第十二話 ご主人様に敵の血肉を捧げます ( by ピットブル )
ピットブル一族にとって、戦いは血潮、戦いは魂。
そして勝利は、自明の理。
だけど彼ら戦う理由は、至極シンプル。
彼らはご主人様に勝利を捧げます。
そして、再び魂の籠った命令が欲しいだけなのです。
それを理解したのは、王座の下で、私がバーバリアン様の首に首輪を巻いた時でした。
彼はあくまで狂犬騎士団ではなく、ピットブル家私設部隊のトップ。
それゆえに首輪はしていませんでした。
彼は私に従う上で、首輪を差し出してきました。
(……このシチュエーションは諦めました)
差し出されたそれは、紫の首輪。
以前私が口輪として結んで差し上げた色と全く同じです。
彼は首輪を触ってにんまりと笑い、「実はもう一つあるのだが」と差し出してきたそれは、
あ か い く ち わ で し た 。
「状況によってはうっかり噛み殺してはいけないですからね。これは人の姿になると赤い金属のマスクになります」
「……そのトゲトゲ、とても強そうですね」
「新作なんですよ」
一度は嵌めさせていただきましたが、そのビジュアルのあまりの凶悪さに、普段は決してつけないようお願いいたしました。
彼は私の銀の髪を一束取って、口づけをします。
「宰相は貴女にこの国を捧げ、団長は貴女に大陸を捧げた。ならば私は貴方に全ての敵の命を捧げましょう」
さて出発です!
私は、ダシバ誘拐犯を追うための、一番早い乗り物を所望しました。
バーバリアン様は私設部隊に指示し、すぐに帰還していた三百名が準備を始めます。
ですが、その場にいる犬人たちに猛反対をされました。
レオンハルト様が私の肩を持って、懇願します。
「リーゼロッテ様! 王族は貴女様お一人。うかつに外に出てはいけません!」
「私は確かに王宮の外にすら、出たことがありません。ですが、犬が私を待っているのです。これで迎えに行かねば飼い主ではありません」
「ならば! 同行するならむしろ中央騎士団の団長にして、愛犬候補の私ではないでしょうか!?」
「ダリウス様。理屈の上ならそうでしょう。でも申し訳ないのですが、貴方ではダメです」
―———ダリウス様を筆頭に、犬人の皆さんは『女王の愛犬ダシバ』に、耐えられないほど嫉妬をしているからです。
いくら違う生き物だと理性では納得しても、彼らの感情はライバルのわんこをうっかり殺りかねません。「頑張ったんだけど駄犬は殺されちゃった。えへ」と、帰ってくる可能性があります。
唯一そのような感情がないのが、バーバリアン様。
彼は愛犬に憧れなんて、かけらも抱いていません。
常に戦いを求める彼ですが、本当に目的は違います。
ただ彼が欲しいのは、ピットブルの魂を揺さぶるような、王族の意志の籠った命令。
「だからあくまで副隊長は、バーバリアン様です」
「まあ、そういうことらしいですから。よろしいですよ、女王様。大分私たちの使い方が分かってきましたね」
「くっ」
とても悔しがるダリウス様。
一応納得はしてくださいましたが、その目はバーバリアン様への嫉妬で溢れています。
そして深く深呼吸をし、「分かりました」と答えました。「やはり愛犬になるには【駄犬枠】か……今から仕事を辞めようか」と、聞き捨てならないことをおっしゃりながら。
代わりに私と行動と共にするピットブルの私設部隊の後ろに、ユマニスト王城からの帰還が終わっている一部の子犬隊と、第一部隊を率いたダリウス様が付いてくることとなりました。
第一部隊のキシュウ副隊長がダリウス様に付き、トサ副隊長とアキタ副隊長と王城でレオンハルト様を助けます。
他の隊長たちもついていきたいと手を上げましたが、まだユマニスト王城から兵の大多数が帰ってきておりません。一気にユマニスト王国を落とすために、最大兵力を短期間でぶつけたからです。
時間は一刻を争うのです。
私はバーバリアン様率いる、ピットブル私設部隊三百名、ダリウス様が率いる第一部隊二百名、子犬隊十台、総勢五百余名で誘拐犯たちが向かった先――――—聖地リパに向かうことにしました。
戦後処理の書類の束を抱えたまま見送りに駆けつけた義兄が、「とにかく無事に帰ってこいや」と手を振ってくださいました。
そして今、私は地下道を巨大な戦車で走り抜けております。
陸海空全てを制覇するという乗り物ですが、やはり移動で一番早いのは陸らしいです。
第四部隊が掘りに掘って作り上げた地下道を、ひたすら真っすぐと走るのが最短コースです。
私の乗る特別仕様の戦車の名は「リーゼロッテ号」。
ピーター様――――ビーグル技官が念入り横幅を広く掘ってくださらなければ、到底通れない大きさです。
中は実に快適に出来ております。天辺にはドーム状の、半球で透明な分厚い窓があり、外も双眼鏡とやらで見えるようになっています。私の座るところは操縦席の後ろのソファ。座ると手に届くところにお菓子やジュース。雑誌類が用意してありました。
女の子の好みそうなチョイスに、なぜか月刊【犬道】だけは全バックナンバーを揃えてあります。
リーゼロッテ号の後ろからは、子犬隊を初めとする、大量の兵力が地下道の後ろからやってきています。
彼らが乗るのは、戦車以外に存在する移動手段、四輪車です。
時折「俺の走りが車に負けるわけがない!」と意気込んだ犬人の方が必死に横を走り、バテては回収されていきます。
ダリウス様の「ご主人様が他の犬を構っている」という恨みがましい視線を、鉄板越しに感じつつ。私は前方運転席のバーバリアン様に訊ねました。
「バーバリアン様。私はやはり解せないのですが」
「なんです?」
「私の名誉と国のために皆さんが戦ってくださったのは嬉しいのですが、決断してからの行動が早すぎです。長年の因縁があるからこそ、本来は戦いの許可を私に得てから行いませんか?」
「女王様の命令が絶対だからですよ」
彼は何を当たり前のことを、と笑います。
女王が「ダメだ」と言ったら行動できないじゃないですか、と。
「貴女の下にいることを何よりも喜ぶ我々は、どんなに憎しみを持った相手でさえも、命令一つで耐えてしまいます。歴代の王は平和主義者が多かったものですから、ピットブル一族は苦労したものです。
だからこそ。ここに来たばかりの十歳の貴女が状況を把握できないうちに、『犬人からみた王族の住みよい国』を作ってしまおうと考えるのですよ」
気が付けねば、犬人達は女王のために、女王の敵とみなした全てのものを倒してしまうでしょう。
「今の時代ほど、ピットブルにはいい時代はありませんね」
「そのせいで、ユマニスト王国の狂信者たちが行動を始めてしまったではないですか! これから起きるテロをどう防ぐつもりなのです!」
「簡単ですよ、一人一人殺せばいい」
彼は静かに、答えました。
「我が国・我が女王の敵になるものは殺せばいい。何のためにピットブルや狂犬騎士団がいると思っているのですか? 犬は常に、貴女のためになることがしたいのです。今回流れる敵の血も、我々の血も、すべて貴方様のものですよ」
狂犬の筆頭であるバーバリアン様は、何よりも犬人の理想に忠実でした。
狂犬であるものこそ、忠犬。
これが狂犬国家の理想。
(参りました……。私はこのまま血濡れの女王として君臨することになるのでしょうか)
昔から「頭でっかちのリーゼちゃん」「ガリベンっ子」「無表情幼女」と呼ばれてきた私ですが、まさか「散歩中に元気なわんこに振り回されて転んで血まみれの女王」と呼ばれる日が来ようとは思いもしませんでした。
しかし、まだ疑問が残ります。
「やはり侵攻が早すぎます。以前から準備していたというよりも、突然決定して準備したという印象があります。
————私に対する侮辱以外にも、何かきっかけがあったのはないですか?」
彼は、私の質問に遠い目をして答えてくださいました。
―———ちなみに、レオンハルト様に同じ質問をした時は、思い切り目を逸らしてくださいました。
「あー、それはありましたね」
「何なのですか!?」
「今のタイミングではとても言えませんね。まあ、駄犬を拾って帰ったら教えて差し上げましょう」
「残念です……。目的地はまだですか?」
私は、ところどころ灯りが灯る地下道を、小さな窓から眺めます。
灯りが点々と灯る地下道の壁には、大きな骨の絵が距離の指標に描いてあり、時折地上の食堂の宣伝が入っています。
ここを掘った方は、よほどお腹が空いていたのでしょう。
壁には指標や広告以外に、お肉にお魚、ドッグフード、鳥の骨を割ったもの、豚の骨を割ったもの、牛の骨を割ったもの、ホットドックにわんこそばと、様々な犬人の好きな料理の絵が描き込まれています。
よく見ると時折「作:ビーグル」と書いてありました。
「まだですね。明日の朝には着くでしょう。先に先遣隊が追いかけているので、決して焦らないように」
「そうですね……あ、戦車を盗まれたという第四部隊のお二方は無事ですか?」
「ウルフハウンドに嘆願していたやつですね。理由が理由でしたが死刑もあり得ましたが、さらわれたのは所詮駄犬だけですし、女王様の助命嘆願が聞きましたので、演習場に吊るされていますよ」
どうやら、第四騎士団独自の伝統的な刑罰で、『反省の木』の枝に犬の姿で吊るされるというものらしいです。それは巨大な木で、まれに縄が切れて吊るされたわんこが落ちて、下の歩行者に激突する場合があるそうです。
そのため刑が執行されている時には、木の幹に『つるしわんこはじめした』の看板がかかるそうです。
突然、戦車の上から声がしました。
『緊急情報です!』
上の透明な窓を見ると、伝令のグレイハウンド一族の方でした。
この戦車のスピートに普通に追いついております。
『ユマニスト城にて、一部の導師が、子犬隊の兵士シー・ズーからサラミで釣って盗んだ火薬で、自爆テロを行っております! 『純粋なる人間バンザイ!』と叫んで爆発しようとしましたが、シー・ズーが零したジュースで湿っており、半端に爆発した模様!』
「なんてこと! なるべく被害を抑えてください! それと子犬隊は盗まれすぎです!」
「殺します?」
「……とりあえず吊るすだけで勘弁してあげてください」
少ししてまた、違うグレイハウンドさんが『緊急情報です!』と飛び乗ってきました。
『国境付近で、純人教狂信者が近隣の村に放火を仕掛けました! 辺境騎士団が対応しておりますが、ブルドッグ隊長のご老体が熱さにへばりました!』
「被害の拡大防止と、高齢者の熱中症を防いでください!」
私の心配が実現しました。
狂信者たちがケンネル王国を、理想的な敵国として、あちこちでテロ活動を開始しています!
被害報告が増えるにつれ、私の不安は膨れ上がってきます。
(といいますか、グレイハウンドの皆さん。いい加減トランシーバー使いましょうよ!)
―———後日彼らの当主にお聞きしましたら、『トランなんとかには絶対負けん。グレイハウンドの沽券に関わる』とおっしゃっておりました。
そして最悪の情報が、戦車の天辺に届いたのです。
『純人教のトップである大導師ゴルトンが、第二部隊の拘束から逃れて逃走!
旧ユマニスト王国内の狂信者を集めて、徹底抗戦の準備を始めました! 「純人教の聖地を、不純なる犬人の管理下に置かれてたまるか」と各地に檄を飛ばしております!』
「現在彼の場所は?」
『リーゼロッテ様が向かわれている、聖地リパです! 我々から盗んだ戦車が、移動手段として利用されている模様!』
「これは……楽しみですねえ」
『故にダリウス様が女王様の即時帰還を申し上「さて、女王様。本当に面白いことが起きましたね」』
バーバリアン様が、戦車の外の音を遮断しました。
目を三日月のように細めて笑っています。
「ダシバが、純人教の狂信者たちが集まる、本当の本拠地に連れ去られたということですね」
「ええ、駐屯していた連中も先遣隊も捕まっているようです。これなら我らピットブルも大いに利用して助け出すしかありませんね」
「……本当に、嬉しそうですね」
背筋正しく振り返り、私を見据える彼は、いつもの暴力的な雰囲気とは違い、貴族らしい品の良を醸しておりました。その目の奥に見えるのは静謐。
「ええ、とても嬉しいのです。貴女に敵の血肉を捧げることができるのが」
戦車から降りて少し歩くと、遠く見えるは聖地リパ。
そこは朝焼けに輝いています。
そこには、この国にいったいどれだけの狂信者が隠れていたのか。何万と言う人間が聖地である丘に集まっていました。
丘の上には大導師ゴルトン。
現在純人教の指導者・導師たちのトップであり、ユマニスト王国の裏の支配者になります。
ユマニスト王国の政治は王族になされますが、最後の意思決定は常に歴代の大導師たちによってなされてきたのです。
導師レベルになると、彼らは「不純なるものは悪である」と説いてきます。
単なる変身人種を差別するだけの考えが、より原理主義に走りった故の結論です。
それゆえに、彼らは歴史的にも多くの人々の命を奪い、テロを繰り返してきました。
今の大導師ゴルトンは、特に純粋さを好むとされています。
妥協できない彼の暴走が、今ケンネル王国を危機に陥れようとしています。
私は子供用の軍服に吊るしたポシェットから、双眼鏡を取り出して除きます。
大導師は、意外に若い方でした。
長い黒髪で片目を隠し、程よく鍛えた体に真っ黒の司祭服らしきものを着ています。
その漆黒の目の奥は深く、何を考えているのか分かりません。
伝令のグレーハウンド様が叫びます。
『次々に敵が集まってきます! 一万……二万……いえ、敵は十万を越えました!』
「まさか、ここまで集まっているとは……」
「リーゼロッテ様を避難させろ!」
ダリウス様は、丘に続々と集まる狂信者の集団に対し、子犬隊を広く展開しました。バーバリアン様は先頭に立って、中央にピットブル私設部隊を置きます。
「ご主人様! 戦車にお入りください!」
敵は、それぞれに武器を持っています。
ケンネル王国で開発中の携帯型砲台のようなものは見当たりませんが、投石が一つでも当たったら私なんてすぐにでも亡くなる自信があります。
後ろからやってきた犬の姿のダリウス様が私を背に拾い上げ、戦車へと運びました。
思わず背中にしがみついて後ろを見ると、狂信者の方々は真顔でわたしを見つめています。
子犬隊に砲台を向けられ、ピットブル部隊に牙をむかれているというのに。一切表情が変わりません。
思わずぞっとして、毛皮を強く握りました。
(あの中にダシバが……?)
最初に到着した先遣隊の方たちも捕まって一か所にまとめられています。過去には、このような場合、狂信者の高揚のために、見せしめで殺されることもあったそうです。
『帝国や他の国からも狂信者たちも、大導師の檄に応じ、この丘に向けて続々と集まって来ています!
一部の狂信者は他国の国境から侵入し、ケンネル王国中枢へのテロを狙ってます!
情報によると、彼らはこの戦いを「聖戦」と称し、我らに挑むつもりらしいです!』
「なんという……」
私は人の姿になったダリウス様に抱き上げられ、天辺を開けたリーゼロッテ号の中に入れられます。
「リーゼロッテ様。ケンネル王国への攻撃はマスティフやボルゾイ、マルスたちが対応しています。レオンハルトも周辺国がこの機に侵入しないよう対応しておりますので、まず貴女様の身の安全をお守りください」
ダリウス様が綺麗な水色の目を細め、精悍な顔で私をじっと見つめます。
そして私をぎゅっと抱きしめて、うなじにキスをしました。
「ああ、リーゼロッテ様。私は貴女の犬として、どこまでも守らせていただきます」と耳元で囁いて。
他の方も皆、「リーゼロッテ様だけは守れ!」「この命はリーゼロッテ様のもの!」「ケンネル王国バンザイ!」と口々に叫んでおります。
そしてこの空気に大喜びのバーバリアン様は、連れてきた配下三百人に命じます。
「ピットブルよ、これは最高のシチュエーションだ! 敵は十万! われらは三百! 敵の血肉を女王に捧げようぞ!」
「「女王様(マイ、プレジャー)!!」」
一触即発の空気が聖地を包み、赤みを帯びた空に殺気が満ち溢れています。
(ダシバは、大丈夫なのでしょうか)
私は戦車の半球の円から双眼鏡を出し、ひたすら丘の上を確認しました。
するとまもなく見つかりました。
なんと。
私の見知った大分おデブになった柴犬が、大導師の足元でおやつを食べているのです!
しかもあれは大陸で最先端の、犬人のお洒落おやつ・骨骨ガムガム!
私に気が付かずにお尻を向けて、尻尾を振ってガムに夢中になっています!
「ダシバがいます! 皆さん、ダシバを助けてください」
窓を開けて大声で外にお願いをします。
が、皆さんの反応がありません。
「……ならば私が突っ込みます!」
「「いえ! 我々が参ります!」」
「……お願いしますよ、バーバリアン様!」
「はいはい。分かりました」
決して統治を認めない狂信者十万人と、我々五百余人は、純人教の聖地でにらみ合うこととなったのです。