三
「よぉ」
口に含んだ金平糖が少し溶け、とげとげしさが無くなって丸くなった頃、突如静寂が途切れた。
水音をかき消すように響いたのは、かさりと開いた簾の音と、低い男の声。
手を冷やす水面ばかり見ていた白亜は、どかどかと遠慮なく入ってくる足音へと視線を上げた。
薄墨色の狩衣姿の大柄の男がいる。本来身をまとうべき色からは少し離れた色の狩衣は、男が白亜の家である白家を尋ねる時に好んで着る色のものだった。
曰く、「郷に入っては郷に従え」――本来の自分の格好が、ここでは目立つのが気に入らないらしい。
「まだ起きてたのか」
「良くお越しくださいました。黒曜様」
妙に感心したような表情を黒曜が見せるのは、白亜が夜更かしを不得手としている事を知っているからだ。いつもならとっくに夢の中。それを分かっていて尋ねてくる黒曜も、考えればおかしな話であるが、それほどに急ぎで頼みたかったのだろう。
幼子の所に尋ねて来たにするには時間が遅すぎる。今の時間にもし訪ねる者が居たとすれば、一般的には逢引中の男が意中の女の所へと通う者だろうか。
だが、白亜はまだ娘にはなっていない、裳着前の少女。対する黒曜は、彼女とは血のつながりもない相手だった。
顔を上げたまま、白亜の手は変わらず水面を波立たせていた。手を止めるわけにはいかないからだ。
白亜の隣に腰を下ろした黒曜の姿に、白亜は少しだけ居心地が悪くなる。
急いで取り掛かった故に、寝間着である白小袖のままだったからである。娘ではなくとも齢は十五で、恥じらいはあるのだ。文に書かれていた文面からは、今夜黒曜が白亜の所へ行く余裕が無いようだと読み取れた。だからこそ寝間着姿のまま取り掛かったというのに、これでは嫌がらせである。
「今宵は忙しいとお聞きいたしました」
「あん? まあな」
誰に聞いたのかは聞き返さずとも黒曜の方が分かっている。白亜の下に早文が届けられたという事を黒曜はすぐに理解したに違いなかった。
互いに立ち並べば黒曜の胸ほどしか高さの無い白亜との身長差は、座り並んでもやはり大きかった。がっしりとした身体つきは文官のものではなく武人のもので、白亜が初めて対面した時から体格は全くと言っていいほど変わっていなかった。少なくとも狩衣をまとった状態の黒曜の姿は昔と変わらないように見える。痩せもせず、太りもせずに体形を保つのは、黒曜にとっては大切な事に違いない。厳つい顔つきも体格同様、昔と変わった様子は見られなかった。童女だった白亜が成人できる年の頃になるほどに年は経過しているというのに。
「じゃ、そりゃうちにあった菓子か」
こんな時間に食うと太るぞ、と続けた当人が、ひょいと手を伸ばして一つを己が口へと放り込んでいた。
「甘ぇな」
顰めた所為で厳つさを増した黒曜を眺めていると、黒曜はもう一つ金平糖をつまむ。
最初のは薄紫色、次のは桃色。
白亜が先ほど食べた金平糖は白色で、砂糖の味しかしなかった。他の物も色を付けただけのものならいいが、色ごとに味が違うのなら混ざりはしないだろうか。甘いものをあまり好まないらしい黒曜にとって、それは苦痛ではないのかと問いかけに開きかけた白亜の唇に、桃色の金平糖が触れた。
以降更新ゆっくりに。
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