41.羽鳥蘭子の考察
【書籍発売記念SS:2】
情報屋、羽鳥蘭子の視点です。
私は羽鳥蘭子、高校二年生。私が通っている学園は日本有数の大企業のご令嬢、ご令息が集まる超セレブな高校だ。そんな学園の中で現在、私は新聞部に在籍している。
と言っても今時、学園新聞を発行したところで興味津々で読んでくれる人も少ない。おまけに――。
「羽鳥さん」
私をデスクに呼ぶのは新聞部の部長だ。
「はい」
「この記事、少し事件の核心に迫りすぎている」
事件と言っても学園内の小競り合いなのだけれど、明らかに非がある相手がお金持ち坊ちゃんなのだ。
「上から圧力がかかると思うから載せられないね」
「……またですか」
ため息を吐く私に部長は苦笑した。
彼もまた記事を押し通せるほど、家に権力がある人物ではない。
「分かりました。破棄します」
「ごめんね」
「……イエ」
私は部長の目の前で自分が書いた記事を破り捨てた。
このように学園内ではご生家の権力から力関係が決められているため、下手な記事を書いて公表したら後々面倒なことになる。だから結局のところ当たり障りのない学園ニュースか、セレブなお坊ちゃまのインタビュー記事で紙面が占められているのが現状だ。
高校生で既に社会の縮図を見ているようで嫌になる。
そんな状況に嫌気をさしながらも新聞部に籍だけでも置いているのは、同時に学園の情報屋をやっているからだ。
情報収集の為に動いている時は色々変装して姿が安定していないので、依頼人が情報屋である私にどう接触すればいいのか分からない。けれど新聞部として普通の姿で在籍しておくと、情報屋として認識されるという寸法なのだ。
いくら将来有望なご令嬢、ご令息が集まる学園とは言え、まだまだ彼らの興味は経済や政治ではなく恋愛、いわゆる恋バナの方だ。恋する相手がどんな人が好みだとか、今付き合っている人はいるのだとか、そんな彼らの要望のために情報屋は必要とされている。
そこで私は一情報につきワンコインで引き受けている。――お金持ちお嬢様、ご子息様、先生方は一枚、二枚頂いているけれど。
しかし私が情報屋に力を入れているのは何も小遣い稼ぎだけのためではなく、新聞部としては見切りをつけてしまっている所が大きな要因である事は言っておこう。私の名誉のために。
ちなみに弱小部ゆえに予算配分が少ないため、部費収入として情報料の三割を納めさせて頂いている。新聞部が廃部になったら私だってそれなりに困るもの。
「羽鳥さん。この後、取材だよね」
「え、あ、うん。そうだね」
部活仲間にそう声を掛けられて腕時計を見た。
「いいなー、私が行きたかった」
本日は女子生徒に人気がある、スポーツ特待生、羽田空也さんの取材だ。
彼が出る試合には有名スカウトが付いて回るくらい将来有望なサッカー選手である。密かに庶民の星と言われており、数あるセレブ男子を押さえて今一番人気を博していると言っても過言ではない。
同じ羽が入っているので少し親近感が湧く、など言ってみたり。
「そろそろ時間ですね。では部長、取材に行って参ります」
「うん、お疲れ様」
「じゃあ、財前君、行こう」
「はい!」
私はカメラマンの財前君と共に部室を出て廊下を歩く。
彼は一つ年下でカメラマン志望だそうだ。ならば写真部に入ればいいのにと思うが、人間の素の姿を撮りたいらしい。報道カメラマンになりたいと言うことだろうか。
「羽鳥先輩、羽田先輩の基本情報は頭に入れていますか?」
「当たり前でしょ。私を誰と心得る」
「それは失礼致しました」
胸を張って言うと、彼は穏やかな笑みを浮かべてそう答えた。
「それに彼は今、注目株だもん」
情報屋として全学年の基本情報と少しばかりの特記事項を有しているのだけれど、特別な依頼があった場合や人々に注目されるべき人物の場合はより綿密な調査を重ねている。
「何せ彼の情報は今、一番売れるからねー。今日もしっかり取材するわよ!」
くふふふと含み笑いする私に財前君は苦笑した。
そんな風に雑談しながら歩いていると、財前君は窓の外を見て不意に、あ、と呟いた。
「あれ、瀬野先輩ですよね」
「え?」
彼の視線の先にいたのは一学年上の瀬野優華先輩だった。
瀬野先輩は日本でも三本の指に入る程の大財閥のご令嬢で、嫌でも注目を浴びる人物である。
白い肌に黒髪で真っ黒な瞳は日本人形の美しさを彷彿とさせるが、惜しいかな、少しだけつり上がった目と気品が威圧感を増し、人を寄せ付けない印象を与えている。
彼女は注目度を浴びる一方、その風貌と家格で生徒たちが敬遠しているので本来は基本情報を持っているだけで事足りるのだが……。
しかし最近、私が個人的に気になる人物である。
なぜならそんな印象とは裏腹に本人は至って静かで控えめで、もっと言うと人見知りのようなのに、何かと悪評が立っているのだ。
自分で落とした物を拾わせたとか、誰々を呼び出して苛めたとか、彼女の横を通っただけで咎められたとか、色々だ。
当初はその現場を目撃して記事にしようと彼女をこっそり尾行したりもしていたが、彼女のそんな姿は一度も見かけた事がなかった。
それどころか、何とか笑顔で同級生と接しようと試みているようだがうまく行かず、逃げられ、その後に落ち込んでいる姿は見ているこちらの方が何とも切なくなったものだ。
悪評とはまるで反対の彼女の姿に違和感を覚えるのには時間が掛からなかった。しかし悪評だけは加速していく。
自分の事ではないのにやきもきしていた所、彼女も時が経って漸く自分の評判に気付いたのか、自分の噂を教えて欲しいと申し出てきた。
一瞬、噂を立てた人物に復讐するのではないかと頭を過ぎった事は……まあ、否定しない。
しかし瀬野先輩が憔悴した様子の上、彼女を見てきた自分としてはその考えをすぐに捨てて情報を売った。
それからもちょくちょく私の前に現れては噂を集めているようだった。それなのに彼女は集めた噂を元に行動する事はなかった。
彼女のそんな態度に尋ねてみた事がある。なぜ何もしないのかと。すると彼女は言う。怖いのよと。人と接するのが苦手な自分が今動いたところで余計に悪化しかねないからと。そしてどうすればいいのか分からないのよと悲しそうに笑った。
私は何も言えなかった。情報屋をやっている自分は歪められた噂の醜さも怖さも知っている。それなのにその噂を打ち破る方法は何一つ知らなかったからだ。そして真実を伝えるはずの部活に所属していながら、それを記事にする力もない自分には何一つ言えなかったのだ。
もやもやした気持ちを抱えていた頃、瀬野先輩が階段から落ちた事が耳に入った。
大きな怪我も無く、週を明けて戻って来た彼女の姿にほっとした同時に少し違和感を抱いた。
幼なじみのはずなのに接触を避けていた二宮先輩と一緒にいる事も不自然だったし、伏し目がちだった彼女が真っ直ぐ前を向いて、明るい炎を秘めた瞳をしているようにも見えたからだ。
それは私の直感だけではなかったらしい。事故後の彼女は有村さんの横暴な取り巻きに立ち向かう姿を見かけたのだ。今までの彼女では考えられない事だ。他にも先輩に助けられたという女子生徒の話も耳に入ってきている。
こうなると凜と気品があった歩き姿すら男前に見えて来るから不思議だ。やはり事故に遭うと人が変わったようになるというのは本当らしい。
現状から背を向けるばかりだった彼女は今、前を向いて歩き出した。これから彼女はどこへ向かっていくのだろうか。
私はそんな彼女に密かな期待を持って、これからも見つめて行きたいと思う。……自分の中の何かも変わることを信じて。
「羽鳥先輩ー! 行きますよ」
歩き出していた財前君がいつまでも立ち止まって瀬野先輩を見ている私に声を掛けてきた。
「あ、ごめんごめん。今行くわ!」
私は前を向くと、財前君を追って駆け出した。
(終)




