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目覚めたら記憶喪失でした  作者: じゅり
― 本編 ―
24/43

24.少しずつでも流れが変われば

 夕食まで、人気のない談話室に悠貴さんを連れ込むと、反省させるべく正座させてこんこんと問い詰めた。なぜ優華さんを見張るようになったかについては、自分が留学中に優華に変な虫がつくんじゃないかと思ったからと答え、じゃあ、戻って来てからはと言うと、優華さんが学校では一切接触してこなかったからと言う。じゃあ今はと言うと、私が突き落とされたと言うから心配で、と答える。


 うん、そうか、そうか。


「言い訳スンナーっ!」


 理不尽だなぁ、理由を聞いたから答えたのにと、ぶつぶつ呟いているけれど知らない。私は怒っているんだぞ。誰が常日頃から尾行されて嬉しいものか。私は人差し指で悠貴さんの顎をついと持ち上げた。


「人の心に土足で踏み込むのは許されない事だと言ったよね? 私、言ったよね?」

「……ハイ、でも。心配――」

「反省の色が見えないっ!」


 ぴしりとそう言って、悠貴さんの両方のこめかみに拳を当てるとぐりぐりローリングの刑を執行する。


「ちったぁ、反省しろい! 人道を外れたこの学園一の悪代官め! 優華さんを傷つけるヤンデレになったら絶対許さんぞっ!」

「い、痛いですっ痛い! ごめんなさい。もう絶対しません、なりませんっ!」


 もう、まるで子供みたい……。いや違う。彼は子供なんだ。私はため息を吐いて手を離すと、彼は痛そうに眉をひそめ、こめかみを優しくマッサージした。


「優華さんが自分の噂を集めているノートが出てきたのよ。そこに書かれていたわ。最近誰かに見張られているみたいで怖いって」

「……そうだったんだ。それは悪いことしてしまった」


 さすがに悠貴さんは反省したようだ。


「優華、怒るかな」

「そうね。私の心がキンキンに冷えているのは優華さんの気持ちを反映しているからかもね。まあ、私も怒っているんだけどね」


 私が怒りで沸騰しているのに、心は零下だから、余程優華さんは冷たく怒っていると見える。覚悟しておくがいいよ、悠貴さん。


「……さすがに心から悪いと思っている。ごめんね」

「ごめんで済めば警察はいらないわ……と言いたいところだけど、話が進まないし、何よりも私は懐が海よりも広い大人な女だから許してあげる」


 だから懐が広い時ってあったかなと首を傾げるのはお止めなさいな。空気を読むのよ、場の空気をさ。あなたの場合特に口を開けば災いしか生まないのだから。ちなみに許すのは私の分であって、優華さんの分は知らないからね。それに悠貴さんの事を余程知っている優華さんの方がより効果的に処罰を下すだろうからと言ってあげないところがちょっと大人げないかな。まあ、いいや。


 あと、紺谷敬司君の処分は悠貴さんにお任せしてもいいけれど、それではあまりにも話が簡単に終わってしまう。彼には優華さんが味わった恐怖を同じく、ゆっくりじっくり味わってもらう事にしよう。そう思って、悠貴さんには紺谷氏の携帯を見せないでおく事に決めた。


「それにしてもせっかく彼を配備しても肝心な時にいないようじゃ、意味なかったわね」

「……まあ、彼もプロじゃないから。責められないんだけど」


 うん、そうね。悠貴さんが知らないであろう盗撮写真以外はね。


「結局、優華さんが苛めの主犯ではないって事は最初から分かっていたの?」

「そこまでは分からなかった。彼じゃ、入る事ができない場所もあるから」


 ああ、そうでした。女子トイレには入れませんわね。実際、薫子様が有村さんに詰め寄っていたのは校舎裏じゃなくて女子トイレだったし。


「それで? もう本当にこれ以上、隠し事はないでしょうね?」

「うん。これで全部」


 本当は言おうとしていたんだよ、ただ体裁が悪いから言い出せなかったと彼は眉を下げた。自覚しているならするなと言いたいところだが。愛は過ぎれば相手を傷つけるものだとさすがに気付いただろう。私はため息を吐く。もうこれ以上無いなら、とりあえずはそれでいい。


「分かった。じゃあ、この話はここまでにして。どうだったの、柏原さんの方は」

「ああ、それがね……」


 彼が語るその内容に今度は私が眉を下げるしか他なかった。




 日曜日は丸一日、平穏無事に過ごした。優華さんになってから早一週間。自分なりに気も遣っていたのだろう。張っていた気が緩んだように無気力だらだらの一日でもあったが、充電できたような気がする。今日はまた月曜日。気合い入れて行こう。


 朝の食事の場でも気がついた。土曜日にも感じた事ではあるけれど、注目されるのは相変わらずだったとはいえ、自分への視線が随分和らいだ気がする。有村さんを囲う男性陣もこちらに気付くと臨戦態勢を取らず、どこかきまりが悪そうな表情で足早に去って行く。……うん? 何なんでしょうか。まあ、ケンカしたい訳じゃないし、少しは反省してくれているなら嬉しいのですが。


 さらに有村さんと沢口さんが笑顔で朝の挨拶に来てくれた事で、一瞬だけ場が騒然となったかと思うと、すぐに柔らかな雰囲気に変わるのを感じた。彼女たちが尽力してくれたのかもしれない。


「ありがとう、お二人とも。今日はとても周りの雰囲気が柔らかいの。あなた方のおかげですわね。皆さん方に伝えて下さったのでしょう?」


 そう言うと、きょとんとしていた二人は、ああ違いますよと笑った。沢口さんが言う。自分たちが口にする前に、あの場にいた人たちが瀬野先輩の事を人に話したようです。当事者の自分たちも皆に話を聞かれて、一躍時の人になっちゃいましたよ、と。きらきら瞳を輝かせる沢口さんに補足するように有村さんは言った。


「私たちはただ事実だけを述べました。だからもし皆さんが好意的な気持になられたのだとしたら、瀬野先輩の人柄をそのまま受け止めて下さった結果だと思います。それに以前、瀬野先輩が廊下で女生徒を庇られた事も今、徐々に広がっているみたいなんです。彼女も庇ってもらったのに逃げてしまって申し訳なかったと言っていました」


 ああ、彼女か……。そんな風に思ってくれていたんだ。それに有村さんはさすがに聡明だ。下手に言葉を大きくすれば、かえって重みがなくなってしまうものね。


「そうそう! 私も聞きましたっ。女生徒に絡む勘違い男をエイヤって華麗にやっつけて助けたそうですねっ!」


 沢口さんは相手を倒すように両腕を動かしながら言った。私も見たかったー、と再びきらきらした瞳になる。え、えいや!? か、華麗!?


「い、いえ。沢口さんのそれは話が大きく膨らんでいるだけですよ。でも……そう、そうなのかしら。少しでもそう思ってもらえたなら本当に嬉しいわ。ありがとう」


 思わず笑顔になって喜んでいると、さらに場がどよめいた気がした。わたくしの笑顔がそんなに珍しいのかしらとコソコソ問えば、有村さんと沢口さんは顔を見合わせて笑った。その通りですねと。よし、笑顔で好感度が高まるなら、笑顔の安売りしますわ。見て見てーと作り笑顔を浮かべてみると、その笑顔は怖いですよとおよそ怖がっていない様子で笑われた。


 うん、笑顔っていいね。空気が和やかになるのを感じた私は優華さんも同じ気持ちを共有してくれているといいなと思った。



「まぁ、紺谷さまぁ。おはようございますぅ」


 学校の廊下で彼の姿を目に入れた時、私はすかさずと近づいて行くと悠貴さん曰く魔性の甘い笑みを浮かべて朝の挨拶をした。悠貴さんもそんな私の後を追って、紺谷氏に挨拶する。


「……おはよう、敬司。後で話があるけどいいよね?」

「お、おはよう、優華ちゃん……悠貴」


 顔を強ばらせて無理に笑顔を返す紺谷氏だったが、何やら悠貴さんとコソコソ話し始めた。そんな彼に小さく手を振ると、悠貴さんに見えないようにカバンからこっそり彼の携帯を見せた。優華さんへのストーカーの報復として真綿で首を絞めるように、じわじわ精神を削っていく作戦にしたのだ。彼がぎくりと表情を変えて、あ、ごめん今朝は当番あるからと慌てて逃げ出す様子に満足する。


 私ってば、我ながら性格悪いわね。まあ、しばらくこのネタでいたぶった後、頃合いを見計らって許してやりましょうか。


「……お前って怖いよな」

「あら。おはようございます、松宮さん」

「おう、おはよう」


 呆れた様子の松宮氏が背後から現れ、横に並ぶと挨拶を返してきた。


「松宮さん、あなたは勘違いなさっているわ。わたくしが怖いのではなくて、女とは元々恐ろしいものなのですよ」


 あなたも女を怒らせないように気を付けてね、そう言って微笑むと松宮氏は顔色を変えてヤメロその表情こっちに見せんなと、すぐさま目を逸らしてあっと言う間に立ち去った。だからメドューサか、私は。やれやれと苦笑しながら教室に足を踏み入れる。


 するといつもこちらから見ると、私の視線から逃げるようにしていた生徒達と目が合った。珍しいこともあるものだと思っていたら、彼女たちは互いの顔を見合わせると頷いてこちらに再び向き直る。そして思い切ったように言った。


「お、おはようっ、せ、瀬野さん」


 私は嬉しさで笑顔がこぼれて、おはようと返すと教室はざわめき、彼女たちは頬を紅く染めながら笑みを返してくれた。




 午後からのかったるい授業も終わり、生徒達は各々部活へとその足を運び出した。生き生きとした生徒達を見ていると、ああ若いっていいやねぇと大人目線で見てしまう自分がいる。言っておくけど社会に出たら笑ってばかりいられないんだからな、せいぜい束の間の青春を謳歌しているがいいさなどと、アクマ的思考はこれっぽっちも浮かんでは来ていませんよ大丈夫デース。


 そんな風に若干斜め的思考をしながら、ぼんやり眺めている私に悠貴さんは声を掛ける。


「じゃあ、僕行ってくるから」

「あ、うん。了解です」

「一人で無茶しないでね」

「大丈夫」


 君の大丈夫は信用ならないんだけどなぁとため息を吐きながらも教室を出て行った。……さてと、では私は芸術鑑賞と行きましょうか。私は美術室へと足を向けた。



 美術室を廊下から覗いていると、生徒達がキャンバスに向かって没頭しているのが見えた。美術室も作品の種類ごとによって複数の教室があるらしいが、ここはキャンバスが並べられているところを見ると絵画専用の部屋のようだ。教室の中心にはポーズを取ったイケメンモデルがいる。何で男なんだよと不服そうに愚痴を吐いている男子生徒もちらほら。


 さらに見渡してみると、その中に有村さんと沢口さんの姿も見える。沢口さんも美術部だったのね、と思っていたら手を止めてモデルを熱心に見つめてはふむふむ頷いている。目的はそっちですか? ほとんど彼女の事は知らないけれど、何となく沢口さんらしく感じて笑ってしまった。すると背後から声がかかる。


「瀬野先輩。来て下さったんですね」


 振り返ると佐々木君が相変わらず、ぽやんと和むような雰囲気で立っていた。


「こんにちは。お言葉に甘えて来てしまいましたわ」

「嬉しいです。よろしければどうぞ中へ。ご案内します」

「ありがとう。でも今日は彼女たちの姿を見に伺っただけなの。有村さん、熱心に作品づくりなさっているのね」


 私は有村さんの話を振ってみた。どう出るだろう。


「はい。雪菜ちゃんの作品をご覧になりました? こちらまで元気になるような勢いのある作品なんですよ。僕、とても好きなんです」


 それは彼女があなたに負けじとパワーを込めて描いて来たからでしょうね。それにしても本当に素直に自分の気持ちを告げる子だな。見ていて気持ちがいい。


「そうね。作品にはその人柄が表れますものね。そう、あなたは有村さんがとてもお好きなのね」

「はい! ……って、えっ!?」


 佐々木君は目を丸くすると、一瞬の内に頬を上気させた。鎌を掛けたつもりはなかったが、彼は第一印象通り素直に反応してくれた。


「前回、拝見した少女の絵は有村さんですわよね?」

「え、ちょ、それ、何で、そのっ」


 頭を抱えるように顔半分隠して照れる彼はとても可愛くて役得です。あ、有村さんに悪いわね。しかし、おっとり系の照れオロオロは萌えるー。


「あら、違いました?」

「い、いえ。ち、違わない、んですけど。……ま、参ったな。でも雪菜ちゃんは気付かないみたいで。しっかりしている様に見えて鈍感だから」


 鈍感呼ばわりされているぞ有村さん! ツンデレってる場合じゃ無いしっ。お節介したいところだけど、高校生のじれじれキュンキュン恋物語に手出しは無粋だろう。ここは我慢我慢。


「まあ、そうなの。人は見かけによらないものですわねぇ。わたくし、佐々木さんを応援致しますわね!」

「ははっ、ありがとうございます」

「……あの。有村さんが複数の男性に囲まれて困っているのはご存じ?」


 彼はええ、と言って表情を曇らせた。


「できるだけ僕の側にいるといいよと言ったのですが、『何言っているの、恋人でもなんでもないんだからね』と断られてしまいました」


 えー……。だから有村さん、ツンデレってる場合じゃないってば。佐々木君がやっぱり僕の言い方が悪かったのかなぁと眉を下げていると、有村さんがひょこっと顔を出した。


「わっ、雪菜ちゃん!? いつからそこに……」

「いつって、今だけど。声が聞こえたから」


 なあに、私がいたら何か都合悪いことでもあるのとでも言いたげな有村さん。分かりやすぎですよ。


「ご機嫌よう。有村さんの絵を描いている姿をこっそり拝見しておりましたのよ」

「あ、先輩、こんにちは」


 私に気付くと少し恥ずかしそうに笑った。


「それと有村さんの絵がとても素敵だと力説して頂いておりましたの」

「えっ」


 有村さんは佐々木君を見上げると、彼は少し困った様に笑う。


「そ、そんな風に褒めても、何も出ないんだからねっ。で、でも……あ、ありがとう、ね」


 はにかむように笑う有村さんに、佐々木君はうんと純朴そうに笑った。彼女の前だと佐々木君、冷静ですね。彼女のツンデレが微笑ましくて冷静に対応できるのかしら。


「ではお邪魔虫みたいですので、わたくしはそろそろお暇させて頂きますわ」

「え! 先輩、せっかく足を運んで頂いたのですから、作品をご覧になって行きませんか?」

「ありがとう。でも実はもう一件、別の芸術鑑賞に訪れる予定がございますので、またの機会にさせて頂きますわね」

「別の芸術鑑賞?」


 きょとんとする有村さんに私は微笑んだ。


「ええ。……音楽鑑賞ですわ」

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