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目覚めたら記憶喪失でした  作者: じゅり
― 本編 ―
23/43

23.落としの晴子、落とされの晴子

 私が待ち受けていた事に一瞬驚いた表情をした紺谷敬司は、すぐにいつもの軽薄そうな笑みを浮かべた。


「あれ、瀬野さん? 偶然だね」

「偶然?」

「うん、俺はたまたまこっちに来たんだ。その奥から行く方が近道だから」

「……あら、そうでしたの」


 私は腕を組んで、未だ壁に身を寄せている。何なんですか、このお粗末な言い訳は。情けないぞ、紺谷氏。


「うん。通らせてもらうね」


 そう言って、私の前を通り過ぎようとするので、私は右足を上げて……。


 ドンッ!


 伸ばした足をプレハブの壁に叩きつけるように置いて道を塞いだ。これぞまさしく元祖壁ドンであろう。


「お待ちになって。まだこちらのお話は終わっておりませんのよ?」


 足を上げてにっこり笑う私に、紺谷氏はすっかり面食らっている。確かに高貴なご令嬢がする行動とは到底思えないですよね。優華さん、品位を落としてごめんなさいね……。


「わお。綺麗なおみ足だね」

「まあ、ありがとう存じます」


 スカートから露わになった太ももをマジマジ見つめてそう言えば、恥じらいを感じて私が引くとでも思っているのかね。甘いのじゃ。女子力低下気味の私には通用せぬ。一瞬虚しさがよぎったが、私がお礼を言うと彼は絶句した。……うん。いよいよ優華さんの品格が疑問視されてきていますよ。


「それで何故わたくしをつけ回していたのか、教えて頂ける?」

「誤解だよ。たまたま偶然同じ方向に来ただけだって」

「あなた、警察官僚の息子だというのに、言い繕いが下手のようね。それでは立派な落としの刑事になれなくてよ?」

「いや、ならないし。とにかく俺、急ぐからごめんね」


 私が動こうとしない事を悟ると、彼はため息を吐き、身を翻して元の道へと戻ろうとした時。


「瀬野……。その格好はまずいだろ。カツアゲしている姿そのものだぞ」


 そう言って若干引いた顔をしながら角から現れたのは松宮氏。あら、このお嬢様、お坊ちゃま学校にもカツアゲは存在するのね。しかしそんな風に見えるとは全く持って心外である。とは言え、意表を突いて時間稼ぎはできただろう。私は彼が来てくれた事で漸く足を下ろすと身体で通せんぼする。


「お前は……松宮、か」

「よう」


 松宮氏は軽く手を上げる。


「悪いけど、尾行させてもらった。瀬野の行く先々、跡をつけていたのは確認している」

「……へぇ。案外君の方が探偵か刑事に向いているのかもね」

「それはどうも」


 皮肉っぽく笑う紺谷氏に、あくまでも松宮氏は軽く流す。


「それで先ほどの質問に答えて頂けて? いつ頃からか人の気配が常にあるような気がして、とても恐かったのですわ」


 誰か自分に悪意を向けているのかもしれない。恐くて仕方が無い、どうしたらいいのか。そう書かれていたのだ、優華さんの手記に。思わず睨み付けてしまっても仕方が無いだろう。松宮氏はお前ストーカーだったのか? と言って眉を上げて厳しい表情を見せると、紺谷氏は観念したかのように肩をすくめた。


「君が好きだからだよ」

「好き」

「そう。好きが大きくなったせいでストーキングまがいな事をして、恐がらせていたのならごめんね」


 まがいじゃなくて、そのものでしょうが。


「好き、ねぇ。あなた、本当に言い訳が下手ですのね。そんな嘘でわたくしを誤魔化せるとでも?」

「酷いなぁ。本当なのに」


 彼は不敵な笑みでこちらを見ているだけだ。さて、どこまで崩せるか。


「そうですか、そんなにわたくしの事が好きなのですか。……あなた確か、悠貴さんのお友達でしたわよね」

「そうだよ」

「……なるほど。そういう事ですのね。わたくし、分かりましたわ。この事を悠貴さんに申し上げます!」

「それは困ったな」


 全然困らない余裕の笑顔で言うのが、何ともムカつきますねっ。私は心の中でため息を一つ吐くと、意を決した様に言った。


「あなたに階段から突き落とされたという事実を告げます!」

「……はっ!?」

「何だって!? お前が突き落としたのか、紺谷!」

「ち、違うっ。俺じゃない!」


 松宮氏の詰問に、彼は初めて動揺した表情になる。うん、松宮氏、あなたは真面目に興奮してくれてありがとう。ここからが本番だから。


「悠貴さんを傷つける事になるのはとても胸が痛みますけれど、捨て置けませんわ」

「彼がそんなの信じるわけがない」

「あら、だってあなた私の事を愛しているあまり、ストーカーなさっていたのでしょう? だったらわたくしの事はよくご存じのはずですわね? わたくしが手に入らない事を嘆き、勢い余って突き落としたのはもう明白ですわ! さあ、年貢の納め時です。観念なさいっ!」


 私は一気に言い放って厳しい表情のまま紺谷氏をばっと指さすと、松宮氏を見た。


「この者の所業は明らかである。引っ立てぇーい!」

「お? お、おうっ!」


 私の強引な展開を呆然と見守っていた松宮氏は一拍遅れて我に返り、紺谷氏を取り押さえようとした。


「お、おい。何暴走してんのっ!? 違うって! 俺はただ自分がいない間、君を見張ってくれと、悠貴に頼――」


 そこまで言って彼は、はっと表情を強ばらせた。


「へえ。やはり、そうですか。あなたやっぱり刑事には向いておられませんわね」


 紺谷氏は今度こそ諦めたようにため息を吐くと、頭をがしがしと掻いた。


「その言い方だと、俺が尾けていたのは分かっていたの? 最近、何度も撒かれたけど」


 ……それは単に方向音痴のせいで、本人も分からずにあちこち歩き回っていた結果ですね。


「あなたかどうかは分かりませんでしたけど。……悠貴さんの留学当初から今までずっとだったのですね」


 よく考えてみればおかしな話だったのだ。悠貴さんが留学中の時期にもかかわらず、その頃の優華さんの事をあまりにも克明に、そして今回あまりにも早く周到に情報を用意してくれたのだから。悠貴さんが優華さんに誰か人をつけて常日頃から情報を受けていたのではないかと思い立った。何より悠貴さんが側にいない一人の時間帯にこそ、人の気配を感じていたのだ。


「ああ、悠貴が留学中の頃は特に定期的な報告していた。写真も何枚も撮ったし。――あっ!」


 私は彼のポケットから素早く携帯を取り出して、写真ファイルを起動させると私と松宮氏は覗き込んだ。……うん。この場所は更衣室だね。こいつぁ、クロだ。間違いないですデカ長。


「べ、別にわざと着替えている所を撮ろうと思った訳じゃないから。たまたまだから。と言うかそれ、まだ着替えてないでしょ」

「松宮さん、これって盗撮被害で訴えてもよろしいのかしら?」

「いいと思うぞ俺は……」

「ですよね」


 それでもまだ彼が余裕の表情を浮かべているのは、お家の方が揉み潰してくれる自信があるからなのだろうか。と言うか。


「この写真は悠貴さんもご存じなのですか?」

「ちょ、待って。頼む、それだけはやめてくれっ!」


 なるほど、彼の地雷は悠貴さんでしたか。良いことを聞いた。それにしても悠貴さんは腹黒だなと常日頃から思ってはいたけど、ストーカー指示までしていたとはね。確かに一歩間違えたらヤンデレキャラになりうるわね彼は、などと考えていたら、それでどうするんだコイツと松宮氏が尋ねてくる。


「そうですわね。盗撮だなんてご両親の顔に泥を塗る事になってしまうのは忍びないですし、訴えを無しにしても構いません。その代わり……」


 私は紺谷氏の胸ぐらを掴んで勢いよく引き寄せると、急に体勢を崩して焦っている彼の顔を近づけて耳に低く囁いた。


「洗いざらい白状してもらいましょうか。……ねえ、紺谷さ・ま?」


 紺谷氏は息を呑んで、優華ちゃんの方が落としの刑事に向いているよ……と情けない声を出した。



「なるほどね。大体分かりましたわ」


 紺谷氏から概要を聞き出したが、そう目新しい情報はなかった。ただ、優華さんが階段から落ちた時、実は彼のガールフレンドの一人に足止めされていて、すぐさま駆けつけられなかったと自供した。肝心な時に役立たずめ。それにしてもこの犯罪者の彼と悠貴さんとはどういう関係だろうか。


「幼なじみだよ。年齢は悠貴の方が一つ上だけど」

「わたくしと悠貴さんも幼なじみですが、あなたを紹介されたのはつい最近の事ですのよ?」

「そりゃあ、悠貴が俺に君を紹介するのを嫌がったからね」


 紺谷氏は肩をすくめた。ああ、なるほどね。悠貴さんが優華さんに惚れている以前に、この軽い男を紹介するのを嫌がったのだろう。まあ、ともかく。


「分かりました。もう行って構いませんよ」

「良いのか? 悠貴は顔に似合わず、俺より一癖も二癖もあるぞ。多少は頭の回転は速いみたいだけど、所詮は君みたいなお嬢様、はぐらかされるに決まっている」


 ついでに手も足も早いようだがなと言う松宮氏、黙らっしゃい。私はカバンから携帯を取り出すと、操作して彼に向ける。


『お、おい。待てって! 俺はただ自分がいない間、君を見張ってくれと、悠貴に頼――』


 紺谷氏がマジかよと顔を引きつらせるのを見て、私は携帯をカバンに戻しながら、にこりと笑ってみせた。にやりじゃないよ。にこりだよ。


「この通り、先ほどお会いしてからの会話を録音済みですわ。さすがの悠貴さんも言い逃れできませんわよ」

「はぁ……頭いてー。悠貴に何て言おう……」

「あら、勘違いなさらないで。悠貴さんにもの申すのは、この・・わたくしの方ですわ。ご心配なきよう」

「っ!? な、何て子を相手してたんだよ俺は、うわっ、こえーっ!」


 失礼だな。私はこんなに心の底から笑んでいるというのに。だから、ヤバイぞ、目を合わせたら石になるぞと言って目を逸らすのはお止しなさい、松宮氏よ。


「さあ、紺谷さん。あなたにはもう用はございません、おいきなさい」

「ね、ねえ。今、行くじゃなくて、確実に逝くの意味を含ませたよね?」


 怯えた様にそう尋ねる紺谷氏を早々に追い払った。やれやれ。


「……良かったのか? アイツ行かせて」

「構わないですわ。携帯はこの通り預かっておりますし。ああ、松宮さん。お休みのところ、今日は本当にありがとうございました」


 携帯を返さなかったのかと呆れる松宮氏に私はお礼を告げた。昨日、電話で彼に協力をお願いしたのだ。ホント休み潰して付き合ってくれるっていい人だね。


「それはいいんだけど、さっきから話が見えない。説明しろよ。何で今になって紺谷を引っ張り出した?」

「うーん、それを話すと長くなりまして」

「いいから話せよ。それとずっと気になっていたんだ。……お前は俺の知っている瀬野優華じゃない。一体誰なんだ?」

「あら酷い。自分は誰だなんて問われたら、自我の崩壊が起こってしまいますわ」


 茶化してしまおうとするが、彼の真摯な瞳がこちらを貫き通そうとする。私は逸らさずに見つめ返したが、今回ばかりは彼の実直そうな瞳にはさすがに勝てそうにない。彼ならいいよね、きっと。私は小さく笑うと、信じてもらえるかどうか分からないけれど、と切り出して彼に説明し始めた。




 夕方になって悠貴さんから連絡が入った。その時、優華さんのお祖母様が電話を代わってくれとの事で少しお話しする。電話を通しても感じるオーラに圧倒されながらも、私は元気ですと告げましたさ。悠貴さんは笑ってごめんねと言った。もうすぐ帰るからと。ええ、ええ、もちろん精一杯おもてなしのお出迎えを致しますわね。


 そして帰宅時刻になり、校門前まで迎えに出た私に嬉しそうに笑って悠貴さんは近づいてくる。


「お出迎えありがとう。ただいま」

「お帰りなさいませ、悠貴様。この優華、それはもう一日千秋の思いで、首をながぁくしてお待ち申しあげておりましたのよぉ?」


 少女漫画ばりのきらっきらの笑みで迎えてさしあげたのに、微笑んでいた表情を一瞬にして硬直させてすぐさま回れ右しようとした彼の肩に手を置くと、あらどちらに行かれますのと、ぐぐぐっと指を食い込ませたのだった。

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