14.学園にも七不思議?
『水無月早紀子さんが仲間になった!』ところで話をさらに深く尋ねてみる。水無月さんから見た優華さんはどんなイメージだったのだろうか。
「そうねぇ。繊細なタイプだったわね」
「最近の優華さんの噂についてどう思いましたか?」
「噂? ああ、特待生を苛めているとか?」
私は頷くと、水無月さんは少し考え込んだ。
「私は限られた範囲の交流だったけど、そんな風に見えなかったわ。――そう言えば、私もその噂を聞きつけてしばらくした頃ね、優華さんが図書館に見えなくなったのは。もっとも私は行動範囲が狭いから、噂が立った時期と聞いた時期はズレがあるでしょうね」
そんな噂が立ったから図書館に行きにくくなったのだろうか。もし人の目を気にする様な人だとしたら、苛めなんて最初からするはずないし。何かそうするか理由があった? あるいは……濡れ衣?
「ともかく私も小説を読んでくれている生徒に聞いてみるわね」
「ああ。そう言えば優華さん、どうやってその生徒の情報を集めていたんですか? 友達いなさそうなんですけど」
「さあ。それは聞いてないわね」
「そうですか……」
まさか優華さんもトイレの中でスパイ活動をやっていたのだろうか。やだー、同志じゃないですかー。一人にやついてしまう。そんな私を見て悠貴さんが眉をひそめた。
「え、何? 何、企んでいるの?」
……酷い。
「それにしても嬉しいわ! 同世代で同じ趣味の人なんて今までいなかったもの。これからも図書館にぜひ足を運んでねっ!」
水無月さんは頬を紅潮させ、きらきらした瞳でそう言った。少女みたいだなぁ。
「一度ネットに投稿してみたらどうですか?」
「そうねぇ。応募作品が入賞できるレベルになったらやってみようかな」
そう答える水無月さんに悠貴さんは苦笑する。
「泳げるようになってから水に入ってみようとする発想ですね」
「……何ですって」
水無月さんは眉を上げると、悠貴さんは慌ててすみませんと謝る。と言うか、その素直な態度を私にも示しなさいなと考えていると、水無月さんは気にした風でもなく、むしろ嬉しそうに頷いた。
「うん。その表現面白いっ。それ頂くわね。今日はなんてツイている日なのかしら。同世代の趣味人は確保したし、ブレインも手に入ったし」
「え。もしかして僕も数に入っているんでしょうか」
ほくほくしている水無月さんの一方で、顔を引きつらせる悠貴さんでした。
水無月さんと別れて歩き出した時、ふと思い出して尋ねてみた。
「そうだわ。優華さんが落ちた階段に案内してくれないかしら」
「ああ。うん、分かった。そうだ。その時に駆けつけてくれた僕の友人にも声を掛けるよ」
そう言って携帯を取り出すと、悠貴さんは彼に連絡を取った。その後、私たちは件の階段に向かいながら話す。
これから会う悠貴さんの友人は紺谷敬司。優華さんとは初対面だからそう気にしなくても良いとのこと。彼の家族は代々警察官僚だそうだ。敬司、けいじ、刑事か……。まあ、実際は親御さんが警視総監とか警察庁長官とかそう言うレベルなんでしょうけど。聞かなくても分かりますよ。むしろもう聞きたくないですっ。
「で。その時、悠貴さんは何をしていたの?」
「僕は生徒会だったんだ。僕の友人がたまたまそこを通りかかって、慌てて連絡してきてくれたんだよ」
「そうなんだ」
そうして私たちが階段に辿り着くと、すでにそこには先客がいた。
「敬司!」
振り返った彼は、髪の毛を明るく抜いた、つり眉少し垂れ目で人好きのする美形だった。一方でどこか軽薄さが拭えない雰囲気がある。常に上がった口角がそう見えさせるのかもしれない。悠貴さんが正統派の美形だとしたら、彼は軟派系の美形と言ったところか。甘い言葉の一つや二つ平気で吐きそうだ。
「あ。来たかぁ、悠貴。えーっと、瀬野優華さんは初めまして、だね。紺谷敬司です。よろしくね。遠くから見ても華やかな人だなと常々思っていたけど、近くだと余計に美人が際立つね。花も恥じらう美しさとはまさに君みたいなことを言うんだね」
ほら、言っちゃったよ、軽く。こんなのが将来、日本の安全を守る為に日夜奮闘する警察官方々の上官を担うのかと思うと嬉しくて涙が出ますわー……。ああ、ダメダメ。第一印象で決めるのは。いい社会人なんだから、大人の対応で返しましょう。
「ごきげんよう。お褒め頂きましてありがとう存じます。こちらこそよろしくお願い致します」
ほら、どうだ。大人の対応でしょう。我ながらちょっと目が死んでいるのはご愛敬だ。
「ところでわたくしが倒れているのを発見して下さったのは紺谷さんだとか」
「やだなー。紺谷さんとか、よそよそしい。敬司と呼んで」
「はい、紺谷さま」
私はにっこりと最上級の笑みを浮かべて見せた。
「紺谷さまが悠貴さんに連絡して頂いたとの事で、ありがとうございました、紺谷さまっ」
「……せめて、さん付けでお願いします」
「はい、紺谷さん」
私は再びにっこりと笑みを浮かべて見せた。それにしても……。
「わたくしはここで倒れていたのですね。どんな様子で倒れていたのかしら」
彼、紺谷氏は爽やかに笑った。
「ああ、安心して。白の上品そうなレース下着だったから」
誰がそんな事、聞いてるんだーっ! っていうか。
「余計心配になりましたわっ! 大体、人が怪我してる時にしっかり見ますか、普通!」
「仕方ないんだ。それは男の本能だから!」
彼に拳を作ってまで力説されて、思わず怯んでしまった。……そ、そうなのか。男の本能ならここは勝ってはいけないところだよね。私は反撃の言葉を失っていると、薄ら寒い笑顔で悠貴さんは言った、いや脅した。
「『君の』本能だよね、それは。そして今すぐその記憶を消去しようか敬司。何なら手伝うよ?」
「どうどうどう。お前が言うと洒落にならないって。社会的抹消までされかねない。忘れる忘れるって!」
焦ったように手を振る彼の携帯から着信音が響く。紺谷氏が、ああ、ちょっとごめんねと言って手に取った。
「あ。美樹ちゃん? うんうん分かった。今すぐ行くよ。え、今? しょうがないな。一番好きなのは君だよ」
うん、軽いなー。やっぱりこやつ軽いなー……。っていうか、そのセリフ。他にも好きな女性はごろごろいるよって公言しているのに等しいと思うんだけど。うんまあ、どうでもいいですね。
「ご用があるようですから手短に。わたくしがここで倒れていた時に何か変わった様子とか誰か他に人がいたとかはございませんでしたか?」
「え、何? その言い方。まるで……」
紺谷氏は悠貴さんを一瞥し、またこちらに視線を向ける。勘のいい人間は好きですよ。
「いや。誰も側にいなかったし、音とかも聞こえなかったよ。ただ、君がこの踊り場に倒れてすぐに駆けつけられたわけじゃないから……」
「そう、ですよね。分かりました。ありがとうございます」
「また何か気付いた事があったら伝えるよ。じゃあ、またね。悠貴も」
それだけ言うと、彼はあっさり去って行った。何だ。単なるモブキャラだったのか。まあ、向こうからしたら私の方がモブキャラなんでしょうけど。
「何も情報が得られなかったね」
「そうね」
ああ。一つあったか。白のレース下着……。
「それにしても放課後とは言えど、ここは人気が少ないわね。仄暗い感じって言うとおかしな表現だけど」
「ああ、うん。そうだね。最近、この辺りの教室は使われていないからそう思うのかも」
私は辺りを見回すが、廊下には全く人の気配がない。人に使われない場所はどうしても寂れがちになるからかな。
「だったら優華さんはどうしてこの階段を使ったのかしら」
「そうだね……」
悠貴さんは壁にかかる姿見に触れながら、憂いを帯びた表情で言った。
「この階段の踊り場はこの鏡から異世界への道が開かれると言われているんだ。優華はもしかしたらそちらの世界に行きたかったのかもしれないね」
「……悠貴さん」
私は片手を腰に当てて、もう片方で口元に手を当てて笑った。
「ほほほ。何ですかー、その中学生が好んで使いそうなファンタジーっぽい発想は」
「そう言えば、実はごく最近、僕に中二病発言を恥ずかしげもなく堂々と語った人がいてね」
……はい。にっこり笑う彼に、ただ私は平謝り致しました。
「は、話は変わりますけどっ。こんなお嬢様・お坊ちゃま学校にも学校の七不思議みたいなのがあるのね。お手洗いだって、トイレの花子さんも恐れをなして逃げ出しそうなくらい豪華絢爛なのに」
「トイレのはなこさん……。ああ、化粧室の華子様の事かな」
「セレブかっ! 花子さんまでセレブかっ!」
思わず、くるくる立て巻きカールの花子さん、いや華子お嬢様を想像してしまう。この分だと音楽室の怪は、歴代の一流奏者たちによるフルオーケストラでのお出迎えか? 階段の怪は要人御用達の高級レッドカーペットでも敷かれるのか? ああ、何という格差社会。
「まあまあ、涙をお拭きよ」
「やかましいわっ」
「こらこら。口が悪いよ?」
顎をぐいと持ち上げられたかと思うと、唇をぐぐっと指で寄せられる。
「優華のこの唇でそんな言葉を出すのかな」
「い、いひゃい、いひゃいでしゅ、ごめ、しゃい」
「うん。分かってくれればいいよ」
彼はにっこり笑って手を離した。……この人絶対Sです。優華さん、逃げた方が良いと進言しておく。
「晴子さん。……ありがとう」
何の事かしらね。私は素知らぬ顔して、鏡を見る。
「それにしてもずいぶん大きな姿見ね」
これも高そうだこと。内心冷めた笑いをして、ぴかぴかに磨かれて冷たく光る鏡に近づいてみる。その瞬間、ぐにゃりと視界が歪み、立ちくらみを覚えた。身体を支えようとして、思わず鏡に手をついた瞬間、鏡に腕が吸い込まれ――。
「晴子さん?」
身体を引き戻されたかと思うと、悠貴さんに胸の中にいた。
「ぼんやりして大丈夫?」
「今、私、あれ。……鏡、すり抜けそうになった」
私は掌を見つめた。
「え? 別に僕の話に乗ってくれなくてもいいのに」
私は鏡に手を伸ばしてもう一度触れてみるが、固く冷たい感覚があるだけだ。……はぁ、疲れているのかしら。
「じゃあ、ここは他に特に何もないし、行こうか」
「……そうね」
私は悠貴さんに促されて歩き出す。気になって顔だけもう一度振り返ったが、鏡は相変わらず冷たく光っているだけだった。




