第四話 ご主人様、こんな犬ですみませんすみませんすみません ( by コーギー )
なぜ、このようなところにダシバがいるのか。
疑問がよぎりましたが、今はそれどころではありません。
私はダムの岸辺で溺れるダシバを救おうと叫、
『駄犬だー!!』
叫べませんでした。
『駄犬がいる!』
『駄犬がいるぞ!』
『駄犬怖いよー!』
ダムで楽しんでいたわんこたちが、『駄犬が出た』と大パニックを起こしたのです!
山のような犬人達の群れが、次から次へと岸に上がり、逃げていきます!
皆に逃げられ、相変わらず「キャンキャン」と溺れ続けるダシバ。
皆さん!
そこまで駄犬がお嫌いですか!
お馬鹿だって可愛いではありませんか!
『駄犬がうつるー!』
それにしても、皆さんひどすぎませんか!?
『緊急報告です!』
憤る私のところに伝令のグレイハウンドさんが走り込んできました。
『帝国からの亡命者である蛇人が家族を人質に取られ、駄犬を土産に北の国境まで再逃亡を試みた模様!
地下道を利用されて今まで把握ができませんでした!
ただし山で何かが起き、山中で蛇人の死体が発見されています!』
「一緒にいたはずのキシュウ卿は!?」
『はい! 伝言をお預かりしています』
—————(膝をすりむいて)重症です。(駄犬を追いかけるなんて)体が動きません。(宰相、)申し訳ありませんでした。(なぜあの蛇人は一撃で駄犬を仕留めてくれなかったのか)悔しいです—————
「なんと……キシュウ卿は大変だったのですね……」
「ほんと和犬らしいよね」
「マルチーズ君、和犬がみんな同じ(腹芸得意犬)だと思わないでください!
和犬こそ犬の中の犬! 忠犬の理想を体現した犬人なんだ!」
マルス様の呆れ声に、マメタ様が抗議をされます。
褐色でサラサラ白髪の美少年は、艶々黒髪の美少年に意地悪く訊ねました。
「君があの駄犬を拾ってきてよ。だってあれ、柴犬だよ?」
「違う! あれは僕の一族じゃない! ダシバ一族だ!」
「ネーミングを変えたところでさあ」
「喧嘩はやめてください! それよりも、ダシバを、ダシバを助けてください!」
私が必死に叫ぶと、ジョゼ様とヨーチ様がとても渋い顔をされます。
ジョゼ様などお医者様ですのに、難しい顔で「駄犬など生き物ではありません」と言われる始末。
誠実な和犬のお二人は!?
振り向くと「(駄犬の話を振られる前に)混乱する犬人たちの誘導に向かいました」とのこと。
シュナウザー博士はにこにこ笑って、私に教科書の一つ『良い子の人気取り政策Ⅲ』をお渡しくださいました。
国民から愛される条件の項目のところにしおりがあります。
『国民の心の安寧のためにヘイトを減らすべし』という一行が赤く書き直され、「駄犬死すべし」と書かれていました。
ひどいです、赤ペン先生!
みんな、何なのでしょうか!?
初代王アイアル様の愛犬ポチ様が、とても素晴らしい犬人であったとは勉強しました。
そしてアイアル様自身が素敵すぎて、犬人に自然と「忠犬」の思想が生まれたとも聞いております。
犬人は「忠犬」「賢い犬」にとらわれ過ぎではありませんか?
—————うちの子は実際に、心底駄目な子ですし、忠犬のカケラもありません。
でも、いるだけでいいのです。
わんこはいるだけで幸せなのです。
私はこの世界のわんこに「出来る」子も、「良い」子も求めていないのに!
(もういいです!)
私はマルス様の腕を払って、ダムの岸辺に向けて坂を駆け降りました。
「陛下!?」
「私がダシバを助けます!」
言い忘れておりましたが、私は運動が苦手です。
ダッシュした途端に小石に躓いて、前のめりに転びました。
ぺちんではなく、ごちん。
顔から思い切りスライディングです。
スカートが思い切りめくれてスパッツが丸見えの女王に、犬人たちがパニックを起こします。
「陛下あー!」
「陛下がお怪我を!」
「この国はもう終わりだ!」
きゃんきゃんきゃんきゃん!
足の速いヨーチ様が「陛下、事故記事はごめんですよ!」と、慌てて抱き起こします。
ですが時は既に遅く。石で舗装されていた道でしっかり強打し、額を割ってしまいました。とても熱くて痛いです。
情けない自分に、思わず涙がぽろりとこぼれます。
ジョゼ様が慌てて犬の姿になり、『止血と消毒を!』と必死に顔を舐め出します。
更に『ごめんなさい陛下! 子供を泣かせてまで張る意地ではありませんでした! 駄犬は貴女様の大切な犬です!』と謝りながら前足でのしかかられ、舐め回す大きな舌に翻弄されます。
私はなんとか涙を止めようと、強ばった顔をさらに強ばらせて懇願しました。
「これくらいどうでもいいのです! どうか、ダシバを助けてください!」
ばしゃん、ばちゃん!
誰かがダムに飛び込みました。
「マルチーズ様とシバ様だ!」
「先にマルチーズ様がダムに飛び込み、シバ様はマルチーズ様を追って飛び込んだぞ!」
あの二人が!
私は喜びと共に、年の近い二人の男の子を、とても頼もしく感じました。
「戦車で追いかけろ!」
「だめだ、今運転できるのはシバ様だけだ!」
「私が行きますよ! 第七部隊、足の速さをここで生かしましょう! カメラを忘れずにね!」
ヨーチ様が第七部隊と主力の第一部隊の半数が、急いでダムの水辺へ移動していきます。
先に行っている和犬のお二人に合流し、パニックに陥っている国民の救助活動と併せて、マルス様とマメタ様のフォローに参りました。
唾液まみれになった私は、人の姿に戻ったジョゼ様に清潔な濡れ布巾で顔を拭かれます。
すりむいた手のひらと鼻の頭もしっかり流水で洗い、第八部隊の部下の方が用意した救急セットで、しっかりと傷口を消毒され、神業のような早さで縫われました。
ベたりと大きな白い絆創膏を額に貼り、小さな絆創膏を鼻と手のひらに張られます。
その間に『マルチーズ様が駄犬を回収!』『駄犬がマメタ様に猛烈にアピールし始めてマメタ様が逃走!』との報告が上がり、ほっとしたのです。
後者はダシバを叱らねばなりませんが。
私はジョゼ様のもっふりした毛皮に寄りかかり、ダムの混乱を収拾する彼らを待つことにしました。
「それにしても、帝国からの亡命者ですか……」
確かに帝国の亡命者は、多くいらっしゃいます。
帝国内で竜人以外への締め付けが行われる度、亡命者が増えていきます。
シュナイザー博士の書いた『良い子のえげつない外交政策Ⅱ』ではやはり帝国は急激な拡張(侵略)政策のせいだと書いてあります。
人口や食料の事情のほか、竜人を頂点とする政治のせいで多人種への締め付けがきつく、常に火種は燻っているそうです。
だからこそ帝国には、敵国が必要なのです。
他国であるケンネル王国の領土を『帝国民の領土を犬野郎が掠め取った』と宣伝し国民の悪感情を育て、我が国を仮想敵国として度々攻撃しては国内の鬱憤を逸らしています。
————竜人による平和。
これは彼らの理想でもあり、国をまとめる唯一の方法なのです。
ハイヌウェレ公爵の冷ややかな視線が思い浮かびます。
博士がふむ、と推察しました。
「恐らく……。この国が混乱しているうちに、亡命者たちをスパイに仕立て上げてあちこちで活動させていると考えた方が宜しいですな。
十中八九、浄水場や下水処理場は人為的に彼らに壊されたのでしょう」
「なんという!」
「まあ、この国の運営が停止すれば、その隙に旧ユマニスト王国領の国境には侵入できますし。なあ、グレイハウンド卿」
戻ってきたヨーチ様が首に手帳を引っ掛けて、腕を組んで答えます。
「第五部隊の報告では国境辺りの『帝国国境警備隊』の人員が異常に増えて、大量の軍隊を運ぶ船団の開発も進んでいるようですね」
厳しい表情で「この夏は、帝国が動きますよ」と、私たちを見回したのです。
あの公爵が、本気で我が国の領土を手に入れようと動き出した。
ならば、一体どのような対策を取れば……!
もう『その夏カット、最低です』キャンペーンは終わりです。
早く王宮に戻って、帝国対策に力を入れなければなりません。
じりじりとした日差しが、少し傾きかけています。
そんな時でした。
「本当に、悪運の強い犬人だ。馬鹿でも有名だが」
「しかし俺たちはついている。ここでほぼ丸腰の女王に会えたのだから」
私の前に突然、黒装束の男たちが現れました。
以前マルス様が、私の「取ってこい」を間違えて「殺ってこい」してしまった方の格好に似ています。
つまり帝国風の、あれ。
ご丁寧に『私は暗殺者です』と主張している服です!
「貴方がたは……」
「死ね!」
当然ですが質問をさせていただく前に、襲い掛かってきました!
その瞬間。
黒い影が走りました。
急に足が止まった黒装束の男たちが、首を妙な方向に向けて倒れていきます。
数十人はいた暗殺者たちが倒れると、そこには耳の大きな茶色の毛皮の小型犬。
暗殺・偵察が主体の第五部隊。
隊長のリリック・フォン・コーギー様でした。
ビー玉のような瞳。
可愛らしいはずのお顔の毛には、口周りを中心に、赤い何かが散らばっています。
『情報伝達が遅いのかな。こんなところで工作員活動なんてしても、もう遅いのに』
「リリック様、いえコーギー卿!」
私の声掛けに、ハッとこちらを見て。
突然伏せをして鼻を地面にぶつけました。
『ごめんなさい!』
「はい?」
『たかだかコーギーが差し出がましい真似をいたしました。このような場所で汚いクソ犬と死体を陛下にお見せするなんて犬の風上にも置けない行為! なんて僕はバカなのでしょう。僕なんて生きていない方が良いのです。本当にごめんないさいごめんさいごめんさいごめんなさいごめんさ、キャン!』
「いい加減にしてよね、コーギー。うざい」
ダムの壁を登ってきたマルス様が、リリック様を踏みつけました。
うずくまる小型犬を冷たく見下ろす片手に、ダシバの背肉を掴んでいます。
ダシバです!
毛皮から水滴を垂らしながら、みょーんと伸びている愛犬に、私は大喜びして両手を広げました。
「ダシバ!」
「キューンキューン」
「見るな! 来るな! 近寄るな!」
ダシバは、マメタ様を一心に見つめています。
はっはっはと、エロ犬全開です。
私の手は宙ぶらりんになってしまいました。
静かに、両腕を下ろします。
「……良い加減、ダシバもお嫁さんが欲しいですよね」
「ひい! やめてください陛下ー! そんな目で見ないで下さい!」
水がしたたり落ちるマメタ様が、全身真っ青になって震えています。
わざと言ったわけではないのです……。
それにしても。
死体が戻ってきた兵士たちが片づけられる横で、私はうずくまるリリック様に訊ねます。
「コーギー卿は、外交に言っていたのではなかったのですか?」
『はい、行っていました……すみません。ボルゾイ卿と一緒に、帝国に』
「帝国に? 外交と言っても、舞踏会にお客様として呼ばれたくらいですよね?」
『そうです……。僕は人前に出るのが怖いので、ボルゾイ卿の指示で情報収集を第七部隊と一緒にやっていました』
「なぜここにいるのですか?」
『すみません』
「いえ、聞いているのですが」
『すみませんすみません、すみません。でも、成功しました』
「成功とはなんです」
『すみません』
……いらっとします。
肝心なことは一切答えずに、ひたすら謝り続けて這いつくばる三角の大耳わんこが、理由もないのに腹立たしくなってきました。
「グレイハウンド卿。代わりに説明してください」
「あーすみません、陛下。ちょっと国境を越えて来るたくさんのものが関わっていて。早く帰ってきてもらったのですよ」
「帝国の軍隊が、こちらに攻めてきたのですか?」
「いいえ? 来るのは難民です」
—————難民?
「なぜ難民が来るのです」
「ちょっと失礼、陛下。通信が入りました」
ヨーチ様が、トランシーバーを取り出して連絡を取り合います。
そしてにんまりと、糸の様に目を細めて笑って、報告をしてくださったのです。
「おめでとうございます、陛下。帝国は無事に内乱が起きました」
「は?」
「鰐人の分離独立運動派がやっと立ち上がったそうで」
「へ?」
私の頭の中は疑問符でいっぱいです。
それを分かっているヨーチ様。
彼は何個もトランシーバーを使い分け、情報を伝えてくださります。
「ようやく起き上がった宰相も、以前から用意していたビザを大量発行するそうです。頭に氷嚢を張り付けたシェパードが大喜びで移民用の書類を書き溜めています」
「え、移民とは」
「帝国の名の元に移住されても困りますけど、ケンネル国民が新大陸に行くのは構いませんからね」
「あの、あの、私に分かるように、説明を……」
頭の中の大量の疑問符が、弾けそうです。
怯えるマメタ様に襲い掛からないよう、ダシバを掴んだままの、マルス様が肩をすくめます。
「あーだってご主人様が言っていたじゃないか。血を見るような争いは嫌だって」
「言いましたけど……」
私は混乱しています。
ですが、すでに理解をしているらしい皆さんは、良かった良かったと笑い合っています。
何を納得されているのですか!?
「だから、『こちらの』血を見ないで済む戦争を仕掛けたんじゃないか。大変だったよね、ヨーチさん」
「そうですよ。戦闘部隊が役に立たない戦争なんて本当に久々でしたから。嫉妬されまくり、嫌み言われまくり、戦いを挑まれまくり。いやあ、大変でした」
でもこれで毎日スクープが取れますね!
張り切るヨーチ様の言葉が頭から滑っていきます。
シュナウザー博士の要約によると。
つまりこういうことです。
・そろそろ帝国をぎゃふんと言わせたい。
・でも陛下が血を見る戦いが嫌だと言う。
・直接ドンパチやらなければいいではないか。
・つまり、帝国が勝手に崩壊すればいいのではないか。
・ならば仕方ない。破壊工作が得意なボルゾイやってよ。
・第五部隊の情報収集も、第七部隊の情報操作もみんな協力してやっちゃってよ。
・過程について言いたいことはいっぱいあるけれど。成功しちゃったよ。
・やった!
「やった、じゃないですよ! そもそも私が言いたいのは戦争をしては駄目だと」
抗議する私に、ヨーチ様が不思議な顔をして言います。
「え? だってご主人様、ケンネルと帝国がガチでやり合うのが、嫌なのですよね?」
「そうですけど……!」
「やってないですよ? 戦争」
「え」
「勝手に帝国が崩壊するだけですよ?」
「な……」
私は二の句が継げなくなりました。
ヨーチ様は爽やかに笑ってかがみこみ、私の足首にキスをします。
「この大陸も全て、貴女様のものになればいい。ルマニア・リーゼロッテ大陸としてね」
そうなったらとても素敵ですね、とうっとりされました。
彼は続けます。
闘犬だけが、散歩が好きなわけじゃないのだと。
中から食い荒らす方法も、あるのだと。
呆然とする私に、こっそりと這い寄ったリリック様が、私の靴に噛み付くようにキスをしました。
うっすらと赤い色が付きます。
『ごめんなさいごめんさい! でも、ご主人様のためにこっそり敵を殺すのは……楽しいです。お願いします、僕も忘れないでください』
「ちょっと、それは!」
そしてうっかりと脱げてしまった靴に目を輝かせて、銜えて持って行ってしまいました!
マルス様がその様子に呆れて、「あいつ妙なところで強引だよね。ひたすらイラつくけど」と肩をすくめます。
彼の隣で、マメタ様が呆然としています。
そしてキュッと目を閉じて決意を固め、「ぼ、僕も……僕も陛下にキスを……!」と言い出したところで、ダシバが放たれました。
「ぎゃあああああああ!」
「キューンキューン」
恐慌状態になるマメタ様。
ダシバは目をハートにして追いかけます。
私はしれっとしているマルス様を睨みました。
水滴の残る褐色の肌の美少年は、「あいつはまだまだ貢献が足りないからね!」と言い放ったのです。
そこに、次々と伝令犬のグレイハウンドさんがやってきます。
『蛇人の自治領で反乱が起きました!』
『襲撃されることを恐れた皇帝が軍隊を王都に集約してしまいました!』
『この隙に辺境の鳥人の自治領が独立宣言を上げました!』
『蛇人と鰐人が共闘宣言を上げ、同盟を組んで竜人に対抗するそうです』
『ケンネル側にも支援要請が来ましたが、軍隊の崩壊を理由に断りました!
相手の誠意を確認するため、「リーゼロッテ女王陛下万歳を100億回って言えた人種には、考えないこともない」とも、付け足しておきました!』
私が拡声器を持って、ひたすら毛皮と夏の暑さを訴えて周っている間。
我が国の各種工作部隊たちは、とんでもないことを仕掛けていました。
(これは戦争ではありませんが……冷戦(戦闘がない戦争)以外の、何物でもありません!)
私がわなわなとしていると、更に伝令犬がいらない報告をしてきました。
『第六部隊隊長、ボルゾイ卿より連絡!
「足マットにはどれくらいの毛足が嬉しいですか?」だそうです!』
「貴方には爪切りで十分だとお伝えください!」
私は手元に用意していなかった、わんわんリードを思い浮かべました。
リードは見事に、散歩中のわんこの首輪からすっぽ抜けて、狂犬の中でも特に狡猾で知恵のある子たちを、放ってしまったのです。
わんわんわんわんわんわん!
元気な暴走気味のわんこ。
私はまたもや窮地に立たされました。




