LOT・7(STORY END)
警告:LOT7にはやや残酷な描写が含まれています。ご注意ください。
「なんだ、これは……?」
それは、ミラージオ・トリエステの発した言葉だった。
現在、彼は殺人鬼に命を狙われているアレイダと共に、小城の庭にある自分が乗ってきた馬車の元までたどり着いていた。
しかし、どうやら馬車は発進する事が不可能な様だ。
なぜなら、馬車を操る御者の青年と、茶髪の馬車馬が誰かの手によってまとめて惨殺されていたからだ。
倒れている青年と馬を手が届くほど近くで見ながら、ミラージオは歯を強く噛み締めた。
「………………うっ……」
彼の後ろで沈痛な表情を浮かべているアレイダは、気分が悪くなったらしく小さな呻き声を出しながら、前にいる友達のタキシードの裾を震える右腕で掴んだ。
目の前で人や動物が血だらけで死んでいるのだ。無理も無い。
「……なに……これ……」
「信じられないな。この惨状」
そう言ったミラージオは、周囲を見渡した。
屋敷からの光によって浮かび上がる庭には、他の馬車の姿が見当たらない。
ミラージオたちより先に逃げた貴族たちは、全員立ち去った様だ。
厩舎の中も、おそらくエインズレイ家の馬車しか残っていないだろう。
「……仕方無い。馬車が使えない以上、走って逃げるしかないな。アレイダ、行くよ」
「え……ええ。わかったわ」
二人は、小城の庭を囲うレンガ塀の鉄格子の門に向けて歩き出した。
その時、屋敷の二階の方から暗赤色の影が、アレイダの目の前を高速で通り過ぎた。
咄嗟に彼女は、自分の顔を覆い隠す様に両手で庇う。
「!?」
素早い暗赤色の影が、ミラージオたちが見ていた馬車の客車の屋根に止まる。
「フクロウ?」
両手を腰の位置に戻したアレイダが、止まっている夜行性の鳥の名を呼ぶ。
真ん丸の青い瞳に、楕円形の頭、両脇に畳んだ短い翼、多数の羽毛により盛り上がる胴体、仔鼠などを捕食する為の鉤爪を生やした脚。
瞳以外の全身から生える暗赤色の羽毛を除けば、普通のフクロウと変わらない。
「……暗赤色の毛……双子殺しだな。……ってコトは、ジェニクスが負けたってのか……」
ミラージオが忌々しそうに呟くと、客車の屋根から別の声が聞こえてきた。
その声色は、双子殺しの声と全く同じ物だった。
「———夜は良い」
客車の屋根に止まったフクロウが、青色の瞳を光らせながら淡々と告げる。
「朝や昼と違って、世界を覆い尽くす一面の黒は神聖さすら感じさせる。加えて、殺人も極めて行いやすい」
殺人と言う言葉が、禍々しく響いた。
ミラージオは、その言葉を警戒したのか、フクロウを見ているアレイダの前に進み出る。
「特に新月の夜は格別だ。私の人生はあの夜から始まったと言っても過言ではない。ミラージオ・トリエステ、当選者である貴様もそうは思わないか?」
暗赤色のフクロウがそう訊いたが、ミラージオは答えなかった。
「返事は無しか。まあいい」
すると、話していたフクロウの体が泡立ち始めた。
全身の暗赤色の毛が消えていき、その姿が人の姿へと変わり始める。
形作られるその体には、凸凹が見られる為、おそらく女性になろうとしているのだろう。
顔の輪郭もはっきりしていき、作りかけの両瞳がミラージオたちを見ている。
「……あ……あなた……」
アレイダが、その姿に驚愕の表情を浮かべる。
その時には、相手の顔はもう変身し終わっていた。
やがて、他の体の変貌も完結し、後に残ったのは、裸身の少女の姿だけだった。
「……そんな……そ……んな……どうし……て」
アレイダが、信じられないものを見る様な目をして、後ろにへたり込んだ。
変身を遂げた裸身の少女は、客車の屋根に座りながら、組んだ足を揺らす。
「きみたちは幸せ者だよー。新月ではないものの、こんなに素敵で綺麗な夜に死ねるんだから」
そこにいたのは———ラヴィニア・エインズレイだった。
「だから、感謝してよねー。このぼくに」
ラヴィはミラージオたちを見下ろして、いつものニコニコ笑顔を作った。
明るい笑顔であるにも関わらず、その笑みには途方も無い悪意が滲み出ている。
白いウイングカラーシャツ。群青色のアスコットタイ。漆黒のコート。同色のスラックス。同色のジョッパーブーツ。
ラヴィの裸体を隠す様に、普段着ている男物の衣服が彼女の体の上に現れ、十二秒後にはひとりでに装着されていた。
冷えきった夜風を浴びる彼女のブラックコートが音を立てて翻る。
「……ラヴィ……あなたが……双子殺し……?」
「やっぱりそうか。もしかしたらと思っていたが」
知っている事を自慢気に教えられたかの様に、ミラージオはつまらなそうに言った。
彼の言葉を聞いたアレイダは、芝生に尻を付けたまま更に驚く。
「なーに? ぼくが双子殺しだって気付いてたの?」
余裕のある口調で、ラヴィはミラージオに問いかける。
その声には、少しの動揺の色も見られなかった。
「双子殺しが姿を現した時には、必ずキミの存在が欠けていた。新月の夜も。三番地の荒野も。舞踏会場も。その上、キミはボクたちに隠しゴトをしていたしね」
「……隠しごと? 何を?」
ミラージオの口から出た単語に、ラヴィが眉根を寄せながら尋ねた。
「当選者であるコトをだよ。いつもいつも神出鬼没の登場をしていたんだ。何らかの能力を持った当選者であるコトぐらい分かる。おそらく仔鼠から人にでも化けていたんだろう。でも、キミは当選者なのに当選者になりたいと普段言っていたから、何か事情があるんじゃないかと思って黙っていたんだ」
「…………ふーん。何も言わないからおかしーとは思ってたんだー。まー、ぼくが当選者であることが見破られてても特に支障は無かったから、別にいーんだけどねー。でもさー、ぼくの不在とその秘密だけじゃー、ぼくを双子殺しだとは断定しきれなかったんじゃない?」
「そこまで断定に拘る必要は無いさ。これ以上犠牲さえ出なければ迷宮入りしても構わない。ボクとシフォンがやろうとしていたのは『双子殺しの暴虐を止めるコト』それだけだったんだよ。だから、追及の果てにヤツがドコの誰であったとしても特に問題が無かった」
「…………そーかい」
興が削がれた様な顔で、殺人鬼の少女は言った。
州都警察本部が一丸となって捜索している殺人鬼の本体を興味が無い風に一蹴されたのだ。
実体を必死に隠していた本人としては、それは面白くないだろう。
「……双子殺しの正体なんて眼中に無しかー。まるで改まって変身したぼくがバカみたいじゃないか。ちょっと腹立つねー」
すると、客車の屋根に座っていたラヴィが地面へと軽やかに跳躍する。
ジョッパーブーツの靴底が、カコッと切り揃えられた芝生を叩く。
向き合うラヴィとミラージオとの距離は、一メートルにも満たない。
「まー、このぐらいの怒りなら、殺し合いを引き立てる香辛料としてちょーどいーよ」
「……ラヴィ、一つ訊きたいんだ」
真剣な声が、夜闇に響く。
対峙する相手の方から聞こえてきた女性の様な声に、ラヴィは微笑みながら返答する。
「いーよー。友達のよしみで訊いてあげる。なんだい?」
「———なぜ、キミはアレイダを一方的に殺そうとする?」
「……………………」
怒りの表情を浮かべたミラージオの核心を衝く言葉に、ピンク髪の少女が黙る。
誰も何も喋らない無言の時間が唐突に生まれ、十数秒の後にラヴィの間延びした返事が響いた。
「……ごめんねー。それは答えられないよー。それは無理。ただ、アレイダが生きていると、こっちはかなり都合が悪いんだ」
「都合が、悪い……?」
ミラージオは、身勝手な返答に対して、怒りの表情ではなく疑問の表情を浮かべる。
ラヴィニア・エインズレイにとっての不都合。
それがはっきりすれば、別の解決法を見出して彼女を止められるのかもしれない。
しかし、今は……。
「それがヒントだよー。よく考えてみるといー。さてー、そろそろ始めよーかー。いー加減シリアストークはぼくの大好きなキリングトークに変えていこー、よ!」
言葉の瞬間、ラヴィは自分の華奢な左腕の拳を、芝生の地面に向けて躊躇無く叩き付けた。
すると、隕石が激突した様な凄まじい破壊音と共に、拳が当たった部分が十五メートルほど激しく陥没する。
大量の泥粒と、切り揃えられた芝生が混じった大きな孔が唐突に出来上がった。
「!!? ……な……なんなんだ、その、ふざけたパワーは……?」
薄茶の土煙を伴う一撃の余波が、陥没孔を中心に七メートルほど続く稲妻の様な形をした六本のひび割れとなって地面に現れた。
ミラージオは、アレイダを横抱きしながら、何とかその事態から南の後方へと逃げる事に成功していた。
目の前の光景に呆然としながら、陥没孔の中に落ちた相手の顔へと視線を移す。
「世界には、数百億に及ぶ獣が棲息している」
桁外れな剛力を持つラヴィが、ミラージオたちに言った。
その姿からは、先程の攻撃力は到底想像できない。
「ぼくの能力【億獣の独裁者】(ドミニオン)は、その全ての獣たちの身体能力をまとめて、ぼく自身の身体能力に同化させるものなんだー」
「……同……化……?」
「つまりねー。ぼくの一撃が、数百億の獣たちの総撃と同じレベルになるって事だよー」
「…………そんな、バカげた能力あるワケが……」
「あるんだよー。残念ながら、きみの目の前に」
ミラージオは、その言葉に大きく目を剥いた。
とんでもない話だった。
数百億の獣の身体能力を自分の体一つでまとめて発揮できる。
そんな存在が本当にいるならば、この国のトップ・女大公と同等の力を持っていると言える。
その能力を操り、国家へと革命でも起こせば、悍しいほどの被害がもたらされるのは必至だ。
しかし、
「だけど……だけど、双子殺しの狼はそれほどの身体能力を持っていなかったハズだ!」
実際にそれだけの能力を使えるならば、双子殺しに噛まれたシフォンの左腿は、一噛みで風船が弾ける様に足の内部ごと割れていたはずだ。
だが、彼女の傷は、せいぜい小さな穴が開いた程度。
それでは道理に合わない。
その矛盾点を問い正す様なミラージオの叫びに対して、ラヴィはティータイムの最中みたいに落ち着きながら答えた。
「当ったり前だよー。この能力は『ラヴィニア・エインズレイの状態』でしか使えないんだー。面倒な能力だろー? その上、本来の姿だと【億獣の独裁者】の本領発揮がちらつくから、今日まで制御するのはかなり大変だったんだよー。下手したら、学院で使ってるぼくの机・椅子が粉々に壊れちゃって周りの生徒・教師にバレるからねー」
ミラージオは、その答えに言葉を失った。
ラヴィの言う事が正しければ、億獣の独裁者の本領は、限定的な物であるらしい。
だが、彼女が持つ剛力の前では、そんな条件は些末な事に他ならない。
言葉を失った彼が何を考えているのかは分からないが、状況が最悪なのは確かだ。
「……ぼくの小城ごと壊したくはないんで、今の拳撃はちょっと加減したけど。まー、もー少しくらいなら本気出してもいーよね」
そう言ったラヴィは、自身が落下した陥没孔の底を蹴り、あっさりと蛙の様にその中から跳躍した。
彼女はそのままミラージオたちの九メートル真上へと躍り出ると、引き絞る弓の様に両足を素早く縮め、下にいる彼らに向かって凄まじいスピードで急降下を開始する———。
「——————ォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
列車が衝突した様な凄まじい音が響き渡り、辺りに大量の土煙が舞う。
単純な跳び蹴りという言葉だけでは、片付けられないほどの猛撃だった。
「……うぉ……あァ……!!」
「……キャッ…………」
朦々と小城の庭に立ち込める土煙の中から、ミラージオとアレイダの声が響く。
その安否は、土煙に隠れて分からない。
「……あはっ……あははっ。思った通り、こっちは擦過傷程度で済んだー。今の攻撃で足の骨折どころか、靭帯一つ断裂していないなんて、我ながらキモイなー」
ラヴィの無邪気な声が、ミラージオたちと同じく土煙の中から聞こえた。
言葉によると、彼女はあれだけの蹴りを地面へとぶちかましたにも関わらず、大した傷を負っていないらしい。
「おーい! おーい! ミラージオくーん、生きてるんだろー? 落下の直前できみがわずかに避けたから分かるんだよー。アレイダごと瞬殺してあげるから、声を出してぼくに位置を教えてー!」
勿論、返答など無かった。
そんな呼びかけで、返事を返すのはバカか、あるいは何らかの迎撃手段を持っている者だけだ。
迎撃手段などおそらく持ち合わせていないミラージオとアレイダが、応答する訳が無い。
だが、ラヴィはそれが分からないほどバカじゃない。
何か意味があって呼びかけたはずだ。
「そこ、だねっ!」
空気を引き裂く様な音が響くと、辺りを覆い隠す土煙が一気に薙ぎ払われ、ラヴィとミラージオ、アレイダの姿が見えてきた。
殺人鬼の少女は両手を大きく広げながら、前方で地面に膝をついているミラージオたちを見下ろしている。
どうやら自分の両腕で、土煙を無理矢理振り払ったらしい。
能力・億獣の独裁者の強腕だからこそ、できる芸当だ。
「……なぜ、ボクたちの場所が分かった?」
「アレイダが声にならない声で悲鳴を上げたからだよー。億獣の独裁者は聴力も抜群なんだー。それにしても、『瞬殺』の単語に反応するなんて可憐だねー。あー萌える萌えるー。激萌えだねー」
ラヴィニア・エインズレイとミラージオ・トリエステ。彼我の距離は、五メートル弱。
あまりにも圧倒的なラヴィの蹂躙に対して、ミラージオは為す術が無かった。
「ミラージオくんさー、そろそろ闘る気も無くなっちゃったんじゃない? つーかさっきから
一回も能力使ってないじゃないか。どーしたの? 使う暇がないの? それとも心が竦んじゃった?」
心を抉る様な物言いをするラヴィが、一歩一歩ミラージオたちの元へとゆっくり歩を刻む。
ミラージオは、自身の東横に空いているラヴィが作った大穴を流し目で少し見ると、両手を手刀の形に素早く整えた。
「……試してみればいー。だけど、ぼくに斬撃が効かないのはもう体験してるだろー? さらに今のぼくの能力の硬度だったら、斬撃によって生まれる衝撃もまるで無意味だと思うけどねー」
「…………たったそれだけでこの状況を諦められるか!」
藍髪の少年が立ち上がって吼えると、ラヴィの足場に向かって両手の手刀を食らわせようとする。
ラヴィに能力が効かないにしても、他の対象なら話は別だ。
「やめておけよ」
渇いた言葉が無慈悲に響いた。
言葉が聞こえた時には、ミラージオに一瞬で距離を詰めたラヴィが、彼の両手を自分の両手で軽く握っていた。
「……っ……!」
「捕まえたよー。低能くーん」
ミラージオの視線が、覗き込んでくるラヴィの両瞳へと釘付けになる。
最悪の事態に陥った。
このままでは、ミラージオの両手は、億の力によって弾け飛んでしまう。
「さて、じゃー、この両腕にお別れの言葉を言ってもらおーかー。美少女に手を握ってもらえたんだー。代償としては上等だろー?」
その悍しい発言に、ミラージオの顔は凍りついた。
もう、彼の両手の未来は、絶望的と言えるだろう。
殺人鬼の少女が、その様を見て嗤いかけた。
その時だった。
「———やれやれ、私のいない内に何やら状況が進行していますが、あんまり置いてけぼりにしないでくださいよ」
楽器を鳴らす様な綺麗な声が、夜闇に奏でられた。
芝生に誰かが着地した音が響く。
「—————————ッ!?」
すると、鎖が擦り合う様な音が鳴り響き、ミラージオとアレイダの体が何かに引っ張られる様に北側の小城の方へと高速で移動し出した。
「……こ……これは……」
「……な、に……何なの……?」
虚空を飛行する二人が、突然の出来事に顔を引きつらせる。
程無くして彼らは、小城の玄関前と辿り着いた。
「……………………」
「……………………」
ミラージオの両手を握り潰そうとしたラヴィは、突然聞こえてきた声の方角へと向き直る。
東に植樹しているオリーブの庭木の所に、金髪サイドテールの美少女が無言でいた。
彼女たちの間に沈黙が流れている中———先に口を開いたのは、
「……なんで、ラヴィとミラージオが闘ってるんですか? 説明してくださいよ」
闖入者/シフォン・エカテリンブルクだった。
「あれー? おっかしーなー。なんできみがここにいるの? まだ入院中のはずだろー? なーに? 無断外出してきたのー?」
突然の乱入者に、驚いた様な表情を浮かべながらラヴィは言う。
「その通りですよ。ですが、火傷はもう完治しているので、病み上がりなのが気になるくらいです」
「……まったく。まったく、頑張らなくてもいーって言ったはずなんだけどなー。上手くいかないもんだねー。きみやミラージオが諦めてさえくれれば、抹殺もやりやすいんだけどなー。まー、命を摘むってのは、そー簡単に達成できるとは限らないかー」
その言葉の後、シフォンの喉から生唾を飲み込む音が響いた。
彼女の容姿端麗な顔が、明らかに硬く強張る。
その表情は、何か信じたくない事実を、無理矢理突き付けられたかの様に見えた。
「……命を……摘む? アナタ、まさか……双子殺し?」
「遅いねー。アレイダ、ミラージオくん、ジェニーくんはもう承知だよー。まー、ジェニーくんはもう事切れているはずだけどねー。あはは、なかなか強かったけど、億獣の独裁者の身体能力を相手にすれば、敗北は確定だからなー。まー、彼は運が悪かった。折角廃墟の教会をねぐらにしているんだから、ちゃんと神様に勝利を祈ってくればよかったのにねー」
「……アナタ……ジェニクスを……」
シフォンは、ラヴィの話に、いきなり槍で心臓を突かれた様な驚きの表情を表した。
同級生が自分が犯した殺人を平然と話しているのだ。
その驚きの心情は、おそらく想像を超える物だろう。
「だから、遅いんだよー。きみがもうちょっと早く舞踏会場に駆けつけていれば、あるいは彼は助かったかもねー。まー、低能の雌猿の参入程度じゃ結果は同じだろーけど。っははは」
ラヴィが、いつもの笑顔で空を仰ぎながら嗤う。
シフォンは、その姿を見て一気に柳眉を逆立てた。そのまま歯を強く噛み締めると、
「ラヴィニアァ……」
憤怒の形相でそう言った。
すると、
「どーしたの? 腹が立つなら、ぼくに縛撃を加えてみなよー。その間にきみの首の骨を折って、呼吸の大切さを分からせてあげてもいー」
ゆったりとした態度で、自分のコートのポケットへと手を突っ込む。
シフォンはその挑発に乗らないで、怒りを鎮める様に大きく深呼吸をした。
まだシフォンは、ラヴィの能力・億獣の独裁者を知らないはずだが、相手の余裕のある姿勢から何かを感じ取ったらしい。
「……シフォン、気を付けろ! ラヴィの能力は半端じゃないぞ! 顔を一発でも殴られたら、その箇所は全部弾け飛ぶと思え!」
玄関前のミラージオが、シフォンに助言を送った。
「……ご忠告どうも。でも『弾け飛ぶ』ですって? どんな馬鹿力ですか、それは。まあ、その言葉から察するに攻撃力を上昇させる類のようですね」
しかし、攻撃を警戒した所で、億獣の独裁者の反則的な実力は何も変わらない。
そもそも今の状況で、億獣の独裁者を打倒する手段などあるのだろうか。
さらに加えれば、シフォンとラヴィの間には、能力格差という理不尽な壁もある。
あまりにも障害が大きすぎて、打つ手が何も見当たらないのが現状だ。
「シフォン。もっと詳しく教えてあげるよー。ぼくの能力は、世界中にいる数百億の獣の身体能力を自分の体一つに同化させるものだ。能力名は、億獣の独裁者」
「……そうですか。その言葉が嘘でないとすれば、桁外れな能力ですね」
「……どう? 怖くなった? か弱いか弱い鎖姫様だもんね。なんなら逃げてもいーよー。その際、ミラージオくんだけなら連れて行くのを許してあげる」
おそらく、大嘘に違いない。
自分の正体を知られているのに、みすみす逃がす理由などある訳が無い。
仮に逃げようとすれば、その隙を衝いて腕力で捩じ伏せようとするだろう。
彼女の真意は明白だった。
「……怖いですって? その程度の理由で逃げるなんて真似できますか。アナタはここで罰します。たとえ相手がどれだけ桁外れな能力を持っているにしても、何らかの弱点はあるはずですしね」
シフォンは、しっかりとした口調で言った。
その姿は、三番地の時の様に、凛々しく気迫に満ちあふれていた。
左肩に重傷を負った空鎖迷獄の鎖姫は、その傷を癒し、再び戦場に舞い戻って来たのだ。
闘いが始まってもいないのに、命惜しさの逃亡などありえない。
彼女の信念が、そうさせないだろう。
「…………そー。さすが、闘いにおいては血気盛んなシフォン・エカテリンブルクだねー。その気骨だけは大したものだよー。もっと能力を鍛えていけば、もしかしたら億獣の独裁者に届く日がいつか来るかもねー」
ラヴィが感嘆の表情で拍手を送る中、ミラージオが質問を投げかけた。
「…………ラヴィ、キミはこうして姿を明かしたのに、なぜ三番地や会場では獣の姿で現れたんだい?」
「んー? あー、それね。教えてあげるよー。どうしてかっていうと、人気の無い三番地は狼状態で事足りると思ったからだよー。実際きみとシフォンは苦戦してただろー? あと、さっきまでの会場では、大勢の貴族が集まっていたからねー。そんな中正体を現すのは、後々不都合が生じてくる」
殺人鬼の少女は、今までの変身理由を歌う様に軽やかな調子で話す。
その説明に、ミラージオは「なるほどね」と納得の言葉を出した。
そこに、シフォンが口を挟む。
「…………狼と言えば、三番地に狼の姿で現れた時、双子を殺した理由は明かしてくれませんでしたね。州都警察本部の尋問で吐かせるのはもう待ちきれないので、私たちが勝ったら、この場で理由を話してもらいましょうか」
「……あっはは。バカか、きみは! 言うわけが無い。何を言っ」
「———女大公の勅命だからですよ」
突如、聞き慣れた声が軽やかに響いた。
舞踏会場で、果敢にも双子殺し相手に闘いを挑んだ者の声だった。
ジェニクス・ファイヴ。
双子殺しに敗れたはずの彼の声が、たしかに聞こえる。
「そうですよね? 双子殺し?」
すると、小城の壁の西脇から、彼の姿が現れた。
彼は、億獣の独裁者の豪腕にやられたのか、右腕を左手で庇っていた。
ラヴィは、ジェニクスの姿を目に映すと、忌々しい奴が現れたとでも言う様に舌打ちを一度だけした。
「……きみ、生きてたの?」
「億獣の独裁者とやらの攻撃の直前に時間を止めて、一撃を受け流したんですよ。貴女はそれに気付きやがらなかったみてェですけど。本当馬鹿ですよね。貴女」
「……………………」
激怒の表情を浮かべるラヴィの声が止まる。
殺気を感じさせる沈黙。
「……生きてたのか、赤釣り針クン。でも、一体どういう事だ? 女大公の勅命だって? じゃあ、殺人鬼・双子殺しは国側が用意したとでも言うのか?」
沈黙を破ったのはミラージオだった。彼は、現れたジェニクスへと疑問の言葉を送る。
「その通りですよ。オレの父上の話を偶然聞いたのによれば、双子とアレイダ・ブラックミントは、近い将来、国にとって不利益になる能力を持つ当選者に抜擢されやがる『予言』が出ていたそうです。それを聞いて、女大公は億獣の独裁者を『殺人鬼役』として行動させたんですよ」
「……不利益になる当選者。予言。女大公。殺人鬼役。随分大規模な話だな……。……なるほど。五日前の新聞の一面を飾っていた『予言の当選者、来月で休暇終了』はフェイクか……。休暇中で能力を使っていなかったから、双子殺しの出現を見抜けなかったと思っていたけど……」
傷ついた様子のジェニクスは、ミラージオの考察に「ご名答」と言って彼の事を褒めた。
「……そんな、そんな事でわたしは殺されないといけないの?」
アレイダが、大きく目を開けて、大型拳銃を突き付けられた様に、体を弱々しく震わせる。
彼女にとってその殺害計画は、あまりにも一方的で理不尽な事実だった。
「……ですが、具体的にはアレイダに何の能力が発現する事で、国側が邪魔と判断しているんですか?」
「それは—————————確率変動の能力です」
シフォンの質問に対して、ジェニクスは重々しく返答を伝えた。
「「「……確率……変動……?」」」
彼の言葉に対して、シフォン、ミラージオ、アレイダの三人の発言が重なり合う。
それを見ていたラヴィは、「そこまで知っていたのか……」と小声で独りごちた。
「協会が人間を当選させた場合、普通は一〇〇%当選者になりやがるんですけど、確率変動の当選者が存在すると、一〇〇%の絶対確率が捻じ曲がって、当選者の創造に支障をきたすらしいんです。簡単に言えば、当選者が生まれやがらなくなる訳なんですよ」
「そんな能力、聞いたことがありません!」
シフォンが、その説明に対して吼えた。
たしかに、この国の歴史の文献には、そんな当選の記述は一文字も載っていない。
その問いに答えたのは、ジェニクスではなくラヴィだった。
「……だろーねー。協会が出現してから二世紀以上経ってるけど、シフォンの言う通り、そーゆー能力を持つ当選者なんてただの一度も創造されたことなんてない」
それなら、歴史の文献に載っていないのも合点が行く。
なんせ確率変動の能力がこの国に姿を現すのは、他でもないこれからの話なのだから。
「それで、アレイダを殺すのか? この国にとって当選者の創造は必要だから……。だけど、アレイダがその能力を創造の妨害に使うとは限らないだろう」
「本人の意思は関係無いよー。『自動発動』って言葉もあるからねー。使いたい、使いたくないの話じゃないんだー」
ラヴィは、矢継ぎ早に話を続ける。
ジェニクスによって、秘密がほとんどバラされたので、もう隠しておく気が薄れてしまったのだろう。
「まー、普通の人間としてずーっと『はずれた』まんまの未来だったら本当によかったんだけどねー。でもまー、この先『当たって』、そんな不利益な能力を宿すんだったら、殺害する理由はもう揃っちゃってるわけでー」
そして、残酷な言葉が次々と生まれていく。
「まー恨むなら、当選の世界に生まれたことを恨んでよ」
アレイダを殺そうとする理由は、明白になった。
おそらく、双子もアレイダと同様な能力が発現するはずだったのだろう。
すると、ジェニクスがその場で突然力無く倒れた。
「ジェニクス・ファイヴ!」
「赤釣り針!」
「ファイヴくん!」
三者三様の呼びかけが、暗闇を駆け抜ける。
返事は無かったが、僅かに呼吸をしていたので、命は残っているらしい。
「……受け流したとか言ってたけど、結構限界まで来ていたんだねー。さて、全部話したし、続きをしよーか。まー、計画はバレちゃったけど、全員皆殺しにすればいーわけだし。特に問題無いかなー」
「……待ってください。まだ聞きたい事はあります。それを私の父上・母上は知っているんですか? あと、国が計画したなら、もしかして……州都警察本部もグル?」
「んー、じゃー、まず後者から答えよー。答えはイエス。州都警察本部のほとんどはそれを知ってて協力してくれている。でも、前者は残念ながらノーだね。もしイエスなら、きみの自我は崩壊していたかもしれないのに」
「……そうですか。州都警察本部はともかく、父上・母上の事はほっとしました。よかった」
そう言ったシフォンは、スタスタとジェニクスの方に駆け寄る。
疲労困憊の彼の肢体を強く抱き締め、前を見ながら柔らかい笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。ジェニクス・ファイヴ。後は任せてください」
すると、小城の西脇に取り付けられていたガラス製の燭台を右腕で無理矢理もぎ取ると、
「ラヴィの能力が億獣の独裁者なら、もう勝負は決まりました」
そのまま、その燭台を持って、向こう側にいるラヴィに向かって示した。
「???」
ラヴィが、シフォンの行動に対して、怪訝な表情を浮かべた。
その瞬間、鎖の環が軋む音が響くと、シフォンがもぎ取った燭台が、勢い良くラヴィに向かって激突してきた。
どうやら、不可視の浮遊鎖が、ガラス製の燭台を瞬速で投擲した様だ。
その弾丸が見劣りする程の速度は、あまりにも速すぎた為、ラヴィは反応が追いつかず、燭台の一撃をまともに食らった。
まさか、こんな攻撃が来るとは思いもよらなかったのかもしれない。
ガラスの壊れる音が、小気味良く鳴り響く。
壊れた燭台の炎が、中のオイルの手伝いで、彼女へと一気に燃え広がった。
無慈悲な紅炎が、煌々と夜闇を明るく照らし出す。
それはまるで、夜闇の黒が火炎の紅を全面的に引き立てている様だった。
「ぐァ———ゴがァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「……あなたがどれほどの能力を持っていても、人間である事には変わりない。動物は基本、炎を苦手とする生き物です。それは人間にも当てはまります。その上、アナタの能力は、『世界中にいる数百億の獣の身体能力を自分の体一つに同化させるもの』なんでしょう? という事は、能力の影響で触覚や痛覚は酷く過敏になっているハズです。だから、炎に焼かれる痛みは、それこそ人間の数百億倍ぐらいにまで跳ね上がるでしょう」
シフォンが、淡々と語る。
もはや、ラヴィの悲鳴は尋常ではなかった。
けたたましい哮号を上げながら、必死に地面の上を転がり回っている。
その時、一雫の水滴が天から降って来て、シフォンの左頬を濡らした。
雨だ。
いつの間にか、積乱雲が小城の上をくまなく覆っていた。
落ちてくる雨雫は、たった数秒で急激に増えていき、地上にいるラヴィの体を包む紅を消していく。
のたうち回っていた彼女は動きを止めると、喘鳴を繰り返しながら、シフォンの方を見た。
「身体能力が数百億倍ならば、炎に体が焦がされても、そう簡単には死なないでしょう。体が内外ともにすこぶる頑丈であるんですから。ショック死もしないでしょう。脳と心臓の身体能力も、普通の物とは違いますからね」
そして、シフォンは首を上げ、黒雲を仰ぎながら告げた。
「———たとえ国が相手でも、たとえそれによって貴族の立場を追われたとしても、私は守るべき存在を見捨てたりなんかしません」
余韻すら感じる、端整で儚げな声で。
「———要するに、子犬の可愛さは、世界最強なんですよ」
高く育ったミモザの庭木の下で、黒と白の斑模様の子犬の首をくすぐりながら、シフォンは楽しそうに笑顔を見せていた。
生い茂る庭木の枝葉からは、薄白色の木漏れ日が優しく漏れ出ており、芝生の地上に温かさを与えている。
ここは、シフォンの住むエカテリンブルク邸の中庭だった。
「……最強でも最低でも何でもいいから、とりあえずコレ受け取ってくれよ」
日溜まりで休憩を取っていたシフォンの前に現れたミラージオは、左手で一個の宝石を彼女に差し出した。
微睡んだ両瞳のまま、芝生に座っていたシフォンは左手で受け取る。
「………………」
受け取ったシフォンは、飴玉サイズの紅玉髄の宝石を眺めるのより先に、自分の肩先を見た。
醒血の力のおかげで、完治した左肩だ。
「……今更ですけど、治ってよかったです。左肩」
彼女は、寝ぼけ眼ながらも感慨深げな表情を浮かべていた。
そして、宝石を持った左腕で両瞳を擦ると、ゆったりと紅玉髄に視線を移す。
「何ですか、これは?」
「アレイダからの贈り物だよ」
この国では、紅玉髄の宝石は希少な物だ。
たとえ、飴玉サイズでもその価値は計り知れない。
「大切にしなよ」
「ええ。……でもまあ、私はお礼が欲しくて億獣の独裁者と闘ったわけじゃないんですけどね……」
「そんなコト、アレイダもよく分かってるよ。あと、コレ」
するとミラージオは、灰色のベストの左ポケットから、一袋の小包を取り出す。
形と大きさから、どうもソフトカバー本が入っているらしい。
「……そっちは、何ですか?」
「北西の国でポピュラーな恋愛小説だそうだ。添え状にそう書いてあった」
彼は、右ポケットからアレイダからの添え状も出し、シフォンに渡す。
それを見たシフォンは、紅玉髄の宝石を純白のサマーコートの左ポケットにしまい、恋愛小説の入った小包とアレイダの添え状の封筒を右手で貰った。
開封された封筒を右手でそのまま支えると、左手で中の添え状を抜き取って、すぐに広げた。
インク特有の香りが漂う。
「……元気そうで良かったです」
アレイダの添え状には、変わらぬ彼女の姿が読み取れた。
添え状を送った主は、現在・この国の北西の先にある国にいる。
彼女は、億獣の独裁者の件の事後処理で、その国へと国境から亡命したのだ。
追撃の恐れを、シフォンたちが心配しての計らいだった。
一度、国外に出てしまえば、能力が作用しない意味合いもあった。
ちなみに渡った国は、シフォンたちが暮らす国と同盟関係を結んでいる状態だ。
しかし、女大公率いる政府も、今回の件をあまり公にはしたくないはずなので、手が出せないのは明白だった。
ジェニクスの方は、現在・入院中である。退院は、三週間後が目処だそうだ。
ラヴィの方は、行方が分からない。死亡のニュースがどこの新聞にも載っていないので、とりあえず生きている可能性は高い。彼女が住んでいた小城は、今となっては廃墟同然の状態だ。
「あれから二週間ですか……」
シフォンは、何かに疲れた様に溜め息を付く。
「それにしても、なぜ予言の当選者は、億獣の独裁者が敗れる事や、アレイダが亡命してしまう事まで看破できなかったんですかね?」
彼女から、疑問の声が上がる。
予言の当選者と呼ばれるくらいなのだから、事件の顛末を完全に把握していたはずだ。
「……いや、おそらく予言の当選者は最後のコトまで知っていたと思う。だから、亡命は決定事項だったんじゃないかな? ……はは、まるで掌で踊らされたような感じだ……」
「腹が立ちますね。いつか糾弾してやります」
すると、本館の玄関の方から、御者の声が聞こえる。
「……さあ、そろそろ行くよ。シフォン。『出発』だって」
言われたシフォンは、青チェックのプリーツスカート越しに尻を軽く叩いて、付いた芝生を落とす。
「旅行なんて初めてです」
ミラージオは、嬉しそうに微笑むシフォンに向かって右手を差し出した。
即座に彼女は、サマーコートの右ポケットへ添え状を入れて、ミラージオの右手を、自分の右手に絡ませ合った。
「さあ、この国を、見に行こう」
その躍動感溢れる言葉に対して、シフォンの同意の返事が響き、ミラージオがその姿を見て優しく笑いかけた———。
これでシフォン・エカテリンブルクと当選者発表:【双子殺し編】は終了です。続編の【アドラ・ベイカー編】は出来次第載せます。ここまで読んでくださってありがとうございました。