12.捜索の末に得た物
私は悠貴さんと別れると、部屋を早速捜索開始した。ありとあらゆる引き出しや本棚、ベッドの下を探すが、めぼしいものがない。優華さんは一体何を借りたのだろう。正体の分からない物を探す労力を使うよりは明日もう一度赴いて、問い質した方が早いのではないか。
夕食後、その旨を悠貴さんに話してみたところ、優華さんの部屋にある箪笥は実家から持ち込んだいわゆるカラクリ箪笥だと言う。引き出しをある順番通り引き出す事でロックが外れ、新たな空間が現れる仕組みで、そこに入っている可能性もあるのではないかと。そしてその引き出しの開け方を紙にさらさらと書いて渡してくれた。
うん。確かに風格ある、いかにも高級そうな和箪笥だなとは思っていたけれど……いや、今、問題はそこじゃなくて。優華さんの部屋にその箪笥がある事を知っているのはともかく、何で開け方まで知っているのよ、しかも暗記しているってどういう事よ、恐いわ! そういう目で悠貴さんを見つめていたら、以前、優華さん自身が忘れたら困るからと言って教えてくれたのだそうだ。なるほど。婚約者とは言えど、いとも容易く他人にセキュリティ情報を漏らすなど、優華さんは愛すべきアホの子だったのか……。これはまた新情報であった。
さて。部屋に戻り、件の和箪笥の前に立ち、書いて貰った紙を広げたのだが。
……うん。優華さん、アホの子とか言ってすみませんでした。複雑すぎるわ、このカラクリ。不安になって人に覚えておいてもらいたくなる気持ち分かります。でも、でもね。昨日は気付かなかったんだけど、小さい紙とは言え、やっぱり箪笥の横に解除方法を貼り付けておくのは良くないと思うのですよ……。
優華さん、頭良いはずなのに何ででしょうね? やっぱり天然ですか?
多少の脱力感を覚えながら私は紙の解除方法に従って、引き出しを動かして行った。
そして――。
「これ、は……」
私は解除によって生まれた隠しスペースに入れていた物にゆっくりと手を伸ばした。
「おはよう。それで何か見付かった?」
「うん、おはよう。一応あったけど、何だかよく分からないわ。名簿みたいだけど。お昼に見せるわね」
私たちは朝、教室に向かいながらそんな話をしていると、前方から誰かを囲んだ騒がしい男性陣が現れた。時折女性が見え隠れする。私は悠貴さんを仰ぎ見ると彼は頷いた。噂の渦中にある人物、有村雪菜さんの登場らしい。彼らが廊下を練り歩く横で一般の学生は壁に背をして直立不動気味に立つさまは大名行列を彷彿とさせる。まあ、随分と態度のでかい方々ですこと。
足を止めて眺めていると、中心の有村さんは無理に作った笑みで周りの男性陣に対応している様子だ。とてもハーレムに浮かれている表情ではない。……ふむ。
すると、一番右にいた男子生徒が横にいた小柄な女子生徒と肩がぶつかりあい、彼女がよろめいた。
「気を付けろっ!」
叩きつけるような声に女生徒は萎縮して、すみませんと小さく呟く。何をーっ!? あなたたちが道を独占して歩いているからじゃないの。私は直ぐさまカツカツと歩くと彼らの前に立ちはだかった。
「お前は……瀬野優華!」
そう言うと、彼らは警戒心露わに有村さんを守るように立つ。
ん? 私が彼女に危害を加えようとしているとでも思っている訳でしょうか? 私は構わず、ぶつかった男に視線を移した。
「あなた、彼女に謝罪の言葉はないのですか?」
私は彼ら後方にいる彼女を手の平で指し示すと、ぶつかった男は釣られるように彼女を見た。すると彼女はすくみ上がって、慌てて顔を伏せた。……ああ、しまった。
「は? 向こうがぶつかってきたんだけど?」
「彼女はあの場所から一歩も動いておられませんでしたわ。それに我が物顔で廊下を闊歩されているのだから、ぶつかった責任はあなたの方が大きいですわよ?」
「何だと!?」
すると彼の怒りを遮るようにすみませんでした! と有村さんが勢いよく頭を下げた。彼女に視線を向けると、決して良い子ちゃんぶろうとしている態度ではない。場を収めようとしての発言だと分かった。でもね、こういう時の言葉って逆効果なのよね……。
「雪菜ちゃんが謝るところじゃないでしょ。ホントいい子だよね、君って」
「大丈夫ですよ、雪菜先輩」
「瀬野、雪菜を脅して謝罪を強要すんじゃねえよ」
……ほらね。いつしたよ。私がいつ有村さんに強要したよ。さっきの態度と言い、ホント頭が痛くなるわね、この人たち。呆れてため息を吐いてしまう。
「その通りですわ。謝るべきはあなたです」
私はこれ以上騒ぎを大きくしないよう極力抑えながらも、右端の男に視線を向ける。相手は怯む事なく、ただこちらを睨み付けてくる。……うーん。相手を知らずして挑んだ私が少し浅はかな行動だったわね。さてどうしよう、そう思った時。
「僕も見ていたよ、今のは君が悪い。謝罪くらいきちんとしようか」
悠貴さんが私の横に並んだ。
「あなたは……二宮さん」
何だ、悠貴さんには低姿勢なのか、君たちは。そう思っていると。
「確かにそうだな。お前が悪いよ、謝れ」
援護するかのように男性陣は次々そう言うが、心からそう思っているようには見えなかった。けれど分が悪いと思ったのか、ぶつかった男は忌々しそうに悪かったなと吐き捨てるように言った。
「さ、もういいだろ」
有村さんはこちらを見て申し訳なさそうに頭を下げると、促されながら歩いて行った。全然悪いと思っていないな、あの男。心の中でため息を吐きつつ、ぶつかられた彼女に何気なく視線をやると、目が合うなり震え上がって、走って逃げて行った。
「……やっぱり私、余計な事をしてしまったのかしら」
悠貴さんは私の肩に手を置く。
「正義を振りかざすことが全て良い結果に終わる訳ではないよ。裏目に出る事だってある」
ドクリ。その言葉になぜか嫌な感情が膨れあがった。
「でも彼女は心の奥では感謝――どうしたの!? 顔色悪いよ!」
急に涌き上がった正体不明の不安に押しつぶされそうになりながら、ただ大丈夫よと私は呟いた。
昼食を済ませると、私たちは誰もいない空き教室に入り、昨日私が手にした紙の束を見せた。
「これよ、隠しスペースにあった物」
「これは……学生の名簿だね」
「ええ。これは簡単に手に入らないものなの?」
「名前以外の個人情報はないし、これくらいなら簡単に手に入るけど」
何でも在学中のみ使える個人ナンバーで学園のパソコンにアクセスすると、学生一覧表が出るのだそうだ。交友関係にお役立て下さいませって事かしら。個人情報保護法がうるさく言われるこの時代。そのパソコンはネットを繋げてないとは言えど、意外とチョロ――失礼、抜けているなぁ、この学園。まあ、それはいいとして。簡単に手に入るなら問題はそこではないのだろう。私はページをめくると、印がつけられている人を指す。
「気になったのは、こんな風に所々に人の名前に印が付けられていることね」
途端に悠貴さんが厳しい表情に変えるのを見て、不穏な空気を感じ取った。
「何。何か心当たりあるの」
彼は、実はこちらも新たな情報を入手したのだと、写真を数枚見せてくれた。そこには水無月さんと女生徒が何やら紙の束のような物を受け渡ししている場面だった。どれも人気のないところで行われていると言う。
「この人たちはどういう繋り?」
「これら数人がお互い交友関係がある訳ではないけれど、共通点があるとすれば、みんな優等生タイプである事は間違いないね」
「勉強の特待生って事?」
「いや、彼女たちは上流家庭のお嬢さん方だね。もちろん成績は悪くないけれど」
人目を避けた秘密裏のやり取り。そして紙の束。優等生、かぁ。何かきな臭いな。
「他には? 他に何かなかった?」
私が考えをまとめていると、彼は尋ねてくる。
「ええっとそうね……。他、小説が数冊とか、かしら」
ライトノベルを少々ですかね。年代的に好きな人が多いし、別にそれ自体はいいと思うのだけど、カラクリ箪笥に入れて置くくらいだから何かしら思うことがあったのだろう。だったら私は彼女のプライバシーを守る義務はあるわね。
「どんな小説?」
歯切れの悪くなった私に感づいたのか、彼は執拗に尋ねてくる。しつこい男は嫌われてよ、悠貴さん。
「……恋愛小説よ」
「じゃあ、何でそんな所に隠す必要が?」
優華さんのみぞ知ると言いたいところだけど、敢えて言うなら。
「お嬢様のイメージって、詩集とか純文学とか読んでいるように思うからじゃないかしら。お祖母様、厳しい方なんでしょ?」
「ああ、まあ。そういう事もあるかもね」
いまいち納得しきれてはいないでしょうけど、先進めさせて頂きますね。
「まあ、それは関係ないと思うから話を戻すけど、まさか怪しい取引とかじゃあ、ないよね。例えばそうね……テスト用紙の売買、とか?」
思わず声を低くして自分の推論を述べてみると、悠貴さんは同意するように目を伏せる。え、嘘。同意しちゃうの。冗談のつもりだったのに?
「実は最近、まことしやかに噂されている。どこかでそういう事が行われているんじゃないかって」
「つまり、最近、急激に成績が上がった人がいたって事?」
「と言うよりは先生がテスト用紙を無くしたらしくてね、生徒の間ではどうやらテスト用紙が盗まれたのではという噂が立っているって事かな。先生達は否定しているけどね」
優華さんも水無月さんと関係あるわけで。それじゃあ、まさか優華さんも、とか……?
「何で、後出しジャンケンするかなぁっ。本当はもっと前に分かっていたんでしょ」
「僕が包み隠さず全て話すことで優華に危害が及ぶと判断したならば、隠し事をもするし、嘘もつくよ」
「ゴォラァア!」
私は思わず吠えた。意味違うでしょ意味が! 自分の言葉で返されたのも腹立ちますねっ。
「ごめん……。僕も信じたくはなかったから。ただ、その線はないとは思っている。優華は全国模試でも成績優秀だし」
すっかり眉を下げた悠貴さんに私はため息を一つついた。
「とりあえず、優華さんが何の為にこの名簿を持っているのかが気になるわね」
テスト売買の元締めとかだったらどうしよう……。いや待て、学園の闇の組織と戦う正義の女探偵だったかもしれない。その仮説、イイネ! …………うん。それ無理があるよね。私の想像力豊かな感性に、今日ばかりはため息を吐く。
「とにかく考えても仕方ないわね。これを水無月さんに直接ぶつけてみるしかないわ」
「そんなの危険だよ」
「一人で行くとは言わないわ。ついてきてくれるんでしょう?」
私がそう言うと、悠貴さんは力強く頷いた。
「分かった。君は僕が絶対守ってみせるよ」
あー、やめて。そういう危険なフラグを立てるのはぁー。はあ、このジャンルは学園ミステリーだったのか。私はがっくりと肩を落とした。
私は図書館に入ると、受付カウンターを窺いながらすぐ近くの棚から適当に本を取る。図書館司書は三人。うまく水無月さんに当たるようにしなければ。タイミングが重要となる。暑くもないのに緊張で額に汗がじわりとにじむ。まるで恋い焦がれる相手の出待ちをしている気分だ。ああ、むしろそんな可愛いものだったら良かったのに、などと暢気に考えている場合ではない。
――それ今だっ。水無月さんの受付カウンターが空くのを見るや否や、私は気持ち音速レベルで素早く彼女のカウンター前に立った。彼女はシュンと風を切って(心の中の効果音)現れた私に気付くと、一瞬びくっとしてその美しい顔を引きつらせたものの、すぐに小さく会釈した。私も会釈を返し、あらかじめ用意していたメッセージを添えて本を渡す。ううっ……何という緊迫感。
水無月さんはメッセージに気付いたようで、顔を上げて私を見ると、一瞬動揺の瞳を見せた。だが、すぐに平静を装って手続きを終えると本をこちらに渡して、私は本を持ってそのまま図書館を出た。
「はあぁ、苦しかった」
私が大きなため息をつくと、悠貴さんがお疲れ様と労ってくれた。
「どうだった? 水無月さん、メッセージ確認してくれた?」
「うん。ちょっと動揺していたように思うわ。かなり怪しいわね」
「そう。じゃあ、後は彼女を待つだけだね。とりあえず空き教室で待っていようか。――あ、借りてきた本、持つよ」
そう言って悠貴さんは私が持つ書物に手を伸ばしたかと思うと固まった。
「え、と。それ、晴子さんの、趣……えー、っと。しゅ、主義?」
そういえば、適当に取ったから何の本か知らないや。何だったんだろう。
題名を確認すると――。
『さあ今日から早速観察してみよう 彼氏にこの仕草が出たら要注意』
『彼の行動が怪しいなと感じたら陰で実行する30のこと』
『目には目を歯には歯を 男ゴコロに突き刺さる毒針セリフ集:初級編』
『復讐マニュアル ~持ち上げて突き落とそう ギャップであの人の心もイチコロリ☆~』
学校の図書館に何という猛毒本を置いているんだ……。男性ならきっと本に触れるだけでココロが壊死するだろう。そして無意識にそれを選んでしまった私。……え、悠貴さん。何ですか、その表情。違うんですよ、たまたまなんですよ。あれ、もしかして私、人格疑われてます? 何もこれを実行しようとか露ほどにも……。
私と悠貴さんはお互い微妙な表情を浮かべて、無言のまましばらく見つめ合った。




