20.有村さんを囲う男性陣と
優華さんのお友達、高岡すみれさんの件については、悠貴さんが調査してくれる事となった。右も左も話す友達もいない、味方もいない私が動くのは得策とも思えないし。
夕食が終わって、談話室でそんな話を悠貴さんと相談していると、数人の男性が話しながら一つのソファに近づくのが見えた。先ほどよりも高まった周りのざわめきを感じて視線をそちらにやった。すると、それまで座っていただろう男子学生三人が逃げるように足早にその場を立ち去り、代わって後から来た男性陣が一人の女性、有村雪菜さんを取り囲むように座った。
一見すると、いい男を侍らしている女王様みたいに思える。ただ、少し観察してみればすぐに分かるが、有村さんの表情が冴えない。お友達と思われる女生徒は完全に角に追いやられて立ち去ることもできず、ただ縮こまっている。有村さんに優越感の色は一切無く、お友達に申し訳なく心苦しいような視線を送り、やはり以前見たときと同じようにスペックの高い男性陣を侍らしてご満悦という表情では到底ない。周囲の学生達もどこか有村さんに同情心を向けているが、それでも関わり合いたくないのか、無理に無関心を装っている様に見える。
困っているようだけれど……。そんな風に観察していると、有村さんと視線がばちりと合い、その瞳が助けを請うように見えた。しかし部屋には沢山のギャラリー。うー、大勢の人に注目されるのは決して得意ではないんだけど。思わず下を向いてカップに視線をやると、そこに一瞬優華さんの姿が明確に映りこんだ気がした。そうだ、私は今『私』ではない。優華さんなのだ。私は一つ大きく呼吸して立ち上がろうとすると、悠貴さんに腕を掴まれて、今出ていくのは分が悪いと首を振られた。確かに一歩間違えればさらに優華さんの評価を落とすことになるかもしれない。
一瞬ためらいつつ、もう一度彼女の方をみると、未だこちらを見つめている。あー、放っておくのは無理だわ。私は悠貴さんに向き直ると、掴んだ手をぽんぽんと上から叩いた。大丈夫、お話をするだけよ。そう言うと悠貴さんはため息をついて手を離してくれた。そして、ここから動かないでと彼の肩に手をやる。
私は立ち上がると、彼女の方へとゆっくりと歩いて行く。人の話し声も、私が一歩前に踏み出す度に一つ、また一つと消えて行くような錯覚に陥る。こちらに注目しないで好きに話していてよぅ。内心焦りながらも、一度踏み出した足を止める訳にもいかず、有村さんへと近づく。やがて有村さんに集っている男性陣も周りの空気の異質さに気付いたのか、辺りを窺って私の姿を目に入れたようだ。明らかに警戒心をむき出しにしている。そう言えば以前、衝突した相手もいるわね。私は構わずに彼女の前に立つと、にっこりと笑みを浮かべた。
「ご機嫌よう、有村さん」
「こ、こんばんは、瀬野先輩!」
立ち上がって挨拶を返す彼女の瞳にも声にも嬉しさが滲んで見えたのは間違いないと思う。この現状から抜け出したいという気持ちが伝わって来る。だが、周りの男性陣は彼女の思惑には気付いていないようだ。ソファから素早く身を起こすと、彼女の前に立ちはだかった。いきなりの臨戦態勢? 何なの、失礼な男達だわね。私が一体何をしたと言うのか。でもわざわざケンカを売る必要もない。ここは穏便に済ませる方がいいだろう。きっと彼女も協力してくれるはず。
「何か用かな」
「わたくし、有村さんにご挨拶をしておりますの。なぜそんなに恐い顔をなさっているのかしら」
警戒心露わに問われて何が何だか分からないと、きょとんとした表情を浮かべて見せると、彼は一瞬毒気が抜けた顔をした。
「そうですか。だったら挨拶はもう済んだ訳ですし、用はもうありませんよね」
今度は別の男子生徒が答えるので視線を変える。ピンの色を見ると年下らしい。一応それらしい敬語は使っているが、こちらは相変わらず敵愾心を放っている。
「彼女とお話したいと思ってやって来たのですけれど、いけませんか」
落ち着いた口調の私だが、有村さんもそのお友達もハラハラした様子でこちらを見ている。大丈夫。ケンカしないよ、大人だもん、私。有村さんはいつ口を出そうか様子を窺っているようだ。
「見ての通り彼女は今、俺たちと話をしているんだ。別の機会に願おうか」
「そうしたいのはやまやまですけれど、いつもあなた方が側にいらっしゃるようですから、なかなかその機会が巡って参りませんのよ」
私は頬に手を当てて首を傾げると、小さくため息をつく。
「そうだとしても、横入りなんて淑女のする事ではないと思うけど?」
「あら、おかしな事をおっしゃるのね。あなた方こそ有村さんのお友達との談話を押しのけて、横入りなさったのではございませんか? 紳士のなさる事ではございませんわね?」
自覚はあるのだろう。彼らはぐっと言葉に詰まった。フッ、自分の放ったブーメランで身を滅ぼすとは未熟者め。二の句を告げられない男性陣を置いて、私は有村さんに視線を向ける。
「有村さんがよろしければ、少しわたくしにもお時間頂けないかしら。有村さんの絵画のお話もお聞きしたいですし」
そう言って有村さんを見ると、彼女は瞳を輝かせて大きく頷いた。
「はい! お約束しておりましたから、ぜひ!」
彼女が明るい声で返事すると、男性陣は驚いて振り返る。次々と男性陣が彼女を問い迫る中、私は彼女のお友達にゆったりと笑みを向けた。
「わたくし、瀬野優華と申します。あなたのお名前をお伺いしても宜しいですか?」
「さ、沢口ゆ、結衣と申します!」
「そう。沢口さん、よろしければあなたもご一緒にいかがですか?」
「は、はい、ぜひ!」
沢口さんの元気良い返事で、おろおろしていた有村さんは励まされるかのように冷静さを取り戻したようだ。彼らに頭を下げる。
「いつも皆さんの大切なお時間を私の為に費やして頂いてありがとうございます。ただ瀬野先輩とは以前からお約束させて頂いておりましたが、なかなか実現せず、心苦しく思っておりました。ですから本日は瀬野先輩とのお時間を優先させて頂いて構いませんでしょうか」
「……大丈夫なのか」
一人の男子学生が未だ警戒したようにそう言う。失礼ね。取って食いやしないわよ。
「もちろんです! 瀬野先輩、お優しい方ですから」
「……優しい?」
やい、こら。そこの一学生よ、不信そうな顔をするでないっ。見て信じられませんか、仏様のようなこのワタクシの柔和な笑みを! ほれほれ、刮目するがよい。そう思っていた矢先。
「まー、その横の子も連れて行くみたいだし、足止め役くらいは果たすだろうから大丈夫だろ」
「なっ、あんま――」
「雪菜っ!」
抗議しようとする有村さんを止める沢口さんを前に、私のこめかみにぴきりと音一つ。沢口さんを見下した言葉と共に顎で彼女を指し示す男のぞんざいな態度にも憤りを感じ、仏様のような私の笑みは儚くも音を立てて崩れた。
「……沢口さんですわ」
「は?」
「彼女のお名前は沢口ゆいさんですわ。――ねえ、足止め役にもならない真ん中のあなた」
冷たく低い声でそう言うと、彼は顔を強ばらせた。あら、不愉快になられましたか。意外と打たれ弱いなぁ。ああ、そうか、打たれたことが無かったのね。
「お気の毒にも幼少より学んで来なかったようですから、教示してさしあげますわ。あなたが人を傷つけた分、あなたが人を見下した分、形を変えてもいずれ自分に返ってくるでしょう。……必ずね」
私は彼を見据えたまま、口角だけを上げた。きっと優華さんの美人顔が凄みを増して、呪いの言葉のようにも聞こえるのだろう、彼は息詰めた。
「せめてこれからは礼節を持って人と接するべきですわね……中条颯人さん」
この男子生徒は女子生徒にぶつかった男。特に念入りに名前を記憶させて頂きましたよ。私の執念深さも時には役立ちますね。そして私はもう興味はないとばかりに視線を変えて、彼女たちを見た。
「それでは参りましょうか、有村さん、沢口さん」
「は、はい!」
二人は立ち上がり、私は先導するように歩き出した。ふと気付くと、辺りがすっかり静まりかえっていた。うっ、すっかり注目の的に……。肝が冷えるが、立つ鳥跡を濁さずだ。
「皆様の楽しい談話のお時間にお邪魔してしまい、申し訳ございませんでした。それではこれにて失礼させて頂きます」
私はスカートを広げてゆっくり膝を折ると、最後に極上の笑み(自称)を浮かべて見せた。どこからともなく吐息がもれ、空気の流れを変えたことを感じ取った私は再び歩き出す。途中、悠貴さんと目が合って小さく頷き、そのまま談話室を後にした。
そして談話室を出た瞬間。
「ふっ、はぁぁぁ」
大きく呼吸したくなるのも、無理はなかろう。途中酸素不足で息が詰まるかと思いましたですよ、本当に。何とか最後まで声が上ずらなくて良かったわ。私の女優魂に乾杯。
「ほっと力が抜けましたわ」
「気を張っていらっしゃったのですか」
「当たり前よ。もう精神クタクタ。あんなにたくさんの視線を集めたのよ、緊張しない方がおかしくてよ」
私は片眼を伏せて、肩をとんとん叩いて見せた。するとびっくりしたように沢口さんは目を見開いた。
「瀬野先輩ほどの方でも緊張するんですかっ! いつも注目されていらっしゃるのに!?」
「ええ、いつも皆さんの視線が胃をキリキリと刺して、痛くて仕方ないですわ」
特に私は優華さんになって日にちがないものですから……とは言えないけど。
「うそっ! そんな風に見えなーい。いつも堂々としていらっしゃるように見えますもん。今も本当に格好良かったですよ!」
きゃっきゃ楽しそうに笑う沢口さんに、こら失礼でしょと有村さんが窘めると、ごめんなさいとしょげ返る。
「いいのよ。本当の事ですもの。むしろ形だけでもそう見えるようで良かったですわ。――ああ、それよりも有村さん。あの場から連れ出して本当に良かったのですよね?」
「ええ、助けて頂いて本当に感謝しております……。むしろ先輩の気持ちも考えず、助けを請う真似をして申し訳ありませんでした」
有村さんは頭を下げる。
「瀬野先輩に一度助けて頂いて、もしかしたら先輩ならまた助けて頂けるのではないかと甘えてしまいました」
「それは私が勝手にやった事なのでいいのだけど。彼らの好意をわたくしが邪魔するのは不作法ではなかったかしら」
「いえ、そんな事はありません。……だって」
有村さんは悲しそうに瞳を曇らせた。
「だって本当は皆さん、私の事を好きではないですから」
「……それは一体、どういう事?」
私は思わず眉根を寄せてしまった。はあ、最近、眉間にしわを寄せることが多いわ……。




