第十一話 お散歩ですよ! ご主人様! ( by 狂犬の皆さん )
知らぬところで、隣国のユマニスム王国への侵攻準備が完了――――。
目の前にいる、殺る気に溢れたわんこたちを見ていると、実に生き生きとしています。
ええ、楽しいことはいいことですね。
ですが今、私のすることは決まっています。
「座ってください!」
「「はい」」
「わん!」
相談なしに、勝手に他国を侵略するのはやめましょう!
良いわんこのお約束です!
私とて、祖国では貴族の端くれ。
戦争の全てが悪いことであるとは思いません。
ですが、いきなり相談なしに「私の名誉のために戦う」と言われても困るのです!
犬人の皆さんは、大喜びで正座とおすわりをしています。
ですが、私の怒りが全く理解できていません。
ダリウス様の無表情。ラスカル様、キース様のこわばった顔。マルス様の笑顔。
「ご主人様の敵を叩くのに、何を怒っているの?」と思っているのが分かります。
レオンハルト様は、「あれ? 間違ったかな」と悩み始めておりますが、ピーター様に至っては「やった! 命令もらえちゃった!」とずっと喜んでおられます。
私は両手に腰を当て、仁王立ちになりました。
「まずダリウス様。人に戻ってください」
『はい』
犬の姿だと、どうにも怒りにくいからです。
人の姿でも正座をしても、大きな方なので私と視線がさほど変わりません。
「ただの侮辱一つで国家を攻めてはいけません! ダリウス様は騎士団長ですよね!?」
「それ以前にご主人様の愛犬になりたいのです」
「もっと国に責任を持ってください!」
「愛犬のついでに、国の誇りを守るのも私の役割です」
「国の誇りとはなんですか!」
「リーゼロッテ様を愛する気持ちです」
むむむ、平行線です。
彼が甘えん坊以外で、こんなに頑な様子は初めてみました。
綺麗に正座する麗人が、切々と私に説きます。
「リーゼロッテ様が戦いを厭われる気持ちは分かります。
ですが。歴史的にも、ユマニズム王国は我が国を何度も侵攻していますし、先の戦争では多くの犠牲者を出しました。
あいつらは犬人を誘拐し、テロを起こし、国際問題ではいちゃもんをつけ放題。獣の姿を持つ者は皆殺しても構わないと思っている連中です。その都度王族が交渉し賠償で収めて「それでも隣人だから、耐えろ」と命じて来られました。
―———ですが、王族はもうリーゼロッテ様しかおりません。
そのリーゼロッテ様の上から目線の呼び出し。もう我が国民は我慢がならなくなっているのです。かく言う私も、堪忍袋の緒が切れました」
麗しい顔に、昏い影が差し込んでいます。美形には影も似合います。
しかし……国民の鬱憤がここまで溜まっているとは。
現在王族は私一人。
気が付けばあちこちでわんこが勝手に動いているのに、全然リードを操れていません。
隣国ユマニスト王国は、人の姿だけを持つ人種が主流の国。
政治犯や脱獄犯、マイノリティーなど様々な理由で旧大陸から逃げ出してきた人々が作った国です。
ですがこの大陸の人口の殆どは、動物の姿も持つ方たち。
再び彼らはマイノリティーとなりました。
そこで彼らは、旧大陸の純人教を、新大陸での団結の手段として使ったのです。
元々この宗教は、動物の姿を持つ方々を変身人種と呼び、差別をするために「俺たちは優れている」と唱えるだけものだったのですが。
ここにきて純粋かつ、原理主義に走りました。
いつか、アプソ大司祭が教えてくださいました。
「純人教に『神』はいません。あるのは人間らしさと純粋さの追求です」
「実際に何をモットーとされているのですか?」
「普段は他の宗教と変わりませんね。理性を持つこと。道徳を守ること。衝動を抑えること。生きがいを持つこと……などでしょうかね」
「良いことではありませんか」
大司祭は、それがですねえと困った顔をされました。
「ただ、あそこの宗教指導者は導師というのですが、彼らは『より純粋に生きること』という点を強調します。衝動を抑えて、理性的に、人を殺すのは良いという具合ですね」
「はい?」
「近年の導師たちは特に、『人は純粋に生きるべきだ』ということで、中途半端な生き物である変身人種に虫唾が走ると言っていますね。生き方として汚れているとね」
生きているものに、不純も純粋もないと思うのですが。
大司祭はこう言って締めくくりました。
「まあ、気にしないことです。自分の外見を顧みず、処女でなければ女の価値はないと言っている引きこもりだと思えばいいんです」
「大司祭様、例えが十歳の女子向けではありません」
そんな選民思想の引きこもりに手を出したところで、何もいいことはありません!
一度壊滅したところでテロの温床となり、すぐに元に戻ってしまうに違いありません。いや、もっと厄介なものに違いありません。
アプソ大司祭は助言もしてくださいました。
「思い込みが強い人間は、攻撃されればされるほど被害者妄想甚だしくなるだけですよ。
歴史は繰り返します。隣国には仕返しをするたびに、耐性菌のごとく復活し、より粘着質になってきましたからね」と。
「だから、狂人国家に下手に手を出すのは『緊急連絡です!』」
私がそう宣言しようとすると、突然伝令の兵士がほっそりとした犬の姿でやってきました。
以前もロットワイラー一族の反乱について連絡に来た方です。
嫌な予感がします。
ダリウス様が「話せ」と命じると、彼は人の姿になって大きな声で報告します。
「第二部隊のマスティフ隊長より、連絡! 『やつらの王都はすでに包囲した』とのこと!」
はい?
私が固まっていると、ダリウス様が頷いて了解します。
少し首をひねり「今聞いたが、まあいいな」と言って。
聞き捨てなりません。
第四部隊の三人はその隙に「子犬隊出動ですね! 今行かなければ出番がない!」と逃げてしまいました。
「あ、ちょっと皆さん!?」
『緊急連絡です!』
またほっそりとした犬が来ました!
同じ一族でしょうか。
彼も人の姿になって大きな声で報告します。
「第五部隊は王城に侵入! 主要な王族と、一部導師を捕らえた模様!」
「えー! コーギーの奴いいなー! 潜入なんて今初めて知ったけど。まあいいか」
マルス様がちぇーっと残念がっていますが、全く良くありません。
と、言いますか。
私はどんどん周囲に置いていかれております。
あんなに指示をもらうのが好きなわんこが、戦争モードに入ったら、全く言うことを聞きません!
私の脳内で、たくさんのわんこが元気に大地を走っております。
わんわんわんわんわんわんわんわん。
私はリードを持って、たくさんのわんこに引きずられていきます。
あっちに喧嘩を売り、こっちを噛み倒し。あっちこっちに暴走し。
私のなんという弱さ! なんという指導力のなさ!
体力のない私は、ダシバですら軽くリードを引っ張られて転がってしまうのです。
そんな飼い主に狂犬の皆さんが、簡単にコントロールさせてくれるはずがなかったのです!
王宮の作戦本部に移動した私たち。
悩める私をよそに、次々と伝令犬がやってきます。
彼らはダリウス様に報告し、都度指示をもらって去っていきます。下手にトランシーバーを使うよりも速いそうです。
皆さん同じ外見のわんこ。
グレーハウンドという一族らしいです。
「第三部隊が、住民の避難完了!」
「第六部隊が遠隔射撃を行い、先方の武器を無効化!」
「第八部隊がビットブル家私設部隊とタイマン張っています!」
「残り戦力をピットブルに割け。特に第二部隊副隊長のジェントルマン・フォン・ピットブルをバーバリアン・フォン・ピットブルと闘わせろ」
「我々の戦力が、ピットブル一族の『邪魔すんな攻撃』で負傷者多数! 戦線離脱者が増えております!」
「子犬隊は王城ではなく、まずピットブルに砲撃を定めろ」
内容が対ユマニスム王国軍ではなく、ピットブル部隊との戦いに変化してきております!
どんどん青ざめていく私を、レオンハルト様が抱き上げました。
金糸の掛かる首に腕を回して、体温を分けてもらいます。
彼は私の首の匂いを嗅ぎながら「お疲れのようですね」と、心配されます。
「お部屋で休まれますか?」
「……この戦いで、何人の方が亡くなったのですか?」
「安心してください。とうの昔から我々の方が圧倒的な火力を持っています。電撃戦で攻めてしまえば一瞬ですよ。死者は今のところ報告は上がっていません」
「向こうは!? 先方はどうなのですか!?」
私が必死になって縋ると、彼はそっと抱きしめてくださいました。
「お優しいですね、リーゼロッテ様。やつらは悪運強く、死者は出ておりません。
————貴女が以前『殺すな』と命じておりましたからね。
後はダリウスが、上手くまとめてくれるでしょう」
レオンハルト様は、全軍に指示を出す親友を信頼の眼差しで見ます。
「そしてやつらに、二度と立ち上がれないようなトラウマを、きちんと植え付けてくれるでしょう」
「皆殺しは、その後だね」
レオンハルト様、マルス様! それダメですから!
私は思わず金の髪を引っ張りました。
本当に、この戦いは電撃戦でした。
半日も立たないうちにユマニスム王国は陥落し、かの国の王城と行政は狂犬騎士団の管理下に入ったと連絡が入ったのです。
(まさか美味しいご飯の後に、こんな事態がくるとは思ってもいませんでした……)
私はレオンハルト様とダリウス様が横に控える王座に座り、ため息をついています。
意気揚々と、片目に青たんを付けたバーバリアン様が帰ってきました。
ユマニスム王国の王の襟首を捕まえて。
「獲りましたよ、女王」
「獲物じゃないのです! 失礼ですから離してください!」
「……ちゃんと手足は付いていますからご安心を」
「そういう問題じゃないでしょう!」
「久々に戦えたのは嬉しかったんですがね。ちょっと赤い血が足りないですよね。ここで足します?」
「命令違反をして、よく言います!」
「我々に似合う命令を出せない、飼い主様の責任ではないのでしょうか?」
彼は明らかに、私を馬鹿にしています。
この戦いにおいて、最初から最後まで私が流されっぱなしだったのを良く分かっているのでしょう。
リードすらまともに握れない女王だと――――。
ふん、と嗤って彼は獲物を放り出していきました。
第一部隊――――近衛部隊の皆様に牙を剥かれ睨まれながらも、平然と王座の近くに立っています。
ようやく凶暴な犬から解放された壮年の王は、赤い絨毯の上に座り込みました。
そして私を睨んで「狂犬の飼い主よ。そなたは随分な躾をしているようだの」と吐かれます。
「女王様に失礼だぞ! ここで食いちぎられたいか!」
「マスティフ卿、いいのです。攻められた立場からすれば当然です。吐くだけ吐いて、まずは落ち着いてもらいましょう」
王捕獲競争でバーバリアン様に負けたグレイ・フォン・マスティフ様が怒鳴りますが、ここは引いていただきます。
王はこんな国で捕虜になるくらいなら死ぬとおっしゃりました。
それどころか、
「我々純人が、こんな変身種族だらけの環境で生きてたまるか! とっとと余を返せ! むしろ今すぐ心から謝罪して賠償としてこの国を寄越せ! 下等な犬人を追放して綺麗に使ってやる。純人であるお前も育ったら妾くらいにはしてやるぞ」
とも、のたまっております。
……戦争を仕掛けてしまった側なのでなんとも言えませんが、随分な方ですね。
こんなのが隣人にいて、良く王家は犬人達を宥め続けることができたものです。
会うことの出来ぬ上級愛犬育成者。
特に実の父だった方にも、会って教えをいただきたかったです。
レオンハルト様は、にっこりと麗しく微笑まれました。
「リーゼロッテ様。もしもあの駄犬が、またゲジゲジを捕らえて来たらどうします? ゴキブリでも構いません」
「え? それは『ペッしなさい』と怒りますね」
「でも、家の中に捨てろとは言いませんよね」
「はい。不快ですから」
「なので、そうしましょう」
笑顔の美形は、ダリウス様にアイコンタクトを取りました。
ずっと無表情だったダリウス様が、珍しく微かに微笑んで、トサ副隊長に指示を出します。
「あの計画を実行しろ」と。
和犬の皆さんはにっこりと笑い、「では女王様から『ペっしなさい』と指示が出たと全軍に伝えます」と去っていきました。
「何をされるのですか?」
「虫を殺さず環境を良くするために、ちょっと移動をしていただくのですよ」
なんと。
彼らは本当に、ユマニスト王国の王族たちを「ペっ」してきたのです!
捨てた場所は、旧大陸。私の祖国です。
そこは純人しかいない、彼らにとっての理想の地でした。
厄介な人間はみんな彼らの理想郷に移住させればいい。実に合理的です。
ケンネル王国戦力の最大の優位点は、大陸間を渡れること。
旧大陸にも、ルマニア大陸の他の国にも、大陸を渡るすべはありません。
狂犬騎士団たちは、見事に面倒な人たちを生きたまま片づけてしまいました。
私の意見を、最大限に都合よく解釈しながら――――。
ユマニスト王国は、たった一日で、我が国に併呑されました。
旧ユマニスト領と名を変える予定だそうで……。
良かった良かった、リーゼロッテ様が住みよい世界がまた広がったと笑いあう、犬人の皆様。
ですが、私は釈然としません。
癖のある宗教問題を何一つ片づけないまま、私たちは武力で勝っても良かったのでしょうか?
ただ相手の意見を否定しただけならば、同じ穴の貉ではないのでしょうか?
アプソ大司祭がおっしゃっていたではないですか。「返って面倒くさくなる」と。
恩賞を授け終わって王座で悩む私に、伝令のグレーハウンドさんが現れました。
「旧ユマニスト王国の導師の二人が、女王様の愛犬・ダシバ様を誘拐して逃走しました!
同時に子犬隊の兵士パグとチワワが骨で誘い出されて、戦車を奪われております!
以後、彼らは継続して戦車にて逃走中! ダシバ様を人質に取り、旧ユマニスト王国内の純人教所有地の返還を要求しています!」
「え! ダシバが誘拐ですか!?」
さあっと、私の血の気が下がります。
そこにテレサさんが髪を乱し、疲労困憊した様子で王の間に入ってきました。
「申し訳ありません、リーゼ様! ダシバ様を守れませんでした!」
「テレサさん!」
ダシバはテレサさんの見ていない隙に、敵が作った紐に結われた骨を追いかけて、出ていってしまったらしいのです!
なんて古典的な!
愕然とする私に、レオンハルト様が凪いだ目でおっしゃいました。
「リーゼロッテ様。駄犬は平和の尊い犠牲になりました。皆で祝って、いえ謹んで冥福をお祈りいたしましょう」
その場に居た他の方も次々に口を開きます。
「そうだな。あいつを捕まえたところで、脂肪ばかりで食いがいもなさそうだがな」
「これで今後の警護対象はご主人様だけかあ。ベッド下も綺麗になるね」
「駄犬? そり犬にもならないやつだよね」
「いなくていいよね? 駄犬だし」
「ダシバって誰だっけ」
「…………」
「これで愛犬の座は私のものだ……」
「今度はヒールを履いて踏んでください」
皆さんひどい!
すでに戦いの流れでダシバを葬る気マンマンです。
最後は台詞は、ダシバ関係ありませんが。
ダシバは、ただの駄犬ではありませんよ!
とんでもなく駄犬なのです!
私が守ってやらねばだめなのです!
柴犬なのに間延びした顔を思い浮かべ、私は心に決めました。
(誰が見捨てても、私はダシバを見捨てません!)
私の奥底で、覚悟がしっかりと座ります。
目も座ったのですが表情には出ません。
残念です。
私は王座から立ち、バーバリアン様――――いえ、ピットブル卿の足元に降りていきます。
レオンハルト様がぎょっとして、慌てて付いてこられました。
「リーゼロッテ様? どうされたのです?」
「ピットブル卿―――――貴方は相変わらず、好き勝手な戦いをしてくれますよね」
「……それがどうだというのです? 女王様が面白いことを持ってきてくれないから、少し好きに散歩しただけではないですか」
「面白いことをしましょう」
私の今までになく明瞭な態度に、先ほどまでニヤニヤと笑っていた彼の顔が次第に真顔へと変わっていきます。
「これから私は、次期女王の名で命じます」
「!?」
周りの皆様も驚愕の表情を浮かべます。
特にダリウス様が目を見開いております。
「私はダシバ奪還隊を結成します! 隊長は私です! 副隊長はピットブル卿、貴方です! もちろん五体満足で心も無事にダシバを連れて帰りますよ! ピットブルの貴方と私で!」
私が宣言すると、バーバリアン様は信じられんといった顔で私を見つめます。
「それは……罰ですかね」
「いいえ、ご褒美ですよ!
……この私が貴方に「死ね」よりも辛い命令をするのですから」
普段滅多に動かない表情筋を必死に動かし、私は笑いました。
少しはダシバを想う心が伝わるように。
その時の私の顔は、後年、各家庭で子供が夜更かしをしている時に『眠らないと笑顔のリーゼロッテ陛下が来るよ~』と、脅す文句に使われるほど評判になりました。
酷薄。そんな言葉ではとても表現できないほど、残酷な。
そんなひどい笑顔だったそうです。泣きそうです。
そして、その笑顔を見せつけられたピットブルの当主は。
一度雷に当たって震えたかと思うと、すぐに元に戻り、途端に片膝を絨毯につきました。
そして、
「……素晴らしい。なんという素晴らしい命令でしょう。
喜んで貴女と共に戦いましょう。女王様(マイ、プレジャー)」
と、初めてまともに私に従ったのです。
ナンデヤネン。




