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目覚めたら記憶喪失でした  作者: じゅり
― 本編 ―
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2.目覚めてもそこは

 意識が浮上して目を開ける前に、夢オチだったらいいなと何度思った事か。夢から覚めて現実世界に戻っていてと何度願った事か。しかし現実は私に冷たかったようだ。


 約一名幽霊騒ぎを起こした翌日、目が覚めるとやはり豪華な病室にいる自分に気付いた。ここが豪華客室なら、あら私旅行に来ているのね、うふふで終わったのに。


「おはようございます、瀬野さん」


 そして相も変わらず、昨夜の看護師さんに瀬野さんと呼ばれる。名前を呼ばれて期待はしていなかったが、昨日用意してくれた鏡を覗き込んでもやはりそこには『私』は映っていなかった。目を擦っても、頬をつねっても鏡に映るその姿は私のものではなかった。ため息を吐きながら看護師さんに挨拶を返す。


「おはようございます。さ、昨夜は失礼、致しました」

「ふふ、いいんですよ」


 彼女は嫌な顔一つせず、眩しい笑顔を見せてくれる。白衣の天使とはよく言ったものだ。ナイチンゲール症候群になる患者さんの気持ちもよく分かる。私が男なら惚れるでしょう。いや、イケメン看護師さん来て下さい。すぐ惚れてみせますから。


 ……さて現実に戻って、と。


「あの……私の家族は」

「今朝はまだ見えていませんね。今、まだ朝六時ですし」


 看護師さんは苦笑する。では昨夜は来ていたのだろうか。


「じゃあ、検温致しますね」


 とりあえず、現状把握しようというくらいには落ち着いてきた。ここで整理してみよう。まず、私は木津川晴子、会社員、二十七歳。家族は両親と弟。現在、まだ独身で一人暮らしだった……と思う。そして何らかの事故に遭って入院中。ここまでは確かだ。問題はこの後ですね。どうにも信じがたいが、私は『瀬野優華』さんという人物になっているらしい。病室でここまでの待遇を考えてみると、彼女が事故の被害者、あるいは彼女自身がお金持ちのご令嬢と言ったところだろうか。


『ご令嬢』と『記憶と外見の不一致』この二つのキーワードが意味するものは……。


 と、その時、ピピと電子音が聞こえ、考えが遮断された。


「検温、終わりましたね」


 そう言って看護師さんが体温計を取り上げて、うん、問題ないわね、と笑顔で頷く。


「あの……私の怪我、どれくらいなんでしょうか」

「ご家族の方が見えたら、主治医の先生からまた説明されると思いますけど、どこも骨節もしていませんし、お怪我自体は軽いですので、精密検査を受けて何もなければ数日で退院できるかと思いますよ」


 と言うことは打撲程度なのか。


 その後、看護師さんに手を貸してもらいながら、朝の身支度を済ませた。昨夜も思ったが、包帯は大袈裟だが痛みは大したことがないようで良かった。


「それでは七時に朝食になりますからね。こちらのお部屋に用意させて頂きます」


 そう言えばお腹が空いた。単なる怪我みたいだし、美味しい病院食だといいなぁなどと脳天気、もとい現実逃避していると、扉の向こうで控えめなノックがされたようだ。看護師さんがどうぞと応え、扉が開かれた。そこに現れたのは、すらりと伸びた長身に反して、まだ大人の男になりきらない透明感を残した端整な顔立ちの男性だった。


 目が合って、彼が柔らかに微笑んだその瞬間、私には彼の背景に美しい春の木漏れ日すら見えましたよ。爽やかすぎて、一瞬めまいを起こしました。朝も早よからこの完璧キラキラ美形は一体誰ですか。笑顔が眩しすぎて目が痛いです。言うまでも無く心臓も痛いです。


「おはようございます。朝早くにすみません」


 彼は視線を変えて看護師さんに瞳を向ける。その美しい柳眉を少し下げて発するその声は若さを十二分に残した瑞々しさと色っぽさを含んでいて、耳元で囁かれたら鳥肌が立ちそうだ。


「彼女とお話できますか?」


 頬を染めて彼に見とれていた看護師さんは、その言葉にはっと我に返ると、どうぞと笑って病室を出て行こうとする。え、お待ちなさい。この爽やか美形を私一人で対峙するのですか? 私には到底無理ですよ。一人にしないで下さい。お願いします。そんな気持ちを目一杯込めて看護師さんの袖を掴むが、やんわりと手を外されて、背中を優しく叩かれてこそっと囁かれる。


「あとはお若い二人でね」


 何があとはお若い二人でね、ですか。お見合いか。


「ではご家族がお見えになったら、お知らせ下さいね」


 無情にもすがる手を払われて、看護師さんはそれだけ言うと出て行った。名残惜しくも扉の方を見つめていると、彼が声を掛けてくる。


「おはよう」

「……おはよう、ございます」


 とりあえず挨拶を恐る恐る返してみる。


「座っていいかな」

「あ、はい。気付きませんで」


 慌ててソファーの椅子を勧めると、彼は小さく笑った。あ。何だか風そよぐ若葉の香りが漂うような気がする。イケメンは香りまでイケてますね。


「具合はどう?」

「大丈夫みたいです」

「そう、良かった」

「……ありがとう、ございます」


 ほっとため息をつく姿がまた様になっていて、心臓がうるさい。しかし内心、冷や汗ものだ。彼の容貌にすっかり気を捕らわれて、どう対応すべきか全く考えていなかった。だけどこのまま会話を続けていても、ボロが出るのは目に見えている。彼の名前すら知らないのだから。ただ私は木津川晴子ですなどと言えば、不審さを大いに買うに決まっている。ここは瀬野優華として正直に聞くのが最善だろう。よし、先制攻撃だ。私は息を大きく吸い込むと、ゆっくり吐き出した。


「……あの。一つお聞きしたいのですけど」

「ん?」

「失礼ですが、あなたは……どなたでしょうか」


 彼の瞳がわずかに開かれた。そして何かぽつりと呟くと陰りのある笑みを見せた。何だかとても申し訳ない気持ちになってしまう。常日頃なら、こんな美形、一度見たら忘れないと思うんだけどね。


「……すみません」

「いや。もしかして自分の状況も分からないの?」

「名前だけは分かります。瀬野優華。だけどそれは看護師さんが私をそう呼んだからで」

「つまりそれは自分の事も何も分からないって事かな」


 彼は困った様に笑う。


「つまりはそうですね」

「……参ったな」


 私も非常に困っています。ここはどこ、私は誰のレベルです。


「どこから話せばいいかな」


 彼は一つため息をつくと、ゆっくり話し始めた。


 彼が語るところによると、私、もとい、この身体の持ち主、瀬野優華さんの家は日本の経済界を支える財閥の一つらしい。現在十八歳、俗にいう所のご令息、ご令嬢の紳士淑女養成所である上流家庭御用達の学校に通っている。家族構成は祖母と両親、兄二人。父親は現在、長期海外出張中で不在。一年の大半を海外で生活しているとのこと。十四歳上の兄は今は家を出て、会社経営していて、六歳上の兄は古代ロマンを求めて世界を旅して回っているらしい。次男さんはなかなかフリーダムな兄ちゃんのようだ。


 彼は二宮悠貴。年齢が一つ上だが、昨年一年半ほど留学して戻って来たので、現在は優華さんと同じく高校三年生として就学しているらしい。今は五月下旬だそうだから、彼が出戻りして一カ月半といったところか。彼の家は優秀な政治家を何代も輩出している日本有数の華麗なる政治家一族なのだとか。そして優華さんのお隣の家に住んでいる、いわゆる幼馴染みで婚約者でもあるとのこと。


 つまり政界と財界の密な関係ですか。社会の縮図を目の当たりにした歴史的瞬間です。ああ……世間のほんの小さな歯車の一つである私には次元が違いすぎて、脳みそが痒いです。


 既にお腹いっぱいの私に彼はさらに続ける。私は昨日、学校の踊り場で倒れていた所を彼のご友人殿が発見してくれたとの事。階段から足を踏み外したと言うことだろうか。全身の痛みは落ちた時の打撲という訳だ。


「ああ、僕の事は悠貴と呼んで」

「ゆ、うき……さ、ん?」

「悠貴でいいよ」


 悠貴と呟いてみると、彼はわずかに口元を上げるが、わずかな違和感を覚える。


「……呼び捨てだと違和感が」

「そういう感覚は残っているんだ」


 彼はふーんと感心するように言って笑った。


「『さん』づけされていたよ」


 という事は、悠貴さん、か。ああ、なるほど。この方がしっくり来る気がする。


「じゃあ、悠貴さんで」

「悠貴でいいのに」

「いきなり呼び捨てだと、周りの人間もおかしく思うでしょうし」

「……まあね」


 何でつまらなそうにしているのですか。


「ところで、ご家族にはもう会った?」

「いえ。昨夜一度目が覚めた時には誰もいませんでした」

「そうか……」


 彼は少し考え込むと言った。


「じゃあ、ご家族には記憶を失っている事は言わないでおいた方が良いね」

「えっ。どうしてですか」

「君のお祖母様は厳しい方でね。記憶喪失ですと言おうものなら、自分の落ち度で記憶を失うなど言語道断。家名を穢す行為だなどと言って、どのような処分をなさるか分かったものじゃない。その昔、君のお兄さんが幼稚園に通っていた頃、ピーマンを残したからと、座敷牢で一晩反省させられたと聞くし」


 たったそれだけで三、四歳の子を座敷牢に入れちゃうような人なのか。記憶喪失などと言ったら、荒療治と称して電気ショックにでもかけられてしまうかも知れない。思わず顔から血の気が引く。


「あ、でも日常を共にしていると隠しようがないと思うんですけど」

「その点は大丈夫。基本、学生期間中は寮生活だから。身体が今までの習慣を覚えているだろうし、一日も早く感覚を取り戻せるよう僕もフォローするよ」


 身体が覚えてくれているといいんだけど。頼みますよ、優華さんの身体。


「……はい。お願い致します」


 そう言うと、彼はほっとした様に微笑んだ。そして私生活や学園生活のあり事をかいつまんで説明してくれた。かいつまんでくれた所も自分の想像を絶していて、私の灰色の脳細胞が理解の立ち入りを拒否しているのですけどね。それにしても……。


「他に気付いた事はその都度、伝えていくよ」

「え……あ、はい」

「ところで――」


 悠貴さんが何かを言おうとしたその時。

 コンコンと小さなノックが聞こえ、「入りますよ」と女性の声が聞こえた。私が顔を引きつらせて悠貴さんを見つめると、彼は頷いた。


 ……さあ、家族のお出ましだ。

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