぶんと振ってドタドタと走ってきます。
(ん? ずいぶん重そうですね。あ、お腹がぽっこり)
……知らない人の家のご飯をたんまり貰ったようで。
安心のダメシバでした。
ベッドの端に到着して、前足で立ち上がるダシバ。私はこの子を抱き上げようとして、後ろから取り上げられてしまいます。
ダシバは背中を捕まれて、ぶらーんと四肢が揺れています。
私の両手は宙に浮いています。
「あれ?」
「ベッドに犬を入れるものではありませんよ」
「え、でも実家ではいつも一緒に寝ていましたよ?」
「一緒にベッドに!? ————それは決して飼い犬にやってはならない行為です。犬がつけあがります」
「で、でも」
「リーゼロッテ様。どうぞ、立派な犬の主になってください。
犬は決してオトモダチな横の関係を望んでおりません。きちんとした縦関係こそ、安心して社会に暮らしていけるのです」
「そんなこと言われても……」
戸惑う私に、愛犬を吊るしたままの麗人は、
「犬には躾が必要です。ですから、まずは「私」に命じてください」
そう、言われたのです。
「え、犬? レオンハルト様のことですか?」
「そうです。『レオンハルト、ベッドからどけ』と命じるのです。
そもそも、私がここにいる状況をおかしいとは思いませんでしたか?」
「もちろんおかしいとは思っていましたけど!」
レオンハルト様、自覚があったのですね!
若干引きながら私は命じてみました。
「レオンハルト様、『ベッドから出てください』」
「はい、喜んで!」
わん!っと、彼が喜々としてベッドから出ると立膝をついて控えます。見ると、彼はとても立派な文官服を着ていました。
白と紫を基調とした光沢のある生地。裾は長めで立派な刺繍が施してあります。
こんな恰好でベッドに入り込んでいたのですか!?
呆然としていると、彼は私の小さな手を取り、自らの頬に当て、更にとんでもないことを語り始めました。
「私は貴女様の犬です。貴女を一目見た時から私のご主人様であると分かりました。
ああ、貴女が好きすぎてたまらない。いまや私の存在価値は、貴女によって築かれております。決して放置をされないでください。放っておかれてしまえば、たまらず抱きしめたくて、匂いを嗅ぎたくてしょうがなくなるのです。
リーゼロッテ様! どんな命令でもいいのです。私にたくさん命じてください。
ですが、私も一国を支える身。私が貴女への愛で暴走をしないよう、同時にしっかりと躾けて欲しいのです」
綺麗な薄茶色の目に熱情を滲ませ語り続け、とうとう私にあるものを。うやうやしく差し出しました。
赤い首輪です。
ドン引きです。
しかし私の無言を、彼はずいぶんと良いように勘違いされました。
「この姿では付け難いでしょうか。ならば本性に戻りましょう。どうぞ、貴女のその御手で」
そういうと、彼の輪郭はぼやけ、そこには大きな黄金色の犬がおりました。
さっきまで吊るされていたダシバは、地べたで口をあんぐりと開け、腰を抜かしています。
頭に言葉が響き始めます。
『この姿こそが、家名のゴールデンレトリバーの意味です。
私にどうぞ貴女様から首輪をください。貴女のものだと言うその証を』
首輪を持ったまま戸惑っていると、黄金色の犬――――レオンハルト様はきゅんと哀しそうに首を傾げました。じっと見つめながら、眉も心なしか下がってきています。
こ、これは反則です。
なんだか可哀想になってきて、首輪をつけてあげました。
『ありがとうございます! これで私は貴女様の犬です!』と大喜びしているとまた輪郭が戻り、
金髪の麗人の首に、赤 い 首 輪 が。
あまりのインパクトに硬直しました。
彼は咲き誇る薔薇のような、艶やかな笑みを浮かべております。
それが、妙に似合い過ぎて、怖いのです。
首輪が嵌まって落ち着いたのか、レオンハルト様は侍従にベッド横の椅子を用意させていました。
私の状況を、首輪を触りながら穏やかに教えてくださります。
「それではリーゼロッテ様を取り巻くものについて、説明をいたします」
ここは私の暮らしていた大陸と大海を隔てた場所にある、ルマニア大陸。
大陸には中央に巨大な帝国があり、中規模の国が五ヶ国。小規模の国が三ヶ国あるそうです。
この国はケンネル王国と言い、中規模の国の一つ。地図で見たところ右の海岸線に接した国でした。
国民の主体は犬人。犬と人間の姿を持つ不思議な人種です。
一応人種、というからには人寄りではあるそうです。
庶民は特に人寄りで、犬の姿は滅多に取りません。しかし、高位の貴族になるほど、より犬である誇りを持ちます。
人によっては、ごく稀にしか人間の姿を取らないものがいるほどです。
王族は犬人ではありませんが、彼らは建国の時からずっと犬人たちに崇拝されてきた一族です。
犬人は上下関係に大変うるさく、王と決めたものにとことん付き従うことを至上の幸福と考えるそうです。そういえば「貴女が死ねと命じれば喜んで」などという、恐ろしい台詞も聞きましたね。
まさか、それが普通なのでしょうか。
「国民総自決をさせる気ですか!?」と怯える私に、レオンハルト様は訂正します。
そんな思考をしているのは、高位貴族と軍人くらいだそうです。ちなみに彼らの総数は一万人くらいです。十分にダメじゃないでしょうか。
私を迎えに来た軍人たちは、中央騎士団所属の方たちだそうです。
この国最強の戦力であり、犬人の中でも特に癖のあるものが集まった、別名「狂犬騎士団」。
—————狂犬という響きには、嫌な予感しかしません。
ですが、これは彼らにとって誉に近い呼び名だそうです。それはどうかと。
そして、なんと。
私はこの国の先王の落し種だというのです!
かつて多くの妃を持っても子が出来ずに悩んでいた王が、国に立ち寄った旅芸人の一座から夜伽に差し出された女性を懐妊させました。
しかし、彼女は「王は好みではない」と逃走してしまったというのです。
誰かの協力があったらしく、狂犬騎士団の機動力すら逃げ切ったという彼女は、いつの間にか大陸からも姿を消していました。
しかし、狂犬たちは諦めません。
大切な王族を迎えに行かなければ! と、建国時に越えたという大海を再び超えるべく、最高の技術をかき集めて開発したのが、馬のない四角い馬車。
ちなみにあれって、水陸空両用らしいです。
「そうして探し出しました……私の、女王様」
レオンハルト様が私の手の甲に額を付けて、瞑目をします。
赤い首輪が視界に入るのが、きついのですが。
―———それにしても、この国に他に王族がいないのでしょうか?
父を始め、彼らはどこにいるのでしょうか。
え、ダシバですか?
彼はそこの部屋の片隅で侍従が投げたジャーキーを食べているので、邪魔なんてしないですよ?
安心のダメシバです。
そこに。
離れた場所にある大きな扉から、野太い声が聞こえました。
「陛下!」
「いや、まだ戴冠しておられぬ。ここはリーゼロッテ様もしくは女王様だろうが!」
「ご主人様ー」
「それはさらに駄目だ! 儂だって言いたいが、そこはリーゼロッテ様が許してくださらないと!」
「……」
そうして、レオンハルト様の許可も聞かずに開いた扉。
屈強な体躯に黒い軍服を着こなした軍人四人が、歓喜の表情で現れました。
「レオンハルト! もう我慢ならんぞ! 儂たちにリーゼロッテ様を見せろ!」
その中でも筋肉の塊のような、一番年長の男性が、地響きのような怒鳴り声で喚きました。
ダシバがびびって、私のベッドの下に逃げ込みます。
冷たい目でベッド下を見るレオンハルト様。
やがてため息をつき、のしのしと歩み寄ってくる彼らを私に紹介してくださりました。
「彼らは中央騎士団を構成する第二、第三、第四隊長になります。
一番うるさいジジイがグレイ・フォン・マスティフ。第二部隊の部隊長です」
「リーゼロッテ様! 我々が来たからには安心ですぞ!
貴女様を苦しめたあの国を、陥落させておきましたからな!」
「え?」
褒めて褒めて、と私を見下ろす筋肉だるまな初老のおじ様。
今、なんとおっしゃいました?
隣で呆れた顔をして、グレイ様を見ているレオンハルト様。
「だから、我々には王族のくださる躾が必要なのですよ」と呟きながら、赤い首輪をいじっておりました。