表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/29

1.カフェ・カラミティ

1日1シーン、夜20時ごろ掲載です。

本作はドリンクバーを栄養源に制作されております。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 『喋らないでください、息が腐ります』

―――――――――――――――――――――――――――――――――――



――――――――――――――――――――――――――――――――

 第一話 全てはたった一つの噂から

――――――――――――――――――――――――――――――――


1.カフェ・カラミティ


「そういえばさ、ねえ知ってる? これ、南高の先輩から聞いた話なんだけどさ……」


 絶え間なく人々の言葉が行き交う。海のようにそれはうねり、僕らの耳へと言葉と言葉の断片を浮かび上がらせる。

 そのどれか一つに意識を集中させることはできない。言葉たちのその渦は、折り重なることで無意味な雑音となり、しかし人々がその唇を止めることはなかった。


「何かそれ、変な噂なんだ。もちろん興味あるよね?」

「…………うん、多少は」


 カフェ・カラミティは今日も盛況だった。四人向けのボックス席を、僕ら二人は学生カバンと一緒に占領して、ひどく気だるい放課後を過ごしている。掃除の行き届いていない、水垢の気になる大窓の向こうには、ゴミゴミとした街並みと、トリコロールカラーの空があった。もうじき日暮れを迎えつつあるようだ。


「それはね、その南校の女子の話でね…………その子は金曜と火曜の、駅前のガード下に現れるらしいの。時刻は17時以降、必ず日が落ちた後なんだって」


 僕は彼女の、止めないことには終わることはないであろう、その無駄話を軽く聞き流しながら、携帯端末を机の手前へと置き、片手で娯楽小説の活字へと視線を伸ばしていた。


「しかも!! 何と!! それがちょうどこの[カラミティ]と、あっちの[リバティ]、この二つの間のガード下らしいのよ!!」


 カフェ・カラミティは僕たち学生や、その保護者を主なターゲットに選んだ、個人経営のカフェレストランだ。チェーン店と比較するとやや小汚く、洗練されてるとは何かと言いがたいが…………安価で、かつ席が比較的多く、アットホームな雰囲気で僕らを歓迎してくれる。

 ここは学校と自宅の境界線にある、学生たちの数少ない楽園だった。生徒が生徒を呼び、親が親を呼ぶ、本当にローカルで地域に密着した店だ。


「ふーん…………それで?」


 そしてアミューズメントスペース・リバティは、平たく言えばどこにでもひっそりとある、こちらも個人経営のゲームセンターだった。そういえば、最近は立ち寄ることもない。


「そんなところで、その子は何をしてるんだと思う?」

「…………学生が好き好んでとどまる場所じゃあ無いね。だってあの辺りは…………暗くてジメジメしてて、気味が悪いじゃないか」


 興味を少しだけ覚え、僕は本へとしおりをはさんだ。それをテーブルへと置き、彼女と、それとリバティ側への街並みを確認する。ここからガード下は見えない。


「だよね」


 彼女は、僕のクラスメイトの菊池沙羅は得意げに笑う。本にばかり注意を向けていた僕を、やっと釣り上げたのだと、本当に得意げに。彼女はよっぽどその[噂]に自信があるようだった。


「何してるんだと思う?」

「…………さあ。ずいぶんもったいぶるんだね」

「まあね。諏訪部くんの注意も引けたし、長期連載アニメ並みに謎を引っ張るよ」


 僕は諏訪部(すわべ )くん。諏訪部政(すわべつかさ)。欲を言えば、名前は二文字で名付けて欲しかった。諏訪部政では、バランスが悪いし、どこからどこまでが名前なのやら人様が混乱する。


「引っ張るだけ引っ張って、結局拍子抜けって落ちが見えるよ」

「そんなこと言って続きが気になるんでしょ?」

「…………まあ、多少は。気になります」

「あははっ。その正直さにめんじて、じゃあ続きを話してあげます」

「それはありがたいですね、時間の節約にもなる」


 菊池沙羅と僕は、小学校高学年からの付き合いだ。幼なじみと呼ぶには、ちょっと中途半端な関係だ。特別付き合いが長いというわけでもない。中学三年生になって、たまたまクラスが同じになって、たまたま面識があった。僕らは軽薄な人間関係の上に成り立っている。


「それでね…………」


 携帯端末も切って、僕は彼女の噂話に集中した。沙羅は僕を男として見ていないのか、身を乗り出して、一方的に顔と顔を近づけてくる。言葉の発音は、なぜか密談の形をとったささやき声だった。


「彼女は、そんな気味の悪いガード下で何をしているのか? …………それはね……」


 静かに彼女の瞳を見つめ返す。


「それは簡単な話、彼女は男たちに夢を売ってるの」

「夢……? それって…………」


 沙羅はまた得意げに笑って、さらに身を乗り出してきた。バスケットボール部の彼女は、すらりと筋肉質な二の腕をもっており、ときどき力こぶを自慢してくる。

 それからラフな私服からシルバーアクセサリのペンダントがたれ落ちて、静かに揺れていた。


「つまり売春している」


 売春。それは僕らみたいな年齢からすると、特別な響きのある言葉だった。嫌悪や憧れの入り交じる、様々な嘘が秘められた言葉だ。


「金額は一晩で一万円」

「…………拍子抜けだよ」


 けど僕はそこまで子供じゃない。だからそれがどうしたのだと、その噂の落ちに落胆し、彼女から視線を外してグラスの中のメロンソーダを飲んだ。


「そうだね、そこまでならただの、世の中にすねた女子生徒の話。……でもね、この噂には続きがあるの」

「続き……? まさか作り話じゃないよね……」


 身を乗り出していた彼女は、僕に触発されたのかグラスをカラリと傾けていた。ここのジャスミンティーは妙に濃く、苦くてたまらないのによく飲めるものだ。


「私にはそんな才能ないよ」

「ああ、確かに」

「そんなあっさり納得されちゃうと、逆にそれはそれで傷つくなぁ…………ねね、そのベーコンと、このブロッコリー交換しない?」


 人の同意などお構いなしに、彼女は僕のベーコントマトサンドから主役を奪い取り、グラタンのブロッコリーを二つほど押し込んだ。食べかけの僕のベーコンは、一直線で彼女の胃へと消える。


「夕食前によくそんな重いの食べれるよね」

「余裕余裕っ、私の筋肉に投資ありがとね~」


 タンクトップをまくり上げて、沙羅は力こぶを人へと見せつける。人並みにたっぷり成長したその胸や、チラリと見えたブラジャーの青い肩ひもの方が、よっぽど僕には気になってたまらない。


「…………それで、噂の続きは?」

「ああ、そうだったね。それでさっ」


 また彼女は身を乗り出して、声をささやき声に変えた。


「諏訪部くん、噂には続きがある。その噂を耳にした補導員は、当然彼女を待ち伏せしようとした。しかし……」

「しかしどういうわけか、その女子生徒は一向に現れない。毎日その場所を巡回ルートに入れても、どうしても出会うことが出来なかった」


 声は徐々に低くなってゆき、彼女の表情からも笑いが消える。


「おかしいなぁ、おかしいなぁ…………? 補導員はそれでも毎日ねばり強く巡回するが、やはり出会うことが出来ない。なのに噂は口々に広がり、続報まで現れ出す始末だ」

「……」


 僕は話上手な彼女に、うかつにも飲み込まれかけていた。彼女の続きの言葉が気になる。そんな深刻な顔をされると、気になってたまらないじゃないか。


「そもそも年頃の少女が、そんな危険な場所で立ちんぼをしているはずがないじゃないか。あんな気味の悪い、ただでさえ治安の悪いこの街で、少女がガード下の暗がりに立つなんて…………危な過ぎる、どう考えてもおかしい、不可解だ」


 だから固唾を飲んで、沙羅の迫真の話術に耳を傾ける。


「でも…………彼女と寝たという男は、それ以降も後を絶たない」

「……私の高校の先輩も、その女の子と寝たって言ってるしね」


 その部分だけ声を元の彼女へと戻して、沙羅は嘘か本当かわからない引き合いを出した。


「…………ふぅん」


(初めからそんな女子生徒、存在しないんじゃ…………)


 だが彼女の話はどこか人の興味を引く。僕は彼女から伝えられた言葉をメールへと打ち込み、知り合いの男性へと送信した。


「でも…………それも妙な話なんだよ、諏訪部くん。その少女と一晩を共にした男たちは、口々にその美貌を称える。こんなにかわいい、美しい子と行為をしたのだと……自慢たっぷりにね」

「ふぅん……」


 沙羅は髪の毛をちょっと退廃的にかき分け、それから僕の反応に満足しているらしく、また得意げに言葉を続けた。


「しかし具体的にそんな子だったのか? 補導員は供述を集めてみたが…………これがてんでバラバラなんだよね。長髪、ショートカット、一重だったり二重まぶただったり、ある時はつややかな黒髪の美女。またある時は天然の茶髪だったり、もうバラバラのメチャクチャ」


 大げさに彼女は両手を広げてあきれて見せる。妙な話だが、だからこそその話は作り話っぽかった。


「だが共通して、夢のような一晩だったのだと自慢する。記憶がなくなるまで行為を続けてしまうらしく、翌朝にはもう、文字通り足腰立たないほど、ぐったりと脱力してしまうらしい」

「一体彼女は何者なのか? どうして補導員には出会うことが出来ないのか? 気味の悪いガード下で、無限の顔で人を惑わすふしだらな女子学生。…………何か、すごくない? ホラーだよね、ミステリーだよね、何か怖いよね」


 …………彼女の話はそこで終わりだった。


「……」


 グラスをもう一度傾けて、僕はその、オチのない都市伝説を噛み砕く。確かに妙な話だ。妙だけど、結局それは噂でしかない。ほんのかすかな事実の上に、無数の憶測と期待と願望が入り交じって、こんな奇妙な話が生まれたのだろう。


「あははーっ、面白かったでしょ?!」

「…………まあ、多少。謎だけで、何のオチもないところが不満だけど」

「とか言って、結構まじめに聞いてたじゃん! あ、ブロッコリーまだあった、これもあげるっ」


 ベーコントマトサンドは、もう見る影もない無惨な姿だった。


「それはさ、きっと…………童顔で、床上手の成人女性じゃないかな?」

「ほうほう! それでそれで……? もぐもぐ……」


 彼女は話すだけ話して、すっかり冷めたグラタンを元気良く食べている。


「年齢を詐称して、学生扱いを楽しんでる。これはネットの知り合いが言ってたんだけど、そうすると男たちは喜ぶし、やさしくしてくれるんだって」

「…………うわ、何かえぐいなそれ。もぐもぐ……それで?」


 イヤそうに彼女は顔をしかめ、あの苦いお茶で口を流した。沙羅はきっとまだ処女だろう。余計だけどそんなふうに思う。


「しかも楽に小金まで稼げる。化粧で容姿なんていくらでも調整できるし、ヘアヴィッグをかぶれば髪型も色も好きに変えられるじゃないか」

「あーー……あーー…………何か、諏訪部くんのせいで、噂の神秘性がちょっと傷ついたよ。諏訪部くんは夢がないよね」

「大人にとって大事なのは、学生っていう設定なんだよ。学生じゃなくなったら、大人たちは僕らをありがたがらない。…………ちょっと一歩引いた視線から見てみると、バカみたいな話だよね。一体何が欲しいのか、僕にはわからないよ」


 その時、携帯端末へとメールが届く。


「うわ……うわーー……優等生キャラ気取ってるくせに、実は結構ダーティだよね、諏訪部くん……裏でとんでもないことしてそう……」

「…………大人の友達から話を聞いただけだよ。もちろん、男だから変な推測しないでよ」


 メールで、その大人の、男の友達へと、その都市伝説の一部始終を伝えてみた。彼の結論は…………。


――件名:Re都市伝説――


 それリアル女子学生じゃなくて絶対オバちゃんだよ、若い男狙いってヤツ。じゃないなら俺が買いに行くしww

 それはそうと、あの服着てくれた? キミのかわいい写真、楽しみにしてる。今度は何が欲しい? やっぱり現金? 顔出しの写真なら奮発しちゃうぜ。


―――――――――――――


「……………………」


 ほぼ僕と同意見だった。だが菊池沙羅に見せるわけにはいけない文面が飛び出して、慌てて端末を隠すはめになっていた。


「あっれぇ~? どうしたの、諏訪部くん?」

「…………いや、その友達に都市伝説のことメールしてみたんだけど……」

「お、マジで?! 何だって?」


 また身を乗り出して、彼女は人の端末をのぞき込もうとする。…………ヒヤヒヤだ。


「…………絶対オバちゃんだって。若い男狙いの」

「……うわ、えぐ…………聞きたくなかった…………」


 だがそこまで伝えると、一気に興味を失ったようだ。げんなりと、汚いものを見るかのような視線で、人の携帯を見た。


「……あ、そろそろ諏訪部くん塾の時間じゃない?」


 そして、彼女は僕を現実へと引き戻す。


「うん、そうっぽい」

「サボっちゃえば?」

「そんなことしたって、現実逃避でしかないよ。……待って、友達にメール返す」

「偉いね~諏訪部くんはー……はぁ…………」


 沙羅も塾通いだ。バスケで怪我をして、そのまま部からフェードアウト。両親はこれ幸いと、彼女を塾へと強引に押し込んだ。……少し同情する。


「……」


 友達へとメールを返す。


――件名:ReRe都市伝説――


 須田さんも好き者ですね。アレ着てみましたけど…………めちゃくちゃあざといです……趣味を疑いました。

 でも仕方ないので、須田さんが好きそうなアングルでいくつか撮っておきました。今からそれを送ります。

 あなたの趣味が理解できませんが、お金はいくらあっても困らないので、ぜひ現金でお願いします。


―――――――――――――――


 ……この世界は嘘ばかりだ。

 菊池沙羅に隠れて、こんなことをしている僕も、嘘ばかりだ。彼女もいつかは、こんなことを始めるのかもしれない。でも、それは別に悪いことじゃない。……少し寂しい気もするけど、僕が止める筋合いはない。


「終わった? ……あれ、どうしたの、やっぱりサボる?」

「……」


 この世界は嘘ばかりだ。嘘ばかりのこの世界で、嘘ばかりのネットで、嘘をついたり、正直になってみたりしたところで、何が悪いのだろう。責められるいわれはないと思う。彼と僕は、あくまでギブアンドテイクだ。


 僕は僕自身の中に、破滅的な性質があるのを知っていた。だからその性質に従ってみようと思う。


 それが嘘か、真実か、確かめてみるためにも。僕は菊池沙羅と別れを告げた。……今日は塾には行かない。そう決めたのだ。


//次シーン

本作はスカイラーク・ガストで、主にピザでも食いながら制作されています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ