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目覚めたら記憶喪失でした  作者: じゅり
― 本編 ―
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26.備えは万事抜かりなく

 柏原さんの登場に江角氏は呆然とするが、私も呆気に取られた。江角氏にあらかた目星を付けていたので、柏原さんに同席してもらう事は聞いていたが、まず悠貴さんがなだれ込んでくるかと思っていたのに。そんな私の疑問を余所に悠貴さんは私に近づいて来ると、無事で良かったと私を抱きしめた。……あの。私、優華さんじゃないですけど。ま、いいか。


 ちらりと松宮氏を見ると、途中から二宮を押さえ込むの大変だったんだからなとうんざりした表情を浮かべて言った。ああ、なるほど。まだ出て行っては駄目だと松宮氏が悠貴さんを取り押さえている中、完全フリーの柏原さんが先に飛び出したわけですね。松宮さん、お手間を取らせてすみません。お疲れ様でした。


「静香。何でだよっ。何で静香が止めるの! 君の婚約者を奪った女を何で庇うんだよ!」

「違うの。私なの。私の方なの、お父様が婚約解消を二宮様にお願いしたのは私のせいなの!」

「……どういう事?」


 眉をひそめる江角氏に彼女はゆっくりと話し始めた。彼女が小さな頃、父親に自分には素敵な婚約者がいるのだと言われた。だからその人に釣り合う素敵なレディーになりなさいと。そして初めて高校生の悠貴さんと会った時、本当に素敵な人でとても嬉しかったと言う。ところが悠貴さんの方は自分に婚約者がいたことの事実にただ戸惑っていて、その姿がとてもショックだったらしい。さらに彼には小さな頃からの想い人がいるという事実も知ってしまった。自分の気持ちを抑えて、まだ見ぬ婚約者の為に釣り合う人間になろうと日々精進してきた彼女はいきなり目標を崩されたようですっかり途方に暮れてしまったのだそうだ。


「その頃ね、奏多に悩みを打ち明けてしまったのは」

「……憔悴していたよね、静香」

「ええ。でも、奏多。あなたのおかげで立ち直ったのよ。……いいえ、本当はずっと前からあなたの事を想っていた」

「……え?」


 江角氏は呆然と柏原さんを見つめた。あー、はいはい分かります。すれ違いラブ系ですよね了解でーす。と、気持ちが逸れて、何気なく下に目を向ければ、目に入ったのは先ほど落ちたバイオリンの弓。ああ、そうか、あんな主人でもパートナーの彼を愚行から守ったのね。よしよし、偉いぞ。


 弓をそっと撫でていると、何やってんだお前と言う松宮氏。あなたこそ何一人でソファーにふんぞり返って座っているのよ。ずるいわ、私も座ろう。もう一度撫でてテーブルに弓を置くと、悠貴さんを誘ってソファーに座る。さすが座り心地いいね。ふかふかだわ。


「私には婚約者がいると思って育ってきたし、何より私の方が年上だから……ずっと気持ちを抑えていたの。でも、お父様がそんな私に気付いて婚約解消に動いて下さったのよ」


 暇なので編み込みの練習でもしてみる事にする。優華さんは直毛だから編みにくくて苦心していると、松宮氏がイライラとしながらお前は不器用だなと手を伸ばしてするする編み出した。何と手慣れていらっしゃる事よ!


「静香……。僕もずっと静香を想っていた。静香のためなら自分が汚れ役だって買ってやるって、そう思っていたんだ」


 できたぞと言うので壁にかかった鏡を覗き込むと見事な編み込みが出来上がっている。すごいねと言うと少し黙った後、妹に頼まれてよくやるからとそっぽを向きながら答えた。意外とシスコンなんだねぇ、あはは。耳赤いし! そう言えば……と悠貴さんは切り出す。君の妹さんと僕の弟がいつも仲良くさせてもらっているようでありがとう。松宮氏はぐるんと向き直ると、言っておくけど妹はお前の弟になんかやらないからなっ! と指さした。そうは言っても妹さんが弟の事が好きだって言うんだから仕方ないでしょと悠貴さんは言うと、勘違いするなっ、お前の弟が妹につきまとっているんだと返した。


「……奏多、愛しています」


 まあまあ、仲良きことは美しきかなって言うじゃない。それに妹さんだっていずれ誰かと結婚したら、あなたの元から離れて行くんだしと私が言うと、松宮氏はうっと言葉を詰まらせ、だがお前の弟にだけはやらんからなと宣言した。


「静香、僕も君を愛している…………って、いい加減、外野うるさいですっ!」


 ……ん? いつの間にか二人は思いが通じたようですね。


「ああ、ようやく終わったみたいだね。じゃあ、そろそろいいかな、お二人とも」


 腹黒そうに笑って悠貴さんが立ち上がった。うん、怒っているね。彼らのすれ違いのせいで、優華さんの貞操の危機になったんですものね。まあ、私も迂闊だったのですが。


「今回の事は僕の父に原因がある。酒の場のノリで口約束し、おまけにすっかり忘れていたと自白した。その事で柏原さんを傷つけてしまった事は本当に申し訳なく思うけど、婚約解消は和解の形で決着を付けているはずだよ。だから江角君が優華にした事は許すつもりはない」

「……分かっています。瀬野先輩には本当に申し訳ない事をしたと思っています。だからどんな形でも必ず責任は取ります」


 江角氏は真摯な瞳で悠貴さんを見返す。


「だったらこれは学園に報――」

「悠貴さん、お待ちになって」


 私はそこでようやく悠貴さんの言葉を遮って立ち上がった。


「前途ある若者の未来の芽を刈り取ってしまうのはいかがと思いますわ。本人もこの様に反省なさっている事ですし、わたくしもこの通り無事でしたし、学園への報告は不問という形に致しませんか?」

「なっ、はるっ――」


 私はまた悠貴さんの言葉を手の平で遮る。今、晴子と呼びそうになったでしょと一瞬視線で叱った後、江角氏に向き直った。


「ただし江角さん、もちろんタダと言うわけには参りませんわ。あなたはどんな形でも責任は取ると仰いました。男に二言はございませんね?」

「え?」

「に・ご・ん・はございませんわね?」

「は、はい!」


 にっこり笑う私に柏原さんは女の勘で不穏さを感じ取ったのだろうか。


「こ、今回の件は私にも責任があります! お咎めなら私にも。だから」


 そう懇願する柏原さんにそれもそうかしらと思う。ヒロインはヒーローに助けられるというセオリーを破る愚の骨頂を犯したわけだし、とぶつぶつと私が呟くと、あーうん、実はドラマ的展開を無下にされて滅茶苦茶怒っていたんだなと松宮氏が頷いた。


「分かりました。柏原さんには同情の余地はございますし、良きに計らって差し上げましょう」

「なっ、静香は関係な――」

「江角さん。日本経済に影響を与える財閥家の娘として、こちらも付け入る隙を与えたのはわたくしの不覚の致すところ。けれどあなた方が一端を担ったのもまた事実」


 彼はぐっと言葉を詰まらせた。


「ましてわたくし、心を深く傷つけられた上に身体も貞操の危機でした。学園へ報告すれば、退学どころのお話ではなくてよ? それを秘密裏にするという温情を与えようとしているのですわ。お分かり頂けるわね」

「……何を、すればいいですか」


 私はふふっと笑った。


「それは然るべき時期に然るべき処分を下しますわ。追って沙汰を待つがよろしいでしょう。その時、万が一約束を違えたら……もちろん分かっておりますわね?」


 その時、江角氏、柏原さんご両人は閻魔大王様の姿を私に見たらしい、とさ。ああ、優華さんの枕詞が増えてゆく……。



「それにしても結局、噂の出所が分からなかったわね」


 私たちは音楽室を立ち去った後、場所を教室に移して話し合う。


「時系列もばらばらのようだし、こうもたくさんあると、始まりを探すのはもう無理かもしれないな。せめて瀬野を突き落とした犯人だけでも見つかればいいんだが」


 松宮氏は優華さんのノートを眺めながら言った。本来なら人に見せるべきじゃないんだろうけれど……ごめんなさい、優華さん。悠貴さんはただ黙ってノートを見つめていた。夕日が彼の頬に影を作り、苦悩の色を醸し出す。優華さんの苦痛だった日々を同じように感じているのだろうか。


 私は松宮氏と顔を見合わせた。そして気付いたように彼は自分の胸を指でトントンする。……あ。


「ああ、そうだ。忘れていたわ。これ、返すわね」


 私は胸のブローチを取り外して悠貴さんに返す。


「ああ、持っていていいのに」

「いや、普通に良くないでしょうよ。これ、盗聴器ですから」


 そう、このブローチ型の盗聴器を通して、彼らに別室で話を聞いてもらっていたのだ。何度も悠貴さんを取り押さえようとしていたであろう松宮氏の姿は想像に難くない。


「よくこんな物を持っていたわね」

「僕じゃなくて、敬司がね」

「ああ、紺谷さんがね、紺た……。悠貴さん、まさかとは思いますが! 優華さんの部屋や持ち物に盗聴器など仕掛けてないよね?」

「まさか」


 爽やかに笑う悠貴さん。うん、そうですよねぇ。私ったら、疑い深くてやぁねえ、あははは。悠貴さんに笑顔を向けると、私は松宮氏に視線を移した。


「……松宮さん、盗聴発見器を手に入れるにはどうしたらいいかしら」

「最近はインターネットなどで意外と簡単に手に入るらしいぞ」

「え、ちょっ、酷いよ」


 焦る悠貴さんに私と松宮氏は冗談だよと笑った。


「……ごめんね、二人とも。せっかく協力してくれているのに僕一人暗くなってしまって」

「構わないわ。優華さんが大切なのは分かるから」

「俺も乗りかかった船だ。最後まで付き合うつもりだ」

「ありがとう……二人とも」


 少し気持ちが浮上したらしい悠貴さんに、私と松宮氏は顔を合わせて笑みを浮かべた。


「それにしても思ったんだが、もしかして盗聴って犯罪じゃないのか?」

「そうね、軽犯罪者の紺谷さんが持っているぐらいだし」


 紺谷氏は私の中で、軽犯罪者がすっかり枕詞になってしまいました。


「うーん。もしかすると罪に問うのに盗聴は不利だったかもしれないね」

「だよなぁ」

「実際に罪に問う為に使うわけではないけれどね。でもまあ、安心して下さいな」


 そう言うと私はブレザーのポケットから携帯を取り出して、再生して見せた。私と江角氏が交わした会話が流れる。


「ほらね。念の為、携帯でも取っておいたの。防音室でも本当に電波が届くのかどうか不安だったから。ボイスレコーダー機能なら問題ないでしょう?」


 ぽかんとしている二人に構わず、それにしても紺谷さんとの会話録音の時にも思ったんだけど、このアプリ、なかなかの高感度でイイネ! と私はウインクして指を立てる。


「だ、だから怖いわっ、お前っ! ――はっ。ま、まさか今この瞬間の会話も取っているんじゃあ」

「僕は今、君だけは二度と敵に回さないことをここに誓うよ……」


 松宮氏は腕を伸ばして携帯を取ろうとし、悠貴さんは右手を少し挙げて宣言をした。



 悠貴さんは紺谷氏に盗聴器を返しに行って来ると言って席を外した。今日はもう帰るだけだから、教室で待っている事にする。付き合ってくれる松宮氏、ホントいい子ですね。ちなみに下手に携帯の取り合いをして、大事なデータを消されては元も子もないので、私が折れて見せてあげましたよ。納得したようで携帯を返してくれた。


「ほっとしたようで何よりです。ま、携帯はもう一台あるんですけどね」

「なっ!?」

「あはは、冗談、冗談! ないない」

「お前なぁ」


 けらけら笑う私に松宮氏は脱力する。そして私は笑いを収めると、彼を見つめた。


「ねえ、松宮さん。色々協力してくれてありがとうね。本当に感謝しているわ」

「な、何だよ、いきなり。面と向かって」

「……言える内に言っておこうかと思って」


 そう言うと、松宮氏は驚いた様にこちらを見つめた。私は自分でフラグ立ててどうするんだろうと思いながらも、笑って続ける。


「それでね、乗りかかった船ついでに、もう一つだけお願いがあるの。……優華さんが戻ってきたら、力になってあげて欲しい。悠貴さんはもちろん優華さんの味方だけれど、彼一人では対処できない事もあるかもしれないから」

「その時……お前、木津川晴子は」


 ただ笑みを浮かべる私に彼は小さくため息を吐く。


「いや、分かった。約束しよう」

「ありがとう」


 本当にいい子。いい男になるわよ、あなた。


「それにしてもお前も大概、お人好しだな」

「袖振り合うも多生の縁って言うでしょ」

「お前、絶対、勧善懲悪ものの時代劇好きだろ。だが『引っ立てぇーい』はないだろ……。あれじゃ、瀬野優華じゃない事がバレるぞ」


 一度言ってみたかったんだよねーと笑う私に、教室に戻って来た悠貴さんが、え、バレるって一体何の話? と焦った様に近づいてきたのだった。

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