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目覚めたら記憶喪失でした  作者: じゅり
― 本編 ―
33/43

33.そして一年後

 あの出来事から一年。早いものだ。


 あの後、優華さんとそのご家族が与えてくれたチャンスに、私は浮かれてなどいられなかった。社長はあっさりと私の元上司を飛ばしたところを見ても、私が役に立たないと分かったら、即座に眉一つ動かさず切るだろう。そんな恐怖の中、それこそ血の滲む思いでやって来た。ブラック上司のブラック語録にも負けず、ブラック勤務にも負けず、よくここまでやって来たと自分で自分を褒めてあげたいくらいだ。社長に言ったら鼻で笑われそうだけど。


 最初、社長と同じ高級マンションに引っ越しを予定されていたが、とんでも無い、平社員には安アパートで十分ですと固辞した。四六時中、会社に付きまとわれるかと思うと頭がおかしくなってしまう。まあ、安アパートでも結局呼び出されるのは同じだと後で気付いたんですけどね……。プライベートも何もあったもんじゃないやい。


 優華さんとは相変わらず交流が続いている。私が気にしていた有村さんの件は優華さんが宣言通り、男性陣に立ち向かってくれたようだ。悠貴さんが楽しそうに語った。


「いつまでもあると思うな女と金」


 優華さんはそう切り出したらしい。


「家に縛られないこの学生中に羽目を外して、初めての恋だの体裁のいい言葉にのせて恋にのぼせるのは勝手ですわ。ですが、いつまでもあると思わない事ですね。あなた方を想う婚約者の方々が。彼女たちを、そして周りの方々を蔑ろにした結果は必ず自身に戻って来ますわ。……恋をするなとは申しません。親の言うがまま付き従えとは申しません。ただ、もう少し周りを見て、今の自分の姿と真摯に向き合ってほしいのです」


 誰かが言った。卒業すればどうせ親の決めた婚約者と結婚するんだ。学生中くらい自分の自由にして何が悪い、と。


「でしたら真剣に恋愛なさって下さい。心から人を愛して下さい。人の心を感じて下さい。そして愛の為に闘って下さい。それが本当の心の自由ですわ」


 そして彼らは一様に口を噤む。


「……瀬野。お前は本当に変わったんだな。誰にも興味を持とうとしなかったお前が」

「良い方との出会いで人は変わるものですよ。あなた方も良い方にお会いできることを心よりお祈りしております」


 優華さんは財閥家の娘という優華さんの立場の中で彼らを戒めたのだろう。手や足が出る私より余程大人の対応だ。その後、優華さんの言葉から何かを感じ取った中条颯人が有村さんにこれまでの事を謝罪して彼女の前から姿を消したらしい。さらに佐々木君が沢口さんを筆頭にクラスメートの後押しを受けて告白し、正式に付き合う事によって残った人も去ったという。


 良かったね、ツンデレっ子、有村さん。しかし沢口さん、佐々木君との会話の時、あの場に居たとは気付かなかったわ。ある種、羽鳥さんの諜報活動にも匹敵する忍び方でしたよ、お見事。


 また、学園は悠貴さんや松宮氏たちの努力のおかげで、上流家庭による庶民への圧力は目に見えて小さくなったそうだ。もちろん完全にという訳ではないし、彼らが卒業した後はどうなったのか分からない。けれど後継もできたから大丈夫と悠貴さんは笑っていた。


 ちなみにストーカーについて優華さんの処分はあったのかを尋ねると、彼は瞬時に笑みと血色を消して固まった。ちらりと優華さんを見ると澄まし顔。うん、こっぴどく絞られたようね、ざまあみろ、とでも言っておきましょうか。しかし優華さんはしっかり彼の手綱を握っているようで安心した。


 そして明日、卒業した二人の婚約披露パーティーが開かれる。私もひと月前からその準備に駆り出され、縦横無尽に走らされた。すみません、これ、残業代は出ますかね。出ますよね。


 私はパーティー会場を見渡した。


「えっと、数はこれで足りてるかな」


 開放感があって、柔らかな白を基調としたパーティー会場は様々な業種や関係各社との交流を円滑にするためだろうか、立食形式を取っている。今は機能性を重視した単調なこの会場も明日には各テーブルの中央には豪華な花が飾られ、彩り豊かとなるだろう。


 そう考えながら最終チェックをしていると、穏やかにお疲れ様ですと声がかかる。瀬野家当主の秘書、門内豊さんだ。彼もまたここで準備に追われている。


「とうとう明日になりましたね」

「……また痩せられました? 大丈夫ですか?」


 気遣いの彼に私はただ苦笑するばかりだ。


「ああ、二人ともここにいたか」


 振り返るとそこには社長の姿。


「疲れた様子だな」

「……ええ、疲れました。本当に疲れました。ここひと月で二kg痩せました。ありがとうございました」


 そのまま本音を伝える私に社長は苦笑する。


「悪かった。ボーナスは弾むから勘弁してくれ」

「だったらいいです」


 私はすまし顔で答えた。


「そう言えば、江角家による演奏会も格別安くして頂きましたし、たっぷり弾んで差し上げて下さいね」


 門内さんは援護射撃してくれる。


「江角家か。あちらさんも柏原財閥のご令嬢と婚約するのにもかかわらず、よくウチに協力してくれることになったな、木津川君」


 特に私の名前を強調して社長は言う。


「それは誠心誠意、わたくしめが精一杯お願い申し上げたからですね」

「優秀な俺の元秘書の門内を持ってしても首を振らなかったあの江角家に?」


 胡乱な目を向ける社長に私はとりわけ笑顔を作ってみせる。


「ええ。女性の方が、当たりが柔らかくて良かったのでしょう」

「それだと、まるで君が一度でも門内より人当たりが良かった事があるみたいな言い方だが」


 まあ、何という失礼な人でしょうね。社長、何ですかとにっこり睨み付ける私に門内さんがまあまあと宥める。


 ひと月前、門内さんが江角家との交渉に失敗したのを受けて、私が江角家へと足を向けた。もちろん彼に会うためだ。



「木津川晴子と申します。お初にお目にかかります、江角奏多様」


 私は江角奏多君に面会を申し出ると、瀬野家の使いという事で許可を得て、居間へと通された。


「……瀬野先輩のお兄さんの会社の方ですか」


 私が出した名刺に視線を落とすとそう言い、すぐに顔を上げた。


「二人の婚約披露パーティーの事かな。確か以前に父がお断りしたと聞いていますが」

「ええ。ぜひ奏多様のお力添えを頂ければと思い、参りました」

「どうして僕に?」

「同じ学舎で共に学び、共に生活してきた仲間の一人としてお願いできないかと」

「申し訳ないけれど、お力にはなれそうにありません」


 そう言って私の名刺をテーブルに置くと、彼は腕を組んだ。


「ご存じかと思いますが、うちも来年僕が卒業次第、正式に柏原家と婚約発表する予定です。柏原家と瀬野家は表面上は日本を支える財閥として協力関係にあります。しかしそれはあくまでも表向きだという事はお分かりですよね」


 実際は犬猿の仲だという噂だ。とは言え、この話を進めたところで柏原家に何らかの影響があるわけで無い。何かあるとしたらただ『嫌だ』という気持ちだけだろう。婚約騒動で、恨み辛みもあるかもしれない。


「柏原家の方にご了承頂ければ、ご協力頂けるということでしょうか」

「そうだけど。それは無理な話だよ」


 彼は段々ぞんざいな話し方になってきた。早く話を切り上げたいのだろう。こちらも同じだ。


「それでしたら問題ございません。必ずやご協力頂けると思いますわ。こうおっしゃって頂けましたから。『今回の件は私にも責任があります。お咎めなら私にも』と」

「……え?」


 目を見開く彼に私はにっこり笑う。


「そしてあなたはこうおっしゃいました。『どんな形でも必ず責任は取ります』」

「なっ!?」

「今回限りですわ。今回限りお引き受け頂ければ、これをお渡し致します」


 私は優華さんから預かっていた携帯を操作して、あの日の会話を流す。


「瀬野先輩の差し金か!」

「……いいえ、江角奏多様。お忘れですか? 『然るべき時期に然るべき処分を下しますわ。その時、万が一約束を違えたらもちろん……分かっておりますわね?』。……そう、申し上げたはずですわ」


 あの日の優華さんの表情と私が重なったのだろうか。彼は青ざめて茫然と呟いた。


「瀬野……先輩?」


 私はそれには答えないで、ただ笑って見せた。


「良いお返事をお待ちしておりますわ、江角奏多様」



 あの時は脅迫した感じで後ろめたさはあった。ああ、切り札って脅迫ネタなんだっけ。そう言えば自分で言ってた……。でもこれで優華さんの披露パーティーに箔をつける事ができたわね。まさか格安で引き受けてくれるとは思わなかったけれど。とは言えやっぱり。


「私って罪な女……」


 若干自己嫌悪に陥ってぼそりと呟くと、社長と門内さんが顔を見合わせた。そして社長が言う。


「木津川君。それはイイ女だけが許されるセリフだ。とりあえず『罪な女』に謝っておけ」


 何をー!? 人がせっかく反省しているのにこの社長ときたら。今日という今日こそは許すまじっ。詰め寄る私に門内さんが中に入って宥めながら今日という日は過ぎて行ったのだった。




 コンコン。扉がノックされると同時に開かれた。相手は誰か分かる。とりあえず返事を聞いてから開けて下さい社長。


「木津川君。準備はできたか?」

「……できたかって何ですか、これ」


 パーティー当日、いきなり社長に着替えろと控え室に放り込まれたかと思うと、スタイリストさんたちに髪を纏められ、顔はすっかり特殊メイクを施された。そして胸元には光輝くアクセサリー、服は品を保つ程度に右足部分にスリットが入った青色のロングドレスを着せられたのだ。


「こんな格好じゃ、何かあった時の対応に当たれませんけど」


 私は自分の格好を見下ろすと、社長へと振り返った。彼は目を瞠ると呟いた。


「……化けたな」


 別に誉めろとは言わないが……。自分でも考えていただけに、思わずむっとしてしまう。


「人を狐か狸みたいに言わないで下さい」

「冗談だよ。綺麗だ」


 今度はあっさり賛辞を頂いたが、言い慣れた感が全くありがたみがなく、どうもありがとうございますとこちらも眉一つ上げず社交辞令を返した。社長はそんな私の態度に苦笑する。苦笑したいのはこっちなのですが。


「今日はイベントスタッフじゃなくて、俺の付き添いをしてもらう。スーツ姿だとおかしいだろ」

「はぁ……そうですか」


 パーティーだもんねと考えていると、コンコンと扉が鳴る。


「はい、どうぞ」

「失礼致します。社長がこちらにおられるとお伺いしたのですが」


 と、入って来たのは門内さん。私を見ると一瞬驚いた表情になるが、すぐにいつもの柔和な笑みを浮かべた。


「木津川さん、とてもお綺麗です」

「あ、ありがとう、ございます」


 真っ直ぐ見つめてくる門内さんに頬が上気する。すると社長はふっと笑った。


「気にするな。この男は誰にでもそう言う」


 あなたの言葉の方が気にするわーいっ! ほんっとに、一言も二言も多いのよ社長は。思わず眉が上がると、門内さんはまあまあ、笑顔の方がより美しいですよと言うので、振り上げた拳を下げる事にした。横では社長、素直じゃないですよと門内さんが苦笑している。心配しないで門内さん、社交辞令はもう頂いているから。


「じゃあ、二人に挨拶に行くか」

「はい」


 来客入り前の会場に足を運ぶと、優華さんと悠貴さんが既にスタンバイしていた。


「やあ、優華、悠貴君。今日はおめでとう。とても綺麗だよ」

「社交辞令、ありがとう存じます」


 優華さんは上品に、でも若干棘のある言葉と共に小悪魔な笑みを浮かべて挨拶する。それに対し、社長は社交辞令じゃないよと苦笑している。苦笑が多い日ですね、社長。


「優華様、悠貴様。本日はおめでとうございます。優華様、本当にお綺麗です」


 私も挨拶する。いつもの優華さんもとても綺麗だけど、今日は一段と華やかだ。自然と頬がほころぶ。


「ありがとうございます、晴子様。晴子様もとてもお綺麗ですわ」


 美少女に言われて悪い気分にはなりませんね。すると悠貴さん特有の色気を含んだ、でも爽やかな笑みを浮かべた。


「晴子さん、僕たちの為にこれまで色々ご尽力頂き、本当にありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしくお願い致します」

「いいえ。とんでもございません。こちらこそお願い致します」


 そして少し話をしていると優華さんのご家族がお見えになった。


「君が木津川さんだね。いつも息子がお世話になっているそうで、ありがとう。しかしこんな美しい人だったとは」


 などとブンブン握手した腕を振りながら笑う『お父様』こそ何とナイスミドルな事よ。私はですね、顔は映画界御用達の特殊メイクが施され、胸にはパッドが入っておりますので……。


 続けて『お父様』は言う。ああ、ついでと言っては何だが貴之の嫁に来ないかい、この冷血の愚息には女性が皆嫌がって来なくてねぇ、どうだろう駄目かい? HAHAHA。あらあなたそんな罰ゲームみたいな事、このお嬢さんが気の毒でしょうよ、でも引き取って頂けるとありがたいわねぇと優華さんのお母様も美しく笑う。初めて見た時よりも雰囲気が柔らかい。優華さんが無事高校を卒業し、この日を迎えたからかもしれない。しかしさすが美形家族だなぁ。もう一人の息子さんはまだ到着していないが、彼も美形だと聞く。


 じゃなくて、散々言われてますよ社長。内心笑ってしまう。ええ、私は立派な社会人ですもの、顔に出しては笑いませんよ私は。


「……木津川君、笑いすぎだ」


 苦虫を噛み潰したような社長を肴に和やかな談話をした。そしてパーティーが始まるのだった。




 パーティーは万事滞りなく運び、現在は最初の熱気から落ち着きを取り戻して、各々食事や会話を楽しんでいる。すると社長の周りに美しいお嬢様方が集ってきたので、さり気なーく、じわじわその場を離れて行ったら見捨てる気かとでも言わんばかりに社長は眉を上げなさった。いやいやだって、女性方がこちらを睨んでいらっしゃるのですもの。


 私は壁の華になりつつ社長から視線を外して周りを観察する。その中には見知ったいつものメンバーや有村さん、沢口さん、佐々木君の姿まである。交流が続いているようで良かった。そして脅してごめんなさい、江角君や柏原さんの姿も見られた。


 羽鳥蘭子さんの姿も見つけられた。招待客の手配は別の人が担当だったが、羽鳥さんの件だけは私が約束通り、羽鳥さんの実家、成田グループを優先するよう手配したのだ。彼女の二年間を買った事で十分とも思えたが、それでも後一年、楽しく過ごしてもらいたかったから。……うん、良かった。笑っているわ。


 ああ、それにしても疲れた、本当に疲れたわ。この一年、駆け抜けて来たせいかもしれない。一区切りがついてきっと気が抜けたんだろう。少し外の空気を吸おうか。そう思って廊下に出た。


 会場では社長が血相を変えて私を探しているのも知らずに。そして――。



「やあ、久しぶりだね、木津川君」


 聞いた事のある低い声にびくりと肩が震え、視線を上げてその姿が目に入ると私の表情は凍り付いた。

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