1.八芒星をかかげる者たち
――陛下、我ら八芒星軍は我が君、ミンダウガス王の栄華を極めるべく、そして正統な神の時代を迎えるべく、あの忌まわしい邪神徒どもを討ってまいりましょう。」
ヴォルタ城に八芒星軍の将軍ゴットハルト・リッターの声が響く。
ヴォルタは王国の首都である。そのヴォルタ城には煌びやかな装飾がいくつもが施されており、荘厳さを演出している。王座に向かって右と左に偶像がいくつも並んでおり、城は教会でもある。そして王のそばには司教が立って、周りの人間を威圧している。
将軍は司教と目を合わせてしまった、すぐに目をはずそうとしたが、司教は咳払いをし、彼に向けて自分の右手にはめている八芒星があしらわれた指輪を差し出し、将軍に忠誠をさせようとした。将軍は期待に答えるようひざまずき、指輪にキスをした。
将軍の正面にはミンダウガス王が座っていた。いつもなら王の背後から光が差し、王の神聖さを表しているのだが、そのときには城の照明以外の光は差さなかった。王の顔は老けており、神聖というよりは老人の貫禄があるといったふうであった。
ミンダウガスによって組織された八芒星軍は、王国と何度も衝突を繰り返している異教の神徒、リュギアを討つための軍である。そのほとんどが志願した兵であり、王国を王を愛する、または神に忠誠を誓い邪神徒を憎んでいると自認しているものたちである。または名誉金欲下心も。兵はバラバラで統一感がなかったが、士気だけは高い様子であった。
ゴットハルトは長い挨拶を終えると同じく長い廊下をわたり城を抜けた。
彼は立ち止まり、西の太陽を見た。正面に視点を戻し再びかつかつと、いかにも位の高そうな、将軍の自信に満ちた歩きをした。それは周りの兵士の士気を高めるのにも一役買っていた。
異教の地までは一晩かかるので、今から出発すればちょうど明日の夜につくことになる。夜襲を提案したのはゴットハルトであった。
そうして彼は一万の兵を率いて四十隻の飛行船のひとつの戦艦に乗り込み、自分の配下の者に声をかけた。彼らは今回の戦いで戦果をあげるべく、ずっと前から準備をしてきおり、出世欲に燃えていた。
しばらくすると、多くの兵士の耳にミンダウガスの楽隊の演奏が聞こえた。兵士たちは鬨の声をあげ自らを鼓舞させていたが、彼らの将軍はすでに飛行船の自室に入っていた。飛行船の外の飛行場では、ヴォルタの野次馬や兵士の家族などが見送りをし、飛行船は離陸を始めた。
ヴォルタの地を離れ、安定した飛行に入った。下は雲で覆われ空は太陽の最後の光がまもなく消えようとしている。隊列を乱さずに同じ速さで飛行している。先頭はゴットハルトが船長の戦艦ヨガイラである。各船何名かの戦闘に加わらない乗務員は忙しくそれぞれに与えられた作業をしていた。
ゴットハルトは椅子に座り、机に向かうと、自室に彼の右腕と兵士たちに評価されている将校のミコラス・イーデルマンを呼んだ。ゴットハルトの利き腕は左であった。
将校が部屋に来るとゴットハルトはおもむろに彼に向かってしゃべり始めた。
「我が兵はここ数年で最大の規模だが敵の兵力はどれほどと予想できるか」
「せいぜい我々の半分でしょう」
ミコラスは敬虔な神徒で貴族であったが、八芒星軍に自分から志願した男である。神徒としての良心を持ちながら、戦争には躊躇をしない青年だった。
「我々の八芒星飛行艦隊は戦艦が八隻、残りは上陸用の飛行船であります。リュギアはそれほど大きな戦艦を持っていないので上陸さえすれば勝てるでしょう」
――リュギアの戦艦に勝てるか」
将校は肯定した。王国はリュギアにスパイを送り込んでおり、情報はほぼ間違いない。リュギアは八芒星飛行艦隊と同じく八隻の戦艦を持っているがどれも小さかった。八芒星艦隊は戦艦に加え敵艦に乗り込める船もあり、この情報を知る兵士はほとんど勝ちを確信していた。
空はすっかり暗くなり、航空士たちは地図と星と見比べ、ほかの船と光を使って交信していた。艦隊は問題なくすすんでおり、それぞれの船の夕食を終えた兵士たちも就寝の準備をしていた。
戦艦ヨガイラでは将校のミコラスが甲板で下を眺めていた。暗く、将校はよく見えなかったが、下は未だに曇っている様子であった。雲がない日は星の光が海に反射するので、晴れているのがわかると彼は知っていた。彼は小さいころ、父によく飛行船に乗せてもらっていたのであった。
将校は明日のことを考えていた。ちょうど今頃、リュギアの地、アルコナ海岸に飛行船を着陸させ、上陸をさせるのだ。電撃戦となる。戦艦で敵要塞を攻撃し、兵士に占領をさせる。
――ぬかりはないか」
将軍にそう言われた。将校は細かい作戦の調整をおこなったひとりである。兵站は、情報は、この作戦はばれていないか、奇襲は――
もはや考えても仕方なしと思った。彼には将軍に進言するだけの影響力があったが、将校は寝ることにした。彼は階段を降り、ハンモックに横になり、すぐに目を閉じた。
そのころ将軍はひとり、部屋で自分の軍刀を磨いていた。将軍にまで登りつめた彼にもはや出世欲はなかった。彼にあるのは王、そして神に対する忠誠であった。
私はあなたのため、死に灰になるまで力をつくしましょう
この戦いは多くの兵が死ぬ、我々の兵もリュギアの兵も
私に大儀はあろうか、神よ……
次の日も曇り。王国の多くの人間にとって、曇りは悪運の象徴であるため、兵士たちは空を不安げに見下ろすのであった。彼らは戦いに望む、常態とは違った精神状態にありながら、いつもの、軍に参加する前のある種の不安や、悩みを捨てきれずにいた。
ある者は農民であった、親族に畑を任せてきたものである。下は王国とリュギアの地の間にある海だと知りながら、まるで下で親族が農作業をしているように感じるのであった。
また、ある者は商人、盗みに入られてないだろうかとか、毎日買いにくる老人のことさえも気になってしまうのである。
これらの者たちは非戦闘員が多かったが、兵士もいた。他に仕事を任せた者もいるにせよ、ほとんど、仕事を、生活をなげうってきたのである。作戦が成功すれば短期間で帰れるかもしれないが。もし失敗したなら。仕事を任せられた者や、かごをもった常連の老人は、帰ってこないかもしれない、ほとんど丸腰の働き者をどう見送っただろうか。
その働き者たちにとって、街の張り紙の、聖戦と書かれたそれは魅力的であった。者によって、その魅力はさまざまである。報酬や、名誉、神徒として。いや、その神徒たちにとってこれは義務とも感じられる、自分の、生まれながらの使命だと。
そして、軍人である。彼らは親から、または王から与えられたその職業に満足しているのであった。彼らには敬虔な神徒から、そうでないものまでいる。しかしそれに関係なく、理由はそれぞれ違えど、皆同じように仕事に尽くすのであった。
彼らに街の張り紙は必要なく、必要なのは大儀と命であった。そしてその両方とも、王から、民から、もしくは神から与えられているように感じていた。しかし戦争は彼らにとって、出世の足がかりであり、名誉や富の源であったため、それらの理由のようなものは煩わしく、後付けでよいと考える者も一部いた。
ゴットハルト・リッターは、彼こそ将軍にふさわしいと評判であった。特に、自分たちに楯突くような事がなく、家の出もよく、従順な軍人であるとして、特に貴族たちに気に入られていた。
イーデルマン伯爵は彼の評判を信じ、戦争へと向かおうとする息子ミコラスを彼の元につけさせたのである。将軍は快く承知したが、それを貴族の子守などと馬鹿にするものはいた。彼はそのころの兵法をすべて心得ており、剣も上手で、銃も扱えた。ミコラスの有能さが知れ、ゴットハルトの右腕それか頭脳などと言われるようになり、たちまち他の軍人が羨むようになった。ゴットハルトの利き腕は左であったが。
飛行船に乗り、戦争に参加する貴族はミコラス・イーデルマン将校ひとりであった。勝利した果てに功労者として称えられるのはまず将軍、そして次に時の王、ミンダウガスである。当然、彼は実際にリュギアとして戦うのではない。しかし八芒星軍は彼が組織したのである、この作戦の決行を支持したのも彼であったから、その功労は多くの人から認められることになる。貴族のミコラスも、そのようにして戦争に参加することができたのだが、彼は戦地へと向かったのである。
これは多くの者に馬鹿にされたのであった。貴族に不満を持っていた者は彼を支持したというが。
「戦争について論議する貴族に対し、君らが戦地に行けばいいじゃないか、などと言うのはまったくもってナンセンスなことである」
とはイーデルマン伯爵が息子を説得するときに言った一言である。また、
「ブルジョワの息子特有の、世間にたいする、いや、親に対する不満か、あてつけか」
とも伯爵はいったが、ブルジョワの息子特有の不満とは、それこそまさにナンセンスだとそのとき息子は思った。第一、伯爵はブルジョワではなく、れっきとした上流階級であった。
しかし剣と銃を習わせ、本を読めと進めたのは父であった。兵法を選んだのは息子であったが。そして信仰心も同じく父からであった。彼を突き動かしていたのは紛れもなく神徒としての信仰心であったのだ。
兵たちの士気は依然高いままであった。今夜、それが戦争の始まり。武器の手入れを念入りにして、剣を振るい、ただそわそわして、落ち着きがない様子である。
兵士たちはもはやここは敵地の海の上空だということに気づいた、いつ襲われても不思議でない場所だと。しかしその不安は特に理由もなしに強い将軍がいるということでやわらいでいるところもあった。戦艦ヨガイラ以外の飛行船でもそれは同じであった。
しかし、いまだ下界の天候はかわらず曇りである。航空士や、その知識がすこしでもある者はこの雲が飛行に影響を及ぼすことは少ないと知っていた。ミコラスも知識がある者のひとりであったが、ただ下をながめているのであった。彼は直感とかその類のものが働くときがあり、この雲はいやな雲だと感じていた。
その彼に話しかけるものがいた。
「お前か、貴族のミコラス・イーデルマンとやらは」
貴族が相手にしてはずいぶんと粗野な言い方である。彼は腰に剣を持っているが、農民であった。
「下は曇りだが悪いことはなさそうだぜ、むしろ奇襲に役立つとかで」
「それはあちらも同じだ」
そのすこし博学で粗野な男は聞き返したが、貴族は同じことを繰り返し言わなかった。
「この天候じゃ相手もこちらに気づかだろうな」
彼は、やっぱりこいつは貴族だな、といったふうな顔をし、その場を去った。
彼がなぜこの戦いに参加したのか不思議に思ったりはしたが、将校はまた思想に耽るのであった。
――しかし、変だ、こんなに切れ目のない雲は
将校はその場を離れ、将軍と最後に念入りにミーティングをしに行った。
「リッター殿はおりますか」
彼は扉をノックして、そう扉に尋ねた。入れ、そう答えたのは扉ではなく、そのリッター殿であった。
「おそらくリュギアは今のところこちらには気づいていないだろう、うまく奇襲をかけられるぞ」
農民と同じようなことを言った将軍であった。そして将校は
「ええ、雲も味方してくれているようですし」
と言った。
そして二人とヨガイラの軍人たちはみっちりを戦術などの確認をして、その会議内容を他の飛行船にも伝えた。
だんだんと日も落ちてきたころ、戦艦ヨガイラにいる将軍は下降をするようにと他の船に伝達をする者に伝えた。各船で指示の旗があがる、いよいよ下降である。
準備を終えると、作業員たちは船をガス袋でつっているロープをのぼり、ガス袋の操作をし、操縦士は舵前にすこし倒した。すると左右に二つづつついている木と帆布でできた昇降舵が動いた。
戦艦ヨガイラから後ろをみると四十隻もの船たちが列をなしながら下降をしているのがわかる。
大勢の者が何かしらの物につかまって姿勢を低くしていたが、父親との飛行船の経験からミコラス将校はこれに慣れており平気で甲板でたっていることができた。まだすこし時間はあったが兵士たちの間には緊張が走った。
先頭の戦艦ヨガイラが雲に頭を突っ込み、完全に雲に飲み込まれると、次々にすべての飛行船がその後を追い、雲の中に姿を消した。霧で周りが何も見えなくなったため、飛行士たちはカンを頼りに下降を続けた。
戦艦ヨガイラがやっと低高度まで降りたとき、暗く青白い霧の中に、戦艦ヨガイラの兵士たちは赤い光を見つけたのである。吹き荒む風の音の中に大砲の音も聞こえる。
敵襲――
彼らはすぐに敵襲を他の飛行船に伝えようとしたが、霧の中でうまく伝えることができない。兵士たちはとにかくやみくもに大砲を撃ち、応戦を始めた。
将軍は同じように応戦をすべく大砲を撃つ味方の戦艦トラカイを見つけたが、たちまちそれは被弾した。舵が破損し、操縦の利かない船は的となり、戦艦ミンダウガスは全壊し、ただの木屑となり、霧の中にしずんだ。
将軍はこの中から脱するべく、砲撃を続けながら上昇するよう指示をした。操縦士はすぐに舵を切り、上昇を始めたが、船の後部を被弾した。操縦に問題は出なかったが、将軍は混乱の中、その砲撃によって、何人かの兵士が振り落とされるのを見た。
うまく指示が伝わらない中、何隻も飛行船が落とされた。必死になって他の飛行船と交信をしながら雲の中を抜けたのだが、ともに雲を抜けたのは戦艦ヴォルタと戦艦トラカイ、それと二十隻あまりの飛行船であった。
将軍は下に砲撃の光が見えるのでおそらくまだ戦闘をしている戦艦がいるのだろうと予想した。
――まだ上がらぬか」
そのとき、雲の中から飛行船が一隻頭を突き出した。その船体に描かれていたのは赤と青の角の紋章、リュギアのシンボルである。正面に姿を現したリュギアの戦艦に八芒星艦隊の三隻の戦艦は砲撃をした。
その砲撃を聞きつけたのか、次々とリュギアの戦艦四隻が姿を現した。
両艦隊とも飛行船を操り、並列戦となった。戦闘のできない飛行船は砲撃を浴びぬよう避難したが、兵士を乗せた飛行船は移乗攻撃をすべく敵飛行船に近づいた。
しかしリュギアの戦艦は砲撃のできぬのを見越し、距離をとりながら砲撃で撃破しようとしたため、将軍はすばやく戦艦以外の避難を命じた。
この移乗攻撃ができぬとなれば、戦艦同士の力の差で勝負が決まる。リュギア艦隊は現在四隻、八芒星艦隊は三隻なので、数では負けているが、飛行船の装備は八芒星艦隊のほうが上であるので、ほとんど互角である。
しかし戦闘が長引けばリュギアが準備を整え、攻撃が難しくなるため、兵士をのせた上陸用の飛行船を下へ行かせるように命令した。戦艦はうまくそれを補助するように動いた。
最後の船が雲に消えたころである。一隻の飛行船が雲から出てきた。
将軍はその船に描かれている八芒星を目にした。硬直常態にあった戦闘に八芒星艦隊の戦艦ペルクナスが加わったのだ。
将軍は勝ちを確信したが、同じようにリュギアは負けと思った様子で、撤退を始めた。
「行くぞ、神徒たちよ、勝利の八芒星をつかむのは我らなりぞ」
兵士たちは鬨の声をあげ、八芒星艦隊はリュギア艦隊を追い急降下をした。
八芒星艦隊はアルコナ海岸一帯を占領することに成功した。住人はすべて避難しており、この奇襲がばれていたことがわかった。
「イーデルマン将校を呼べ」
「それが……どこにもおりません。ある農民の男が、ヨガイラが被弾したときに落ちてしまったといっておりますが……」
そうか、ミコラスは死んでしまったのか。左腕を失った衝撃は彼には大きかったが、将軍たるものうろたえてはいけないと自分に言い聞かせた。
「他の被害はどんなものだ」
「他の、でございますか、戦艦四隻を含む飛行船十七隻と兵士約三千五百人であります」
多くの兵士を失ってしまった。
しかし、戦場で自分の体裁など気にしていられないのである。
そして将軍はリュギアの司令部、エーゼル城の攻略にかかった。