第一話 迎えにきました、私のご主人様( by ゴールデンレトリバー )
私の名前はリーゼロッテ・モナ・ハイデガー。
ハイデガー家の一人娘として生まれ、母は私が生まれてすぐに亡くなりましたが、その分父親にたくさん愛されて育ちました。
父はカイン・ハイデガーという下級貴族で、学者としては世間に名の通った方でした。
下級貴族で生活は慎ましいものでしたが、小さなお屋敷と綺麗な庭、のんびりとした父に優しい数人の使用人に一匹の飼い犬と、みんなで仲良く暮らしておりました。
勉強が好きだった私は、毎日父や父の知り合いから教えを受け、知識を吸収する喜びを味わう日々。
苦労らしい苦労もなく、私は本当に恵まれていたと思います。
しかしある日、父が再婚をして。我が家は暗雲が立ち込め始めたのです。
父が連れてきた継母は、同じく下級貴族出身でしたが、とかく男遊びの噂の絶えない方でした。
連れきた義理の兄三人は、全員父親が違うというではありませんか!
そして……なんと彼女のお腹の中には弟か妹がいるというのです。これには本当にびっくりしました。
妊娠をきっかけに結婚する事実に、年頃の娘としては受け入れることがなかなかできませんでした。
案の定、私に距離を取られていることは分かったのでしょう。
継母は父に隠れて私を邪険にするようになりました。
父親のいないところで折檻されることは日常茶飯事。
私に優しかった使用人は殆ど入れ替えられました。ご飯にも事欠く有様で、私は衰弱していきました。
上二人の義兄たちは母に従うばかりで、助けてはくれません。
ですがただ一人。
私と年が近い末の義兄が「難儀な子やな」と、こっそりとご飯を分けてくれたり、母親の注意を逸らしてくれたりと、時折助けてくれました。
愛犬のダシバにもご飯をくれる、優しい義兄でした。
そのような日々の中、父親が流行病であっさりと死んでしまいます。
私は正真正銘孤立をしてしまったのです。
葬儀の後、私は無事に跡継ぎを生んだ継母に宣言されました。
「リーゼロッテ、お前は母親の不義によって産まれた子なの。本当のカインの子はここにいるの。貴方はいらない子なのだから、籍を剥奪して施設に預けます」
結婚中に不義を繰り返しては、離婚再婚を繰り返してきた継母に言われるとホンマカイナ(下の義兄の口癖です)なのですが、理由がなんともひどいのです。
―———顔が綺麗すぎるからおかしいと。
この件については、父や使用人からもよくもの笑いの種にされておりました。
私の両親(母は絵姿で)はよくも悪くも平凡な顔で、薄い茶色に茶色の目。なのに私の髪は銀色で、目はスミレ色です。
曾祖父が銀髪であったので、気にしないようにしていたのですが、まさかの顔ですか……。
まあ、自分がやっていることは他人もやる、と考えておられるのでしょう。金髪の継母の生まれた兄たちは、見事にお相手と髪の色が違いますので。
聞くところによると、当時結婚していた男性の顔とも全く系統が違うそうです。
とはいえ、両親に似ていないのも事実。
こんないちゃもん一つで貴族の娘を追い出せるのかって? ……出来てしまうのですよ。貴族社会では。残念ながら。
それに自分はしがない十歳。母は後ろ盾のない、流れの踊り子だったのです。
しかも、できちゃった婚です。考えれば考えるほど、怪しいですね我が母は。
細かいことを全く気にしなかったのんびり屋の父を思い返し、何も言えなくなってきました。
そしてあれよあれよいう間に籍を剥奪され、施設に送られる日になりました。
継母はご機嫌に、大きくなった私の弟を乳母に抱かせて見送ってくださいました。
「もう二度とうちの敷居を跨がないでちょうだい」
「はい……」
私は鞄一つに、ワンピース。お金も預かっていますが、これは施設に「二度とこの子を施設からこちらに戻すんじゃねえよ」というお願い金です。
唯一の温情は、ダシバ。私の愛犬を付けてくれたことです。
彼はしっぽをぶんぶんと振って、旅行に出かけるのかと喜んでいます。
違います、追放ですよ。
彼は血統的には、主人に忠誠心が高いと有名な、気高い柴犬。
さらに愛くるしい豆柴といわれる種類のはずなのですが、私と父は躾を間違えました。
今はつぶらな瞳で本当に自分のことしか考えない、ダメな柴犬、ダメシバです。
あ、臨時で雇った御者さんに腹毛をもふもふされて「わふん」と喜んでいます。
おかしいですね。番犬も兼ねている子なのに。なんというダメシバ。
「リーゼ、なんとか耐えてくれや。俺は早く力を手に入れる」
「お義兄さま」
下の義兄だけが、心配そうに私を見送ってくださいました。
昔は西方の父親に預けられて苦労したという義兄は、抱きしめて耳元で囁いてくれます。「いつか迎えに行くから」と。
ようやくその一言に、我慢していた涙がこみ上げてきました。
さんざん継母や義兄たちに「無表情」「愛想なし」「ひねくれ者」「死ねばいいのに」と言われて来たせいか、より頑なになっていた心に、彼の優しさが染み渡ります。
ぼやけた視界の右端に、降参ポーズで道行くおばあさんにおやつを貰っているダシバが見えました。
ダメシバ!
さて、施設というところは元々孤児の収容施設として作られたものです。
ですが、昨今この国では、後先考えずに子供を作って責任を取れずにいる親の、子捨て場と化してます。
「うっかり殺しちゃうよりはましだろう」が彼らの言い分ですが、それ以前に避妊をすることが面倒くさいという男性たち、子供さえ出来てしまえば男性が自分の理想通りの「お父さん」という生き物になると信じる女性たちは、そこから考えを直すべきだと思います。
それでも私は、まだ幸せなのでしょう。
両親が反省していつか迎えに来てくれると、期待しなくていいのですから。
この国では、子捨てをする両親の半分は子供の籍を外していません。
なんだかんだ自分の所有物を養子などで人に取られるのは面白くないですし、運良くふつうに働ける大人になれば、自分たちを見捨てられず、老後の面倒を見てくれるかもしれないからです。
こういった大人は、ごくまれに子供に会いに来ます。
そうして子供という所有物を可愛がるだけ可愛がって、後の世話は施設の職員に任せるのです。
当初私は、元貴族ということで風当たりが強かったものです。
言葉遣いが平民と違いますし、ただでさえ食い扶持に困っているというのに、飼い犬まで連れてきたから当然ですよね。当のダシバは全く理解していませんが。
その点は私のご飯をダシバに分けることで話は付きました。
ですが大本となる私のご飯は、年上の男の子たちに大半を奪い取られてしまうので、毎日が空腹です。
ぐうぐうと元気なお腹の虫を無視するのは、とても大変です。
おや。職員がお手やお座りを教えようとしています。
ですが、ダシバは後ろ足の片足を地面に投げ出して、ぼんやりするだけ。
(ふ。それくらいでそこの駄犬を躾られると思わないでください)
やる気のないダシバは、職員のポケットのビスケットの匂いをかぎ分け、隙を見て首を突っ込んで怒られました。なぜか私も怒られました。
早く大人になりたい。もっと使える仕事を覚えたい。もっとダシバを食べさせたい。
それしか私の頭にはありません。
それでも焦る日々の中で、施設の内職の片手間に子供たちに文字を教えることで、ほんの少しでもご飯を増やしてもらえるようにはなっていました。
しかし、ある日事件が起こります。
一週間前から山賊が街道に出没したということで、食料の供給が悪化して高騰し始めたのです。
孤児院は寄付によって賄われています。余り物の野菜する手には入らなくなって、昨日から皆何も食べていません。
私はとうに胃が小さくなり、骨と皮になり掛けてあまり動じませんでしたが、育ち盛りの男の子たちは違います。
そこで、彼らは恐ろしいことを考えたのです。
「豆柴がいるじゃないか」と。
彼らは夜中にダシバを殴り殺そうとしました。ですが、事前に気がついた私はダシバの首の紐をはずし、逃そうとします。
なのに、肝心のダシバが理解ができていません。
男の子たちがこっそりと持ってきた罠のジャーキーの匂いに、ひょっこりと戻ってきてしまったのです!
ダメシバ!
私は思わず飛び出しました。
「私の犬に何をするのです!!」
「なんだ、こいつ!」
「駄犬の飼い主のリーゼだ!」
「元貴族の癖に凶暴だなっ」
私は必死に、棒で殴ろうとする男の子の足にしがみつきました。
怒った男の子たちは私を殴りつけます。
錆びた酸っぱい味が口の中に広がりました。鼻血も出たようですが、それどころではありません。
「私の犬に手を出さないでください!」
血の上った頭にはそれしかありません。
噛みつき、引っかき、金的、目潰し。何でも使いました。全て義兄の教えの通りで効果的です。
「こいつやべえ」「こいつは狂犬だ」「職員が来る。一度戻ろうぜ」と彼らが口々に叫び、ようやく撤退していきます。
遠くから施設の職員たちの声がしてきました。
(勝った……!)
乱れる息と銀髪、ボロボロの服。
顔には打撲・切り傷、そして血が張り付いています。
心で勝利宣言をして、立ち上がった私は守りきった愛犬を振り返りました。
彼は、この喧嘩を見て、腰を抜かしておしっこを漏らしていました。
ダーメーシーバー!
さて。
あっという間に私は浮浪児です。
施設長にも見放されて、施設を出されてしまいました。
これはもう、のたれ死にルートでしょうか。
私とダシバ。ズボンをはいた少女と小さな豆柴。
一応外見的には可憐な組み合わせのはずですが、中身がとても可憐ではないという自覚があります。
その辺で捨てられたゴミの拾い食べをすれば、いつか読んだ小説のシーンなのですが、この食糧事情の厳しい国ではそもそも食べれるものが捨ててありません。
浮浪児グループに混ぜてもらえないかと、道の花売りに声を掛けましたが、元締めに「お前は別の花を売って貰った方がいい」と言われて速攻逃げました。
それだけは、本当に死にかけでもしない限り、絶対に選びたくないルートです!
やがて、町の外れにある小山に逃げ込みました。
確か山賊も一部が本拠地にしているという山。
ダシバはキューンキューンと不安がります。
抱きしめてあやしていると周囲は暗くなり、次第に山犬か狼の遠吠えが聞こえ始めました。
……困りました。もうお腹が空きすぎて疲労困憊で、頭は朦朧としています。これで山賊にでも出くわしたりしたら……。
「おおっと、こんなところにガリガリな獲物が来たな」
出くわしました。
動けなくなって座り込んでいると、いかにも山賊ですといった毛皮を腰に巻いたむさいおじさんが、手に大きなナイフを持って近寄ってきます。
「本当に骨と皮だが、顔立ちは悪くないな。太らせれば高く売れるかもしれねえ」
「ううー」
私がぼんやりと見上げていると、なんとダシバが唸って私の前に立ったのです!
小さい四肢を踏ん張って、山賊に向かいます。
「う~~~~~、わん!」
「ああ!? なんだこの犬、オレに吠えるつもりかあ!?」
「きゅーん」
ダシバの勇気は、一吠えで終わりました。
すぐにしっぽを巻いて私の後ろに隠れます。
あ、今鼻で私の背中を突っついていますね。ええ分かりますよ、何とかしてくれってことですよね。
ダシバが決してぶれることなくダメシバで、かえって安心しました。
しかし、人生とは本当に予想外の連続ですね。
物心ついたときにはダシバが家にやってきて、そしてダシバと共に育ちました。
私の平凡で穏やかに流れるはずの貴族人生は、わんこに始まり、わんことともに終わるのです。
心が凪いだ私の顔に、山賊が手をやろうとした、その時でした。
「ぐるるるるるる……」
「なんだ。山犬か!?」
私たちの周りを様々な犬が取り囲んでいました。
大型犬、中型犬、小型犬。近所で見かけた犬種や見知らぬ姿形の犬もいます。
彼らは総じて山賊に威嚇をしていきます。
そして、そのうちの筋肉の盛り上がった中型犬が数匹、山賊の足に噛みつきました。
「ぎゃあああ!」と悲鳴をあげる山賊を遠くの藪に引きずっていきます。すぐに静かになってしまいました。
怖くて向こうを向けません。
そして残りの犬が、一斉に私を見つめました。
この異常な雰囲気に、ダシバは「キュン!」と叫んでとうとう気を失いました。
ダメシバ!
ああ、先ほどわんことともに終わると言いましたが訂正します。
わんこのエサになって終わりです。
我が人生はなんという喜劇。本当にわんこに終わってドウスンネン。
ああもうここでも義兄の口癖が……!
「とうとう見つけました、ご主人様!」
「え……?」
犬たちの輪から人の声がしました。
輪が割れて、中から一人の男性が現れて私に近づいてきます。
鄙に希なるその顔はゴージャス。
逞しい肩に豊かな金髪を流し、薄い茶色を配色した優しそうなその顔は中性的で、子供を見つけた母親のように喜びに満ち溢れています。
高位の貴族のような格好をした彼は、座り込む私の前に片膝を立て、深々と優雅に礼を取ったのです。
「リーゼロッテ様、私は宰相のレオンハルト・フォン・ゴールデンレトリバー。貴女様を長年探し求めておりました。どうぞ我らの国へ還りましょう」
そう言って、私の骨と皮の手をそっと取ります。
「あ、あの」
「ああ、なんということでしょう。これほどの苦労を貴女様にさせてしまっていたとは。先王はなんと罪深いことを……。ですが、これからはひとかけらも貴女様に苦労はさせません。どうぞ我々に、すばらしい躾をお願いします。女王様(マイ、プレジャー)」
「「女王様(マイ、プレジャー)!」」
周囲にいた犬たちがいつの間にか消え、私の周りを軍服を着た男性たちが囲んでおりました。
目を白黒させていると、レオンハルトと名乗った彼は、私を姫だっこで抱き上げます。
「さあ、我が国に参りましょう。国民が皆喜びます」
「国って、どこですか?」
「海を隔てた場所にある素晴らしい国です。犬人と王族(飼い主)による幸せが貴女を待っております」
犬人?
質問しようとしたら、下で気を失ったダシバが、周囲の軍人さんたちよりも一回りも大きな軍人さんにつまみ上げられました。
その辺に捨てようとしているようです。大変です。
「何をするのですか! ダシバに乱暴しないでください!」
「何故と? リーゼロッテ様、あれは主人を命がけで守れないただの駄犬ですよ? 犬でいる価値すらありません。このまま捨ててしまいましょう」
周囲の軍人さんたちも、「使えぬ犬には死を!」と口々に言うのです。なんというスパルタな。
レオンハルト様はにっこりと笑いました。
「もしも温情といただけるのでしたら、貴女様から『死ね』と命じてあげればいいのです。犬ならば喜んで法悦の中に死んでいけましょう」
羨ましい……と何人かの軍人が、失神しているダシバに灼けるような嫉妬の目を向けています。
なんでそうなるのでしょうか!?
私はすぐに断りました。
「ダメです。ダシバは私の家族なのです。決して殺そうとしたり、乱暴に扱ったりしないでください」
「なんと。あの駄犬ですら家族と申すのですか。なんて貴女様は……」
レオンハルト様が、目を潤ませて私を見つめます。
あのー。何か勘違いされていませんでしょうか。
周りの軍人さんたちも、「なんとお優しい」「素晴らしいお方だ」「一生ついて行きます」と、なぜか感涙にむせっております。
えー。何ともコメントに困っていると、やがて巨大なキリキリキリキリと音を立てる馬車がやって来ました。
……ん? 馬がいませんねえ。
なぜか箱の前には一本の筒が、長い角のように付いています。
後から後から同じように四角い、同じように馬のない奇妙な馬車が連なってきまました。
そういえばここは小さいとはいえ山なのに、木々を倒して馬のない馬車は上がってきます。
すごい馬力です。馬、いないのに。
四角い馬のない馬車が、目の前に止まると、扉が勝手に開きました。驚きです。
レオンハルト様は私とともに馬車に乗ります。中は広くてゴージャス、そして両向かいの大きな赤い座席はふかふかそうです。
しかし私は、ふかふかを味わえませんでした。
なぜなら、レオンハルト様が姫だっこからお放しにならないからです。
「あのー。そろそろ下ろしていただけませんでしょうか」
「それは命令でしょうか」
「え、いえ」
「ならばしばらくこうさせてください。ああ、リーゼロッテ様がこの腕の中にいる。奇跡だ。それになんて素晴らしい香り……」
「お風呂入っていないから臭いですよ」
「ああ、香しいリーゼロッテ様の……」
「聞いていませんね」
諦めました。
どうせ、放っておいてものたれ死ぬはずだったのです。私はこのなんだかよく分からない、ちょっと変態っぽい彼に身を委ねることにしました。
私を害する様子もないですし(むしろ妙に好かれている)、細かいことはまあいいかと、父親譲りの現実逃避をいたします。いただいたご飯が美味しいですし。
そうして私は、不思議なわんこの人の国に行くことになったのです。
 




