1.両親と嘘
1日1シーン、夜20時ごろ掲載です。
本作はドリンクバーを栄養源に制作されております。ローズヒップティが梅干し汁にしか感じられません。
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第二話 全てが嘘に変わった日
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1.両親と嘘
『キィ…………ガチャン…………』
あの亡霊洋館から現実世界へと一歩踏み出すと、そこは僕らの街[門部市]とは、似て非なる異世界だった。
…………いや、さすがにそれは言い過ぎだ。でも、それでも僕の知っているこの街とは、匂いも、風も、色合いも雰囲気も…………今までと全く同じはずなのに、何もかもが印象を変えてしまっている。
「……」
朱夏との出会いが、全てを変えてしまったのだと思う。現実世界に吸血鬼が存在して、しかも僕らの知る理屈に当てはまらない、不思議な力を持っている。この幽霊洋館こそ、その象徴だ。
だから僕の中にあった常識は、一晩にしてその大半が崩壊したのだ。退屈な予定調和に満たされていたはずの門部市は今、生まれ変わったかのような妖しい輝きを放っていた。
「……あ」
携帯端末の電源は、昨晩カフェ・カラミティで覚悟を決めてより、今、半日ぶりに起動することになった。
(……………………)
僕は無数の諸問題に今さら気づく。恋する朱夏と関係を結べて、僕の心は有頂天だっただけに、その反動はそれなりに大きく、面倒な形で気をもませた。
まず、現在時刻は午前8時52分。つまり完全に遅刻だった。そして携帯端末には実に28件にも上るメールがあふれており、その数字も億劫ながら、差出人も目を背けたいものばかりだったのだ。
(須田さん2…………菊池沙羅2…………妹の遙4…………幸介兄さん5…………父さんと母さんからが…………15件か…………)
まず家族からのメールに目を通す。最も読みたくないものだからだ。内容は塾を勝手に休んだ僕を叱るもの、帰宅しない僕を叱るもの、連絡をするようにたしなめるもの、それら僕の反抗行為への罰則を、逐一通告したものだった。
こづかいの減額、ゲームや本、その他の私物の没収、勉強時間の懲罰による追加、デザートや菓子類等の飲食禁止。……子供の都合なんてものは、どこにも配慮などされていない。
「……」
軽いめまいのようなものが思考力を奪い、僕はぼんやりと画面を眺め続けていた。どうしてか、うまく焦点が合ってくれない。
「何だろな……これ…………」
何だろう。以前の僕なら、両親のその独裁的な罰も、正当な教育手段なのだと納得していただろう。でも今は…………ほんの少しだけ違和感を感じるようになってしまっている。
(…………須田さんはおいておいて、沙羅には無事の連絡を入れておかなくちゃ…………気乗りがしないけど……両親にも……)
学校へと歩きながら、僕は菊池沙羅へと簡単にメールを送る。
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件名:昨日は……
色々あって、とにかく学校に着いたら話すよ。
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それからあのガード下をくぐり、リバティの隣を通過した。両親へと電話しなくてはならなかったが、しかし僕は逃避をするように須田さんにも返事を打った。彼の期待しそうな言葉を選びながら、友人としての親愛や愛想も多少は含めつつ。
…………。
……。
「オバさん、メンチカツ1つ……いや、二つとコロッケ一つちょうだい」
「おや、政くん今日は遅刻かい、体調でも悪いの?」
(確かにちょっと体調悪いかもしれない…………というより、何だか…………妙にひもじい…………そういえば朝ご飯まだだったな……)
そしてあえて少し遠回りして、その裏通りにあたる肉屋へと立ち寄り、その軒先で腹ごしらえをした。
「ちょっと寝坊しただけだよ」
「そうかい、じゃあちょうど良い朝ご飯だっ、あっはっはっ、それ食べて学校いきなよっっ!」
オバさんは豪快に笑う。コロッケ50円、メンチカツが60円。コロッケは栗のように甘く、メンチカツは大きく食べごたえがあった。おかずは朱夏が名残惜しむように少量分けてくれた、ドライフルーツのクッキーだ。……極めて甘い。
「………………」
モソモソと食べながらふと思った。彼女に血を分け続けるならば、血液を作り出すタンパク質やミネラルをもっと補給しなくてはいけない。というより…………これじゃ足りない…………僕は無性に飢えていて、さらにコロッケとメンチカツを一つずつ注文し直した。
「それじゃオバさん、ごちそうさまでした」
「おそまつさまっ、いってらっしゃい!」
それでも僕の空腹は満たされなかった。彼女に沢山吸われてしまったせいで、身体が栄養を求めているのだろう。けど…………自分の身体はこんなに回復力があって、健康だったろうかと疑惑も芽生える。
………………しかしそれはともかく、僕はとうとう両親へと連絡を入れなくてはいけなくなった。裏通りを抜けて、ちょうど交差点で赤信号にぶつかってしまったので…………やむなく重たい気持ちで携帯端末を操作した。
「……母さん?」
「……政…………今までどこで何をしていたの?」
四度目のコールで母さんは電話に出た。いきなり責めるような口調で、僕はとがめられる。
「……………………」
「……とにかく無事で良かったわ。無事なのよね? 怪我はしてない? どうして電源を切ったの、あなたを遊ばせるために持たせてるんじゃないのよ」
それによって僕が沈黙してしまうと、母さんはまるで、取り繕うかのように心配してくれた。いや、心配するふりをしているのだと、なぜか今日の僕には理解できてしまっていた。
「ごめん、実は貧血で倒れてしまったんだ」
「貧血…………?」
「それで、通りがかった親切な人が僕を助けてくれて…………そのままその人の家で眠り込んじゃったんです。ごめんなさい」
僕は嘘をついた。事実を伝えるわけにもいかなかったし、それに両親への嘘は驚くほど気持ちが良かった。どうしてこれまで、もっと嘘をつかなかったのかと自分を疑うほど。
「嘘だな」
すると電話先は沈黙して、同席していたらしき僕の父親がそれを引き継いだ。低く厳しい声で、きっぱりと息子の訴えを否定する。
「…………父さん……嘘じゃないよ、本当に体調が悪かったんだ」
「ならなぜ電源を切ったんだ。母さんも言ったが、それはお前のオモチャではない。父さんと母さんが、お前を…………安全に管理するためのものだ」
また、違和感を覚えた。それが何なのかはわからない。
「……………………」
わからなくて、僕はとっさに言葉がでなかった。いつもと違う反応を両親に見せてしまっている。これでは疑われてしまうと遅れて気づく。
「ごめん、僕が悪かったよ」
「…………わかればいい」
「ごめん…………」
ただ、わからないのは当たり前だと思った。だってこれが、僕と両親との当たり前なのだから。その当たり前に違和感を覚えている。そして、それは絶対に悟られてはいけないのだと、直感的に僕は確信した。
「本当に最近疲れてるんだ…………しばらく塾とか水泳休んでもいいかな、父さん…………」
「ふん…………なるほど…………」
彼へと懇願すると、どこか冷たい声で父さんは納得した。そして電話口の向こうで、母さんと何かを相談している。
「今日は真っ直ぐ帰ってベッドに入りなさい。三日だけ休んで良いわ」
そして何のことわりもなく母さんに交代して、一方的に僕へそう命令した。信じてもらえたのだろうか。僕には二人が何を考えているのかわからない。
「遅れた分は後日、家庭教師をつけます。いいですね?」
「…………ありがとう、母さん、父さん……」
「早く学校へ行きなさい。必ず真っ直ぐ帰ってくるのよ」
「はい……」
母さんは一方的に通話を切った。
「…………はぁ」
僕は重たくため息をついて、頭上を見上げる。7月の空は晴れやかなはずなのに、ねっとりと肌へと湿気がへばりついて不快だった。かなり遅れて、自分が信号機の前で呆然と立ち尽くしていた事実に気づく。
「……」
確かに違っていた。でも違っていたのは世界じゃない。あの亡霊洋館で、僕の何かが豹変してしまったのだ。
「「両親への敵意」」
(…………!!)
その時、僕の耳元に彼女の昨日の言葉がリピートされた。
(………………………………)
僕はやっと気づいた。僕はあの両親を嫌っており、抑圧や命令から解放されることを望んでいると。しかしそれと同時に僕には…………まだ逆らいようのない、強烈な呪縛がからみ付いていることも自覚した。
(僕は彼らから逃れることが出来ない…………)
長い時間をかけて僕の精神に根付いたものが、たった一晩で消えるはずがなかった。
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本作はスカイラーク・ガストで、主にミートドリアでも食いながら制作されています。