15.権力の下に
「ここはお綺麗な監獄だーっ!」
ストレス溜まるわ、ストレス溜まるわ、ストレス溜まるわーっ! お上品な食事もいらぬ。お上品な挨拶もいらぬ。常に受ける視線もいらぬーっ。
私は思いっきり叫び、ゴミ箱に突っ込んでいた顔を上げた。はぁはぁはぁ。……疲れた。
学園に潜入してから特に進展もなく、五日目になった。たかだか五日とは言えど、慣れぬ環境にほとほと疲れてきた。常に精神を緊張させて、いつでも対処できる状態にしておかなければならない。精神がガリガリ削られていくのが分かる。心休まる暇など全く無い。唯一ゆっくりできるのは睡眠の為のこの部屋だけだ。実家ですら気を緩めることができなかったと言うし、優華さんは本当にすごいな。これを普通として今まで生活していたのだから……。
ああ、庶民が四六時中視線を感じて生きるのは辛いです。なのに視線を合わせようとすると、途端に逸らされます。ある意味、拷問です。あぁ、学校行きたくないよう。
「おはよう。……あれ? 何か疲れている?」
「ええ、ええ。お綺麗な牢獄に疲れ切っておられていますよ、わたくしの精神が」
朝食後、いつもの待ち合わせのロビーでソファーに埋まって待っていた私に悠貴さんはニホンゴ変だよと苦笑する。私は否応なしにソファーから立ち上がった。
「おはようございます、二宮様、優華様」
そう上品に挨拶してくるのは、そう、薫子様ご一行だ。いつも華やかですね。薫子様は精神力が強そうだな。やっぱり美人に生まれると、心が強くなるのだろうか。あるいは慣れか。薫子様の場合はむしろ注目を集めることでパワーになっていそうだなぁ。羨ましい……。
「おはよう、君島さん」
笑みを浮かべて挨拶を返す悠貴さんに合わせて、私も虚ろな目で朝の挨拶を交わす。薫子様はすぐに私への興味を失って、頬を染めて熱心に悠貴さんに話しかけるので、私は彼女が引き連れる一行を観察してみた。
そう言えば、この中で名前を知っているのは、みなみさんのみ。今日もただ静かに控えている彼女がそうなのだろうか。すると俯いていた彼女がふと顔を上げ、私と視線が合うと途端に顔を強ばらせて、視線を外した。そして横の女性と身を寄せ合っている。
……え。今、別に睨んでいなかったと思うのに。虚ろな目がやばかっただろうか。ちょっと傷つきましたぞ、私。ああ、でも、そうか。そうじゃなくて、トイレで噂してたもんね。優華さんの悪口を。私はそう思い出して薫子様に視線を戻すと、私の視線に気付いた薫子様もまたこちらに視線を移した。
そうそう、薫子様ってば。トイレの中に私がいるとも知らず、下々の人間だと思って脅し、高笑いして下さいましたっけ。ねぇ、薫子様? ふつふつふつと何かが湧き上がってくる。あら? 何故か心の底から笑いがこみ上げて参りましてよ?
すると薫子様は怯えた表情をして、では失礼しますと言うとあっという間に去って行ってしまった。
「……薫子様、あんなに慌てて。どうしたのかしら」
「鏡あるなら見せてあげたかった。壮絶美しい死神の微笑みだったから。優華の悪魔の微笑みを超えるとは、さすが晴子さんだね」
悠貴さんはにこにこ笑った。いや、全然、ちっとも褒められた気がしないから……。突っ込みにもキレがない私に悠貴さんは、これは重症だねと苦笑した。
と言うわけで。本日はぼっち飯です。悠貴さんがお昼に生徒会の用事ができたというから。悠貴さん、もう役員でいいんじゃないでしょうか。それはともかく。よく考えてみたら、お昼だけでなく日常的にぼっちな人でした。ずっと悠貴さんとお昼を取っていたから、すっかり忘れていたけれど。ぼっちには禁句の『はーい。二人でペアを組んで』の洗礼もまだ受けたことがなかったから余計に。
はっ。そうか。ぼっち飯と言うことは今日は自分が好きな物を食べられると言うことか。いつもは悠貴さん御用達の昼食ばかり食べていたけど、今日は私の口に合う庶民の食べ物も口に入るという可能性が!
よく考えたらこの学園には庶民の方々も通っている訳で、お昼は各自摂る事になっているから、低価格の食事も提供しているんだよね。いえ、普段口にはとても入らないような食事も素晴らしくいいんですよ。けれど私は所詮はただの庶民。食べ慣れない高級料理ばかり食べていると無性に自分に合った食事が食べたくなるのです。そう、それはジャンクフード! フードフード……(エコー)
さすがにジャンクフードはないかもしれないけれど、少し気持ちが浮上して、階下へと足を進めて行くと、庭に出た。あれ。おかしい。学食に行くつもりだったのにな。これだから方向音痴はやぁよ。すると少し先から男女の声が聞こえてきた。あらお邪魔かしら。少し聞き耳を立ててみた。
「で、ですから、お付き合いはできません。私、好きな人が――」
「んだとっ! こっちが下手に出てりゃあ、いい気になりやがって!」
うん。ちょっと空気が悪いね。それにしても女性が断っているのに往生際が悪いな、この男。分かっているの? 君は振られているんだぞ?
「庶民の分際で、俺に逆らうとはな。お前を退学にするなんて容易い事なんだからな!」
「そ、んな……」
ああ、あっちもこっちも権力権力権力! 権力で相手を思い通りにしようとは何て愚かで驕慢な男。イライラするんですけどっ。むしろ情けなくないのか。ええい、成敗してや――はっ。ま、待ちなさい私。手助けが余計な事だってあるのよ。早まっちゃ駄目よ私。
「や、止めて下さっ――」
……って。やっぱり放っとけない。余計なお世話かもしれないけど。私は足を進めて、二人の前に姿を現した。
「何だ、お前?」
「嫌がっているようですわ、彼女。その手をお放しになったら」
茶髪の男子生徒が掴む腕に視線を落とす。まあ、高そうなお洒落バングルですね。左耳につけているピアスとお揃いかしら? などどうでもいい事を考えてしまう。
「お前には関係ないだろうっ!」
「そうですね。でも女性が嫌がって抵抗しているのを前にして、ただ黙って行けませんわ」
「コイツは俺の身分の高さに引け目を感じているだけだよ!」
私が女生徒を見ると、彼女はぶんぶん音が唸りそうな程首を振っている。うん、彼に呆れ返りました……。
「いいですか? 分かっていないようですから、ちゃんと見ていて下さいね。あなたは彼女に――」
振・ら・れ・た・の! と五本の指を重ねて言葉を追い、最後に合掌して会釈しながら、振られたのと言った。
「お分かり頂いたかしら?」
「っ! お前!」
怒りで真っ赤に顔を染めた男子生徒がガツッと胸ぐらを掴んだ。うん、良い感じに挑発できた。
「お、お願いですっ。や、止めて下さいっ!」
側にいた女生徒が真っ青になって悲鳴を上げ、どこかで砂を踏みしめたような音が聞こえた。ああ、ごめんね。心配掛けて。でも大丈夫よ、そういう思いを込めて女生徒に笑みを見せた。そして私は彼の手を固定し、反対の手で手首をねじり上げて一気に彼の脇に入ると、痛みから逃れようとアッサリ自分から転がり込んでくれた。
「あっ!?」
男子生徒は驚きの声を上げている。昔取った杵柄。こんな所でまさか役に立とうとは。合気道ちょっとかじっておいて良かった。そしてその記憶が残っていて良かった。ま、これ以上はできないけど抑止力にはなったでしょ。
「ふっざけんなよお前! こんな事をしてタダで済むと思うなよ」
ああ、うるさい男ですね。私は彼の腕を掴んだままさらに体重をかけると、男子生徒は痛みで小さく悲鳴を上げる。失礼ね。少ししか力入れてないのに、私の体重が重いとでも言いたいのか。
「タダで済まさないとはどういう事か、お聞きしていいかしら」
「お、俺の家はこの学園に寄付をしているんだ。お前なんぞ俺の鶴の一声で退学をさせてやるからな」
「あらまあ、それはそれは」
側にいた女学生は自分に気付いたようで、あわあわとした様子に、私は片目を伏せて笑みを浮かべた。
「寄付金額ごときで一人の人生を狂わせる事ができるなら、あなたよりわたくしの方が分が良さそうですわね」
「何だと?」
「ああ、申し遅れました。わたくし、瀬野優華と申します」
「瀬野!? もしかして瀬野財閥……」
男子生徒が青くなって息をのむ。うん。権力って恐いよね。分かるわ。だからこそ理不尽に振る舞うべきものじゃないよね? 権力の下に地べたに這いつくばるのは悔しいでしょう?
「ご存じ頂いているようで光栄ですわ。もちろんあなたのように親の権力を振りかざしてあなたをどうこうするつもりは露ほどもございませんけど、これ以上この女性に付きまとうなら少しばかり進言はさせて頂いてよ?」
「っ……、分かり、ました。もう彼女にはつきまわないです、からっ」
「そう。お分かり頂いて嬉しいわ」
私はそう言うと彼を解放した。すると彼は急いで逃げていこうとしたので素早く止める。
「ああ、お待ちになって。何か言うことはございませんか?」
「す、すみませんでした」
「……わたくしに言うことではないでしょう。嫌がる彼女にあなたは親の権力でものにしようとしたのですよ。謝るべきは彼女にでしょう?」
そう言いながら私は彼を女生徒の前に突き出した。彼は一瞬ためらったものの、諦めたように頭を下げた。
「悪かったよ。……謝ったからな!」
それだけ彼女に言うと、あっと言う間に去って行った。
何で謝るのにいつも捨て台詞なんだ……。まあ、彼に反省の色は無いと言うことなんだろうけど。所詮は権力に屈して謝罪しただけかと思うと、やるせない気持ちになる。とは言え、こちらも権力の上にやり込めたのだから彼と同罪か……。本当に分かってもらうにはどうしたらいいんだろうね。私は小さくため息をついた。
まあ、気を取り直してお昼を買いに行こう。そう思って振り返ると、まだそこに残っていた女生徒がびくりと身体を震わせた。ああ、やっぱりそういう反応ですよね……。知ってた。これ以上こじらせないように、素知らぬ顔して立ち去るのがいいだろう。
「……では、ごきげんよう」
型どおりの挨拶をして私は踵を返すと前に足を進めた。すると。
「あ、ありがとうございました!」
大きな感謝の言葉に振り返ると、やっぱり彼女は少し怯えた様子だったが、決して逸らさない瞳でこちらを見る。彼女のそんな懸命な様子に、自然と頬が笑みでほころんだ。
「いいえ。どういたしまして、ですわ」
そう言うと、彼女の頬は真っ赤に染め上がり、もう一度ありがとうございましたと頭を下げて礼を述べてくれたのだった。




