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目覚めたら記憶喪失でした  作者: じゅり
― 本編 ―
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8.学園潜入開始

「食事は口に合った?」


 夕食後、談話室にて、悠貴さんがそう切り出した。談話室ではソファーがあって、各々生徒達が寛いでいる。私は現在、身体が埋まりそうな程柔らかなソファーに身を沈めて話をしている。ソファーはねぇ、柔らければいいっていうものでもないんだからね。でもやっぱり気持ちいいな。


「……いえいえ。とんでもない。お口の方を合わせますとも」


 そう言うと、悠貴さんは楽しそうに笑った。とは言え、正直どんな味だったか覚えていない。食育の一環とか何とか言って、フランス料理のコースみたいなものが次々と出されたのは覚えている。だけど、確かナイフやフォークを使うのは端からだったよねと、テーブルマナーが気になって、内心冷や汗ダラダラ、体ガチガチで味になど集中できるはずもなかった。


 おまけになぜか自分の一挙一動に人の目が集中していたような気がして余計に緊張し、味わう余裕など許されなかった。目が合うと、相手は慌てて取り繕った笑みを浮かべ、こちらも緊張で強ばった笑みを返すと、慌てて目をそらされたし。何なんでしょ一体。


 これが朝夕と毎日続くのかと思うと早くも目眩を覚えてしまう。ああ、高級料理店に連れて行ってくれる彼氏が欲しかった。……あれ? という事は私には彼氏がいなかったんですか? ――不意に思い出さなくても良い余計な情報を引き出してしまったようだ。私は頭の中で削除ボタンをぽちっとクリックする事にした。


「……だった?」


 ぼんやり自身の世界に入っていたら、悠貴さんが何かを尋ねたようだ。


「あ、すみません。聞いていませんでした。何ですか?」

「部屋はどうだった? って事なんだけど」

「ああ……」


 私は大きくため息をついた。


「何であんなに大きいんでしょうかね。バストイレ完備はもちろん、部屋数も多いし、バルコニーもあるし、ベッドも二人くらい寝られそうなくらい大きいし」


 本当にホテルのスイートルームみたい。スイートルームには泊まった事はないのですがね。イメージですよ、イメージ。まあ、豪華と言えど寮の部屋。実際のスイートルームはもっと大きいでしょうけど。


「でも一人で暮らすにはちょっと大きすぎて不安というか、寂しくなりそう」


 私は二人部屋が良かったなぁ……。優華さんはあの広くて寂しい部屋で二年間過ごしてきたのだろうか。友達もあまりいなかったみたいだし。訪問者のない部屋は、無駄にだだっ広く感じる。


「まあ、その内慣れるよ。本番は明日からだからね」


 その言葉に私は神妙に頷いた。学園生活なんて何年ぶりだろ。別に引き算して考えなくても全然いいけど。今の若い世代の子たちとうまくやっていけるかなぁ、不安だ。あ、いや。その前に話す友達いないのか……。いいのか悪いのか。まあ、とりあえず頑張るしかない。


 その後、悠貴さんに各教室の配置や席など説明を受けた。悠貴さんがフォローしてくれるとは言え、更衣室やトイレまでは付いてきてもらうわけにはいきませんものね。


「じゃあ、そろそろ戻ろうか」


 悠貴さんが腕時計を見ながらそう言った。消灯の時間はないけれど、談話室他の施設は十一時で閉められるらしい。いつの間にか話し込んでいたようだ。

 そして私たちは談話室を後にし、ロビーまでやって来た。


「じゃあ、おやすみなさい」

「うん。おやすみ。ゆっくり休んでね」


 それにただ頷いて私は別れた。部屋に戻り、私はベッドに座り込んで溜息をつく。こんな状況下でゆっくり休める人がいたらお目にかかりたいものだ。……そう思っていた時期もありました。我ながら図太い神経だったようで、おかげさまで慣れぬ環境も何のその、朝までぐっすりお休みいたしました。




 朝食が終わり、悠貴さんが朝の挨拶にこちらにやって来た。


「おはよう」

「おはようございます」


 悠貴さんはこちらを窺うように見つめると、笑みを浮かべる。うん、美形の笑みにも慣れてきたぞ。


「ゆっくり休めたみたいだね」

「……おかげさまで」


 神経図太くてすみません。そう思っていると、悠貴さんは少しだけ表情を曇らせるようにして笑った。


「そう。良かった。最近ずっと、顔色が悪かったから」

「え? それはどういう――」


 尋ねようと思った時、奥から歩いてきた一人の女生徒がこちらに気づき、びくりと足を止めて脅えた表情で私たちを見る。衿のピンの色から見て、下級生らしい。


「お、おはようご、ざい……ま、す」


 身は縮まり、声も後半になるにつれて小さくなっていく女生徒。え、何か恐がられています? 恐くないよー。いじめないよー。優しいよー。そういう思いを込めながら穏やかな声と柔らかい笑みを浮かべてみせた。


「ごきげんよう」


 その女生徒は目をまじまじと見開き、一瞬のち、かっと頬を染める。


「あ、あの、お怪我されたとお聞きしたのですが、お加減はいかがでしょうか」

「ありがとうございます。大丈夫よ」

「そ、そうですか。良かったです。そ、それと以前は……あ、あの、あ、ありがとうございました!」


 ぺこりと頭を下げる。


「え、あ」


 私が戸惑っていると、彼女は私と悠貴さんに一礼しながら、では失礼しますと言ってあっという間に走り去った。


「……えーっと。今の、何でしょうか」


 彼女の走り去った方向を見つめながら言った。


「優華は激しい人見知りなんだ」

「え?」

「頑張って笑顔を作ろうとするから余計に不自然で、なまじ綺麗な顔だから、悪魔の微笑みになってしまうらしくて、相手が逃げちゃうんだよね」


 なるほど。確かに美女が不敵に笑ったら、私もごめんなさい、もうしませんと逃走を図るかもしれない。


「その後の優華の落ち込みようと言えば、それはもう可愛くてねー」


 くすくす笑うあなたが真の悪魔様です。


「でもまあ、今のはちょっと違うかな」

「え?」

「どうも普段と違う君の笑顔に彼女はびっくりしたみたいだね。普段、優華はそんな愛想の良い表情浮かべないから」


 笑みの中に冷たい光を湛えるのはやめましょうか、恐いから。何でだ。婚約者は評判がいい方が良いではないか。何だろう? 独占欲なの? 優華さんは意外と悠貴さんに愛されていたりする?


「ああ、それとお礼を言っていたね。優華が人の為に何かをしたとは初耳だな」


 人見知りで、友達作りが苦手なのに特待生苛めをしている。一方でお礼を言われるような事もしている。……イメージが一貫しないな。一体どれが優華さんの本当の姿なんだろうか。まあ、人間、気まぐれっていうのもあるからね。


「じゃあ、そろそろ部屋に戻って準備しようか。ここで待ち合わせね」


 悠貴さんの言葉に壁の時計を見上げると、時計の針は既に八時五分を過ぎていた。私は頷いて、お互いの部屋に戻った。




 学校という場所は勉学にいそしむ場所だと思うの。だから、だから。


「こんなでこぼこ装飾ついた校舎にしなくていいと私は思うのです」


 ぬぺーっとした白壁一様の校舎でいいじゃないか。ええ、ええ。その柱の装飾はとっても素敵ですけどっ。寮同様、写真で外観を見ていたとは言え、実際目にすると、どれだけお金以下同文です。


「でこぼこって……。まあ、分からなくもないけど」


 悠貴さんは苦笑する。ええ、表現力皆無ですみませんね。


「外交に関わる職業の家の子や将来それに関わる役職についた場合の訓練みたいなものもあるんじゃないかな」


 はあはあ。なるほど。物の価値を見極めたり、芸術力を向上させておくのは晩餐会など招かれたりする際、物を言いそうだもんね。学園内に美術館もあるとか言ってたっけ。要人のお子様たちはなかなか大変ですなぁ。


 校舎を前に一頻り感心していると、いつの間にか自分たちに注目が集まっているのに気付いた。悠貴さんに近づいて、こそこそ尋ねてみる。毎日これだと疲れそうなんですけど。


「ね、ねえ。いつも登校時にはこんなに注目されるの?」

「……そんな事ないよ。久々だからじゃないかな」


 久々? 木曜日に事故があって、金曜日は一日休んだけど、土日挟んだくらいだよね。ちょっとおかしな言葉だな。


「じゃあ、そろそろ教室に入ろうか」


 言葉の意味を考えながらも、悠貴さんに促されて校舎の中へと足を踏み入れた。



 廊下を二人で歩いていると、私の姿を見た途端、シャツにネクタイ姿の若い男性が足早に近寄って来た。おそらく教師なのだろう。


「おはよう、瀬野。身体はもう大丈夫なのか?」

「はい、ありがとうございます」

「新部先生、おはようございます。優華、先生はあの事故の時に駆けつけてくれたんだよ」


 悠貴さんは先生に挨拶すると、そう説明してくれた。


「そうでしたか。それは誠にありがとうございました」

「ああ、いや。たまたま通りかかった時、焦った男子学生の声を聞いてな。ともかく大事なくて良かったよ。くれぐれも気を付けろよ」


 男子学生とは悠貴さんのお友達の事かな。そう思ってちらりと悠貴さんを見ると小さく頷いた。まあ、それはともかく。


「はい。ありがとうございました」


 私はもう一度頭を下げると、先生はじゃあなと去って行った。


「じゃあ、行こうか。もう、すぐそこの教室だから」


 そして私たちは教室に辿り着いた。廊下からたくさんの机、黒板、ロッカー、そして掃除道具入れが配置されているのが見て取れる。そして教室内はがやがやと学生のざわめきで満たされていて、一気に学生気分が甦ってきた。記憶はなくても懐かしさという感情はどこか残り続けているのだろう。朝起きの気だるさとは逆に、教室を目の前にすると気が引き締まるものだ。よし、頑張ろう。そう思って足を踏み入れた。


「おはようございます」


 朝の挨拶はとっても大事だ。そう思って誰とはなしに声を掛けると、あれ程あったざわめきが潮を引いたように一瞬の内に消え、こちらに視線が移された。私はもう一度挨拶する。


「おはようございます」


 すると今度はまた一瞬の内に、こちらに向けられていた視線が脅えたように一斉に外され、ただ気まずい静寂だけが辺りを覆った。ええっ!? 友達はあまりいないとは聞いていたが、挨拶を交わす相手もいないの? と、後ろを振り返ると悠貴さんが困ったように笑っている。


 ……うーむ、なかなか前途多難のようである。

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