3.イスメトスラギルの誓い
「将軍殿、二回目の攻撃の指示を」
テントの中で直立し、戦場を眺める将軍に指示を仰ぐは老軍人ギリードである。昨日の曇りが嘘のように晴れ、日差しが降り注ぐ。
将軍は軍人の嗜好品の茶を一口嗜んだ。将軍は黙ったままであるから、ギリードはもう一度繰り返し聞こうかと考えていた。指示をすべき場面でしないのは、将軍としてはけっしてよいことではないのだが、まだ戦場は静かであった。
「将軍殿――
「馬と、旗を用意せよ」
ギリードは将軍の指示の意味がわからなかったが、すぐに準備した。旗は当然八芒星であるが、馬はヤドセガとか名前のついた、一等馬である。
「城の兵はこちらを見ているであろうか」
「はい、どうやらそのようです」
それから将軍はギリードと四人の軍人をつれて、城の近くの、攻撃を受けないところまで来た。それまでずっと将軍は一言も発しなかったので、五人の軍人は不安であった。城兵はこちらに気づいた様子である。将軍はギリードに今から言うことを交信しろと言った。ギリードは交信の技術、旗は扱えなかったため、アルセンブラという若い軍人にやらせた。
「これ以上の交戦は無意味である。我々は貴方と講和をしたい。城を開けるように」
アルセンブラはすぐに旗を持ち、交信を始めようとしたが、ギリードがそれを制止した。
「なりませんぞ、将軍殿。リュギアと講和など――
「ギリード、これは将軍の命令であるぞ、お前はこの私にはむかうというのか」
ギリードは口をつぐみ、抗議の目で将軍を見た。将軍はアルセンブラに交信を続けるよう言った。
城兵はその交信を確認すると城内にいる、リュギアの王のもとへと伝えにいった。
将軍の位置からその城兵が見えなくなると、ギリードは考えを改めるように将軍に対していったが、将軍はそれをほとんど無視し、リュギアの王の使いを待った。しばらくするとギリードは話をやめ、他の軍人と同じように放心状態に入った。
門の前にいる城兵が叫んだ。
「ライトヴィッツの将軍、城内に入れという、王の命令が出た」
将軍と五人の軍人は城内へと入った。
「あれ、今日はどこか行くんですか、ミコラスさん」
シニヤは朝食を食べたあと、上着を羽織ったミコラスに言った。
「今日は、そうだな、そのへんを散策しようかと」
アルによれば、シニヤはすこし嫉妬深いところがあると言われたのを思い出し、嘘をついた。
本当のところは魔女に会いに行くのであった。場所についてはアルに教えられていた。森の奥である、村からはすこし離れており、ミコラスにはこの魔女というのが隠者の類であることがわかった。
ミコラスは小さいころから魔法に興味があったのだ。あるとき一人で郊外の森に入り、好奇心で魔法使いに会いに行ったことがあったのだが、その魔法使いというのがかなりの老人で、しかもいままでに会ったことがないほど気難しく、恐れをなしてすぐに逃げ出してしまったのだ。
しかし、ミコラスは自分が魔法使いになりたいと思うことはなく、それが無理だということもわかっていたのだ。彼は魔法についての本を何度も読み返したが、まったく理解ができなかったのだ。
特に、イディッドの人間には魔法とは難解なものであった。
気づけば森の中である。ミコラスはアルに言われたように歩いていた。すると前方から声が聞こえてきた。
「八芒星、お前はあの飛行船に乗っていたか」
ミコラスには姿は見えなかったが、それが魔女の声であると予想できた。ミコラスは前方に声をかけた。
「私はライトヴィッツから来た、あなたが魔女か」
返事がなかったため、彼はあたりを見回した。小屋が左前方に見えた。
小屋はかなり昔からそこにあるような雰囲気であったが、丈夫にできており、損傷などは見られなかった。彼はその小屋が、近くにあるにもかかわらず、声に気をとられてか、今まで気がつかなかったことが不思議であった。 彼はそこへ慎重に入った。
その小屋には一人の女性が椅子に座っていた。おそらくこの人が魔女であろうと思った。意外にもその女性は老人などではなく、若かったのである。 しかしミコラスはシニサのような、腕白さというか、はつらつとした若さではなく、血の気の無い印象を受けた。
「私は魔女ギヨメルですとも、ここは誰に聞いたのかな」
魔女はしばらく誰とも話をしていないというような、抑揚の無い話し方をした。
「私はミコラスです。ここはアルに聞きました。彼とは知り合いだそうですね」
彼女はしばらく彼から目を離し、思いつめたような表情をしていたが、彼女はなにも思いつめてはいなかった。
「一昨日の夜の雲はあなたが出したと聞きましたが」
彼は、この魔女がもしかしたら、昔あったことのある魔法使いの老人のような、気難しく、自分のような人間、イディッド人の話しには敏感に反応をしてくるかもしれないという不安から、慎重に言葉を選びながら話した。
「リュギアの王から頼まれた。まあ座ればいい」
彼は椅子に腰をかけたミコラスはギヨメルの方を向いて座ったのだが、ギヨメルはミコラスの左側にある窓のほうを向いて座っていた。そしてギヨメルは先ほどとは違って、本当に今から話そうとしていることと、この青年について考え込み、しばらく間を置いてから話を始めた。
「私は、この、戦争には心を痛めているとも、前にこのあたりの上空で飛行船が難破してね、打ち上げられたのは死体ばかりだったよ。うん、確かに彼らは文明に甘んじたイディッドの、神の怒りに触れるようなやつらだとは思っているけれど、やはり心が痛む」
ミコラスもその事件については知っていた。
昔読んだ魔法についての本にもイディッドとか、フロンチェッドの文明について批判していた気がした、そこが彼の、魔法に対する理解を阻んだ項目だったのだが。ギヨメルは続けた。
「いや、私はその、文明について嫌気がさして、イディッドから文明より精霊の力の強い、アークマッドのハイロートに移ったのだけれども、ここもやはり、文明に汚染されている。まあそれは国防上仕方の無いことなんだと」
ミコラスはここから逃げ出しそうになっていたが、我慢して、自分の教養を深めようと努めた。
「お前は歴史を勉強したことはあるか」
ギヨメルは突然質問をした。
「ええ、あります」
「そうか、私は、古代イディッドとフロンチェッドは文明に大きく傾いたために、滅んでしまったのだと記憶しておるが、どうだったかな」
ミコラスは、古代史についてはよく勉強していたのだが、そのような話は聞いたことがなかった。
「古代フロンチェッドに文明がさかえていたというのは知っていますが」
「ああ、そうだ、イディッドも、イディア王国が滅んだのは文明の成れの果てだ。そんななか、アークマッドは精霊の力が強く、ここまで続いてきたわけだけれど、この様子では滅ぶのも時間の問題かな」
これはミコラスにとってすこしばかり言いづらいことであったのだが、彼は質問をしてみた。
「アークマッドが滅ぶというのは、戦争で滅ぶのですか」
ミコラスは出征前まではリュギアを滅ぼそうと考えていたのだ、なにしろ彼は戦争でアークマッドが滅びることを心配するように言ったものであったから、これは皮肉か、おかしなことであった。
「戦争かもしれないし、そうではないかも。とにかく、イディッドとフロンチェッドのような道をたどるようになる。歴史は繰り返すというから、当然の流れかもしれない。しかしイスメトスラギルがいたならば……」
ミコラスの視点はいままでギヨメルの椅子の足辺りにあったのだが、急にギヨメルの顔のあたりに視点を移した。このはっとさせられる動作には、無頓着なギヨメルも気づいた。そして彼はすこし大きめの声でしゃべり始めた。
「イスメトスラギルと言いましたか」
ミコラスはその言葉に聞き覚えがあった。彼はうまく思い出せなかったのだが、これをはじめて聞いたのは、幼少期のことであったように思えた。確かに、その言葉は彼の頭の中にずっとまえからあったものであった。
「ううん、古代イディッド語であるけれど、翻訳は難しい。この世界には、たとえばフロンチェッドのエンジニアのような文明の人間もいる。アークマッドの魔法使いのような精霊の人間もいる。でもどちらかが偏りすぎてはだめなんだ。とにかく、その文明と精霊の天秤が倒れないようにする人のことかな。」
ミコラスとギヨメルの間に沈黙が続いたが、ミコラスはなにか合点がいったように、立ち上がった。
「今日はありがとうございました。私はもう行かせてもらいます」
彼は戸口へと歩んだが、何かを思いつき、振り返りすこし野暮なことを言った。
「アルとはどのような関係で」
ギヨメルはすこし笑顔をこぼし、秘密だと言った。ミコラスの見た初めての笑顔であった。
リュギアのエーゼル城では、長いテーブルの扉側に八芒星軍の将軍をはじめ、ほか五人の軍人が並び座り、リュギアの王を待っていた。ギリードは将軍に対して何か言いたげであったが、黙っていた。
「このたびは講和をしたいとか、言っておったか」
リュギアの王マスタファーが将軍の左奥からあらわれ、将軍の正面に座った。その後、リュギアの重役がその両脇に座った。お互いに紹介をすませ、将軍が話を始めた。
「私がこの講和を持ちかけましたのは、この戦いは無益であると思ったためであります。我々はこのままこの城を攻め、落とすこともできるでしょうが、それはこちらも多くの兵の命が失われることになるでしょう。そこで、我々が占領したこのアルコナからエーゼルまでを手放し、撤退することができます」
ギリードと、ほかの軍人までもが、自分の将軍に向かって異議を唱えたが、将軍は続けた。
「条件は、飛行船拿捕をやめること。これはもちろん我々もやめましょう」
リュギアの重役の中にも不満なものはいたが、八芒星軍のほうは怒りが収まらないといった様子のものもいた。ギリードは将軍にリュギアにも聞こえるような耳打ちをした。
「このまま行けばリュギア一帯をライトヴィッツの手の内に収められるでしょうに、どうして……」
将軍はギリードのほうは向かずに言った。
「今、アカムド王国の援軍がこちらに向かっている。自分の属国が他国に攻められているのですから」
これはリュギアにとっては秘密事項であったためか、リュギアの重役たちは聞こえないふりのようなことをしていたが、マスタファーが口を開いた。
「さすがゴットハルト殿、やり手と聞いておったが、鋭い。ああ、いいだろう、その講和に合意しよう」
将軍とマスタファーは握手をかわしたが、あいかわらずギリードをはじめとする、腹の虫が治まらないものたちは、自分の主または講和相手を睨みつけている様子であった。