21.有村雪菜の属性
寮の中にもアトリエが設けられているらしく、そちらへご案内しますねという有村さんに従って私たちは歩き出す。しかし、それ以後口を噤む有村さんに変わって、沢口さんが代わりに言うからね? と確認してから話し出した。
始まりは有村さんが内海伸也という同級生に一年生の時に告白されて断った事。彼は家柄良く、容姿端麗で運動も勉強も出来て、性格も穏やか社交的で、まさに王子様的存在。彼自身はとても残念そうではあったが、あくまでも紳士的に潔く身を引いてくれたらしい。ところが彼の存在はあまりにも際立っていたから、その彼を振った有村さんに興味本位で近づいてくる人間が増えたと言う。
彼女が来た人全てをお断りしている中、噂を聞きつけた先ほどの四人が同じく近づいて来たのだそうだ。当初に比べれば、家格が高い彼らのおかげで度胸試しや自分の魅力試しなどと言って近づく男性は減ったものの、結局あの四人も誰が先に有村さんを落とすかを競っているのだとか。
「……そうなの。それは質悪いですわね」
「一度は雪菜もきちんと断っているんです。だけど自分は諦めないと言って彼らは雪菜につきまとっているんですよ。彼らは権力者のご子息で、一方雪菜は特待生だから簡単にあしらう事もできず、ずるずると……彼らもきっと分かってやっているんです」
そんな話をしていると、有村さんがここですとアトリエ内へと案内してくれた。その部屋には完成されている絵画や彫刻などが展示されていた。奥の部屋では、部活として高校から始めた人や美術特待生で入った学生が各々作成中なのだそうだ。
「ごめんなさいね。わたくしは絵心がなくて、まともな感想を言えないと思うけれど」
「絵の批評なんて評論家に任せておけばいいものなんですよ。絵画というのは個人が自由に感じて楽しんで下さればそれだけでいいんです……なんて受け売りなんですけどね」
有村さんはぺろっと舌を出した。
そして飾られた絵画を順番に二人と共に鑑賞していく。やがて一枚の絵画に辿り着く。麦わら帽子を被った少女が座って夕日を見つめている後ろ姿だ。ただそれだけなのに郷愁を呼び起こすような何か胸に迫るものがある。あれ、でもこの少女って……。
「あ、それ……」
頬を薄く染める。名前を見なかったが、彼女の作品だったのだろうか。改めてプレートを見ると『佐々木千尋』とある。彼女の作品では無い。千尋と言えば、あの映画の作品が思い出されるのだけど。
「佐々木君の作品なのに自分の事のように嬉しがっちゃって、この子は」
「こんな所で、や、止めてよっ! 彼に聞こえたらどうしてくれるのっ」
からかう沢口さんの言葉と奥の方を気にしながら沢口さんの口を塞ごうとする有村さんにピンと来た。ああ、有村さんの想い人の作品でしたか。
「話が早くなって、いいじゃないの。クラスメートの皆知っているのに彼一人知らないのよね」
「あら、と言いますと? この絵の作者はクラスメートの方?」
「そうなんです。みーんな雪菜の気持ちを知っているのに彼だけ知らないのよね、雪菜」
「やだーっ、聞こえたらホント困るから、もう止めてよー」
そう言って、有村さんは耳まで真っ赤に染め上げている。あら可愛い。もう少し様子を見てみたいと思ったが、彼女を助けるべく、話を振ってみた。
「有村さんは絵の特待生で入って見えた訳ではなかったですわよね」
「え、ええ。美術の特待生で入ったのはち……佐々木君です」
さらに深く聞いてみると、彼との付き合いは、有村さんが絵を趣味で描き出した小学生まで遡るらしい。昔からそれなりに何でも器用にこなせていたという彼女は絵の才能もあったらしく、何度も受賞していたらしい。――だ・か・ら! 何で天はひとりの人にいくつも与えるのよぉぉ。私も一つでもいいから何か欲しかったぁぁ。
……あのぅ、聞いていらっしゃいます? という遠慮がちな彼女の言葉に我に返る。ええ、大丈夫です続けてという言葉に彼女は苦笑しながら続けた。それで彼女はいくつもの賞を取っていたが、ある日を境にいつも銀賞の地位に位置づけられるようになってしまったと言う。
「彼の作品を観た時は、あ、負けた……って思いましたね」
それでもこれまで人と競って負けてきた事のない彼女がその気持ちをなかなか素直に受け入れる事もできず、彼への対抗心でひたすら絵画を続けてきたと言う。あれ程大好きだった絵を描くことが苦痛すら感じるようになり、納得できるまで何時間も掛けて何枚も何枚も描き直したらしい。しかしやはり彼には敵わず、銀賞のお祝いをしてくれる彼に嫌味かと思わず八つ当たりすると、彼は言ったそうだ。人がどう評価しようと、僕は君の作品が大好きだよ、と。この時、有村さんの耳には『の作品』という言葉は届いていなかったに違いない。私なら耳まで届かせない。
「そんな彼に敵うはず、ないじゃありませんか……」
彼女は未だ頬を染めてそう語る。
「ああ、彼には負けていいんだって思いました。いえ、彼にとってはそもそも勝ち負けなんて関係なかったんですよね」
それで自分の気持ちに気付いた。ただ彼に認めてもらいたかったんだって。でも本当は私をずっと認めて受け入れてくれていたんだって気付いたら、また絵を自分の赴くまま、描けるようになったそうだ。
そっかぁ、それは素晴らしいねぇ。青春やねぇ。次第に盛り上がりを見せる彼女に、昔話からこっち、彼女の恋バナをいつまで聞けばいいんだろうと生暖かい気持ちになってくる。この気持ちを共有したくて横の沢口さんを見ると、いつの間にか側にいない。ふと視線を落とすと、近くの椅子に座って寝ていた。寝てるんかーいっ!
ちょいちょい突くと、あ、終わりました? って起きてくるの酷いよ、沢口さん。この気持ちをどこにやればいいの。若干睨み付けると、こうなると止まらないんですよーと苦笑する沢口さん。あ、なるほど。普段から聞かされている訳ですね。未だ夢うつつで話し続ける有村さんに、沢口さんは立ち上がってうーんと伸びると声を掛ける。
「あ。佐々木君」
その一言で有村さんは一瞬で口を閉ざし、びくっと直立不動になった。
「……は描いているのかしら、今日も」
「ちょっ、結衣っ! 騙したわねっ」
「やだひどい濡れ衣ぅ」
口笛を吹くように口を尖らせる沢口さんの肩に手を掛けて揺さぶる有村さん。写真から受けた印象と随分違うようだとニンマリしていると、カチャリ、奥の扉が開かれた。
「あ、佐々木君」
「結衣っ、あなたはまた佐々木君ってーっ!」
「ん? 僕が何?」
そこに現れたのは前髪を短く切った一見するとスポーツも得意そうな長身の彼だった。ただ優しそうな垂れ目具合の目が人と争ったりするのは得意ではなさそうな印象を受けた。目立った容姿ではないが、柔らかな物腰が天然の人たらしの印象をもたらす。なるほど、この少年が有村さんの想い人か。
固まってしまった有村さんはぎぎぎと顔だけ彼に向ける。
「ち、千尋君。いつからそこに……?」
「今だよ。雪菜ちゃんの声が聞こえた気がしたから」
「っ! い、言ってないんだからねっ。千尋君の話なんて」
「……うん?」
え、いや、誰も何一つ突っ込んでないから……。きょとんとしている彼にまだ何か言いそうだけど、墓穴を掘りそうな予感がするのですが、大丈夫ですか? 気が利く私は一肌脱ごう。
「あの、あなたがこの作品の作者の方ですか? 突然申し訳ございません。わたくし瀬野優華と申します」
「あ、はい。あ、ぼ、僕は佐々木千尋と申します」
私の呼びかけで、彼の視線がこちらにずれた。
「絵心ないので言葉少なくてごめんなさいね。でも、とても胸に染みて、感動致しましたわ」
「そう言って頂いてありがとうございます。絵画はそれぞれ人の感性で好きなように楽しんでもらうためのものです。点数をつけたり、批評したりするのは美術評論家に任せておけばいいんですよ」
私はちらりと有村さんを見ると、彼女はまた頬を一段と染めている。彼の受け売りでしたか。
「そうね。ありがとう。新しい作品ができたら、また伺っていいかしら」
「はい、ぜひお待ちしております」
そう言っておっとり笑う彼は完全なる癒やし系男子だ。うむ、これは素晴らしい少年だ。見る目あるね、有村さん。それにしても名前で呼び合うとは幼なじみレベルだったのですね。そして再び有村さんに視線が戻る。
「雪菜ちゃん、今日は絵を描きに来ないの?」
「い、行くわよっ、で、でも私が描きたいから行くんだからねっ! 千尋君がいるから行くんじゃないんだからねっ」
言ってない。誰もそんな事言ってないから落ち着いてーっ。でも大人な千尋君はにっこり笑って、うんじゃあ、待ってるねと言った。千尋君、あんた、ええ子やで……。
「じゃあ、雪菜ちゃん、後でね。あ、皆さん、ごゆっくりなさって下さい」
彼はそう言うと、また奥の部屋へと入って行った。そして私は有村さんを見る。
「有村さん、あなたって……ツンデレね?」
有村さんはプシューと蒸気でも上げそうなくらい紅くなると、しゃがみ込んでしまった。
「わ、分かっているんですっ。こんなのじゃ、ダメだって。でもずっと絵画で私が一方的に張り合っていた気持ちもあって、彼になかなか素直に話すことができなくて……」
「そうなんですよー。こんなに可愛くて文武両道で、性格も良い子がですよ。想っている男の子の前だけツンしちゃう不器用な子なんですよ? クラスメート全員で応援したくなってしまう気持ち、お分かりでしょう?」
うぷぷぷと笑いを抑えきれない様子で沢口さんは言った。
「本当ね。私も応援したい気分が盛り上がって来てよ。でも……そうね。あなたのお陰ね、沢口さん」
「え?」
「もちろん有村さん自身の魅力もあるのでしょうけど、沢口さんの明るさや彼女を思う気持ちが緩衝材となって、本来ならやっかみを受けがちな有村さんはクラスメートに受け入れられているのだと思うわ」
「……そ、そう、でしょうか」
顔を真っ赤にした沢口さんに、少し立ち直ったらしい有村さんが手を握った。
「うん。私は結衣のお陰で楽しい学生生活を送ることができているの。いつも本当にありがとう」
「……っ。うん! 私もありがとう!」
あらうふふ。美しい友情の一場面を頂きました。ごちそうさまです。心が洗われますね。
「ともかく薫子様と先ほどの男性陣の件はわたくしが何とかしてみますわ。ただわたくしも今、自分の噂を追っているので、もう少し待って頂きたいけれど」
「先輩の噂ですか」
「そう。あまり評判が良くないでしょう。信じてもらえないかも知れないけれど、おそらく大部分が冤罪なのよ」
私は肩をすくめて見せた。
「いえ、信じます。私もその噂は聞いた事がありまして、おかしいとは思っていたんです。私に注意に見える方は君島先輩が中心で、瀬野先輩のお姿はお見かけした事なかったですし。……何のお役に立つか分かりませんけど、私もお手伝いを致します!」
「ありがとう。お気持ちだけで十分よ。ああでもそうね。わたくし、瀬野優華は本当は優しい人なんですよって、軽ぅく噂を流しておいてくれれば嬉しいわね!」
そう言って笑うと、つられたように沢口さんはあはははと笑う。いや、これこれ、何笑っているんですか沢口さん。こちとらマジですよー?
「先輩、本当にありがとうございます」
有村さんは改めて深々と頭を下げてお礼を告げてきた。
「先輩と実際お話ししてみるととても親しみやすい方でしたし、本当にお優しい方だと分かりました。皆にもそれを分かってもらいたいと思います。だから必ず皆に伝えます」
有村さんがそう言うと、沢口さんも力強く頷いてくれた。しかし、いざ面と向かって言われると照れますね。ああ、天の邪鬼な私。
「あ、ありがとうございます。頼みますね」
「はいっ!」
「先輩、また雪菜の恋バナの苦行、一緒に味わいましょうねー!」
沢口さん、さっきは共有しなかったじゃないかと思いながらも、この日は学生気分に戻ったようで久々に心が弾んだ一日となった。




