2.噂の真実
1日1シーン、夜20時ごろ掲載です。
本作はドリンクバーを栄養源に制作されております。
2.噂の真実
トリコロールの西空は濃紺へと染まり、世界はまもなく夜へと浸食されようとしていた。往来には通勤車両がひしめき、いくつもの路上駐車が交通機能を麻痺させている。
「……」
排気ガス臭いそのガード下をくぐり、僕はゲームセンターのリバティを目指した。だがその経路に、噂の女子生徒の姿はない。
(まだ早いのかな……いや、僕は何を期待している…………何をしようとしているのだろう……)
ガード下を抜けて、もうじきリバティへと到着しそうだった。気味の悪いそこを抜けたことに内心ホッとして、反面、やっぱり残念なものを感じている。
(今日は…………)
警察官とすれ違った。今日はいつもより多いような気がする。自分たちを守ってくれるはずのその存在は、しかし治安の悪いこの街の象徴でもあった。彼らのパトロール姿を目撃するたびに、僕は不穏な匂いを放つ、この駅前の夜を強く強く実感する。
(少し時間をつぶして…………それから…………それから僕は何をするつもりなのだろう……)
安っぽい青と紫のネオン。アミューズメントスペースリバティの看板は、薄汚れて、ぼろっちく、7月初頭という季節もあってクモの巣と飛び虫にまみれていた。
ゆっくりとしたその自動ドアは、空虚なにぎわいと共に僕を店内へと歓迎する。客足はまばらで、僕を含めて10人に満たないというのに、環境音だけが騒がしい。
「…………」
(まるでサーカスみたいだ……)
どこかもの悲しい。アミューズメントマシンは機械仕掛けのピエロのように、無感情に僕へと群がって気分を盛り上げようとしている。
「……………………」
「………………あ、とれた」
しばらく店内を物色して、UFOキャッチャーへとコインを投入した。何気なしに、ただ無欲に無気力に漠然とアームを操作してみると…………うかつにも、欲しくもない人形を学生カバンへと押し込むことになった。二等身の、あまり僕のセンスじゃない小人の人形だった。
「……」
そんなこんなで、店内へと15分ほど滞在した。トイレで髪の毛を整えて、ブレザーの埃を払う。須田さんの欲望にまみれたメールに律儀に返信して、それから店を出た。
(………………そろそろ……いいかな……)
リバティから出ると、世界はシンと静まり返っているかのような錯覚を覚えた。車のエンジン音すらもやさしく、エアコンの室外機の音だけが妙に耳へと残る。
「…………」
(ただの都市伝説に、僕は何を期待しているのだろう……。あのガード下をもう一度くぐり、カラミティの前へと戻ることが出来たら…………やっぱり塾へと向かおう)
そうすれば、遅刻にはなってしまうが、少なくともその噂が嘘へと近づく。菊池沙羅に触発された僕は、内心がっかりとしながらも、退屈な学生生活へと戻ってゆく。
「……」
意を決して、僕はカラミティを目指してガード下へと歩み始めた。
週五日、一日平均三時間前後の塾生活。水泳の習い事。部活動をしたことは一度もない。両親は勉学を優先することを望み、それらは小学校低学年からずっと変わることなく続いている。
(でも、そんなものは誤差でしかない。そういう家庭に僕が生まれただけで、特別異常な環境というわけじゃない。いや、急に何でこんなことを考え始めたのだろう…………)
僕には兄と妹がいる。しかし僕だけが期待され、僕だけがこんな息苦しい生活を強要されている。両親は僕にだけ冷たく、それなのに熱心だ。
(もしかして…………これって……異常……? 正常と、誤差は、一体どこで線引きすれば良いのだろう……)
ゾワゾワと、ドス黒く重たいものが胸へと広がった。その正体を、これまでの自分は把握することが出来なかった。でも、不思議と今夜の僕にはわかる。それは……。
「両親への敵意」
「…………え……」
我へと返ると、僕はガード下の中央にいた。車の通るそこは空気が悪く、夏の湿気が一挙に集まってくるような場所だった。
「…………」
「……」
今、言葉を放ったのは彼女だろうか。立ち止まった僕の真横には、南校の女子生徒の姿がある。ゾクリと悪寒と冷や汗が流れた。まるで幽霊に出会ったかのような気分だ。
「……今、何て言いましたか?」
「…………」
彼女へと振り返り、おそるおそる言葉の意図をうかがう。
「……両親が嫌いなのね」
「……………………」
都市伝説の彼女は、確かに魅力的な女の子だった。ロゼカラーの赤く長い髪はふとももの上部まで伸びて、前髪は人形のように切りそろえられている。
「ぁ…………」
暗がりに浮かび上がる白い肌は、シルクのようにきめ細かく、唇はバラの花弁ように華やかで瑞々しかった。
(か……………………かわいい…………)
突然、発作的に胸がキュンと苦しくなる。彼女以外が何もかも見えなくなっていた。鼓動は徐々に加速して、精神はどこまでも高揚している。
(何だこれ……何なんだこの子…………っ、異常……異常だ…………一目惚れとか、そういう程度じゃなくて……っ、何だこれ……何なんだよこれ……っ?!)
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ソコニ現レタ少女ハ、
都市伝説ヲ、ソノママ証明スルカノヨウナ、
異常ナ、異質ナ、妖シイ、妖魔ノヨウナ何カダッタ。
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「クスクス…………今夜は……大当たり……♪」
彼女は自らの幸運に喜んでいるようだった。一体なぜ? 都市伝説が本当なら、この続きは…………。
「っっ……ぅぁ……」
でも言葉が出ない。僕は一度も、異性に恋をしたことがなかった。でも、これが恋愛感情であることはわかる。僕は、彼女に一目惚れしてしまっている。それが彼女の魔性なのか、それとも奇跡か、本能なのか、何なのかはわからない。わかるはずがない。彼女は謎そのものだ。
「ねぇ……キミ…………噂を聞いてやってきたんだよね…………?」
「っ……、っ、っっ……」
情けなくも僕は戸惑い、それから慌てて何度も首でうなづいた。ウブでしかないその姿に、彼女は気を良くしたようだった。
(それよりも、そんなことよりも…………噂がもし、本当なら…………)
僕と彼女は……彼女のその質問の意図は…………そういうことになる。
「じゃあ……おいで」
「え、あ……うん……」
彼女は僕を手で招き、それからガード下から歩き出す。その背中を慌てて追った。
「私のこと好き……?」
「えっ……?!」
「クスクス…………そう……じゃあ、特別に…………普段はこんなことしないんだけど、キミだけには特別に…………私の家に上げてあげる」
彼女は僕へと振り向かず、静かな口調でそう言った。
「っ?! えっ、家っ?!」
「お金もいいわ……その代わり…………」
「その代わり…………?」
問い返すと、一目惚れの彼女が振り向く。心臓がまたさらに加速して、僕は甘い感覚で浮き上がりそうだった。
「まあ……後悔しないことね……」
「あっ……?!」
その僕の右手を彼女の左手が引く。やわらかな指先と指先は絡み合い、やや力なく結ばれた。夢のような展開だ。展開だけど…………。
(何だろう……何だろうこれ…………何だろう…………)
奇妙な感覚だった。深い、狂気をはらんだ夢の中へと迷い込んだかのような…………全ての現実が逸脱してゆくような感覚。一体いつ、自分は夢の世界へと迷い込んでしまったのだろう。
「ようこそ、全てが嘘になる世界へ」
彼女の意図はわからない。しかし何よりも確かな事実がある。それは、僕が、彼女に逆らえないということ。そしてその彼女は、誤差の範囲に収まることのない[異常な何か]であるという、怖ろしくも甘く妖しい現実だった。
本作はスカイラーク・ガストで、主にピザでも食いながら制作されています。
ですが、たまにポテト大盛りにも手を出します。




